「文学横浜の会」
随筆
2008年02月18日
「トイレットペーパーの嘆き」
東京都は公衆トイレに随時トイレットペーパーを置くよう法令で定めた。なるほど公共の場を重要視することで「汚い」というイメージを一掃する目的もあるのだろう。トイレットペーパーを常に置くことに反対した議員もいたらしい。その中には持ち去る者もいるのではという理由もあったそうだ。それも一理あるだろうが、やはり置くことに決まった。神奈川県の公衆トイレはどうだろう。トイレットペーパーを常備しているところが多いと思うのだが。私はよっぽどのことがない限り利用しないのでよく分からない。しかしトイレットペーパーを置かないということはどういうことだろう。(自動販売機を設置している所もあるが)公衆トイレが利用できない。つまり不要な建物ということではないのか。はたして公衆トイレは無駄なものだろうか。
ならばトイレットペーパーに公共のものとひと目で判る印を付けたらどうだろう。明らかに市販されていない模様があったら持ち去る者もいなくなるのではないか。ほら、図書館の本の表紙に貼られてある「○○図書館」のように。そんな本が一冊でも本箱に並んでいたら落ち着かないだろう。まして、失敬してしまった者が使用するとき「神奈川県」などと印字されたトイレットペーパーがぞろぞろ出てきたら気分のいいものではないはずだ。
夫の会社は社長以下社員全員がトイレ掃除を義務付けられている。何度雇っても清掃員が辞めてしまう。そこで清掃員の募集を諦め、毎日自分たちで行うことになった。トイレは以前より綺麗になったという。
トイレットペーパーを「置く、置かない」ではなく、置いても利用する側のモラルなのだ。私の勤務している会社には2人の清掃員の方がいる。
いつもきれいに掃除をしてくれるので気持ちよく利用している。
「トイレを磨くと可愛い子を授かる」と亡くなった祖母がよく言っていた。今はトイレをきれいに使えばいいことがあると思いながら利用している。
(こいけ 志穂)
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