憲法人権の基礎理論 第19

 甲斐素直

国家補償法(その1

国家賠償

 国家補償法という考え方

「個人責任の場合には、結局においては、社会保険(危険の分散と社会化)との間に、両者の同視を許さない本質的な相違が存在するのに対し、国家責任の場合においては、責任の主体が国家(社会)であるということにより、それ自体の中に社会保険的効果を見出し得るということである」

(今村成和『国家補償法』有斐閣法律学全集9巻昭和32年刊、89頁)

一 憲法17条の歴史的意義

(一) 欧米における沿革と現状

 王は悪をなし得ずKing can do no wrong

⇒国は、公務員の不法行為に対して責任を負わない。

  1 フランス=19世紀の後半にコンセユ・デタ(行政裁判所)の判例におり公役務過失ないし危険責任の理論により、国家の賠償責任を肯定するようになった

  2 ドイツ=1910年の官吏責任法Gesetz uber die Haftung des Reichs fur seine Beamtenにより国の代位責任が肯定されるようになった。

  3 アメリカ=1946年に、連邦不法行為請求権法Federal Tort Claims Actが制定されることにより、ようやく従来の主権免責の法律を捨てることとなった。しかし、今日でも一部の州ではなお国家無答責の原則が維持されている。

  4 イギリス=1947年の国王訴訟手続き法Crown Proceedinngs Actが制定されて、ようやく主権免責原則を放棄することになった。

(二) 日本における沿革

  1 明治憲法下の判例の動向

  (1) 私経済活動、例えば国有鉄道の活動については早くから国に不法行為責任の成立を認めた(鉄道工事による損害=大審院判例明治31527日、信玄公旗立松事件=大審院大正833日)。

  (2) 国家活動を権力活動と非権力活動とに区分し、国家無答責原則の適用を前者に限定した。例:徳島市立小学校の遊動円棒の欠陥のため生じた児童の死亡事故について国に損害賠償責任を認めた(大審院大正561日)。

  (3) これに対して権力的活動については一貫してこれを認めなかった。

⇒現業部門の活動=板橋火薬製造所の爆発(大審院判例明治4332日)

⇒消防自動車の試運転中の轢殺事故(大審院昭和8428日)

  (4) 公務員の個人責任は一貫して否定された。

  2 現行憲法

マッカーサー草案にはなく、衆議院による修正で本条が加えられた。

民法不法行為法の改正ではなく、単独法としたのも我が国側の選択である。

二 国家賠償権の意義

(一) 国家賠償制度の機能

 被害者救済、損害分散にとどまるか? 違法行為の抑止・違法状態排除まで含めるか?

 ⇒名目的国家賠償訴訟=憲法訴訟機能の重視

(二) 国家賠償法1条の解釈

 代位責任⇔自己責任

  判例は一貫して同条の要件を緩和し、自己責任を肯定する方向へ動いているといえる。

  1 公権力の行使

 ○権力作用:国の権限に基づく優越的な意思の発動して行う活動

 ○非権力作用:国のその他のすべての活動、ただし

国の純然たる私経済活動(民法709条でカバーされる)及び

公の営造物の設置管理作用(本法2条でカバーされる)を除く

 例「国家賠償法一条一項にいう『公権力の行使』には、公立学校における教師の教育活動も含まれるものと解するのが相当」とする(最高裁昭和6226日判決)

  2 公務員

 上記公権力行使の主体と認められれば、自動的に公務員性が認められる。

 例:税務署職員の健康診断業務を、国からの嘱託により県の保健所の医師が行った場合、医師は「国の公務員」に該当する(最高裁昭和5741日判決)。

  3 職務性

 単に職務としての外形を備えれば足り、実際に職務実施の目的で為される必要はない。

 例:「巡査がもつぱら自己の利をはかる目的で警察官の職務執行をよそおい、被害者に対し不審尋問の上、犯罪の証拠物名義でその所持品を預り、しかも連行の途中、これを不法に領得するため所持の拳銃で、同人を射殺して、その目的をとげた、判示のごとき職権濫用の所為をもつて、同条にいわゆる職務執行について違法に他人に損害を加えたときに該当するものと解したのであるが、同条に関する右の解釈は正当である」(最高裁昭和311130日判決)

