1 歴史
道内の歴史については、昔活躍していた人がほとんどいなくなったため、私の知り得る範囲内で述べることにします。
道内のブリッジは昭和30年代後半か昭和40年代前半頃に、宮崎功氏等により千歳の自衛隊関係者及び駐留米軍を中心にして始まったようです(千歳ブリッジクラブの名前の由来です)。
そして昭和40年代に札幌でも浅井亨(現富山)、岩本隆茂氏等の北大関係者を中心にブリッジが始まりました。
もう随分前になりますが横浜ブリッジセンターで、その頃仕事の関係で在札していて、主要メンバーのおひとりだった大竹氏にお会いしたことがあります。
私は昭和40年代の後半の大学2年の時にブリッジを知りましたが、市内の北にある民間アパートの1室で、例会が行われていました。
当時北大は、将棋部のメンバーが中心で、大学リーグにも参加していたようです。その中には、現在でも首都圏で活躍している方もいます。飯?氏、小?氏、山?氏等です。北大のクラブはこれら主要メンバーが卒業した頃、自然消滅したようです。
次に昭和50年代前半に、佐藤健・佐野正両氏等が中心になって、北海道電力ブリッジクラブが設立され、これが現在の札幌ブリッジ界の基盤となっています。
佐藤氏は道内のブリッジの発展、普及に活躍されました。同氏は社内でブリッジを普及させるだけでなく、道電波管理局、電電公社、北海道警察、北大等のブリッジを知っている人たちに参集を呼びかけました。
その頃、私は既に就職して、ブリッジとは離れていましたが、電話で無理矢理勧誘されたのがこれ程までにブリッジにはまり込むきっかけとなりました。
当時まだ20代だった会員番号8万代の多数のプレイヤーが現在の札幌ブリッジ界を背負う人材となっています。
昭和50年代のこの時期は同世代の人たちが多いせいもあったと思いますが、私のブリッジ人生の中でも最も楽しかった時だったような気がします。
お盆の頃に夏季合宿が札幌近郊の温泉で行われていました。とにかく朝から明け方までブリッジ三昧です。ブリッジをしていないのは食事の時だけ、その時でも当然話はハンドや浅井先生が話してくれるブリッジに関する過去の逸話でした。別に温泉でやる必要はなっかたかもしれません。入る暇はほとんどなかったのですから。また、浅井先生が富山大に移られてから、富山リジョナルにも参加するようになり、それがきっかけとなって、東京、浜松等の主要競技会に積極的に参加するようになりました。
現在は、海外や道外でブリジを覚えた奥様方が参集してくれるようになり、主要メンバーとなって、札幌のブリッジ界を支えてくれています。
2 現状
札幌には北海道電力と千歳の2つのクラブがあり、仲良くやっています。
前に会報でもどなたかが述べられていましたが、地方で同じ場所に2つのクラブがあることは非常によいことと思われます。
千歳クラブは、千歳市ではなく、札幌で活動しています。昭和60年代の前半に、同クラブのマネージャーだった佐々木正光氏から同クラブの運営を私が任されました。
現在、実際にフルに活動している札幌のブリッジ人口は約30名程度と思われます。男性は当然少なく1/4程度しかいません。年齢は40代以降がほとんどで、20代は中国からの留学生が一人います。システムは5カードメジャーがほとんどで、プレシジョンが4人、ブルークラブが1人(当然使う機会がなくなった)というところでしょう。
ウィークリーは週2回、月曜の昼と水曜の夜に、マンスリーは原則として、第1土曜日の午後と第3日曜日の午後に行われています。多くて7テーブル止まりです。IMPリーグは年1回行われています。
雪祭り大会を除くセクショナル以上の試合を列記しますと、新年セクショナル(1月上旬、オープンペア)、ライラックセクショナル(5月中旬、オープンチーム)、出光杯(7月上旬、オープンペア)、北海道IMP選手権(7月上旬、オープンペア)、読売新聞社杯予選(8月中旬)、外務大臣杯予選(10月中旬)、高松宮妃杯予選(12月中旬)があります。
