「文学横浜の会」
随筆(城井友治)
2004年5月9日[掲載]
〔 風の便り 〕ー残年記ー
<82>
「当店では商品知識を持った店員が、店内を巡回しておりますので、どうかご遠慮なくお申付け下さいませ」
綺麗な女性の声が店内に響き渡っている。ここは大型カメラ店。カメラ店というよりは大型の電気製品販売店といった方がふさわしい。電化製品を多岐にわたって扱っている。時流に乗ったというのだろう、見る間に巨大な店舗になって繁盛している。
パソコンにしても、流行のデジカメにしても、品物が豊富だから欲しければまずそこへ行って見ることにしている。新宿西口からスタートして、横浜駅の西口の裏に支店が開設された。その頃からの付き合いだから愛着もある。ポイントカードというアイデアもここから始った。
4年前に買った家庭用のコピー機が、このところかったるくなって来た。買い換えようと、その店に出かけた。
私にとってコピー機は、この「風の便り」を書くのに必要な道具だ。両面印刷の原稿を作って、コピー屋さんに持ち込むからだ。コンビニでコピーをとるのはやさしいが、どうも自分の思うようにならない。それで一番安い簡便な家庭用の機械を手元に置いて使っている。
「すみません、コピー機はどこに置いてありますか?」
なにしろ店は広い。プリンターの隣にでも置いてあるかと見回したが、どこにもない。
それで、アナウンスの声に従って通り掛かった女子店員に尋ねた。
「あのう、コピー機はですね。この階ではなく……」
「いえ、違います。一階まで下りて頂いて、外に出ますと、コンビニがあります。
そこに置いてあります」
客が機械を買いに来たと思っていないのは、どういう積もりなんだろう。アルバイトなんだろうが、これは教育が悪い。彼女は慌ててほかの男子社員に聞きに行った。すると遠目に、その社員も分からなかったらしい様子だ。また別の社員のところに行った。男子社員が教えたらしく、彼女はコピー機の展示してある場所を、頷きながら聞いていた。急に拡大したせいか、品物の置いてある場所が店員にも分からないとは、全くお粗末だ。
どこでも見受けられるが、アルバイトやら派遣社員がうろうろしている。案内所を作ればすむことなのに、それを怠って、ただアナウンスだけですまそうという営業政策は頂けない。どこになにがあるか。最低限の教育をされていない店は危うい。
コピー機だけだったら書くつもりはなかったが、ほかの商品でも、あっちこっちと歩かされたので……。それにしても、『美々卯』(大阪に本店のあるうどん屋さん)のおばぁちゃんが言ったセリフを思い出す。「お店とおデキは、大きくなると潰れる」。
◆◆◆◆◆
国民年金を3人もの閣僚が納めていなかったとかで、野党が糾弾の狼煙を上げた。未納の額が膨大になっていると報じられただけに、ひどいものだと誰もが思った筈だ。与党の人間がそうであれば、拳を振り上げている野党の皆さんは大丈夫なんですかと心配していた。果たせるかな、野党第一党の党首も未納だった。みんなが思い違いとか、切替えのタイミングを逸したことは悪いと謝っているのに、この党首は、「行政が悪い」と毒づいていたのは情けない。元締めの厚生大臣をやっていた時だから、この人はどういう神経なんだろうと不思議に思った。
それはそれとして、この年金はややこしい。今はどうなっているか知らないが、私の時は、年金の貰える年齢に達すると、社会保険事務所に出向いて、申請しないといけなかった。黙っていると、期日が来ても貰えなかった。それを知っていたから、事前にこの年齢になったらいくら貰えるのか試算して貰った。その時、60才で貰うと、生きている限り貰う金額はきまり、65才になっても増額されない。少しでも遅く貰った方が徳ですよと言われたが、さきの命を考えて65才から貰うようにした。
会社を辞めると、転職先の会社が厚生年金に入っていない場合には、自分で社会福祉事務所に足を運んで国民年金への加入の申請をしないといけない。放っておくとその期間が脱落して年限がたりないからと年金が貰えないことがある。
うちに勤めていた従業員がやめて、国民年金に入ることにしたが、あまりの高額を納めるので考えてしまったと嘆いていた。だから、企業が入っている厚生年金は、会社で半額負担している。国民年金は自分で全額負担するから高くなるのは当り前と説明した。
今度の事件で、様々な不備が分かっただろうから、改善の方法が明示されることだろう。
◆◆◆◆◆
アラビア語衛星テレビの「アルジャジーラ」が、今度の事件をきっかけに東京支局の開設に踏み切ったそうです。「アルジャジーラ」のテレビ放送に釘付けになったのは、私だけではあるまい。三人の人質が目隠しをされ、首に刃物を突き付けられている画像を、朝から夜中まで見せられ、日本中がやきもきした。東京支局開設のコメントに、
「たった三人のために、日本中が大騒ぎした。それなのに、助かったと分かったら、三人に対して非難囂々。こういう民族はどうも分からない」
