京 都 府
  
 ≪丹 後≫
  宮津市、京丹後市、与謝郡〔与謝野町、伊根町〕 

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪宮津市≫
 宮津市は与謝野町(旧・岩滝町)を挟んで南北に飛地になっている。正確には南北を天橋立がつないでいるが、一般車両は天橋立を通れないため、南北間を移動するときは岩滝町内を通過することになる。
南部が市の中心地となり宮津地区・上宮津地区・吉津地区・栗田地区・由良地区で由良地区が旧・加佐郡。他は与謝郡である。
北部は南から府中地区・日置地区・養老地区・日置地区の西側の山間部に世屋地区・養老地区の西側の山間部に日ヶ谷地区がある。
 ◎南地区
 ■宮津地区=5地域・42自治会
    中部地域:本町(ほんまち)・魚屋(うおや)・新浜(しんはま)・宮本(みやもと)・万町(よろずまち)・京街道(きょうかいどう)・大久保(おおくぼ)・柳縄手(やなぎなわて)・島崎(しまさき)
    西部地域:金屋谷(かなやだに)・亀ケ丘・松ケ丘・池ノ谷(いけのたに)・白柏(しらかせ)・浪花・漁師(りょうし)・日吉・杉末(すぎのすえ)
    東部地域:鶴賀(つるが)・城内・城東・城南・旭が丘・第2旭が丘・西波路・波路町・グンゼ
    城南部地域:滝馬・百合が丘・福田・宮村・宮村上・辻町
    城東部地域:惣・皆原(かいばら)・山中・波路(はじ)・獅子崎(しいざき)・つつじが丘・問屋町・東国名賀
宮町1408(西地区) 山王宮日吉神社
(公式HPへ)
5/15 神楽・太鼓・神輿
芸屋台 一部の町で芸屋台を出す
万町474 天満神社 5/11 屋台 山王祭りに出す山車蔵あり。
宮津祭(山王祭)=藩政期、『山王祭(国祭り)』といわれ城主自ら音頭をとり神輿を造り、漁師町、白柏町、葛屋町、川原町、川向町、魚屋町、万町、本町などの城下の芸屋台はもちろん、藩内の岩滝、加悦、上宮津、府中、男山、内宮、外宮より、計77人の世話人を選び練りものを出したと記録にある。
 ちなみに宮津の旧城下町は、西堀川を堺に、大きく東町と西町に分けられる。東地区は「和貴宮神社」、西地区は「山王宮 日吉神社」の氏子となっている。
四月の二の申の日に行われていた山王宮 日吉神社の祭礼は、明治の改暦により5月15日に、幕末より始まった和貴宮神社の祭礼は9月11日に行われていたが、第二次世界大戦後、二つのお祭りは同じ5月15日に行われるようになった。
 これにより、東西ニ基の神輿が出るようになり、それぞれの祭礼を行うようになり、例祭日が同日なので宮津祭りとも称されるようになる。
 【往古の祭礼】
 江戸期の宮津祭(山王祭)では神輿巡幸と浮太鼓を漁師町が担当し、神楽を山王下(宮町)が、そしてそれ以外の町内が「屋台巡行」を執り行っていた。
各町は御神体を乗せた「山屋台」と子供歌舞伎を演じる「芸屋台」との二台を所有し、その二台をセットにして山の名が付けられていた。
寛政元年(1789) の「山王祭礼行列覚」では、行列順に「鈴鹿山」(本町)・「三輪山」(本町)・「春日山」(魚屋町)・「高砂山」(魚屋町)・「稲荷山」(万町)・「天神山」(万町)・「万歳鉾」(職人町)・「岩戸山」(白柏町)・「日吉山」(白柏町)・「紅葉山」(河原町)・「蛭子山」(葛屋町)・「住吉山」(猟師町)・「明神山」(川向町)の記述が見られ、26基の山・芸屋台を登場したと分かる。
また天保12年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された宮津祭(山王祭)を描いた「山王祭礼図絵馬」(宮津市指定文化財)にも残されている。
また、絵馬の中の各々の芸屋台で子供歌舞伎が演じられている描写の一部は近年宮津市により複製として復元され、みやづ歴史の館に展示されている。その後、一町に2基ある屋台は1基に統合されてその名を変え、また山屋台は姿を消し芸屋台だけが「山」の名を残したまま伝えられて来た。現在、宮津祭当日に白柏会館には二体の猿の人形が展示されるが、それが白柏町がかつて巡行させていた日吉山の山屋台のご神体である。
萬歳鉾(宮本町)=天保13年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された絵馬に描かれており、宮本町の前身である職人町の所有であることが記されている。
 宮本町では、大正13年(1924)に芸屋台を曳き出して以来、中断されていたが、平成4年の府民フェスティバルに「堀川夜討弁慶上使の場」を上演したのをきっかけに、平成14年の祭礼から不定期なれど萬歳鉾が復活した。

相生山(魚屋町)
=明治43年(1910)新調。
 見送り幕は天保6年3月(1835)に京都の近江屋善右衛門氏から寄付を受けており、この頃既に芸屋台があったものと思われる。
また天保13年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された絵馬に、春日山と高砂山の二つの屋台があったと記されているが、この2台が、明治以降一つになり、現在の芸屋台「相生山」となった。


相楽山(白柏)=明治8年3月(1875)に岩戸山と日吉山の2台の屋台を統合して屋台を新調。
天保12年(1842)山王宮日吉神社に奉納された絵馬に記されている。日吉山の御神像が猿であり、明和4年(1767)の木札が付けられている。
そこで宮津祭りに、ニ体の猿の木像を白柏会館玄関に祀られる。
鈴鹿山(本町)、三輪山(本町)、紅葉山(河原町)、住吉山(猟師町)・明神山(川向町)=詳細不詳。

蛭子山(松ヶ岡)=寛政元年(1789)制作。その年に芸屋台で「千本桜四段目」を演じたと記録されている。
 安政3年(1856)、それまで葛屋町という名で呼ばれていた町名が芸屋台の名に合わせて蛭子町に変わった。
宮本428(東地区) 和貴宮神社
(公式FBへ)
5/13〜15 神輿 神輿、城東子供神輿
太神楽・浮太鼓
10/15 秋祭り 神楽、神賑
2/節分の日 節分祭 節分祭
宮津祭=宮津の地名発祥の社・和貴宮神社の春の例祭。宮津市東地区の祭礼で同時期の西地区の山王社日吉神社で行われる山王祭と共に宮津祭と称する。
宮本・万町・本町・魚屋・新町の5町で行われ、各町が1年ごとの輪番制で神輿・神楽・浮太鼓を担当。また神輿の巡幸と別に神楽と子供神輿はそれぞれ町内を巡行。
宮神輿=平成18年(2006)謹製。
惣128 國名賀神社 9/17 例祭
滝馬675 滝馬神社 9/16 例祭 有田村+田中村の合併で誕生
波路230 鍵守神社 ? ―
山中68 日吉神社 4/15 例祭
宮村八幡98 八幡神社 8/15 例祭
 ■上宮津地区
    ⇒小田(おだ)、喜多(きた)、今福(いまぶく)
小田早栗192−2 愛宕神社 4/3日曜(元・15) 神楽、太刀振り、奴
上宮津祭=府指定無形民俗文化財。小田、喜多、今福が参加。
例祭は4/3日曜(元・15)に開催。3:50に今福が一番最初に出発。4時頃には各地区は出発。南太神楽組が一番に到着し、午前6時に集結。6組〔神楽・太刀振り4組・の芸能を奉納。例祭終了後に各組は在所に戻り、それぞれの氏神の祭礼(地下祭り)を行う。
南太神楽組=2人立ちの獅子舞。「切払い」、「鈴舞」、「乱」の3曲を伝える。

今福太刀組=太刀振り。

喜多太刀組
=太刀振り。
 屋台あり。昭和2年(1927)制作。

4区太刀組
=太刀振り。
 屋台あり。

小香河太刀組
=太刀振り。


小田奴組=休止中。
 ■吉津地区
    ⇒文珠(もんじゅ)、須津(すづ)
文珠天橋立643−1 天橋立神社 ? ―
須津吉里1546 須津彦神社 4/25頃の土日 太刀振り 屋台もあり
神楽
行列は白幣・少女神輿・神楽・太刀振り など
 ■栗田地区
    ⇒上司(じょうし)、小寺(こでら)、田井(たい)、島陰(しまかげ)、矢原(やはら)、獅子(ちし)、小田宿野(おだしゅくの)、中津(なかつ)、脇(わき)、新宮(しんぐう)、中村(なかむら)+銀丘、鏡ケ浦
上司1332−1 栗田住吉神社 10/2日曜(元・12) 神輿 氏地は上司・小寺
屋台廃絶 大正期の記録にあり
8/6、7 夏祭り
2/節分の日 節分祭
田井153−1 多由神社 10/13 例祭
島陰滝盛30 白山神社 4/15 例祭
矢原玉崎77−2 玉崎神社 ? ―
獅子堂垣226−2 獅子姫神社 4/10 例祭
小田宿野262−2 久理陀神社 9/13 神輿
中津宮ノ谷62 浦宮神社 9/13 例祭
脇字由良谷 稲荷神社 10/13 例祭
新宮狩場100 白鬚神社 10/13 例祭
新宮稲ヶ城167 三神社 ? ―
中村麻蒔189 豊守神社 9/13 例祭
 ■由良地区
    ⇒由良(ゆら)、石浦(いしうら)
    6自治会:由良宮本・由良脇・浜野路・港・上石浦・下石浦
由良宮本2362 由良神社 10/連休 芸屋台2台 旧束崎村(宮本山)、旧松下村(八幡山)
神楽踊 浜野路・港・宮本の鎮守
宮本山(旧・束崎村)=詳細不詳。

