「文学横浜の会」

 随筆

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2003年11月02日


「母のお気に入り」

 母のお気に入りの部屋は十畳ほどの洋間である。 南西に向いて建てられたその部屋は、いつも暖かな光に包まれていた。 元々は台所へ続く土間があった場所だが、板を張替え洋間に生まれ変わった。 そのせいといっては何だが、台所は北側へと押され、茶箪笥やらテーブルやら椅子がひしめき合って、 たいそう小さな部屋になってしまった。 そんなことお構いなしなのか母は明けても暮れてもお気に入りの洋間で過ごすことが多くなった。 私は遊びに飽きると洋間のドアから中を覗くことがあった。すると母は、

「もうすぐおやつだからおりこうにしていてね」と言う。私は仕方なく部屋に戻る。 ドアを閉めても洋間から漂う香水のような匂いはいつまでも鼻に突いた。

 部屋に戻った私は母の真似をして人形の長い髪を小さな櫛で梳く。

「今日はどうなさいますか?」
「とてもお似合いですよ」
「またお待ちしています」

 洋間から漏れる母の声を真似るのが私の日課となった。 だが私は洋間にいる母をあまり好きではなかった。普段家では使わないどこかよそよそしい言葉も嫌いだった。 私は人形を放り投げ足をばたつかせながら仰向けになる。天井が遠くにあった。 畳特有の匂いを嗅いでいると、この世に一人取り残されたような不安と、 母に構ってもらえないもどかしさで胸が押しつぶされそうになる。 ごつごつとした畳の感触は母の膝枕とはいかない。木々がざわめいて子守唄を歌う。 それも母のように優しくはない。しかしいつしか睡魔が襲い私は眠ってしまう。

 母のお気に入りの部屋からシャンプーの匂いが消えたのはいつ頃だったろう。 あれは隣町に「パーマ屋」が出来てまもなくだった。馴染みの客以外はほとんどその店に移っていった。 店にはウインドーがあって、豪華な花嫁衣裳が飾られ、 透かしガラスの向こうではハイカラな衣装を着けた従業員が数人いるらしい。 母の洋間とは比べにならないくらい大きな部屋。一人で店を切り盛りしてきた母には大きなショックだったろう。 母は居間で過ごす時間が多くなった。私が小学校から帰ってきても母は決まって居間にいた。 私にとっては嬉しいはずなのに、母はどこか寂しそうだった。

「せっかくこの町の一号店だったのに」

 自慢だった言葉は愚痴に変っていった。次第に店は閉じていることが多くなった。 それでも近所の人が遣ってくる日は朝から張り切って店の窓を開け、玄関に水を撒いた。 私は居間のテーブルに宿題のノートを広げ、母の声を聞く。この部屋は自分がかつてやりきれない思いで母を待っていた場所。 だが今は店から聞える会話を軽音楽のように自然と受け入れられるようになった。

 そんなある日、母は家族の前に一枚の新聞を広げた。「それがどうした」とばかりに皆が母の顔を見つめた。

「ここに広告を出します」
「出すって?まさか、ここは会社ばかりじゃないか。個人のちっぽけな店など扱ってくれるものか」
「出すのは個人の自由です。お金なら大丈夫ですから」

 呆れる父をよそに母は早速新聞社に掛け合った。そして個人の店では始めて、前代未聞の広告を出したのである。 それは企業とは比べにならないくらい小さな字でこう記されていた。「パーマネント美容室・としこ」

 果たしてこんな小さな広告を見てやってくる客などいるのだろうか。お金を溝に捨てたことにならねばいいが。 皆の心配をよそに母はこう云いきった。

「お客様は必ず帰ってきます。だから黙って見ていてください」

 母は前にもまして洋間の掃除にいそしんだ。しかし一ヶ月が経過しても客足はぱったりだった。 そんな矢先祖父が倒れ入院した。脳梗塞だった。

 母は祖母と交代で祖父に付き添うようになった。ほとんど病院で寝たきりの祖父を風呂に入れる日は決まって母が行った。 病院から帰って来るととても疲れた顔をしていた。気丈な母も今は店にかまっている場合ではなかった。 それからしばらくして母は店を閉じることを決意した。

 古材屋が呼ばれ鏡台や椅子が持ち出された。シャンプーやヘアークリームは、 小さなダンボールに収められ数えるほどしかなかった。最後まで手放すのを拒んだパーマネント機は倉庫で眠ることになった。 看板がはずされると部屋はだだっ広い洋間に変わっていた。 かつてこの部屋いっぱいに充満していたシャンプーが微かに匂い、心なしか母を慰めているような気がした。 頻繁に活躍した電話機は明日業者に引き渡される。母は今どんな気持ちなのだろう。それは家族も同じだった。 しかし母は「この部屋は今日から姉妹で使いなさい。 これだけ広かったら卓球台くらいある大きな机も置けそうね」といって笑っていた。しかし私達は笑うことができなかった。

 皆が洋間を後にしようとしたその時だった。無言だった電話がけたたましく鳴った。 私が振り返えると、母は驚いたような顔で電話機を見つめていた。父が母を促した。

「はい。パーマネント美容室・としこです」
「私N町に住む渡辺といいます。新聞の広告で知ったものだから、 あの是非先生に娘の結婚式の髪結いをお願いしたいと思いまして・・・あの、お願いできっぺか」

 美容室を開店して三年になるが、このときの母は一番輝いていた。 私達は結婚式で頂いた折り詰めを食べながら母の話に酔った。今日の花嫁さんは日本一綺麗だったろうと私は思った。 この仕事を最後に店は閉じられた。それから母は二度と美容院の話を口にしなくなった。 

 それから十年後に母は亡くなったが、形見分けの中に当時を偲ばせる物は無かった。 倉庫で眠っているはずのパーマネント機も母を追っていったのか、忽然と姿を消していた。

<S・K>


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