「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2006年3月25日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<99>

 また一つ歳をとった。76である。毎年誕生日を迎えるたびに、よく今日まで生きていられたものだと感慨にふける。

 20代に肺浸潤と診断され、気胸などという今考えても恐ろしい治療で生き永らえた。 母の妹たち、私の叔母さんたちが次々と肺結核で亡くなった。それで私もいずれは叔母さんたちの後を追うものだと信じていた。 栄養をつけるにも、物のない時代であった。秋田の田舎出の母は、男手の少なくなった農家に手伝いに行き、 野菜をもらい受けては子供たちを養ってきた。緑の濃い武蔵野に住んだのが幸いしたのかも知れない。

 医者から病歴を求められて調べると、50代の半ばに胆石の手術をした。その10年後の65才に肺結核の再発。 県の呼吸器病センターで半年の入院暮らし。若い人が2、3か月で出て行くのに、半年も留め置かれたのは、 老人性肺結核だからとのこと。否応もなく老人を意識した最初だった。 それから3年後、肝臓の数値がおかしいからと肝臓のエコー検査で、偶然にも膀胱癌がみつかり、 この手術で入退院を五年間繰り返えした。現在でも3か月に1度検査に行っている。 そして去年の4月に糖尿病性腎不全となって、透析を受ける羽目になった。

 振り返ってみると、この20年間病気とよく付き合ってきたことになる。雑草のごときものだから生きてこられたのだろう。 それと運だ。お医者さんとの巡り合わせもそうだ。そんなことを思いながら、今まで生かせてもらったのを感謝している。

◆ ニコンがフィルムカメラから撤退という新聞記事には驚いた。 よくよく見ると、二機種を残して、大衆向けはデジカメに移行するというのだった。 確かにアマチュアにはデジカメの方が便利だし、プリントも自分でたやすく出来る。 それだけフィルムカメラとデジタルカメラの売り上げは逆転してしまったのだろう。 続いてカメラ事業から手を引いたのが、コニカ・ミノルタだ。こちらはソニーが後を引き継ぐらしいが、 次々と淋しいニュースが飛び込んでくるのは悲しい。

コニカは小西六という老舗のフィルムメーカーで、 フジフィルムと双璧をなしていたのに残念だ。またヘキサーというすぐれたレンズがあった。 それをつけたヘキサーRFは機能的にはライカの上をゆくカメラだった。ミノルタはオートフォーカスカメラの先駆者であった。 目の悪くなった私は写真を撮るのをあきらめていたが、このカメラの出現でまた写真を撮る気になった思い出がある。

 競争の激しさは、流行のデジカメにも及んでいる。どのメーカーが果たして残るのだろうか。

◆ インチキメール事件はテレビ・新聞の寵児となってしまった。 民主党の前原党首が党首会談の前日まで、「明日の会談を楽しみにして下さい」と宣言していたから、 国会中継なんて見ないのに、わざわざテレビ中継のスイッチをいれた。皆さんご存じの通り、前原さんは、 「国政調査権」を要求するだけに終わった。なにが楽しみなのか、小泉首相が、「ガセネタ」と決め付けていたのを聞いていて、 永田議員が予算委員会でメール問題を提示した時から、このメールの信憑性の調査が始まり、 党首会談でははっきりインチキと小泉さんは知っていたに違いないと思った。 自民党の調査網と民主党のそれの差を見せつけられた一日だった。民主党さんお粗末でした。

◆ 偽装事件の影が薄くなったが、一つ分からないことがある。それは、構造計算書が保管されていないというニュース。 あれは許可を取ったら必要ないものなのだろうか。設計者も建築主も検査機関も保管義務がないのか。 今度のような偽装事件が起きると、基本の資料がなかったらどうやって判断するのだろう。 入居者のいるマンションの柱をぶっ壊すわけにもいかない。 退去してもらった建物で調べて、右へならいということにはならない。

 事件を起こした設計者の建物が全部駄目かと思ったが、そうでもないらしい。 中には構造上強度が問題のないものがあったと報道されていた。事件発端に比べたら紙面は小さかったが……。

 今また2級建築士が下請けしたマンションが構造偽装で浮かび上がってきた。 その真偽は不明だが、元請けの会社には1級建築士がいる。その名前で許可をとっている。 行政では2級建築士が構造計算をしたものと知らないから、許可を出したのだろう。

 土木建築の世界では、下請けは至極当然の業態である。孫請けまで存在するシステムは、誰でも知っている。 やってはいけない筈の2級建築士の設計を見抜けなかったとしたら、検査機関がいい加減だったことになる。 それとも1級建築士がチェックしなかったのか。あるいは2級建築士が優秀だったのか。どういう結果になるかみものだ。 だが、マンションに住んでいる人にとっては、高額な代金を払って一生涯の買い物をした住居が大丈夫なのか不安なことだろう。 一日も早く不安を取り除いてほしいものだ。

