「文学横浜の会」
随筆(城井友治)
2004年3月14日[掲載]
〔 風の便り 〕ー残年記ー
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この頃火事のニュースがあると、決まって死人が出る。やはり建材のせいなのだろうか。
以前には、家が焼けても人の生命は助かっていたような気がする。
火元が一階で二階に寝ていた老人夫婦とか、子供がその被害に会っている。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて、世に喧伝された時代があったが、今日では願い下げにして貰いたい。
家屋が密集して来ると、一軒の火事だけではすまないから怖い。
高層ビルはなお怖いが、それを気にしていたら暮らしていけない。
先だって必要があって、新宿で泊ることになった。朝早い汽車に乗るのに冬の暗いうちに家を出るのがきつかったからだ。
ところが丁度受験シーズンとかで、今まで利用していたビジネスホテルはどこも満員。
ホテルにとっては一年に何回もないビジネスチャンスだから、どこでもサービスにつとめている。
地方からの受験生が合格すれば、部屋探しやなんやかやと利用してくれるメリットがある。
そう言えば昔大阪の会社の人が、この時期は泊るところがなくて困ると、こぼしていたのを思い出した。
仕方がないと半ばあきらめて、五時起きと覚悟していた時、ふと業界の年金基金のホテルが新宿駅近くにあることを思い出した。
どうせ素泊まりだから眠れればよい。ダメ元と電話を入れたら空いているという。
シングルの部屋もそう狭くなく、下手なビジネスホテルより清潔感があって良かった。
そこで思いがけないものを見つけた。「防煙マスク」が壁に取り付けてあった。
都心ではこういう設備が義務づけられているのだろうか。興味津々、外して見たかったが、
緊急の場合以外使わないで下さいと表示してあったので、眺めるだけにした。
煙をすって意識を失うケースが多いことを物語っている。
◆ テレビではサマーワ。新聞ではサマワ。まぁどっちでもいいが、驚いたのは自衛隊の人道支援の宿営地で、
土地代を請求されたという報道。それも近辺の土地の値段より高額なのだそうだ。
「日本は甘く見られているよ。なんでぇバカにしやがって!」居酒屋でケンケンガクガク。
誰のために命を的に行ってるんだという思いが強い。
いっそのこと、「はい、分かりました。では帰ります」と言ったらどうなる。
居酒屋談義だから、勝手な言い分と思うだろうが、これは庶民感情である。
宿営地の土地が国のものか個人のものか調べなかったのだろうか。オランダやアメリカではちゃんと土地代を払っているのか。
これは到着した自衛隊がやる仕事ではない。外務省がやっておく仕事の筈と思うがね。
政治家が反対反対と叫ぶだけでなく、こうしたことの追及をして、自衛隊を送り出さなくちゃ困る。
結論めいたものが出たところで談義は終わった。
◆ 政治家のことが出たついでに、また秘書給与の問題が発覚して議員辞職とか。
学歴詐称があったり、まったく情けない。こういう人を選んだ選挙民が一番悪いことになる。
でも、社民党や民主党の議員が槍玉にあがって、一番議員数の多い自民党からそれが出ないというのも不思議なことである。
体質的には、もっともありそうだと思うが、辻元某が逮捕された時に敏感に反応して、一切整理したのだろうか。
事業をやっていた時、選挙があると陣中見舞と称して選挙事務所を回ったことがある。
多少顔見知りになったら、ぽろっと本音を漏らしたことがある。
法で禁じられたから助かっているけど、一番困っていたのが冠婚葬祭。
地元の一人に顔を出すと、他の人にも出さないといけない。それがどんどんエスカレートしてしまう。
財政的にも肉体的にも参りました。こういう話を聞いていると、選挙民も反省しなければいけないと思った。
さらにさかのぼると、選挙屋というのがいて、
選挙が始ると私は何票間違いのないのを握っているから買ってくれと売り込む輩がいたそうだ。
こういう時代からすると随分改善されたが、まだ地下に潜っている面もあるに違いない。選挙で財産をすべてすった。
井戸、塀しか残らないというのは昔の語り草になった。今は世襲もあるのだから、きっと割のいい職業になっているのだろう。
◆ 鳥インフェルエンザの対策で各府県は大騒ぎしている。一人の経営者の判断ミスが、大きな災害を生んだ。
人間が食用に供している動物は、病気にかかり易い。そのために様々な対策が講じられているのだが、
なかなか難しいのが現状である。牛でも豚でも多頭飼育によって経済効率はよくなっても、それが引き起こす弊害もある。
病気である。
鶏の鶏舎はその危険性をはらんださいたるものだ。昔商社の方と、牧場を作ろうと宮崎県の山間部に行ったことがある。
山間に鶏舎が見えた。下りて行こうとしたら、我々の姿を見ていたのか、
青年が飛んで来て、それ以上入るなとストップを食った。
それは病原菌の搬入を恐れての拒否だった。人間が運んで来るのが一番怖い。
靴、衣服に付着して病原菌が運び込まれるケースが最も多いのだそうだ。
山口、大分と発生を封じ込めたのに、なんで京都府に飛び火したのか。
カラスから病原菌が発見されたそうだが、それだけなのか。京都の養鶏場では、内部告発で事態が表に出た。