八幡山(旧・松下村)
=明治28年9月(1895)制作。台車の内側に墨書きがあり、大工、その当時の区長、世話人等の名前がで書かれている。
由良宮ノ上3537−1 奈具神社 10/10 太鼓踊休止 脇の鎮守。式内社。
石浦大迫230 住吉神社 10/連休 例祭
石浦関144 中路神社 10/連休 例祭

 ◎北部
 ■府中地区
    ⇒国分(こくぶん)、小松(こまつ)、中野(なかの)、大垣(おおがき)、江尻(えじり)、難波野(なんばの)、成相寺(なりあいじ)、溝尻(みぞじり)
大垣430 籠神社
(公式HPへ)
4/24(毎年) 神輿 明治25年(1892)謹製。平成31年(2019)鎮座1300年祭を祝して60年ぶりに復活
笹ばやし・太刀振・神楽
芸屋台3台出ていた ※正遷宮奉祝大祭(昭和6年)に芸屋台が出た 『難波野郷土誌』
2/17 祈年祭
 【葵祭りの行事予定】
(9:40〜)一番太鼓
(10:00〜)祭典
(11:00〜)神幸祭
(11:30〜)鳳輦による御神幸
(12:20〜)還幸祭
 【奉納神事(地内)】
難波野(9:00〜)神楽
溝尻(10:00〜)太刀振り、笹囃子
江尻(10:00〜)大獅子
中野(11:45〜)太刀振り、笹囃子
大垣(12:10〜)大神楽
江尻(12:15〜)太刀振り、笹囃子
成相寺ヨエン田113 熊野神社 ? ―
 ■日置地区
    自治会は浜・上
日置2464 岩田神社 4/4土曜 楽台(屋台)
太刀振り
神楽
日置浜=昭和28年5/3を最後に芸屋台を出していない。初めて出したのは明治初期で村祭りの10/17に出した。芸屋台の名称は付けていない。
 ■養老地区
   ⇒里波見(さとはみ)、中波見(なかはみ)、奥波見(おくはみ)、長江(ながえ)、岩ヶ鼻(いわがはな)、外垣(とのがき)、大島(おおしま)、田原(たわら)
    9自治会:里波見・中波見・奥波見・長江・岩ヶ鼻・外垣・大島・田原・梅ヶ谷
里波見宮ノ越87−8 高峯神社 ? ―
奥波見若宮153−2 白山神社 8/18 例祭
長江古ミド58−3 八幡神社 8/15 例祭
岩ヶ鼻宮山141 日吉神社 10月 太刀振り
外垣向山13−1 胞神社 ? ―
大島古池564 白山神社 10/15 神楽・太刀振、風流踊の伝統をひく花おどり・槍おどり・笠おどりなどが奉納される。
田原宮ノ谷6−1 岩尾神社 7/16
 ■世屋地区
    ⇒畑(はた)、下世屋(しもせや)、松尾(まつお)、上世屋(かみせや))、木子(きご):東野
畑277 有坂神社 4/23 例祭
下世屋48 山口神社 4/18 例祭
松尾25−1 東神社 ? ―
上世屋115 世屋姫神社 ? ―
 ■日ヶ谷(ひがたに)地区
      5自治会:立・大西・厚垣・落山・籔田
日ヶ谷奥谷山2194 粟尾神社 ? ―
日ヶ谷下垣4609−1 下垣神社 ? ―
日ヶ谷白石353−15 熊野神社 ? ―
日ヶ谷宮ノ上5618 大山神社 ? ―
 【消滅集落】
岳(だけ)=栗田地区。脇の南部山中にあった枝村。5戸。市史によると昭和51年12月、無住化。

段(だん)=養老地区。中波見南部の枝村。明治初期10戸。市史によると昭和45年3月、無住化。

西谷(にしだに)=府中地区。成相寺の枝村。明治初期10戸。市史によると昭和39年8月、無住化。

東谷(ひがしだに)=府中地区。成相寺の枝村。明治初期13戸。市史によると昭和40年9月、無住化。

東野=世屋地区。明治21年、戸数6。市史によると昭和39年(1964)3月、無住化。神社は東大明神。

駒倉(こまくら)=世屋地区。明治初期46戸。市史によると昭和47年(1972)5月、無住化。
 また枝村に滝脇あり。明治初期4戸。昭和6年無住化。

麻谷(あさだに)=世屋地区。上世屋の枝村。木地屋集落。明治初期4戸?。市史によると昭和36年(1961)12月、無住化。

牧(まき)=日ヶ谷地区。日ヶ谷の南部の散郷。自治会では立になる。明治初期10戸。市史によると昭和32年7月、無住化。

成合(なるだに)=日ヶ谷地区。日ヶ谷の北西部。元は野間村から宮津市に編入。
 明治初期17戸。市史によると昭和44年4月、無住化。

 ≪京丹後市≫
  平成16年(2004年)4/1、
中郡峰山町、大宮町+竹野郡網野町、弥栄町+熊野郡久美浜町の合併で誕生。
 ◎旧・中郡峰山町
 ■峰山地区
   ⇒峰山泉町、峰山上町、峰山室町、峰山浪花町、峰山呉服町、峰山浪花町、峰山白銀町、峰山泉町、峰山織元町、峰山室町、峰山堺町、峰山富貴屋町、峰山呉服町、峰山御旅町、峰山不断町町、峰山四軒町、峰山古殿町、峰山吉原町
峰山町泉奥山1165−2(上町) 金刀比羅神社
(公式HPへ)
10/2日曜 神輿 旧・府社
屋台5台  
4/9、10 春祭り
7/9、10 夏祭り
2月節分の日 節分祭
 昭和2年(1927)3月、丹後地方を襲ったマグニチュード7といわれる大震災は、峰山の町に壊滅的な被害をもたらし、金刀比羅神社社殿もすべて罹災・倒壊した。
その際に屋台も多く損壊したが、明治23年の作の金刀比羅神社祭礼絵額に往古の祭礼が描かれている。画面には本屋台10、竹屋台(芸屋台とも称する)9、吹貫11が見え、先導は不断町の太神楽が先導している。
 現在は10月10日が例祭で、第2日曜に神輿渡御祭があり、神輿が巡行する。また、例祭には町内の大屋台などの山車、曳き屋台、芸屋台など5基の屋台が毎年輪番にくり出す。
上町(春日山)=5輪。長さ3.62m。幅2.82m。高さ4.97m。

