「文学横浜の会」
随筆
2007年02月10日
「納豆がない」 <S・K>
私は東北出身なので納豆が大好きだ。子供の頃から納豆は毎日食卓にあって、
混ぜるのは私の役目だった。上座に新聞が置かれてある。母は父の世話で忙しい。
姉達も通学の準備で2階から下りてこない。いつの日か末席に座っている私の役目となった。
藁に入った納豆を大き目のどんぶりに入れ、数本の割り箸を縦に持ち、思い切りかき混ぜる。
豆と豆が白い糸で繋がっていくがこれではまだ不十分だ。さらに数分混ぜると糸は納豆の粒を優しく包む。
ここで醤油を注ぐ。醤油が豆全体に絡むように優しく混ぜる。
最後に葱を入れる。
「たかが納豆しかし納豆なのである」今我が家でも納豆混ぜの作業は人任せに出来ないこだわりを持っている。
しかしである。
毎日欠かすことのなかった納豆が店頭から消えた。ある番組が「ダイエット」と宣伝したからだった。
数年前やはり毎日食べていたバナナが消えたときを思い出した。
私は世間の熱が冷める期間納豆のない生活に耐えるしかなかった。
「魚を食べると頭が良くなる」そんなフレーズも過去にあった。
今回納豆に関しては根も葉もない過剰な宣伝であることが判明した。それはさておき、納豆は店頭に戻ってきた。
納豆には何の罪も無いのに、品余りの店もあるという。とにかく我が家の食卓に納豆が帰ってきた。
数年前実家に帰郷した折、病院の管理栄養士をしている姉が遊びにおいでと言うので一晩泊めてもらった。
夕方姉とスーパーに翌日の朝食の買い物に行った。めざし、納豆、ヨーグルトにイチゴを買った。
かごの中の納豆を見つけ私は子供の頃を思い出した。
「昔納豆をよく食べたね」
姉はニコッと笑い返して、かごを指差しながらこう言った。
「カルシウム、蛋白質に乳酸菌、ビタミン、おしんこはあるし、これで朝の摂取はOK」
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