「文学横浜の会」
随筆
2006年7月01日
「大ちゃんが行く 2」
季節は12月に入っていた。病室の窓から見える景色は師走とは思えない長閑な町並みを
映し出している。毎年この時期は仕事に追われていた。食品会社の検査室は1年を通じて
一番忙しい時期を迎える。出産予定日はその時期を回避できるぎりぎりの日だった。
世の中はそう思い通りにいかないものだ。入院して2日目(40週9日目)3センチに開いた
子宮口に2度目の海藻を入れた。21本の海藻が娘の体を刺激し始め、腹痛を伴った。
看護士はいい兆候だと言っていたが、陣痛には程遠いように思えた。
このままいけば数日中には誘発剤に切り変わるだろう。それは21本の海藻を抜くということだ。
陣痛の何倍も苦痛を伴うのではないだろうか。ようやく眠りについた娘を起こさぬように、
私は休憩室へ向かい、娘の夫にメールを入れた。(妊娠を知ってから家族メールにし、
機種を同じにしていた)娘の気持ちを考えると、ここは彼の協力が必要だった。
毎日姿を見せていた彼は今夜病室に泊まり娘に付き添ってくれるという。
部屋には付き添い用のベッドなどないし、体を横に出来るスペースもない。
仕事で疲れた体を心配したが、ここは彼に任せるのが一番と決め、
安堵と不安を胸に私は一時病院から開放された。
40週10日目、仕事場の朝の準備を終えたとき、検査室に置かれた私の携帯が鳴った。
(特別許可を貰った携帯は予定日から机の上にある)彼からのメールだった。
「今海藻を抜き病室に戻ったところ。子宮口は3センチのまま。明日誘発剤をやるそうです。
かなり辛かったようで彼女の声がまだ耳元に残っています。明日は仕事に行きますが、
宜しくお願いします」
明日娘に会ったらなんと声をかければいいのだろう。娘も辛いが家族も辛い。
しかし彼女ならこの場をうまく乗り切るだろう。そうあってほしい。
「20分前に会社に出かけたよ。緊張して一睡もできなかったって」
「回りは妊婦さんばかりで落ち着かなかったわね。貴女は眠れた?」
9時に点滴の準備が始まった。手馴れた看護士の動きを、娘と私は無言で見つめていた。
子宮口が3センチとはどれほどのものなのか、ただ言えることは10センチ開けば胎児が出てくる
ことは間違いない。その10センチに向かって動き出したのだった。
誘発剤は朝9時に始まって夕方に終わる。
点滴が終わると彼女は今までの痛み(人工的な陣痛)が嘘のように、雑誌を読んだりしている。
私は彼女に強く掴まれ赤く腫れた腕を擦りながら廊下に出た。私に被さりながら痛みに耐える
彼女の痕跡が残った肩や腰を揉んだ。休憩室で自販のコーヒーを味わった。
夕方の回診でどんな結論が待っているのか、子宮口はうまく開いたのだろうか。
40週12日目も点滴で始まった。昨夜の回診で子宮口は思うような結果を出すことは出来ず、
期待していた本物の陣痛の兆候もなかった。
「大丈夫、今日こそうまくいくよ」
痛みはピークに達し、寝ていることもままならず、彼女はベッドを降り壁に寄りかかり、
痛みが来るたびに私の体に掴まった。私はそのたびに痛む場所を擦った。
この言葉をどれほど待っていただろうか。陣痛室に移り何人の妊婦さんを見送ったことか。
いよいよ分娩室に行くのも、何よりも子供が生まれるという実感が湧いてきたのだった。
私は彼にメールを送った。明日彼は休暇を取り娘に付き添うことになった。
私はどうしても仕事を休めなかったので。
病院から帰る日は、午後9時を過ぎてしまう。夫はすでに帰宅して晩酌をしていた。
病院の様子はメールで知らせてあるのであらたまった話はなかったが、
この日ばかりは私も晩酌に付き合った。
「明日は仕事で残念だったな」
テレビの画面に大きなクリスマスツリーが映し出された。クリスマスも正月もいらない。
明日にはもっと大きなプレゼントが届くはず。
翌日会社へ行ったものの仕事が手に付かない。
見透かしたように同僚から「いよいよですね」などと言われると、仕事を休んで病院に行くのだった、
と後悔した。夫は病院に向かったのか、回診の結果はどうだったのか誰からも連絡が来ない。
陣痛が始まってそれどころではないのかと思っていると、10時を回ったころ彼から電話があった。
「7センチまで開いていたのに5センチに戻ってしまったそうです。
母体の疲労を考えると帝王切開を視野に入れましょうとのこと、
彼女は予想外のことで動揺しています。また連絡します」
すぐに病室に戻らなければならないらしく電話は一方的に切れた。
4日間も頑張ったのになぜ?という思いだった。しかしそんなことを言っている場合ではなかった。
電話を切るとすぐに携帯が鳴った。娘からのメールだった。
「お母さん一緒に頑張ってくれたのにごめんなさい。この子を普通分娩で産みたかったのに。
悔しいよ。許してくれるかな、赤ちゃん」
他に言ってやりたい言葉があるように思うが、メールを打つ手がもどかしかった。
すぐに彼から11時に手術だと連絡が入った。慌しい時間の中で結論を迫られたのだろう。
娘に付いていてあげたかった。そう思ったとき、何も知らず、まだ家にいるはずの夫を思い出した。
手術まであと30分、急いでメールを送る。
手術は始まったのか、夫は間に合ったのか、何も分からないまま時間だけが過ぎていく。
携帯はただの置物のように机の上にあるだけだった。午前の仕事(検査)を終わらせ、
休憩に入ろうとした時、携帯が鳴った。私は気持ちの高鳴りを抑えるかのように、
ゆっくりと机に近づき、青く点滅する携帯に手を伸ばした。
<S・K>
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