「文学横浜の会」
随筆(城井友治)
2005年08月21日[掲載]
〔 風の便り 〕ー残年記ー
<94>
8月6日がどういう日か、と聞かれて、
広島に原爆が投下された日と答えられたのが全国のアンケートで35パーセントしかいなかったそうだ。
広島県内でも74パーセントしか、正確な答えが返って来なかったというから、情けない。
時の流れの風化は、非情なものだ。子供心に戦争を知る世代もすでに70才を越えた。
原爆記念碑の銘文が削られたり、二度と戦争のないようにと心をこめた折られた千羽鶴が焼かれるという事態。
ただ時の移ろいとすます訳にはいかない。
昔、夏休みに子供たちを連れて、広島へ行った。
子供たちは先生から、あるいは図書で知った知識が現実に遺品の数々で目に焼き付けられると、
戦争の恐ろしさが分かったようであった。
子供たちは成長し、嫁ぎ、孫の時代になった。その孫を連れて、旅行にどこへ行くかと決めたのが、広島だった。
孫にも知っていて貰いたい。それがせめても役目だと思った。
◆ 毎年二回の会合をもつ『クマソウ会』が7月の最初の日曜日に、新宿の高層ビルの53階であった。
幹事をやっている都合で出席したが、透析を始めたばかりなので、欠席したかった。
同席の友人に病気のことを話すと、幹事を代ってくれることになった。
別にそう難しいことをやっている訳ではないが、土壇場になって辞退するよりはとの思いからだ。
そしたら代表幹事が、難聴で話もまともに聞き取れないから、幹事を辞退したいとメールが入った。
難聴は皆で補うから、代表幹事はやって下さい、とメールを入れた。俺もやめたいのだと言えなくなった。
19名の出席予定者が、2名減って17名。都立二中(立川高校)の44期A組のクラス会である。
皆、75才は越している。
そう言われたが、近況報告になると、誰もが病気の話になった。他に話がないのである。私も、
◆ 同級生の広瀬一浄師から手紙を貰った。東本願寺のブラジル布教師になって、もう何年になるのだろう。
『クマソウ会』の開催日時に日本にいれば、必ず出席してお医者さんの次の役割を担ってくれる筈なのに……。
一筆、いな一叩きの暑中お見舞。
裏面に、『ツピー語 つれづれ草』 おさかな物語 その1
大変な仕事だと思うが、完成する日を楽しみにしている。
◆ 郵政民営化で衆議院が解散となった。参議院で否決されたのに、衆議院が解散するのはおかしいと、
閣僚の一人がサインを拒み辞職した。すれすれにしたところで、衆議院で可決したものを、
参議院で否決されたのだから、小泉総理としたら国民にその信を問うのは当たり前だ。
参議院には解散権がない。衆議院が解散するしかない。
反対派はどこまで将来のことを考えているのか、廃案に追い込むことばかり急で、肝心のことを忘れていないか。
反対を唱える人の肩書きを見て驚いた。ことごとくが元大臣とか党の中枢にたずさわった人たちである。
新党でもスタートさせるのだろうと思っていたら、反対派の領袖は新党は作らないという。
党から公認されなければ、選挙資金も出ない。この後におよんで自民党の本流は自分たちと言っている。
口ではなんとでも言える。
自民党の落日になるかどうか。9月11日の投票日が結論を出すだろう。
奇しくもアメリカニューヨークのテロのあった祥月命日である。
◆ 勝手といえば勝手な話である。来年からセリーグでもパリーグと同じようにプレーオフを実施するのだそうだ。
パリーグが3位までのチームが優勝を決めるために改めて戦う制度を作った時、巨人のオーナーは、
そんなバカなことと激怒した筈。優勝した当時のダイエーが短期決戦の結果、西武に破れ、
西武がパリーグの覇者になり、セリーグの優勝者と戦った。
優勝しなくても3位まで入っていれば、覇者になれる可能性がある。
今年の巨人の成績では3位に入ることも無理のようだが、来年を考えると、
そういう制度を受け入れる気になったのかも知れない。
それだけ巨人が弱くなったのだろう。
◆ この「風の便り」が病気のことばかりではないか、もっと色気のある話はないものか。
とお叱りを頂いている。外出もままならないのだからお許しを貰いたい。
しかし、お便りを下さる方々の中に、病を得ている人の多いのに驚く。
ご自身のことでなければ、永年連れ添った奥さんを亡くされた方、あるいは奥さんの看病で毎日を送っている方、
なにも言わずに過ごされている。それに比べてると、ぺらぺらと病気の話を書くのは気がひける。
でも私の病気の報告が参考になるかも知れないと勝手に考えての通信です。
◆ 透析あれこれ ◆
透析を始めてほぼ3か月がたった。回数にして35回。5月の始めにシャントという利き腕でない方に手術をした。
静脈と動脈をつなぐ手術で、これをしていないと、透析が出来ない。
5月24日から入院中の市民病院で透析が始まり、
退院後は横浜駅西口の天理ビルの23階にある透析専門病院で毎週月、水、金と透析を受けている。
もう一つよく分からないものがある。ドライウェイトだ。市民病院からの指示は、65キロ。
この数字までに水分を調節する。朝来た時の体重が、66キロだと昼食500グラムを加算して1・5の水分を抜く。
勿論抜き放しではないが……。これはまだ良く分からない。人によって違うからだ。
朝八時過ぎに家を出て、ロッカーでパジャマに着替え、血圧と体重を測定し、
ベッドになるリクライニングの椅子に坐り、9時からの穿刺を待つ。ベッドは30ほどあり、ほぼ満席。
4人の看護師が順番で、それぞれの腕に針を刺し、浄化器につなぐ。透析用監視装置というのが正式な名前。
この機械の中を血液が通り浄化される。
1時間ごとの血圧の測定。透析が始まると、血圧が20ぐらい下がる。
目の前のテレビを見たり、本を読む人、すぐ横になって眠ってしまう人と千差万別である。
私も最初は本が読めると持ち込んだが、疲れてすぐ本を閉じてしまった。10時になると、冷たい水かお茶が出る。
4時間身動きが出来ないのだから、口をひたす程度にしないとまずい。トイレに立てないからだ。
うまくしたもので、透析中は体内の水分を抜いているらしく、尿意はなくなる。午前11時に昼の食事が出る。
左手が使えないから右手だけで、箸を使う。うまくいかないから、フォークを持参した。
食事の弁当は厚木の工場から運ばれて来る。栄養計算がきちんとされている。
毎回食べながら、厚木の何処で作っているのだろうか。昔のうちの工場のことを思い浮かべていた。
鹿児島から守衛室勤務に招いた家族はどうしているだろう。あれから35年。いろいろなことがあった。
そんな昔のことを思うのも、透析という一生付き合って行く治療のせいである。
さて、これが3年なのか、5年なのか、または1年たらずなのか、分からない。エンドレスなのはつらい。
毎週月曜日に採血があって、そのデーターのプリントが水曜日に渡される。師長さんが説明するには、
栄養失調とは驚いた。糖尿病の食事は、低カロリー、低蛋白である。いわば粗食が建て前だ。
それが今度は高カロリー低蛋白にしろと言う。早速栄養たっぷりの食事をとることにしたが、
数値はすぐには改善されない。
早い時には午後1時過ぎに、針の後を止血のバンドで押さえて終る。
疲れる。家へ帰ると、立っているのが億劫で、横たわると知らないままに眠っている。 05/08.15
城井友治
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