室町(八幡山)=5輪。長さ3.4m。幅2.8m。高さ4.57m。

呉服町・4区(天神山)=芸屋台。5輪。長さ5m。幅2.5m。高さ4.5m。

浪花町(釜堀山)=5輪。昭和7年制作。制作費2、703円47銭。大工は谷口弥太郎。塗師は井藤栄吉。昭和57年修復。長さ4.97m。幅2.43m。高さ4.37m。

峰山白銀町&峰山泉町(金刀比羅山)=あり。
 【祭礼に出た屋台】
織元町(高砂山)、室町(八幡山)、堺町(稲荷山)、富貴屋町(五幸山)、呉服町(天神山)、御旅町(三輪山)、その他不断町の大神楽等があった。
峰山町長岡下八幡360 八幡神社 10/連休 神幸祭  
太鼓屋台1台  
楽台=4輪。長さ2.35m。幅1.3m。高さ2.36m。
峰山町吉原55 金峰神社 5/4、5 神幸祭  
 ■吉原地区
   ⇒安(やす)、西山(にしやま)、小西(こにし)、菅(すげ)、新治(にんばり)
峰山町安森替83 稲代神社 10/連休 神輿(大小) 式内社
峰山町西山下地100 稲代神社 10/連休(元・9/6) 幟を立てて大太鼓を叩く 山車、三番叟もあったと言うが?
峰山町小西奥地240 神明神社 9/26 例祭
峰山町菅大門崎943−6 久津方神社 10/連休 神輿
峰山町新治エミヤ21 九柱神社 7/30 水無祭=神幸祭
 ■五箇地区
   ⇒五箇(ごか)、鱒留(ますどめ)、二箇(にか)、久次(ひさつぎ)
峰山町五箇山崎596−1 愛宕神社 10/連休 太鼓屋台1台
獅子舞
楽台=4輪。長さ2.14m。幅1.32m。高さ2.4m。
峰山町鱒留540 藤社神社 10/連休 太鼓屋台1台
太刀振り 鱒留は本郷の鱒留、枝郷の大成・大路からなる。
峰山町鱒留大成354(大成) 八幡神社 10/連休 例祭 大成の鎮守。往古は35戸、2014年現在5戸。
峰山町鱒留蛭子堂433(大路) 乙女神社 10/上旬 湯立神事 大路の鎮守。往古は40戸、2014年現在17戸。
7/7 例祭
峰山町二箇小谷山1−1 八幡神社 10/連休 例祭
峰山町久次宮谷661 比沼麻奈為神社 10/連休 神幸祭 太刀振、獅子舞 
太鼓屋台1台
 ■新山(にいやま)地区
   ⇒新町、荒山、内記(ないき)
峰山町新町157 高畠稲荷神社 10/2土日 楽台1台 新町は上・上中・上本・富道・立・家地・中・大道・新道・下東・下西・下地・新西の13の町内に分かれている。
神楽舞
楽台=4輪。長さ2.4m。幅1.34m。高さ2.46m。
峰山町荒山 波弥神社 10/上旬 楽台1台
楽台=4輪。長さ2.3m。幅1.32m。高さ2.46m。
峰山町内記宮ノ奥134 名木神社 10/上旬 楽台1台 式内社
楽台=4輪。長さ2.15m。幅1.3m。高さ2.12m。
 ■丹波地区
   ⇒丹波(たんば)、矢田(やた)、橋木(はしぎ)、赤坂(あかさか)、石丸(いしまる)、杉谷(すぎたに)
峰山町丹波涌田山2 多久神社 10/連休 神輿
楽台1台
楽台=4輪。長さ2.95m。幅1.7m。高さ2.68m。
峰山町矢田谷山332 矢田神社 9/16 例祭
峰山町橋木千原374 からたに神社 10/上旬 太鼓輿1台 式内社
峰山町赤坂家向29 咋岡神社 9/9 例祭 式内社
峰山町石丸宮ノ谷49 熊野神社 ? ―
峰山町杉谷荒神鼻400 須賀神社 10/上旬 楽台

 ◎旧・中郡大宮町
 ■大宮地区
   ⇒口大野(くちおおの)、奥大野(おくおおの)、上常吉(かみうねよし)、下常吉(しもつねよし)、三重(みえ)、三坂(みさか)、森本(もりもと)、周枳(すき)、河辺(こうべ)
大宮町口大野434 大野神社 10/中旬 神輿   
芸屋台、楽台  
山屋台、吹抜け廃絶  
大宮町奥大野660 若宮神社 10/10頃の日曜 楽台 神楽、太刀振り、笹ばやし
奉納相撲 戦後は行われていない
倉垣太刀振り保存会=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により、太刀振り太鼓屋台コマ取替。
大宮町上常吉入船谷48 冨持神社 10/2日曜 神輿
屋台
神楽、太刀振り
大宮町下常吉天谷110 天神神社 10/上旬 神輿 太刀振り
大宮町谷内146 若宮神社 10/上旬 神輿 太刀振り、笹ばやし廃絶
屋台 平成22年(2019)、玉田工務店の作。
大宮町三重 三重神社 10/上旬 神楽、笹ばやし
 地内には三社あり、例祭日も別々であったが、天明6年(1786)に9/21に統一し、明治15年以降は秋分の日とし、さらに10/10⇒10/上旬となる。
また神社合併については諏訪神社境内を拡張し、明治24年3月24日に合祀し三重神社と改称した。例祭日は合祀前の逆鉾神社・三谷神社の跡地から隔年ごとに三重神社へ神事の笹囃子と神楽が練りこむ。
大宮町三坂字干塩 三坂神社 10/上旬 神楽
春 祈年祭
例祭は6/28⇒11/9⇒6/20⇒10/10
大宮町森本当城328−1 大屋神社 10/上旬 太刀振り、笹ばやし
大宮町周枳1020 大宮売神社 10/上旬 神輿
笹ばやし、神楽、三番叟、太刀振り
例祭日は旧8/2午の日⇒10/10⇒10/1土日へ。笹ばやし・神楽・三番叟・太刀振、神輿などが奉納される。
周枳民芸保存会笹囃組=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により笹ばやし用具の新調。
大宮町河辺230 皇大神社 10/2土日 屋台
太刀振り 笹ばやしは廃絶
河辺太刀振保存会=「大宮町誌」によると、明治30年頃に府中(籠神社)より習得したと伝わる。
平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太刀振り太鼓屋台コマ取替。
 ■五十河地区
   ⇒五十河(いかが)、久住(くすみ)、新宮(しんぐう)、延利(のぶとし)、明田(あけだ)
大宮町五十河1065 中原神社 10/上旬 太刀振り、笹ばやし休止 平成21年頃より休止
大宮町久住165 木積神社 10/10頃の日曜 太刀振り、笹ばやし廃絶 式内社
大宮町新宮1551 三社神社 10/上旬 神楽廃絶
大宮町延利67 高森神社 10/連休 太刀振り、笹ばやし 宮津の江尻より習得するが、平成20年代後半より休止
大宮町明田960 心木神社 10/上旬 笹ばやし 例祭日は9/5⇒10/5⇒10/10⇒10/上旬と変わる
 ■長善(ちょうぜん)地区
    ※長岡・善王寺からなっていたが、昭和31年9月30日、長岡が峰山町、善王寺が大宮町にそれぞれ編入
大宮町善王寺竹下925 住吉神社 10/上旬 楽台 神楽
 【消滅集落】
滝谷(たきだに)=延利の枝村で東北部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期4戸?、大正初期に無住化。

大河内(おごうち)=上常吉の枝村で東部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期4戸、昭和18年無住化。

奥車谷(おくくるまだに)=上常吉の枝村で西部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期5戸?、昭和28年無住化。

大谷(おおたに)=河辺の枝村で北部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期11戸、昭和33年6戸、昭和40年無住化。大谷離村跡の碑あり。

内山(うちやま)=五十河の字で北東部。明治初期には16戸あったが、昭和初期には7戸になり、昭和10年(1935)には1戸となる。昭和48年(1973)にはこの1戸も下山し完全に廃村となる。
内山集落跡の碑があり、昭和48年4月6日離村と刻まれている。
現在は三柱神社の鳥居のみが残る。昭和55年遷宮。

 ◎旧・竹野郡網野町
 ■網野地区
網野町網野789 網野神社 10/連休 神輿(子供、初老)  
屋台1台  
 ■浅茂川地区
   ⇒浅茂川(あさもがわ)、下岡(しもおか)、小浜(こはま)
網野町浅茂川1496 日吉神社 7/30 神輿 境内社の水無月神社の祭り。神輿は明治37年頃の作。
10/12 例祭
網野町浅茂川東小路 朝日神社 5/5 子供神輿6基 子供相撲大会
網野町下岡1160 六神社 10/連休 三番叟   
網野町小浜浜道484 八幡神社 ? ―
 ■島津地区
   ⇒島津(しまづ)、仲禅寺(ちゅうぜんじ)、掛津(かけづ)、三津(みつ)、尾坂(おさか)
網野町島津宮垣1267 春日神社 10/連休 神輿
屋台1台
太刀振り 明治41年(1908)村の青年が宮津市一の宮の太刀振りを習得
例祭日は10/16⇒10/10⇒10/連休へ。神輿渡御・相撲・屋台が曳かれる。また昭和初期までは馬駈けもあった。
網野町仲禅寺宮ノ前543 貴船神社 ? ―
網野町掛津西山7−1 白瀧神社 10/10頃の日曜 神輿廃絶 昭和30年頃までは黒塗りの神輿があった
太鼓台
網野町掛津遊谷947(遊) 浜田神社 10/10頃の日曜 神輿
太鼓輿 平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太鼓輿修理
網野町三津オテジ2 八幡神社 10/連休 神輿、女神輿 神輿は太鼓輿や女神輿とぶつけ合いをする
太鼓輿
 ■郷地区
   ⇒郷(ごう)、切畑(きりはた)、生野内(いくのうち)、公庄(くじょう)、高橋(たかはし)、新庄(しんじょ)
網野町郷2112 大宇賀神社 10/10 例祭
上切畑(網野町切畑) 岩崎神社 10/1日曜 三番叟廃絶 戦前は境内で相撲も行われた
下切畑(網野町切畑) 若宮神社 ?  ―
網野町生野内下大クゴ443 生王部神社 ?  ― 式内社
網野町公庄竹クラベ100 郡立神社 旧9/13 例祭
網野町高橋寺谷811 二宮神社 旧9/15 例祭
網野町新庄引原口841 貴船神社 9/3 神輿 明治13年購入
 ■木津地区
   ⇒木津(きつ)、俵野(たわらの)、溝野(みぞの):日和田(ひわだ)
網野町木津女布谷217 売布神社 10/2日曜 例祭 式内社
網野町木津熊谷300 加茂神社 10/連休 山屋台2台 岡田、加茂川
岡田=明治38年に日露戦争奉祝記念に若者宿を中心に購入。昭和3年の昭和天皇の御大典で更に外飾りを施す。

