「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2005年09月23日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<95>

 いつの新聞だったか忘れてしまったが、高齢者の運転に95パーセントの家族が危険だと感じていると報道していた。

 その癖、それでは免許証を返還する意思があるかどうかを高齢者に訊くと、 85パーセントが返す気持ちはないと答えている。
 さて、自分のことになると、運転する頻度もへり、ドライブを楽しむこともなくなった。 返上しても良さそうなものだが、その気はない。

 ハンドルを握らなくても、いつ運転するか分からないと思っているから免許証は返せない。 おおかたの人の考えは同じようなものだろう。

 昔、車好きの義父に、義兄と相談して外車のスポーツクーペをいれた。父は大層喜んだ。 親孝行をしたと我々も喜んだ。

 明治生まれの父は、昭和の初めから免許証を持っていて運転には自信があった。 が、翌日になって兄と私が呼ばれ、
「あの車を返せないか」と言う。びっくりして、
「すでに名義の登録をしていて無理です。返せません」
「そうか、だったらあの車はお前が乗れ、ノボル(義兄の名)は駄目だよ。分かったか」
 私は嬉しくて堪らなかった。兄はプーッとふくれている。贔屓にしやがってと思っていたに違いない。

 御墨付きをもらったことで、私は得意になって車を走らせていた。駐車すると、近くにいた人たちが車を囲んだ。
「エンジンを見せてくれませんか」
 リアエンジンのボンネットをあけると、皆は大仰に声をあげた。

 小さなエンジンがコンパクトに収まっている。
 運転席に座らせてあげると、「わぁ、バケットシートってこういうのだな」
 車好きの人はどこにもいる。身体を包み込むシートに感嘆した。

 ある日、父を乗せて外出のおりに、車の調子はどうかと訊かれた。 「ハンドルの切れがよくて……」と答えると、「そうか、気をつけることだ」と言い、 最初に乗ってすぐハンドルを切りそこね歩道に乗り上げたことを呟くように話した。

「なあ、あの車はスピードが出る。ノボルは酒を飲むからな、運転させるな」
 私を贔屓にした訳ではなかった。子供の身を心配しての親心であった。

 父が運転をやめたきっかけがあの車だった。 その時父の老いを感じたが、私も父がやめた歳をいつの間にか過ぎてしまった。
 家族は、「もう運転はやめたら」と言うが、聞こえない振りをしている。
 高齢者運転免許の切替えが来年の誕生日に来る。さて、どうするか。

◆ 8月6日がなんの日か、前号で広島に原爆が投下された日が風化されつつあると書いたら、 それもそうだが、とハガキを頂いた。 パールハーバーはどこにあるかと質問したら、70パーセントの人が、三重県と答えたそうである。

◆ 選挙は水ものというが、今度の衆議院選挙は自民党の大勝になったのにはびっくりした。 9月11日の午後8時の締切りに民放テレビにスイッチを入れたら、いきなり309名の当選と出ていた。 出口調査でそんなに早く分かるものなのか。ちょっとした誤差はあったが、大体はあっている。 それにしても民主党が惨敗だったのにはお気の毒としかいいようがない。

居酒屋談義では、岡田党首のポスターの顔写真がよくないのだそうだ。あの目付きは陰険に見える。 なんで修正してでももっと穏やかな顔に仕立てられなかったのか。 苦しい時代がまた始まるのかと思わせる、うんざりする顔そうだ。

 ビール片手の談義だからいい加減なものだが、選挙のきまぐれは案外当たっているような気がする。

 それにしても刺客なんて言葉はマスコミの作り出したものか。言い得て妙であった。 お粗末と言えば、参議院で反対した中曾根議員である。民意が賛成であれば、今度は賛成に回ると言う。 あの親父さんも昔は風見鶏と評判だった人。参議院で通過していれば、バカバカしい金を使わずにすんだものを。 民意の代表者としては失格だね。

◆ シルクロードの旅を番外編として書きますと宣言しては見たものの、そのまま放置してある。 ちょっと長いので、11月頃出る同人雑誌『茜』20号に載せることにした。

 敦煌も変わったようだ。鳴沙山にはサンドバギー車が走り、あの荒涼たる陽関では、貸し馬がおかれ、 料金を払えば天女の舞が見られると言う。近くの農婦が太い腕もあらわに舞う、と椎名誠さんが見聞記に書いている。 観光のなせることか。

◆透析あれこれ◆

 透析を始めて50回をこえた。左腕にシャントをした時に、重たい物を持たないで下さい。 腕枕をするなと言われた。圧迫するのがいけないらしい。 堅くそれを守っていて、なんでもかんでも右手でするようになったら、右手がオーバーワークになった。 そのせいかペンを持つと震えて字が思うように書けない。 左手は力が入らない。指先に力が入らないと言うと、しびれているかと訊かれた。

そんなことはないが、時々ガクッと力が抜けるようだ。 それを聞くとドクターは、脳のCTを念のために撮ってみましょうとおっしゃった。 町のお医者さんだったら、「右手ばかり使うから、疲労だね」ぐらいで済ますだろうが、すぐ検査に追い込まれる。 それが正しいのかも知れないが、うっかりしたことは言えない。

 一日おきに顔をあわせていると、ほとんどの人が私より先輩で、病状に個人差があるようだ。 私よりも2ケ月先輩の人は、透析を始めてからインスリンを打たなくて済むようになったと言う。 その反面、朝昼晩と3回も10タンイずつインスリンを打っている人もいる。

 人間の身体は千差万別に作られているのだろう。

「少しは馴れましたか?」と聞かれると、「ええ」と答えるが、自分ではいっこうに馴れた感覚はない。 一生のお付き合いだから、気長に行こうと思っている。 生活のリズムを透析に合わせることも必要と、旅に出る計画を練っている。 今のところは旅先で透析を受ける気にはならない。 日帰りでは疲れに行くようなものだから、一泊で近い場所を選ぶしかない。 婆さん踊り子に逢いに、伊豆巡りでもするか。

 空想するのはタダであるが、透析を始めたら身体障害者1級になった。 お蔭で治療費は無料、有難いことではある。

 その代償もある。気は昔ながらの積もりでいるが、身体が言うことを効かない。 透析から帰って、部屋着に着替えようとしたら転がってしまった。幸いなことに、だらしなく積んだ本の上だった。 左手に擦り傷を作ったが無事。家の中で転倒し、骨折で寝たきりになるケースが多い。 その二の舞いを踏むところだった。 これなんかも、平衡感覚を気にしないで生活していた頃の感覚が残っているせいだ。

 透析を始めたせいだろうと思うが、糖尿病の数値が良くなった。眼科での眼底出血の検査も綺麗になっていると言う。 やはり病気の元は糖尿病のようだ。

05/09.21

 城井友治


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