「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2004年8月14日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<85>

 関東では空梅雨。東北から北陸にかけては大雨の洪水。全く異常気象である。40度近くの気温が続くと、30度でもなんとなく涼しい気がするから妙なものだ。

 6月に雨が降らないと、10月が多雨になる。そんなデータがあるそうだ。しかしお天気なんてその時になって見ないと分からない。

 自然の猛威の前には全くの無力。災害にあわれた地域の方々の一日も早い復興をお祈りしたい。

 神奈川新聞に『照明灯』というコラム欄がある。6月の始め頃だったか、新聞記者の良心のことが書いてあった。どういう方が書いたのか知らないが、最近のマスコミの姿勢についての自戒を含めての警告だった。ああこういう方がいる限り、捨てたものでないと思った。騒ぎ過ぎるのではないか。いい例が、ジェンキンスさんの報道。

新聞各紙、テレビのトップ。ニュース価値のあるのは分かるが、同じ時に新潟では洪水に見舞われて、何百人かが避難生活に追われ死ぬ思いをしていた。状況判断がつかない時に、頼りになるのは情報だろう。マスコミも少し冷静になって本末を見詰めて欲しいものだ。

 どこの病院で治療するか、報道を遠慮する申し合わせがあったらしいが、「都内の某病院の前です。ここでジェンキンスさんの精密検査が行われています」とNHKが報道していた。そこまでやる必要があるのかなぁ。

 政治向きのことは書かないことにしている。でも、今度の参議院選挙で立候補した青島幸男、鈴木宗男がどうなるか心配していた。無事落選したから良かったが、議員になるとよっぽど旨い汁が吸えるものらしい。だから懲りもしないで、立つのだろう。

◆   ◆   ◆

 日本の夏は湿度が高く暮らし難い。夏休みをとる習慣が学校ばかりでなく企業でも当り前になった。学校の先生はいいな、ひと月も休めて……。と思っていたら、ほとんどが登校しているのだそうだ。どうせ登校しているのなら、授業をしたらどうだという人がいたのには驚いた。土曜日の休みによる学力低下の補いだそうだ。余計なお世話だと言いたいね。勉強する奴は、放っておいても勉強する。遊びたい者は遊べばいい。先生だって夏休みぐらい学校のことは忘れて、自分の好きなことをやれば良い。視野の広い先生がいないと、生徒はいびつになる。

◆   ◆   ◆

 社会保険庁がなにかと問題を起こしている。厚生労働省は昔からやたらと資格を作って来た。食い物商売をやっていると、保健所に好かれようと思う。年に何度かの立ち入り検査があって、「秀」とか「優」の護符みたいなものをくれる。お客さんから見えるところに貼っておくように言われ、その通りやっていたが、どういう風の吹き回しか、「秀」が「優」になったりすると、格が落ちたようであまりいい気がしない。今でもやっているかどうか知らないが、貼ってない店も多いから気にするのは店の者ぐらいのようだ。

戦後伊勢佐木町で、ソフトアイスクリームを始めたのは、私の店が早い方で、この許可を貰うのに一苦労した。保健所の青年は衛生上が問題と、一つ出すごとに手の消毒を強制する。メーカーと結託していたのか、消毒の機器をなんやかやと買わされた。それもこれもアイス一個で全体の商売がやりにくくなっても困るからだ。

 調理師の免許にしてもそうだ。いずれ許可がないと営業出来なくなると言われ、競ってその資格をとるのに飛び回った。昔から商売をしている人たちには、救済方法として講習を受けることで許可が出た。その後の若い人たちは試験を受けないと資格を貰えない。外郭団体みたいなところから春秋の二回調理師試験受験の講習会の案内が来た。黙って放っておくと、電話で試験を受けることの催促が来た。コック見習に二万円かの受験料を持たせて受験させたことがある。そのうち栄養士さんのように国家試験になりますと言われてから何十年たったのだろうか。

調理師がいなくて営業許可が下りないなんて聞いたことはない。資格があるからと言って、それが収入に役立つとは限らない。しかし工場を作ると、電気、ボイラーなどの資格者が常駐していないと許可がおりない。ところがうまく出来ているもので、それぞれに協会があってそこに登録すると、チェックする人材を派遣してくれる。専門職を常駐させているのと同じことになる。利用しない手はない。学校に入って資格をとるよりも、実地の経験を多く踏んで貰いたい。徒弟制度の方がしっかりした仕事する人材が育って来たような気がする。叩きあげることはその人のためになっている。  職人の世界をもっと大事にしたいな。

◆   ◆   ◆

 誰だって驚いたのは、名前の制限漢字をはずす記事だったろう。どう考えったって、普通の人間ならおかしいと思う漢字が羅列されていた。法務省の若い人が勝手にずらずらと書き出したのかと思った。そしたら法制局審議委員という人たちがいて、その人たちが課題として提出したらしい。審議委員の顔触れを見ると、それなりの年格好の人がずらりとテレビに写し出されていた。みんな憮然とした顔をしていたから、まさかこんなものを発表するとは考えていなかったのだろう。しかし、これから審議するからといっても、あんなものを公表させるなんて、ちょっと非常識ではないか。

◆   ◆   ◆

 横浜市長が二週間の休暇をとって、四国巡礼の旅に娘さんと一緒に出るそうだ。何番札所まで行けるか分からないがと言っていた。大変結構なことである。黙って行って欲しかったが、市長ともなるとそうも行かないのだろう。それで思い出したが、休暇ではなく仕事として、各区長さんに、車椅子に乗って貰って区内を回って見たらどうか。