加茂川
=大正初期に峰山より購入。 
網野町俵野136 八柱神社 ?  ―
網野町溝野111 眞玉神社 10/10 餅まき
 ■浜詰地区
   ⇒浜詰(はまづめ)、磯(いそ)、塩江(しおえ)
網野町浜詰字大成829 志布比神社 10/初旬 太鼓台、子供だんじり 式内社
網野町磯1556 静神社 ?  ―
網野町塩江 加茂神社 10/9、10 子供神輿 小学生が担ぎ、愛護会が補助して集落を廻る
太鼓山車廃絶 老朽化のため
 【消滅集落】
尾坂
(おさか)=尾坂寺の衰退に伴い門前村としての機能も衰えて、山上での農業経営の困難に加え、昭和34年(1959)の伊勢湾台風の被害のため、全6戸は翌年から離村を始め、同39年尾坂寺の堂守が山を下りたのを最後に全戸離村した。

日和田
(ひわだ)=江戸期は約50戸だったが、24戸となり、昭和36年には20戸となり、さらに昭和38年の豪雪による被害を契機に転出者が増加し、昭和40年には1戸となった。昭和51年より町農協計画の日和田畜産団地ができて、周辺から数人が入植して酪農経営を行っているが住民登録は無いらしい。
 鎮守の威徳神社(網野町日和田435)は残っているが、既に木津の加茂神社に合祀している。かつては例祭は8/24、25⇒10/10で、本社⇒御旅所の大川神社までの約300mを大名行列が渡行した。
順番は幟2本、法螺貝2、剣鉾、大笠、鉄砲、刀、横笛4、太鼓4は腰に付ける、御幣の順で紋付・袴姿で渡行した。

 ◎旧・竹野郡丹後町
 ■間人(たいざ)地区
    ⇒間人は東から岡成・谷・向地・小泊・小間東・小間西・砂方の7地区に区分される。
丹後町間人字岡成稲木原18 早尾神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は9/13
丹後町間人字谷 政勝稲荷神社 10/連休土日 神輿 例祭は9/15
子供屋台 当地区のみ屋台無し
丹後町間人字向地 愛宕神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は8/23
丹後町間人103(小泊) 秋葉神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は9/1日曜
丹後町間人108(小間東) 水天宮 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は4/24
丹後町間人108(小間西) 三嶋神社 10/連休土日 屋台(大小)
丹後町間人5037(砂方) 三柱神社 10/連休土日 屋台(大小)
 ■豊栄地区
    三宅(みやけ)、成願寺(じょうがんじ)、大山(おおやま)、徳光(とくみつ)、岩木(いわき)、矢畑(やばた)、是安(これやす)、吉永(よしなが):
    無住化:一段(いちだん)、神主(こうぬし)、力石(ちからいし)、相川谷(あいかわだに)
丹後町成願寺家の奥80−2 須和神社 ? ―
丹後町大山白岩922 志布比神社 9/3 例祭
丹後町徳光奥山2187−1 春日神社 ? ― 対岸の山を越えて竹野川流域に枝郷・西小田(にしこだ)の集落がある
丹後町岩木宮ノ越928 丹生神社 ? ―
丹後町是安松枝391 松枝神社 ? ―
丹後町吉永中尾18 吉永神社 ? ― 内垣・吉永・西谷の3地区に分かれる
 ■竹野地区
   ⇒竹野(たかの)、筆石(ふでし)、宮(みや)、此代(このしろ)
丹後町竹野宮ノ越659 竹野神社 10/10頃の日曜 テンキテンキ
丹後町筆石沖岡117 三柱神社 ? ―
丹後町宮宮谷245 竹野神社 10/10 神輿 宮1基、竹野2基出す
丹後町此代下路1343 熊野神社 ? ― 枝村に乗原(のんばら)・牧の谷がある
丹後町此代小字乗原520 八柱神社 10/連休 太鼓台
笹はやし
丹後町此代ワレハ13 八柱神社 10/連休 笹はやし
 ■上宇川地区
      平(へい)、中野(なかの)、遠下(おんげ)、鞍内(くらうち)、井谷(いたに)、畑(はた)
      無住化:三山(みやま)、竹久僧(たけきゅうそう)、小脇(こわき)
丹後町平下地828 八幡神社 ? 神輿 神輿の裏書きに天文3年(1534)とあり
丹後町中野城下236 三柱神社 ? ―
丹後町遠下風穴1219 依遅神社 秋 遠下のちいらい踊り
遠下のちいらい踊り=府指定無形民俗文化財。太刀振の中に組み込まれる形で伝わる。太鼓打ち1人、太鼓持ち1人、ササラ2人、バチ2人の6人の少年で演じられる。
丹後町鞍内80 八柱神社 ? ―
丹後町井谷家ノ上16 八幡神社 ? ―
丹後町畑家ノ上64 三柱神社 ? ―
 ■下宇川地区
   ⇒尾和(おわ)、中浜(なかはま)、久僧(きゅうそ)、上山(うえやま)、谷内(たにうち)、上野(うえの)、袖志(そでし)
丹後町尾和400 八柱神社 ? ―
丹後町中浜愛宕ノ下427 大野神社 ? ―
丹後町久僧521 豊住神社 ? ―
丹後町上山166−1 産霊神社 10/12 太刀振廃絶 上山寺の門前集落
丹後町谷内馬ツナギ305 立石神社 ? ― 上・中・下の三地区に別れる
丹後町上野815 六神社 10/10 例祭
丹後町袖志80 間主神社 10/祝日 曳き屋台
太刀振 神社で例祭の後、最初に万福寺で奉納する
 【消滅集落】
碇(いかり)=無住の出作耕作地だったが、昭和23年(1948)開拓団が入植し碇開拓村が誕生。戸数は10戸。しかし厳しい環境で昭和28年(1953)に離村し再び出作耕作地となるが、府の碇高原総合牧場建設に伴い、全域が京都府の所有となる。

栃谷(とちだに)=是安の字。明治初期は5世帯。昭和43年(1968)に最後の1戸が離村し無住となる。

乗田原(のたがはら)=行政区としては昭和22年(1947)竹久僧と合併。
明治4年(1871)、4戸。昭和40年(1965)3戸。昭和44年(1969)廃村。

一段(いちだん)=大正13年は24戸・130人。豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和45年(1970)に全戸離村。
 神社は五神社。昭和47年(1972)、是安の松枝神社に合祀され、祠のみ残る。

力石(ちからいし)=昭和32年(1957)4月7日未明の大火で26戸のうち24戸が焼失。さらに昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、昭和45年(1970)は2戸・2人となり、昭和50年(1975)に全戸離村。
 平成30年(2018)元の住民とその子孫により「力石集落碑」建立。鎮守は石久々里神社(力石右ヤキ695)。


三山(みやま)=明治17年(1884)、39戸。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和50年(1975)、残った12戸が町と交渉し三宅団地へ集団移転。
昭和50年(1975)「離村記念碑」建立。現在はキリスト教系のボランティア団体のコテージや別荘も出来ているという。
神社は三柱神社(深山畑下98)で三宅の三柱神社に合祀した。例祭日は10/10で、台車に乗せて太鼓輿が神社から出発し、一日中村内を巡行し、夕方神社へ帰ってきた。翌11日は運動会を行った。

神主(こうぬし)=大正13年は11戸・77人。昭和45年は6戸・15人。昭和50年(1975)2戸・12人。昭和53年(1978)に全戸離村。
 三柱神社は昭和44年9月、吉永神社に合祀。

竹久僧(たけきゅうそう)=昭和25年(1950)、12戸・60人。昭和38年(1963)の豪雪で壊滅的な被害を受けその年にうちに集団離村。翌昭和39年(1964)廃村となる。
 跡地は国有林。昭和49年(1974)「離村記念碑」建立。神社は三柱神社。

大石(おおいし)=明治33年(1900)、弥栄町野間から丹後町に移管。昭和25年(1950)には9戸・38人。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、昭和50年(1975)2戸・12人。昭和53年(1978)全戸離村。

小脇(こわき)=明治21年(1888)、16戸。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、平成元年(2015)廃村となる。
 神社は春日神社(小脇290)。


相川谷(あいかわだに)=往古は6戸。昭和50年は3戸・9人だった。昭和60年(1985)頃に無住となるが、平成25年(2013)頃までは元・住人が通い畑作を続けていたという。
 神社は三柱神社。