いち早く察知した報道陣が、普段着のままの社長とインタビューしている。消毒衣を着用していたとは見えない。
記者の立っている土壌は鶏舎と続いていなかったのか。無防備であったような気がしてならない。
インフェルエンザの報道が激しくなるにつれ、ペットとして飼っているチャボ、クジャクなどが捨てられているという。
インフェルエンザからペットを守ってやるのなら分かるが、なんということだ。全く腹が立つ。
ここまで書いていたら、痛ましいニュースが入って来た。
京都府丹波町の浅田農産船井農場の浅田会長が奥さんとともに自殺をなさった。
七日の午後記者会見をし、「迷惑をかけ、お詫びしたい」と謝罪した後のことであったと伝えている。
息子の社長からインフェルエンザの懸念の報告もなかったのではないのか。知らなかったとは言えない立場である。
死を選ぶまで追い詰められてしまったのだろう。気の毒としか言いようがない。
◆ NHKのテレビを見ていると、最近はせっせとコマーシャルを流している。自分のところの番組だが……。
いっそのこと、コマーシャルを流しらどうか。民間放送なみではうるさいが、限られた時間内だけにして。
それで受信料を安くしたらどうかね。
憎まれ口をきいたが、NHKのノンフィクション番組には感心している。殊にカメラマンの凄さである。
テレビ画面をなんとなしに見ているが、山岳登山、
海底探検と止どまるところを知らない場所を映し出しているのはカメラマンなのだ。
あの重たいカメラを背負って登山家について行く。普通のカメラを首からぶら下げただけで転んでしまう私には、
想像外の逞しさだ。仕事とは言いながら、表に出ないこうした人たちを放送局は大事にしてやって欲しい。
◆ 会う人に今度はどちらへ、なんて訊かれる。それもこの便りにどこへ行くとか、行ったと書くせいだろう。
そんなに大層なところへ行く訳でもないが、歩行がさえないとどうしても出歩くのが億劫になる。
歩けるうちにと、仲間から誘いがあると応ずることにしている。しかし段々とそれも覚束なくなって来た。
弱気ですねと言われるが、気ばかり張っていても、身体が思うように動かない。
先だっても、バスに乗っていて揺られた拍子に座っていた女性の膝にのっかってしまった。わざとではない。
踏ん張りがきかないのだ。
こんな始末では旅行に行きたい気持ちも、次第に細ってゆくのもやむを得ない。
行きたいところは一杯ある。敦煌から先はついに断念した。もう海外へ行くことをあきらめている。
水、気候いずれにも自信がない。パミール高原のような高地は駄目になった。肺の機能が衰えているからだ。
今年はどこへ行こうか。そう考えるだけでも楽しい。
なかなか果たせない旅が一つある。それは長崎の『遠藤周作文学館』だ。
遠藤周作さんの処女出版「フランスの大学生」を届けに行きたい。毎年そう思いながら月日がたっている。
◆ 「うど」。私は子供の時から背は大きい方だったから、悪口に「うどの大木」と言われた。
なんとなしに分かる気がして、うまいことを言うと感心したものだ。
「うど」が出回る頃になると、ああ、春が近いと思う。少年時代、私は武蔵境に住んでいた。
北多摩郡といって東京の郊外だった。杉並区までが東京都で、武蔵境は東京都下といった。
近在にかけては、「うど」が名産で、「境うど」と名付けられて売られていた。
どちらと言うと嗜好品なので、好きな人はその風味を楽しんだ。
酢味噌和え、酢のもので食べるのがいいと言うが、あれは大人の食べ物と子供心に割り切っていた。
結婚し横浜に住むようになって、カミさんの父が山菜の類いが大好きと分かった。
それを境の父に話したら、「うど」の出る時期になると箱で送って来た。義父の嬉しそうな顔。
泥葱と同じように、土のついたままを区分けして、「うど」好きの人に届けていた。
だから「うど」が店頭に並ぶのを見ると、私は両方の父のことを思い浮かべる。
そして、スーパーの店頭に貴重品のように一本ずつ袋に入れられて売っているのを、買ってくる。
「うど」の栽培はご存じのように、穴の室の中で育てる。この深い穴に落ちた中学の仲間がいた。
中学が立川だったので、飛行場を始めとして軍需施設が多い。敗戦間際のこと、動員先で空襲警報が鳴った。
適宜帰れと命令。何人かの友人と畑道を歩いていたら、前の方から飛行機が低空で飛んで来る。
アメリカの戦闘機と分かった瞬間、カッカッカと機銃掃射。歩いて来た後方の倉庫めがけての銃撃だったが、
近くに土煙が舞い上がった。物も言わずに畑の中に腹這いになった。生きた心地がしなかった。
暫くして、そっと顔をあげて空を見た。敵の戦闘機の姿は見えない。服についた土を払い、飛んだ帽子を拾い上げてかぶった。
同じように畑の中から仲間たちが立ち上がった。服をはたきながらお互いの無事を笑い合った。
あれ、一人いない。どうした? すると、どこからか声がする。
よし、と言ったが穴は深く助けようがない。落ちた彼も、上る場所を探すが、垂直に掘ってあって足場もなにもない。
穴の縁に二人で手をつなぎ伸ばしても届かなかった。
「しょうがねぇな。農家の人を呼んで来るから待ってろ!」 04/3.12
城井友治
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