 口ではバリアフリーと言っても、歩道の真ん中に電柱があったり、車庫に入るために、道路が傾斜していて、車椅子が車道に流されるという道が多すぎる。

 私の住んでいる保土ヶ谷区にしても、区役所に入る道は整備されている。ところがちょっと離れた道は急に狭くなり、人が行き違いするのも身体をよける始末である。

 区長さんでなくても課長さんでも、車椅子の体験をしたらどうだろう。横浜は坂が多いから、気に食わない課長さんを乗せたまま手を放す奴がいると困るが……。

◆   ◆   ◆

 牛肉偽装事件で雪印食品が倒産したのは、もう忘れてしまっただろうか。会社の専務が荷担して会社ぐるみの悪徳行為と指弾され、社会的制裁を受けて潰れた。今度判決が下りて、専務は無罪となった。担当者との確執があって、責任転嫁が明らかになったらしい。 専務の名誉は晴れても、会社はマスコミに叩かれて、潰れてしまった。こういう場合は損害賠償の請求は誰にしたらいいのか。

◆   ◆   ◆

 毎月頂く歌集に胸をうたれるものがある。
「おとうと」と題する田岡キヌ子さんの歌である。『純林』七月号 所載。

  兄らみな厭ひし農を継ぎてより
    弟は山里を出づるなかりし

 戦後法律が変わって、家を継ぐのは長男でなくてもよくなった。高度成長期には土にまみれて生計を営むよりは、都会に出て働くことの方が豊かな暮らしが出来た。

 5人の兄たちは農業を嫌って都会に出た。6番目の弟が家を継ぎ、両親を看取り、家を守って来た。最近でこそ自然への回帰が当然のように言われているが、大地との戦いは厳しいものだ。すでに両親も5人の兄弟も他界した。そのたった一人残された弟さんが亡くなった。いくつかの歌の中にそのことが語られている。

 作者は私と同じ年齢なのだろうか。私たちの年代は、時代の大きなうねりを体験している。その波に翻弄されていたと知るのは、それが過去となった時である。弟の死の追悼の歌ではあるが、作者自身の鎮魂歌でもある。

  われに残る生は如何ならむ
    裡ふかく大き波立て弟は逝きぬ

  野の川を見つむる少年は弟か
    その眼先に白鷺遊ぶ

◆   ◆   ◆

 暑さに参って、外出を控えている。もっぱら大リーグの野球のテレビ観戦である。
イチローのファンで、マリナーズの試合にスイッチをいれる。丁度昼飯前で都合がよい。選手の給料も高いらしいが、稼ぐのも大変だ。18連戦とは驚いた。また東海岸から西海岸への転戦は移動日なしの時もあるようだ。それと入場者の家族連れが多いことだ。ファールボールは取った人が貰える。だからグローブを持って飛んでくるのをキャッチする。

取りっこはするが、手にした人がボールを高くかかげると、取れなかった人も拍手している。おおらかで楽しい。最近はどうなっているか知らないが、日本の球場ではファールボールは係の人が引き上げて行く。くれないのだ。ケチである。それと興味を持ったのは、入場者数である。何万何千と概算でなく、一人まで公表している。

 スポーツライターの二宮さんが言っているように、球界全体で改善する余地はある。

◆   ◆   ◆

 純文学を標榜している『季刊文科』という雑誌がある。中心人物の一人に大河内昭爾さんがいらっしゃる。朝日カルチャーセンター新宿の講師もつとめていて、「鎌倉アカデミア」を取り上げ、光明寺で講座を催しなさったことは、参加した若い仲間から聞いていた。雑誌の27号に、大山勝美さんとの対談でアカデミアについて触れている。大河内さんも受験に光明寺を訪れたらしい。

洒落た学校名の割に……、と語っているが、『鎌倉アカデミア』という校名は光明寺から大船へ移ることになってからで、光明寺の門に掲げられていたのは、『鎌倉大学校』という大きな看板だった。気になって調べてみると、昭和23年度の新聞募集では、『鎌倉アカデミア』(旧称鎌倉大学校)になっている。大河内さんはこれを見て受験に行くだけ行ったのだろう。お寺の本堂に受験生が入って行くのを見て、気落ちして受験をやめたと話している。

◆   ◆   ◆

 食べ物にまつわる想い出。 〔茄子のからし漬け〕

 私の母は秋田県の山村の生まれだったから、山菜の類いをよく食べさせられた。物のない時代だったせいかも知らないが、土筆の味噌和えなんか食膳に当り前のように上った。 決してうまいものではなかったが、子供の時の食生活はいつまでも尾を引くもので、今でも土手で土筆を見つけると、「ツクシ誰の子、スギナの子」なんて唄を思い出しながら唾を飲み込んでいる。

 東北で「茄子のからし漬け」というと、小粒の民田茄子を思い浮かべるが、わが家のそれはいささか違う。夏の食欲が低下する頃になると、おふくろはいそいそと作る。普通の茄子をひと口の大きさに切って、それを広口の瓶にといた芥子の中に入れて、二、三日置いておくというものだ。民田茄子のように芥子でくるんである訳ではないから、そのまま御飯の上にのせて食べるとピリッときて食欲が出る。

 一度カミさんに作って貰ったことがあったが、文化圏の違うところで育ったせいか、似て非なるものが出来上がった。「違う!」というと、「それならご自分でどうぞ」。

 仕方なく記憶をたどって作って見たものの、やはり違う。おふくろはどこかにかくし味を使っていたようだ。水か芥子か、いまだに分からずにいる。

04/8.10

 城井友治


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