◆ 同人雑誌仲間の槐一男さんが『三月十日はぼくの「命日」だった』という本を出した。 樋口一葉の研究家でもある彼の自伝的記録だ。ご承知の通り、3月10日は東京大空襲の日。 語り継ぐべき人の老齢化が進む時、書かずにいられなかったと思える。大いに読んでもらいたい本だ。1600円。 教育史料出版会・刊

◆ もう一つ、ついでに宣伝させてもらうと、5月13日、14日の2日間、鎌倉材木座の光明寺で、 『鎌倉アカデミア』創立60年記念ー市民と語る集い、がある。

 アカデミアに関する資料の展示を始め、朗読、紙芝居、影絵などのほか、 吉野秀男先生モデルの『わが恋、わが歌』の映画が上映される。原作は山口瞳さん(文学科1期生)。 吉野先生に扮したのは、先代勘三郎丈、これを脚色した廣澤栄さん(演劇科1期生)は、何年か前の記念公演で再上映された時、 市民ホールが満員だったのを見て、「初演にこれだけ入ってくれたらなぁ」と嘆いていた。 すでにご両人とも鬼籍に入られているが、1期生はもとより2期生も亡くなられた方が多くなっている。 教導下さった諸先生はこの世にいない。旧学生の参加出来るのはいつまでだろうか。

 14日の映画上映は、鈴木清順さん(映画科1期生)監督の『オペレッタ狸御殿』

◆ インスリン殺人未遂事件が起きた。毎日2回インスリンの注射ペンのご厄介になっている身にとって、ギョッとする事件だ。

「あら、そんなので殺せるの?」
 私が腹にインスリンの注射針を突き立てていると、覗き込みながらカミさんが訊いた。
「そりゃこれを全部やったらどうなるかな。俺は一日10単位、このペンには300 単位入っているから、 30倍も一度に注射されたら……」
「低血糖になって倒れてしまうのかしら?」

 私が糖尿病で入院していた時、栄養指導の講座でカミさんも呼び出されている。それで糖尿病の知識はある。

「低血糖と分かれば、糖尿病患者なら葡萄糖か角砂糖を持っているからな。発作を起こしても舐めれば元に戻るよ。死ぬかなぁ」

 ぼんやり空想する。眠るが如く死ねるとしたら……。いや、まてよ。七転八倒したら、いやだなぁ。 お医者さんに訊いてみるか。教えちゃくれないだろうな。カミさんはそんな私を見ると、また始まったというような顔して、 にやにやしながら部屋へ下がった。

◆ アメリカもいい加減なものだ。あれだけ輸入しろと騒ぎ立てていた癖に、検査がデタラメだった。 香港にも同じことがあった。香港ではその肉を輸出した業者からの輸入を差止めた。 それを香港のやり方は正当で、日本の全輸入停止はおかしい、と言っている。 馬鹿も休み休み言え、香港がそうだからといって日本もそうしろとは何事だ。 早期輸入希望の焼肉屋さんも安い肉が使えなくって困るだろうが、変に妥協してあやふやな形で輸入されても、表示の問題もある。 アメリカ産牛肉を当分食う気にならないな。

◆ 野鳥の会八王子支部の友人三好恒雄さんから、会報「かわせみ」2006年春号を頂いた。 今年の一月の野鳥の観察会で野鳥の数を観測したら、1991年に比べると、37パーセントも少ないことが分かった。 まだ緑の多い八王子でそうなのだから、樹木の少ないわが家の近辺の野鳥の数が少なくなったのは当り前のことなのだろうか。

 イルカが何十頭も打ち上げられて死ぬ、アザラシが迷い込んでくる。なにか海にも異変が起きているのではないのか。

◆透析あれこれ◆

 1日おきに透析に通っていると、生活態度を変えないといけないことが分かってきた。 1週間が4日しかない。そう思わないと、毎日がいらいらしてしまう。

 最初のうち朝の8時に家を出ていたが、去年から午後の診療が始まったので、そちらに移った。 冬の間の早番はつらかった。午後番になって、朝は楽になったが、帰る頃は暗くなって寒かった。早番の朝は寒い。 午後番の帰りは寒い。どっちにしろ楽なことはない。 ようやく春の気配。ほっとしている。

 気象条件も影響するのか、その時々によって体調が良かったり、悪かったりする。悪い時は、文字を書く手がふるえる。 治療しているのが左腕なのに、右腕に力が入らないのは何故なんだろう。

06/3.20

 城井友治


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