 ◎旧・竹野郡弥栄町
 ■溝谷地区
    溝谷(みぞたに)=旧・弥栄村の中心地
    等楽寺(とうらくじ):等楽寺の門前村。かつて11の枝郷があって山間部に散在していたが、明治中頃までに岩野(いわの)・ミイガクゴ・芦谷(あしだに)・二俣(ふたまた)・おさ津が、昭和20年以降六谷(ろっこく)・中尾引(なかおびき)・吉津(よしづ)・畑(はた)・高原(たかはら)などが廃村となり、現在堀越(ほりこし)の集落だけが残る。
弥栄町溝谷46−2 溝谷神社 10/2土日 神輿2基 氏子は溝谷・等楽寺
太鼓輿、子供の太鼓台
 ■吉野地区
   ⇒吉沢(よっさわ)、芋野(いもの)、堤(つつみ)
弥栄町吉沢家ノ山207−1 早尾神社 10/連休(元・10/13) 子供太鼓台 南約2kmの山中に分村の小原や端郷の表山(おもてやま)がある、表山は昭和34年に廃村となる。 
弥栄町芋野長尾28−1 石上神社 10/連休(元・9/14) 子供太鼓台  
弥栄町提サト182−3 三柱神社 10/連休 例祭
 ■鳥取地区
   ⇒鳥取(とっとり)、木橋(きばし)、和田野(わだの)
弥栄町鳥取宮ノ森305−2 吉田神社 10/連休(元・9/16) 太鼓輿
弥栄町木橋宮山26−2 日吉神社 10/連休 神輿
子供太鼓台
弥栄町和田野上地472 春日神社 10/連休 屋台、太鼓輿
 ■深田地区
   ⇒黒部(くろべ)、船木(ふなき)、小田(こだ)、国久(くにひさ)、井辺(いのべ)
弥栄町黒部深田411 深田部神社 10/連休
(元・旧9/8、9)
神輿2基
太鼓輿
黒部の踊り子
黒部の踊り子=府指定無形民俗文化財。弓持ち1名と傘鉾3基を伴って大太鼓、腰付、ササラ、各6名の踊り子と、鬼1名で構成されている。鬼は厄年の大人がつとめ、これ以外は少年が役につく。
弥栄町船木奈具273 奈具神社 10/連休 船木の踊り子

船木の踊り子=府指定無形民俗文化財。太鼓・カンコ・ササラ各4名の踊り子と鬼1名のほか、傘鉾1基によって構成されている。大太鼓の持ち手は「大将」と称する最年長者がつとめ、この大将が踊り子を統率する。また、鬼以外の役はすべて少年がつとめ、船木の子供達はまずササラ役からはじめて、カンコを経て、大太鼓と順次繰りあがり、大将をつとめて踊り子を退く。

弥栄町小田中地135 八柱神社 10/連休 例祭 旧称は八大荒神。
弥栄町国久石ケ谷214−2 國原神社 10/連休 曳き屋台 昭和63年制作。土日に村内を曳行
三番叟廃絶 大正の頃まで奉納。現在でも面はある
弥栄町井辺穂曽長943 穂曽長神社 10/連休 例祭
 ■野間地区
     須川(すがわ):須川・吉野・来見谷・霰・大石・味土野の6集落
     野中(のなか):野中・川久保・田中・中津・中山の5集落
弥栄町須川205−3 三吉神社 10/連休 例祭
弥栄町須川味土野125 金山神社 10/連休 例祭
弥栄町須川味土野125−2 聖神社 10/連休 例祭
弥栄町須川大谷74−1 大谷神社 10/連休 例祭
須川=須川・吉野・来見谷(くるみたに)・霰(あられ)・大谷・味土野の6集落より成る。また味土野の端郷に小杉(こすぎ)・三舟(みふね)の2集落がある。明治末期〜昭和30年代にかけて多くの端郷が消滅した。
弥栄町野中1985 大宮神社 10/連休(元・旧9/9) 楽、太刀振、獅子神楽
弥栄町野中住山331−1 丸山神社 10/連休 例祭
弥栄町野中339−1 小金山神社 10/連休 例祭
 【消滅集落】
おさ津=等楽寺の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期3戸?、明治40年頃無住化4戸。

二俣(ふたまた)=等楽寺の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期2戸?、明治末期無住化。

六谷(ろっこく)=等楽寺の字で西部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期4戸?、昭和25年無住化。

中尾引(なかおびき)=等楽寺の字で西部。碑あり。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期4戸?、昭和30年頃無住化。

吉津(よしづ)=等楽寺の字で東部。「ふるさと吉津の跡」の碑あり。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期15戸、昭和34年9戸、昭和41年無住化。
昭和42年離村。かつて21戸。


畑(はた)=等楽寺の字で中部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期14戸?、昭和35年9戸、昭和44年頃無住化。
 ※須川:7つの小集落があった。戸数は14戸で、住山(すみやま)5戸・熊谷(くまたに)1戸・尾崎(おざき)1戸・平家(へいけ)1戸・茶園(ちゃえん)2戸・黒川(くろかわ)2戸・出合(であい)2戸であった。
神社は住山・熊谷で丸山神社を拝んだが、離村を機に野中の大宮神社に合祀した。例祭日は10/10で幟を立て太鼓を叩いて祭りを行った。
 住山(すみやま)
=須川の字。昭和38年の豪雪がおもな原因で住民は移転し、無人化となる。

 熊谷(くまだに)=須川の字で西部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期2戸、大正初期1戸、昭和37年無住化。

 尾崎(おざき)=須川の字で西部。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期2戸、大正初期1戸、昭和38年無住化。
 
 平家(へいけ)=須川の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期1戸、昭和38年無住化。

 茶園(ちゃえん)=須川の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期3戸、昭和35年1戸、昭和38年無住化。

 黒川(くろかわ)=須川の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期2戸、昭和27年1戸、昭和40年無住化。

 出合(であい)=須川の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期3戸、昭和38年1戸、昭和40年無住化。

大石(おおいし)=野中の一部だったが、八木村成立時に分離編入された。
大正13年は8戸・51人。昭和30年は9戸・37人。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和53年に全戸離村。
 鎮守は大石神社(大石498)。

味土野(みどの)=
須川の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期44戸、平成2年3戸。

 小杉(こすぎ)=味土野の小字。木地屋集落。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期9戸、昭和33年5戸、昭和39年無住化。

川久保
=野中の字。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期7戸、昭和48年4戸、昭和56年より冬期無住世帯1戸、平成元年1戸」とあるが、昭和55年離村との情報もある。

 ◎旧・熊野郡久美浜町
 ■久美浜1区地区
   ⇒西本町区・新町区・向町区・仲町区・土居区・栄町区・十楽区・東本町区・新橋区
久美浜町1314(新町) 神谷太刀宮
(公式HPへ)
10/2土日 神輿 あり
太鼓台5台 美城山、松江山、双葉山、神楽山、霧島山
2月節分の日 節分祭
神谷神社とも称する。式内社、旧・郷社。氏地は久美浜1区9集落。西本町区・新町区・向町区・仲町区・土居区・栄町区・十楽区・東本町区・新橋区。
宵宮は簡易な作りの日和神楽が出る。本宮は太鼓台(だんじりともいう)が出る。
美城山⇒西本町・新町区。鉢巻きの色は白。

松江山⇒向町区。鉢巻きの色は紫。

双葉山⇒仲町・土居・栄町区。鉢巻きの色は桃。

神楽山
⇒十楽区。鉢巻きの色は赤。平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太鼓台収蔵庫の整備。
 子供山もあり。