なお、出光杯は13年ほど前、苫小牧に来ていらした出光綾子さんの寄贈によるものです。(出光さんは苫小枚から熱心に札幌のウィークリーやマンスリーに通って来られていました)。
佐藤氏は7月上旬の2日間にわたって行われる大会を、道外から参加してもらえるイベントとして考えていました。札幌の最も良い季節は6月〜7月上旬の初夏と思っていますので、そういう意味でこの時期に大きな大会を何とか開催する方向で検討していきたいと考えています。
私が会員になった頃、ライフマスターになることは夢のようなことでしたが、武田千恵子が1990年に道内第1号となってから、谷幸子、私、私のパートナーの石塚真美子、坪谷七魚子の合計5名がなることができました(坪谷と私は東京で別の時期にライフマスターのお祝いやっていただきました。ありがとうございました)。もうじき、吉本浩子が6人目となりそうです。札幌では、ブリッジを始めてから最低でも10年以上が必要です。私も会員になってから10年以上かかりました。
3 ブリッジの普及について(省略)
4 雪祭りブリッジ大会について
雪祭りブリッジ大会は、かって昭和40年代に行われていた大会を復活させるべく、北海道電力クラブが中心となって1982年に始まり、今年で第14回を迎えました。
数年前までは、雪祭り期間中に開催されていましたが、道外参加者のホテルあるいは交通機関の確保の問題を考慮して(とにかく、高くて確保できない)、近年は雪祭りが始まる前の週に開催されています(2月上旬)。
毎年、仙台、東京、横浜、浜松、名古屋、富山、大阪等全国各地からの参加者があり、今年初めて、九州からの参加者がありました。この数年、参加者は20テーブル前後に落ち着いています。
常連も多く、雪祭り等はどうでもよくて、ブリッジができて、おいしいものが食べれれば良いという意見もありますが、雪祭りを一度も見たこともない人には雪像が魅力の一つであることは確かでしょう。
雪像はほぼ完成していますので大通り会場は見ることは可能です(他に真駒内会場、すすきの会場もありますが、メインはあくまでも大通り会場です)。首都圏の人は、東京から「北斗星」という夜行列車にのって、青函トンネルをくぐり、半日間かけて來札する人も大勢います。
本大会は3日間にわったて行われます。
初日の金曜日夜は顔合わせを兼ねて、1セッションの親善ペアが行われます。親善ペアは現在どこでも行われていませんから、目玉であることも確かです。ペアリングは原則として、ブラックポイント順に道内と道外の人を上から順に並べて順次組み合わせる方式をとっています(上の方はマナーがいいから、逆の方がいいという意見もあります)。このペアリングは尾形が行っていますので、試合当日まで私にもわかりません。
2日目は土曜日の午後から「浅井杯」(スイスチーム戦)が、終了後同会場でパーティが行われます。
3日目は日曜日の朝9時30分から、2セッションのペア戦である「北海道新聞社杯」が行われます。試合の運営の方は連盟の大政氏や鈴木氏がプレイヤーとして参加して手伝ってくれています。
数年前は、終わってからもブリッジをしていましたが、この頃は皆体力がなくなったためかそんなことはなくなりました。北海道電力対東北電力のチーム戦をやっていたこともありましたが。
この大会は、道内のプレイヤーだけでなく、道外の人も各地方の人たちと知り合える絶好の機会ですから、有意義に使ってくださるようお願いいたします。私は雪祭り大会を通じて、トッププレイヤーだけでなく、数多くの人と知り合いになることができました(余談ですが、どなたか地方都市だけのブリッジ大会を企画していただけないでしょうか)。
また、このブリッジ会場は、場所としては最高に良いところにあります。
7階の休憩室の西側の窓の向かうには大通りの雪祭り会場が広がっています。それで満足できない人は、雪像を見るのならば夜にしましょう。ライトアップされた雪像・氷像は、幻想的な魅力を醸しだしているかもしれません。特に粉雪が舞っていれば。(後略)
[1995年10月記]
(JCBL BULLETIN 42/5 から 主要部分を抜粋)