ドイツ人のケチ精神

 経済性を重視し、できるだけ節約をすることは立派な美徳です。この経済性を重んじるという点は、ドイツ人にとっては第二の天性といっても良いでしょう。

 例えば、会計検査の観点で、三E検査と呼ばれるものがあります。経済性、効率性及び有効性という英語の頭文字がすべてEの字で始まることからこう言われるわけです。これは世界的に見ると、アメリカの会計検査院GAOが、第二次大戦後に強く言い始めたことから広まったのです。アメリカを嫌うフランスなどでは、検査はいまだに合法規性の観点に限られているとか・・。

 しかし、ドイツと日本の会計検査院だけは、昔から経済性の検査をやっていました。プロイセンの場合、19世紀初頭には明確に経済性を検査の観点として要求しています。もっとも、ドイツ人は同時に法律至上主義的なところがあり、単なる一国家機関に過ぎない会計検査院に法律の改廃を求める権利は、当時は認めませんでした。だから、経済性といっても法律を改廃せずにできるものに限られていましたから、ほとんど実効性はなかったといわれます。法律に完全に適合している行為でも、不経済なものはどんどん指摘してきた日本の会計検査院との大きな相違点です。

 ドイツで何か商品を買うと、たいてい付属品は付いておらず、本体だけです。日本だと、同じような商品の新型を買うと、付属品が重複して無駄になることがありますが、それが避けられ、経済的です。もっとも、前に電気製品売場で、アイロンを買おうとしている人に行き会ったことがあります。店員は、アイロンの代金を受け取ってから、やおら「ところでコードは必要ですか」と聞いたものですから「コードなしでどうやってアイロンを使えというのだ」とその人は怒っていました。

 このように、美徳も行きすぎれば、あるいは形骸化すれば、短所です。経済性を重んずるという性向が短所となって現れた場合、これをケチと呼んでよいでしょう。以下では、彼らの代表的なケチぶりをいくつか紹介したいと思います。

 ドイツのビールのジョッキに、錫製の蓋がついているのを見たことがあると思います。あれは、おしゃべりをしている間にビールの気が抜けてまずくなるのを防ぐため、おしゃべりしている時には蓋ができるようにと考えだされたものです。しかし、それくらいなら、1リットルも入るような大きなジョッキを使う代わりに、すぐに飲み干せるような小ジョッキを何杯も飲めばよいのに、とは思いませんか。その方が、いつでも新鮮なビールの味を楽しめるはずです。ついでに言えば、日本だと大ジョッキ一杯は小ジョッキ二杯よりも安くなるのが常識ですが、ドイツの場合、大ジョッキの値段はちょうど小ジョッキの二倍ですから、小ジョッキで二杯飲んでもまったく損にはなりません。

 ドイツの家を見ると、南側には窓がありません。あっても非常に小さなものであるのが普通です。不思議に思って、ドイツ人の建築業者にその理由を訊ねたことがあります。彼は意外なことを聞かれた、という顔つきで、「南に窓を付ければ日が射し込んで家具が傷むではないか」と答えました。家具が傷むという目に見える部分は考えても、太陽が室内に差し込むことで節約できる暖房費の方は考えていないのです。昔、私がボンに住んでいた頃の住居は、家主が暖房費をケチるものですから、冬には部屋の中が冷え冷えとして参りました。私の部屋は家の南側にあったものですから、その部屋の外壁を明るく照らす日の光を見るたびに、南窓のないのが恨めしかったものです。私は寒さが辛くなると、仕方がないので、日に何度でも風呂に入って暖をとっていました。家主にとっては、風呂のための光熱水費の方が暖房費の節約分よりも高いものに付いていたはずです。

 ミュンヘンの地下鉄は1970年代にできたといいますから、そう古いものではありません。しかし、出入り口に設置してあるエスカレータは、どの駅のものも、近頃はひっきりなしに故障しています。南ドイツ新聞に、「エスカレータのため、乗降客は右往左往」という見出しの記事がでたほどです。エスカレータは、普通の駅では上り用が階段の右端に、下り用が左端に付いています。しかし故障すると、動く方を上り用に切り替えるので、乗客は、右に行きかけては左に行ったり、動かないエスカレータを上がりかけては引き返して階段を上ったりする姿を皮肉った訳です。

 ミュンヘン市の言い訳によると、地下鉄のエスカレータは1年365日、1日20時間も動き続けているので、デパートのエスカレータなどに比べて劣化が早いのだ、ということです。しかし、東京の地下鉄はもっと古いし、1年中動いているという点でも違わないのに、故障で階段を上った経験は、あまりありませんから、動いている時間が長いことだけが原因とは思えません。

 真の原因は、ドイツ人のケチにあると思います。彼らは、利用者がないエスカレータが動いているのを見ると、もったいないと思わずにはいられないのです。そこで、ドイツでは、駅のエスカレータは乗り口と降り口にセンサーが付いていて、利用者がない時には停まる仕掛けになっています。

 ドイツを訪れる日本人には、これは素晴らしい省エネの工夫だと感激する人も少なくありません。しかし、常識的に考えて、この方式の方が、日本のようにいつも動かしている方式よりもエネルギーを無駄遣いしているはずです。なぜなら、一度停まった、あの何十段もある重い金属の固まりを、また瞬時に動き出させるためには、その都度、かなりのエネルギーを装置に注ぎ込まなければならないからです。もちろん、利用者がいない時間が非常に長ければ、話は別です。しかし、少なくともミュンヘンのちょっと大きな駅の場合、日中でもかなりの利用者があるため、停まっている時間はほとんどなく、停まった次の瞬間には動き出すということを繰り返しているのですから、再駆動のためのエネルギーの無駄は莫大なはずです。動いているエスカレータを停止することで得られる目に見える節約は理解できても、再駆動で空費されるエネルギー全体にはドイツ人の頭は向いていかないのです。これは、家具の傷みを防ぐために付けない南側の窓の場合と一緒です。

 エスカレータがこのようにひっきりなしに動いたり停まったりを繰り返していては、定常的に動かしている場合に比べ、機械的にも遙かに大きな負荷が掛かってくるはずです。ミュンヘンの地下鉄のエスカレータが、ひっきりなしに故障している原因は、そこにあるのだと私は考えています。

 あまりひっきりなしに壊れるものですから、市では、1999年春から数年がかりで全部の駅のエスカレータを新型に交換する計画だそうです。古いものを撤去するための技術は、4500年前から使われているものだ、と南ドイツ新聞は書いていました。つまり、地下鉄の乗降口という狭い空間なので、大型機械が使えないものですから、ピラミッド建設と同様、コロの原理を利用して人力で撤去していくのだそうです。

 撤去作業や新設作業は、乗客への危険を避けるため、営業終了後の夜の1時から5時までの4時間だけ行うので、工事期間は3ヶ月も必要だとか。その間、乗客は工事人のいないエスカレータを横目に長い階段を上る羽目になるそうです。乗降口の上を開削する等、重機械を利用して工期短縮の工夫をした方が、社会全体としては経済的だと思うのですが、ここでも工事費の増大という見える部分だけをケチるのが、ドイツ人というものなのです。