日本人の不思議さを知りたいと言う。改めて人質になった青年の話をきくと、刃物を突き付けらた時は、命はとらないと言われていたとか。だからカメラマンは、「写真をとるのが仕事だ」と言い、小学校に学用品を送るボランティアの女性は、「イラク人は好き、だからもう一度来たい」と言う筈だ。その辺の事情が分からないから、「なにを寝ぼけたことを言うんだ。我々がこんなに心配していたのに」ということになる。
事件で分かったのは、メディアをうまく使った脅迫であったことだ。
◆◆◆◆◆
3月の半ばに風邪を引いた。医者から、
だから出かける時には、鞄の中かコートにマスクを入れてある。予防のためである。風邪の薬はないと言われている。栄養と休養が薬、とお医者さんも言う。
人ごみに出るのはなるべく避けていたが、3月は外出する機会が多かった。電車に乗ったら、向かいの座席で子供がゴホンゴホンと咳き込んでいる。しまった、マスクと思ったが、タイミングを逸してしまった。ほどほどに混んでいて、別の車両に移れば座れる可能性は低い。なるたけ横を向いて避けていた積もりだが、その夜になって熱っぽくなった。 それからひと月あまり、はっきりしないままの日が続いた。困ったことに、鼻水が止まらない。それに血がまじっている。元々鼻の粘膜が弱い体質である。咳き込むことはないから風邪は峠を越したようだ。が、鼻血が出ているせいか顔色がよくない。
「鼻血が止まらないんだ」というと、仲間は、「ほほう、まだ元気だな!」
若い頃のあり余る血潮と一緒くたにしている。
なんとなく西方浄土が近付いて来たなという気がして、仏壇にあがっていた金時饅頭をこっそりつまむ。糖尿病への餌である。
いつまでも血が止まらないから、駅前の耳鼻科に行った。若い先生が診察して、
鼻にパッキンみたいなものを詰めてくれた。左からの出血は止まったが、依然として右から血の混じった鼻水が出る。ただ薄くなったようだ。
5日後の9時半の予約に医院のドアを開けると、先客が二人いた。9時半開業なので、私が一番早い。5分前に着いた私よりも早い予約はない筈だ。心せく人もいるなんて思いながら待っていると、時間になった。呼ばれたので診察台に座り、鼻をかんだ時に、パッキンがとれたことを言うと、
「うん、それでいい。で、薬はしばらく飲み続けるといいな」
名前が一字違いだった。患者を間違えたのである。今、大病院では、しつこく名前を確かめる。人違いで手術をしたことがあって以来である。町医者ではこの点がまだ甘い。
耳鼻科の単純な治療だから良かったが、危うく新聞種になるところだった。
◆◆◆◆◆
時々間違い電話がかかる。FAX専用にしている方にである。三桁の局番の最後が、上と下、7番と4番の押し違いのようだ。携帯の小さなボタンのせいなんだろうが、区内にあるコミニュティセンターの予約の申し込みに多い。私だって思い違いでかけて詫びることがある。仕方ないことと思っている。だから、「何番におかけですか」と訊いて、こちらは334ですがと断ると、ガチャンと切る人もいれば、丁寧に詫びる人もいる。男女の比率から言うと、失礼は女の方が多い。つい先だっては、叱られた。
いつものように、「何番におかけですか?」と訊くと、番号はあっている。なにか反対運動の団体にかけているようだった。「こちらは個人の家です」と言っても、相手はこの番号を聞いたと譲らない。お前の方が違っているのだろうと言う。これには驚いた。中年の女性らしき声だった。
◆◆◆◆◆
「カレーライス」。私が子供の頃の我が家のカレーライスの作り方はちょっと変わっていた。それは、父がカレーを食べないからと、まずシチューを作り、父の分だけとった後に、小さな赤い缶のSBのカレー粉を入れた。細切れ肉とジャガイモ、人参、玉葱の入ったカレーをふうふう言いながら食べた。現在のように、カレールウなんて洒落たもののなかった頃で、うちのカレーはどちらかと言うと、甘口だった。
小学校6年の時、修学旅行があった。担任の先生が海軍の下士官あがりのせいだったからか、5年生の時には、菊丸という船に乗り大島見学。修学旅行は橘丸で月島桟橋から鳥羽港まで行き、お伊勢参りの豪華版。
船は夜遅く出港する。夕食は船内の食堂だった。ずらっとカレーライスの皿が並んでいた。うちのカレーは御飯の上にかけてあるが、ここのは違って、御飯の脇にカレーがつけてある。よくよく見ると、大盛りに見えるのと、普通盛りのようなのがある。子供心に、こういうことは目敏い。考えることは同じである。席についてと声がかかった途端、我さきに大盛りに向かって座った。隣は普通盛りである。まだ全員来ないのか、ところどころ空いている。そこはみんな普通盛りだ。先生が何人か連れて再び入って来た。
「みんな立って! 右向け右。先生の方に向かって、空席はつめる!」
その頃の先生は怖かった。有無を言わせない。ずらして座ったところのカレーライスは普通盛りだった。大盛りに当たった奴を睨みながら食べた。
大盛りも普通盛りも食べ終わるのは同じだった。からになった皿を見ると、大盛りの皿は平らで、普通盛りのそれは底がひっこんでいた。御飯は型にいれてよそっているので、どれもこれも同じ量だった。
色気の出る前の、食い気だけの少年の思い出である。
04/5.9
城井友治
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