霧島山
⇒東本町・新橋区。鉢巻きの色は緑。
=飾蒲団は平成13年復元新調。以前のは大正10年(1921)制作。
 ■久美浜2区(久美谷)地区
   ⇒神谷(かんだに)、河梨(こうなし)、口馬地、奥馬地(おくまじ)、三谷(みたに)、栃谷、甲坂
久美浜町神谷 旗指神社 10/連休土日 太鼓台1台、 子供太鼓台1台 三番叟
久美浜町河梨大谷 熊野新宮社 10/連休土日(元・17) 太鼓台(大小) 三番叟
久美浜町口馬地若宮684 三社神社 10/連休土日 餅まき
久美浜町奥馬地201 村岳神社 10/連休土日 太鼓台1台
口三谷(久美浜町三谷小頃瀬) 小頃瀬(こころせ)神社 10/連休土日 子供だんじり1台
久美浜町三谷499(奥三谷) 大森椿原神社 10/連休土日 太鼓台(大小)
久美浜町栃谷167 深谷神社 10/連休土日 太鼓台1台 三番叟も行う
久美浜町甲坂1246 山木神社 10/連休土日 太鼓台1台 三番叟
栃谷と甲坂は元は1つの集落だったが、昭和20年代に分離。栃谷区の三番叟は大人の舞、甲坂区は子供が舞っていた。
 ■川上地区
   ⇒市野々(いちのの)、布袋野(ほたいの)、畑(はた)、金谷(かなや)、市場(いちば)、出角(いずすみ)、須田(すだ)、新庄(しんじょ)
久美浜町市野々宮ノ上 天満神社 4/2日曜 子供神輿
久美浜町布袋野 河上三神社 4/中旬(元・15) 三番叟
久美浜町畑菅森 菅森神社 4/中旬 例祭 地内は東畑・西畑に分れる
久美浜町金谷今ゴ田791 三島田神社 4/中旬(元・15) 神輿 氏子は畑・金谷・須田。式内社
だんじり1台
太神楽舞の分担は金谷、たいまつをとぼし太鼓の先触れで神輿を先導する奴は須田、境内での相撲は畑と、それぞれ分担が決まっていた。
久美浜町市場向山 産霊七社神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町出角宮ノ谷718 伊豆志彌神社 4/中旬 例祭 式内社
久美浜町新庄  大西神社 4/2土日 担ぎだんじり1台
 ■海部地区
   ⇒海士(あま)、油池、坂井、友重、品田(ほんで)、橋爪(はしづめ)、島(しま)、芦原(あしわら)、新谷、谷(たに)
久美浜町海士 矢田神社 4/中旬 神輿
だんじり1台、子供だんじり1台 式内社。氏地は海士、橋爪
久美浜町油池下寄 伊吹神社 4/中旬 例祭
久美浜町坂井永助 御陵神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町友重式ノ谷 聽部神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町品田大谷宮 熊野若宮三社神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町島 八立神社 4/中旬 例祭
久美浜町芦原 芦高神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町新谷向畑387 竹谷神社 4/中旬 例祭
久美浜町谷259 三柱神社 4/中旬 例祭
 ■田村地区
   ⇒一分(いちぶ)、大井、関(せき)、三原(みはら)、三分(さんぶ)、平田
久美浜町一分291 持田神社 4/中旬 神輿、三番叟
だんじり1台
久美浜町大井644 広峰神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町関家ノ上 蛭子神社 4/中旬 だんじり1台、子供だんじり1台
久美浜町三原坂尻202 八柱神社 ? ―
久美浜町三原石橋283 伊吹神社 ? ―
久美浜町三原宮ノ前614 武神社 ? ―
久美浜町三分 意布伎神社 4/中旬 三番叟
久美浜町平田306−1 八代神社 4/1日曜(元・3) だんじり1台、子供だんじり1台
 ■神野地区
   ⇒甲山(こうやま)、神崎、浦明(うらけ)、長柄、鹿野(かの)
久美浜町甲山1313 丸田神社 4/中旬 だんじり1台 式内社
久美浜町神崎998 雲晴神社 4/中旬 だんじり1台、子供だんじり1台 元・4/15 
久美浜町浦明277 春日神社 4/中旬 だんじり2台
久美浜町鹿野224 八幡神社 9/連休土日 神輿
だんじり1台
 ■湊地区
   ⇒葛野(かずらの)、湊宮(みなとみや)、大向、蒲井
久美浜町葛野416−1 岩船神社 10/連休土日 子供神輿もあり
だんじり1台
湊宮=西天橋(小天橋)砂嘴先端にある湊宮と、その東側の函石、さらに神戸(ししど・しど)の海を隔てた西側の河内(かっち)、廃村になった山内(さんない)からなる。
久美浜町湊宮54 清水神社 ? ―
久美浜町湊宮109 大福神社 ? ―
久美浜町湊宮468−10 意布伎神社 ? ―
久美浜町湊宮1662 蛭兒神社 10/27前の土日 神輿
だんじり1台
磯砂会=1975年、府道建設計画の際、土地所有で神社と湊宮区でもめ、永らく祭礼にしなかったが、2007年和解。2008年、20年ぶりに神輿巡幸、稚児行列復活。2009年、だんじり曳行復活。
久美浜町大向168−1 広峰神社 10/連休土日 だんじり1台
だんじり=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業によりだんじり小屋の屋根修理。
久美浜町蒲井437 八坂神社 ? ―
久美浜町蒲井557−1 旭神社 ? ―
 ■上佐濃地区
   ⇒尉ヶ畑(じょうがはた)、二俣(ふたまた)、小桑(こぐわ)、佐野、安養寺(あんようじ)、野中(のなか)
久美浜町尉ヶ畑 二宮神社 4/中旬(元・15) だんじり1台
久美浜町二俣順出96 賀子神社 4/中旬 だんじり1台 二俣の端郷に奥山がある。昔は18戸。
久美浜町二俣石本 大森神社 9/16 例祭
久美浜町小桑 八坂神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町佐野地ワ177 矢田八幡神社 4/中旬 だんじり1台
例祭日は旧暦8/15⇒4/15(明治27年より)⇒4/中旬へ。往古は渡御・長刀振・太鼓打・太鼓台・相撲・芝居などで賑わった。
久美浜町安養寺512 三玉神社 4/中旬 例祭
久美浜町野中石峠460 天満宮 4/中旬 太鼓台1台、 子供太鼓台1台
 ■下佐濃地区
   ⇒円頓寺(えんどんじ)、長野、坂谷、竹藤、女布(にょう)、丸山(まるやま)、永留(ながどめ)、郷(ごう)
久美浜町円頓寺 三柱神社 4/中旬 例祭
久美浜町長野北側69 大岸神社 4/中旬 例祭
久美浜町坂谷峠谷60 三柱神社 4/中旬 例祭
久美浜町竹藤森岡89 貴船神社 4/中旬 だんじり2台(大小)
久美浜町女布724 売布神社 4/2日曜(元・15) 神輿 氏地は女布・谷・安養寺・郷・円頓寺・丸山・野中
だんじり2台 女布、丸山
例祭日は9/2牛の日⇒4/15⇒4/2日曜となる。7ヶ村(現在は6ヶ村)合同の祭礼で、以前は郷からもだんじりが来ていたが、現在は丸山のだんじりだけが来る。丸山のだんじり・神輿・女布のだんじりの順に宮本に当たる女布を巡行する。
久美浜町永留213 高岡神社 4/中旬 神輿 地内は本谷・地家(じげ)・茶屋の3地区よりなる。
だんじり1台
久美浜町郷228 大森神社 4/中旬 だんじり1台
 【消滅集落】
山内(さんない)=湊宮の字で北西部。「山内部落離村の碑」あり、京都府の行政措置により全戸離村とある。
論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期11戸、昭和43年頃無住化。

 ≪与謝郡≫     
 与謝野町
 平成18年(2006)3/1、与謝郡野田川町+加悦町+岩滝町が合併。
 ◎旧・野田川町
     三河内(みごち)
     石川:上地、中地、下地、川上、大宮、亀山、堂谷と七区に分かれている
     下山田、上山田
     四辻
     幾地
     岩屋
三河内1453 倭文神社 5/2〜4
(元・25
)
神輿
大幟、山屋台5台、楽台4台、芸屋台4台、子供屋台6台 梅之町、下之町、表町、 上之町、奥組、中組
各屋台は御旅所に集合し、二輪の台車に大きな幟を立てた大幟を先頭に、神楽殿・山屋台・子供屋台計12基を連ねて神社へと町内を巡行する。
 ≪行事予定≫
■5月2日:神幸祭
(19:00〜)倭文神社を出発
■5月3日:宵宮
(19:00〜)打出所出発
(22:00〜)大道町内、打別れ

■5月3日:倭文神社例祭・余興巡行
(15:00〜)打出所出発
(17:00〜))倭文神社、打別れ
(20:30〜)余興巡幸。中坪町内、打別れ
 ◎梅之町(梅谷町)
大幟
=御祭神は天羽槌雄之命。 
宝永5年以来、倭文神社祭典を司るため三河内発祥の地と言われる梅谷の大幟を先等に位置し祭事が進められたと伝えられる。永保5年、大幟を出している。


幟屋台は令和6年(2024)新調。76年ぶり。高さ6m。幅1.6m。奥行3.3m。台車の直径は1.5m。
以前のは昭和23年新調。


子供屋台=あり。
 ◎神楽殿(神楽組):町名は下之町、下地
神楽殿
=御神体は獅子頭。獅子頭2頭を乗せて神楽舞を奉納しながら巡行する。3日は社務所や各町内の御旅所で舞う。4日は打出所と倭文神社境内で舞う。
高さ3.65m。幅2.27m。奥行3.15m。
胴幕の水引幕は「獅子に牡丹の花」。

子供屋台=あり。
 ◎春日山(表町):町名は大道町
春日山=御祭神は武甕槌命(鹿島大神)。昭和15年、皇紀2600年を祝して屋台と幕を新調。高さ4.5m。幅3m。奥行3.7m。
水引き幕・胴幕の作者は、四代目絹常小紫雅康か?。水引き幕:正面は「源頼朝と仁田四郎忠常の富士の巻狩り」、右は「坂田金時鯉退治」と「隠岐次郎左衛門鷲退治」、左は「源満仲龍退治」と「加藤清正虎退治」。

楽台=あり。
子供屋台=平成16年修復。
芸屋台=昭和35年が最後の巡行。平成15年(2003)11/3、組立技術の継承のため43年ぶりに組立てる。

 春日山永代帳には最古の記録は文化3年(1806)である。この年に、担い屋台創建。明治25年山屋台創建。
 ◎八幡山(中組):町名は中坪
八幡山
=御祭神は応神天皇(誉田別命)。高さ4.6m。幅2.95m。奥行3..62m。
創建は不詳だが、文政元年(1818)に修復の記録あり。

楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=あるが出ていない。
 ◎浦嶋山(上之町):町名は上地=明治25年(1892)、出村町(愛宕山)縄手町(稲荷山)が合併して上之町として誕生。
浦島山
=山車名を浦島山とするも御祭神は愛宕と稲荷の両神をお祀り。昭和63年新調。高さ4.87m。幅3.31m。奥行4.24m。
胴幕は「宇良神社の浦島明神縁起」。

楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=あるが出ていない。
 ◎倭文山(倭文町):町名は奥組、奥地
倭文山=御祭神は倭文大神。高さ4.7m。幅3m。奥行3.65m。

楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=平成19年(2007)、組立技術の継承のため約40年ぶりに出す。前回は昭和40年代。
石川字慈観寺 大命神社 4/4土日 笹囃子
石川大宮4990 大宮神社 4/4土日 太刀振り
石川矢田4626 矢田部神社 4/4土日 太鼓屋台1台 太刀振り
石川物部2013 物部神社 4/4土日 子供屋台巡行
神楽舞
石川6241(亀山) 稲崎神社 4/4土日 子供屋台巡行 宵宮のみ
神楽舞
上記の地区は13:00に石川農業改善センター(石川759)に集合し、物部神社で奉納後、神楽・太刀振り・笹ばやし・太鼓屋台が町内を巡行し、16:00大宮神社の舞台で奉納して解散
石川堂谷1−1 多田神社 4/4土日 子供芸屋台1台
下山田84 小聖神社 9/15 楽屋台4台廃絶 明治末期まで1.5m四方の楽屋台あり
4/4土日 太刀振り
4/4土日
下山田1511 明鏡神社
太刀振りは大正14年の国鉄宮津線丹後山田駅開業を記念して導入で、以前は9月15日に行われた。
上山田960 苦無神社 4/4土日 太鼓屋台1台 苦無山
上山田1304 弥刀神社 太刀振り(弥刀山)
砂切(苦無山)
太刀振りは大正大正天皇御即位を記念して導入で、以前は9月6日に行われた。
「野田川町誌」には昭和期の例祭には芸屋台や子供の楽屋台ありとある。昭和2年の北丹後地震で消失か?
四辻27・28 八幡神社 4/最終土日 神輿(男女) 14:00〜出発
太鼓屋台2台 八幡山
神楽舞、雅楽、稚児行列
9/9 秋祭り 本来の例祭日
幾地1098 深田神社 4/最終土日 神輿 深田神社例祭祭典委員会
太鼓屋台1台 深田神社例祭祭典委員会
篝火 幾地芸能保存会
神楽舞 幾神会
7/下旬 夏祭り
11/中旬 秋祭り
岩屋森谷763 阿知江石部神社 4/最終土日 神楽舞 岩屋神楽組
太鼓屋台4台 宮本組、子安組、西林地組、奥地組
宮本組(部山)
子安組(部山)
西林地組(天神山)
奥地組
(愛宕山)
 ◎旧・加悦町
 ■加悦地区
     加悦(かや):小字として大下・笹壁・上ケ石・宮野・小井根・福井・上組・花組・中市・後小路・下組・大橋
     算所(さんじょ)
     後野(うしろの)
     加悦奥(かやおく)
加悦天神山50−1 加悦天満宮 4/最終土日 神輿 加悦区・算所区
囃子屋台2台 算所区(天神山)、上之町〔三輪山)
子供芸屋台 下之町(稲荷山)、花組(岩戸山)、
芸屋台廃絶 4町にあり子供歌舞伎を行うが、昭和34,5年頃に無くなる
神楽舞 加悦神楽保存会
算所区(天神山)=囃子屋台。制作年、大工等は不詳。人形は、大正13年修理の記録がある。平成14年(2002)修復。
 子供屋台もあり。

上之町(三輪山)
=囃子屋台。
御神像として龍神像が残っているが、その箱書に天明6年(1786)に大工冨田平兵衛が制作したことが記載されており、この頃に山屋台が存在したと思われる。
下之町(稲荷山)=子供芸屋台。大体3年に1度巡行。

加悦区花組(岩戸山)=子供芸屋台。毎年は出ない。

加悦区中市(蛭子山)=子供芸屋台。毎年は出ない。
神楽舞(加悦神楽保存会)=二頭舞。かつては加悦区橋本町が担ったが、後継者不足で断絶し、加悦区全体で有志を募り再興。
後野31−13 愛宕神社 4/最終土日 芸屋台1台 宮本町(愛宕山)
囃子屋台3台 上之町(蛭子山)、中之町(大黒山)、下之町(三輪山)
鼓屋台1台 大下町(建部山)
神楽舞 後野神楽保存会
愛宕山(宮本町)=芸屋台。明治初期制作。御神体は将軍地蔵。平成2年、28年ぶりに子供歌舞伎復活。現在は隔年で上演。
見送り幕は昭和29年(1954)制作。金糸で愛宕山と刺繍が入る。
 子供屋台
=子供歌舞伎が無い年に曳行。
上之町(蛭子山)=囃子屋台。昭和23年(1948)新調。御神体は蛭子像。見送り幕は明治39年(1906)制作、「関羽と張飛」。
 文久元年(1861)に芸屋台再建の史料があるので、それ以前にあったと分かる。明治42年(1909)修復。この旧・屋台は新調に伴い金屋区に売却。また見送りの箱蓋裏書きに寛政2年(1790)7月とある。この見送り幕も金屋区に売却。
 子供屋台は昭和7年(1932)制作。
 担い屋台は明治41年(1908)2月5日付けで全廃の記録あり。

中之町(大黒山)=囃子屋台。明治30年代制作。御神体は大黒天。間口2.3m。奥行3.3m。高さ4.7m。
 加悦町史によると、安政3年(1856)に子供役者2人雇った記録があるので、江戸後期は芸屋台と分る。

下之町(三輪山)=囃子屋台。山屋台を芸屋台に改造。
明治26年(1893)制作。御神体は龍体の三輪明神。見送り幕は大正8年(1919)新調。
 明治22年(1889)の囃子道具の記録あり。
大下町(建部山)=鼓屋台。昭和22年(1947)中古で白木屋台を購入。昭和55年(1980)から1年がかりで漆塗りをした。
 以前は担い屋台があった記録あり。
神楽舞(後野神楽保存会)=昭和53年(1978)結成。明治中期の農閑期に他地域に習得に行く。かつてはいななき町が神楽組を務めた。
加悦奥1328 一宮神社 4/最終土日 太鼓屋台3台 上組(稲荷山)、中組(蛭子山)、下組(春日山) 
加悦奥365 二宮神社
加悦奥中屋492 七谷神社
神楽舞 加悦奥神楽保存会
 ■与謝地区
   ⇒与謝(よざ)、滝(たき)、金屋(かなや)
与謝1098 菊部神社 4/4最終土曜 子供太鼓台 山河地区
神楽・曳き屋台廃絶
与謝二ッ岩4 柴神社 4/最終土日 子供屋台
与謝109(二ッ岩) 二ッ岩神社 担い太鼓屋台
神楽舞
二ッ岩地区の氏神は柴神社であるが、地内の二ッ岩神社・愛宕神社の三社合同で祭礼を行う。本宮では子供屋台は午前から、午後の祭礼では二ッ岩公民館⇒愛宕神社⇒二ッ岩神社⇒柴神社の順に巡行する。
与謝510(宇豆貴地区) 宇豆貴神社 4/最終土日 神楽舞、太鼓
山河地区(菊部神社)・二ッ岩地区(柴神社)・宇豆貴地区(宇豆貴神社)には以前は三社組と称する組織があり、三地区合同で祭礼が行われたが終了し、祭祀の道具は三社に分配し山河は不明だが、二ッ岩は太鼓、宇豆貴は傘鉾が分配された。
与謝(峰地区) 上宮神社 4/最終土日 神楽舞
与謝2294 下宮神社 4/最終土日 担い屋台
与謝1502 武神社 子供屋台
神楽舞
旧加悦町では唯一複数の氏神を合同の祭礼で行う。北・中里・河原・段之坂地区で神楽・担い屋台・子供屋台を扱う。
滝204−1(奥滝) 厳島神社 4/最終土日 子供屋台 昭和初期に青年団が購入。
滝2593(奥滝) 鎌倉神社 神楽舞
滝139(口滝) 畠中神社 4/最終土日 太鼓屋台1台 口滝地区
担ぎ屋台廃絶
神楽舞 12組あり、毎年2〜3組が輪番で務める
太鼓屋台=子供屋台とも称する。屋根に彫刻を施した黒漆塗りの曳き屋台。
 担ぎ屋台=青年屋台とも称する。いつしか出されなくなり、解体されて部材のいいところは子供屋台に転用。
金屋9−2 国守神社 4/最終土日 子供屋台1台
金屋245−1 長宮神社 神楽舞
芸屋台、担い屋台廃絶
子供屋台=後野区より譲り受けるた芸屋台と子供屋台の部材を組み合わせて「宮山」と称した。平成16年(2004)の頃らしい。
見送り幕は祭礼には掛けられず、祭りの前後1週間金屋公民館に飾り付けられる。
見送り幕も後野区より購入で寛政2年(1790)7月、京都市の橋本利兵衛の銘がある。
神楽舞=5つの組に分け、輪番制で毎年1組が神楽組を担う。昭和62年(1987)に作成された記録によれば、日清戦争戦勝記念として明治29年(1896)に旧・岩滝町から導入したと記されているが、宮津市日比谷地区から伝授されたとも伝えられる。
担い屋台=昭和7年(1932)から8年頃にはあったとされる。

芸屋台=昭和23年(1948)頃に後野区の上之町より購入し子供や武器が演じられたが、昭和38年(1963)を最後に途絶え、部材は子供屋台の一部となる。
 ■桑飼地区
   ⇒温江(あつえ)、明石(あけし)、香河(かご)
温江1821 大虫神社 4/最終土日 神楽、太刀振り 太刀神楽保存会
温江103 小虫神社
大虫神社氏子は温江の虫本、奥手、湯之谷の3地区、残りの地区は小虫神社の氏子は温江の尾上、谷垣、門出、尾佐、小森谷、本村の6地区。
祭礼は小虫神社と合同で行われ、神楽と太刀振りが奉納される。例祭は10/30⇒4/21⇒4/24、25⇒4/最終土日〔平成13年(2001)より〕と変遷した。
 
明石599 須代神社 4/最終土日 神楽舞 神楽保存会
太鼓屋台4台 式内社
明石2123 日吉神社
庄ヶ崎=須代山。太鼓屋台。大正元年制作。
 傘鉾もあり。

棒賀・倉ヶ崎=太鼓屋台。昭和9年制作。


日産(日吉山)=太鼓屋台。

大代=太鼓屋台。
香河98−1 愛宕神社 4/最終日曜 神楽舞
香河175−1 三谷神社 4/最終日曜 神楽舞
香河425−1 一之坂神社 4/最終日曜 神楽舞
香河480−1 山添神社 4/最終日曜 神楽舞
加悦谷祭りは、毎年4月末に加悦町民が総出で行う伝統的な祭礼行事である。江戸時代から伝えられて、明治中頃に現在の形態になったと推定される。祭礼は、屋台巡業と神楽舞を基本とする。かつて例祭日は4/24、25だったが、今は4/4土日に変更した。
 【消滅集落】
深山(みやま)=滝の枝村。3戸ほどあったらしい。

大田和(おおたわ)=滝の枝村。6戸あったが昭和35年頃より、離村が始まり昭和46年に最後の1戸が離村。

鹿熊(かのくま)=滝の枝村。5戸ほどあった。


 ◎旧・岩滝町
   ⇒岩滝(いわたき)、男山(おとこやま)、弓木(ゆみき)
岩滝582 板列(いたなみ)稲荷神社 5/1(毎年) 神輿 岩滝連合区
芸屋台 浜町
神楽舞。天狗付き 浜町・立町・藪後・東町
男山178 板列八幡神社 5/1(毎年) 神輿
弓木408 木積神社 5/1(毎年) 神輿(水無月神輿・木積神輿) 1年毎に交互に渡御
神楽舞 弓木区
太刀振、笹囃子 石田区
神輿=明治29年制作。
弓木区=神輿は隔年渡御。神楽舞

石田区=神輿は隔年渡御。太刀振り、笹囃子。
 【消滅集落】
蛇谷(じゃたに)=男山の枝村。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期10戸、昭和29年3戸、昭和36年に無住化。

 伊根町
 ■伊根地区
   ⇒平田(ひらた=西平田・東平田・大浦)、亀島(かめしま=高梨・立石・耳鼻・亀)、日出(ひで)
平田(亀島宮山3) 八坂神社 7/27、28 神輿
船屋台4隻 ※大祭の時に出す。昭和期に4回出した
太刀振り、神楽  
 例祭には平田は稚児舞、亀島は棒振り・太刀振り・神楽、日出は神輿が巡幸。
大祭は明治期に7回、大正期に5回、昭和期は9年(1934)、26年(1951)、45年(1970)の3回。最近では2012年に7年ぶりに1艘出た。

大祭の年は平田地区は大和舞・人長舞・芝居・狂言等の演劇等を奉納。亀島地区からは船屋台4艘が海上を渡御する。
亀山区(宝来山)=制作年代不詳。

耳鼻区(稲荷山)
=宝暦11年(1761)湾内で捕獲した鯨の収益金で作られたと言われる。

立石区(神楽山)
=明治初年に再建。

高梨区(蛭子山)=明治20年頃に再建。
 ■朝妻地区
   ⇒
大原(おおはら)、新井(にい)、井室(いむろ)、六万部(ろくまんぶ)、泊(とまり)、津母(つも)、峠(とうげ)、畑谷(はただに)
大原岡ノ上431  八坂神社 4/15 子供の手作り神輿
太刀振り、相撲、雅楽廃絶
新井松川8−3 新井崎神社 4/15 太刀振り、花の踊り
泊宮垣36 七神社 4/15 太刀振り、花の踊り 井室から神楽、六万部から相撲が奉納された
津母小川64 八坂神社 4/15 太刀振り、花の踊り
峠上山194−1 三柱神社 4/15 太刀振り休止
 ■筒川地区
   ⇒菅野(すがの)、野村(のむら)、本坂(ほんざか)
菅野宮山1991 上山神社 4/25頃の日曜 太刀振り、神楽  
菅野宮ノ前1191−1(越山) 越山神社 ? ―
滝根(菅野滝根1757−1) 中山神社 ? ―
成(菅野成100) 八幡神社 ? ―
菅野は菅野・越山・滝根・湯の山・成・足谷・福の内・入リ道を含む農山村地域全体で、各集落は田原川およびその支流沿いに散在。すでに廃村と化している集落もある。
野村寺領3493 猿田彦神社 ? ―
野村271 八幡神社 ? ―
野村5253 大山祇神社 ? ―
薦池(野村) 三柱神社 10/5 例祭
河来見(野村) 三柱神社 4/25頃の日曜 太刀振り、花の踊り休止
野村は筒川地区から碇峠を越して上山に通ずる道沿いに集落がある農山村地域で寺領、薦池、河来見、朴丸、野村、吉谷、田坪などの集落が点在する。
本坂175−2 八重垣神社 3/3 例祭
 ■本庄地区
   ⇒本庄浜(ほんじょうはま)、本庄上(ほんじょうあげ)、本庄宇治(ほんじょううじ)、野室(のむろ)、長延(ちょうえん)、蒲入(かまにゅう)
本庄浜191 宇良神社
(奉賛会HPへ)
8/7頃の土曜か日曜 太鼓台  
太刀振り、花の踊り
2/節分の日 節分祭
 ■土曜
(20:00〜)宵宮
 ■日曜
(9:00〜)祭礼奉納奉告祭(太刀振り・花の踊りが奉納)
(12:30〜)直会
 ■月曜(=地下祭)
各地に帰って、鎮守(本庄上は地内今田26−2の三柱神社、野尻258の三柱神社、殿村800の八柱神社。本庄宇治は三柱神社)に同じ太刀振り・花の踊りを奉納。
 ■火曜
(11:00〜)例祭
 現在は本庄浜、本庄上、本庄宇治の祭礼で、本庄浜と本庄上から太刀振りと花の踊りが奉納される。
往古は本庄・筒川・朝妻地区にわたる13ヶ村の郷社で大正の頃まではそれらの村々から多彩な芸能奉仕があった。また戦前までは蒲入や長延が参加していた。
野室宮ノ後95 八柱神社 ? ―
長延宮坂1219 古森神社 8/6 例祭
蒲入真島92 真嶋神社 8/3、4 太刀振り、花の踊り
 【消滅集落】
吉谷=野村の枝村。昭和52年離村。かつて39戸。

田坪(たつぼ)=野村の枝村。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期14戸、昭和37年11戸。昭和42年に無住化。

足谷(あしだに)=菅野の枝村。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期23戸、昭和40年13戸。昭和53年に無住化。
 神社は下山神社(足谷1147−1)。

福之内(ふくのうち)=菅野の枝村。「福之内集落の跡」の碑あり。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期18戸、昭和40年9戸。昭和47年に無住化。
 神社は桑飼神社(福ノ内3562−2)。