  4 故意過失

  (1) 客観化・高度化

    注意力の標準を、当該加害公務員ではなく、その職種の標準的公務員に置く。

職種によっては、注意義務をより重くする。

  (2) 加害公務員の不特定

例:健康診断を行った保健所職員の過失

それに関与したいずれの公務員の責任かは特定する必要はなく、いずれかの公務員の責任であることがはっきりしていればそれで足りる

  (3) 組織過失=行政組織に一体として過失が認められればよい

例:新島の海岸で旧軍の砲弾が爆発した事件

「新島警察署の警察官を含む警視庁の警察官は、〈中略〉単に島民等に対して砲弾類の危険性についての警告や砲弾類を発見した場合における届出の催告等の措置をとるだけでは足りず、更に進んで自ら又は他の機関に依頼して砲弾類を積極的に回収するなどの措置を講ずべき職務上の義務があつたものと解するのが相当であつて、前記警察官が、かかる措置をとらなかつたことは、その職務上の義務に違背し、違法であるといわなければならない。」

(最高裁昭和59326日判決)。

  (4) 消防関係については失火責任法の適用を消防関係者にも肯定する

⇒重過失がない限り国家賠償責任は生じない

(最高裁53717日、同平成元年328日判決)。

  5 違法性

 違法を厳密に法令違反に限定する考え方もあるが、広くその行為が客観的に正当性を持たない場合、と広く解するのが通説であり、判例である。しかし、どのような場合に違法性が認められるかについては、対象となる国家行為別にかなりの違いがある。

  (1) 立法権=違法性限定説

「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り・・違法の評価を受けない」

(最高裁昭和601121日判決)

○ 上述の判例について、平成13511日に熊本地裁は次のように述べた。

上記60年判例は「もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする。右判決は、その論拠として、議会制民主主義や多数決原理を挙げるが、新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されているのであって、右論拠は、本件に全く同じように妥当するとはいえない。」

  (2) 司法権=制限的肯定説

 裁判に対して国家賠償が認められるには「当該裁判官が違法または不当な目的を持って裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とする。」

(最高裁昭和57312日判決)

  (3) 検察・警察活動=職務行為基準説

「公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解する」

(最高裁平成元年629日判決)

  (4) 行政権=職務行為基準説で判例が固まりつつある。

「税務署長のする所得税の更正は、所得金額を過大に算定していたとしても、そのことから直ちに国家賠償法11項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく、税務署長が資料を収集し、これに基づき課税要件事実を認定、判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正したと認め得るような事情がある場合に限り、右の評価を受けるものと解するのが相当である。」(奈良民商事件=最高裁平成5311日判決)

三 郵便法違憲判決の意義(平成14911日大法廷判決)

[事実の概要]

 Xは訴外Aに対する損害賠償請求訴訟での勝訴判決を得たので、これに基づいて債権差押命令の申立てを行った。これをうけて裁判所が発した債権差押命令の正本がAの預金のあったB銀行C支店に特別送達の方法によって送達されたが、当該命令正本は郵便業務従事者により直接C支店に送達されず、C支店の私書箱に投函された結果、C支店への送達が少なくとも一日遅れてしまった。事前に差押を察知したAは債権差押命令正本がC支店に送達される前日に預金を全額引き出していた。そこでXは、預金が引き出されたのは送達が遅延したためであるとして、国を被告として損害賠償を求める訴えを提起した。

 郵便法68条は、郵便物につき、書留郵便物の全部又は一部を亡失し、又は棄損したときなどに限り、一定の金額の範囲内で損害を賠償すると規定していた。また、同法73条は、損害賠償請求権者を当該郵便物の差出人又はその承諾を得た受取人に限定していた。

(一) 郵便法=国家賠償法の特別法

「(郵便)法は,『郵便の役務をなるべく安い料金で,あまねく,公平に提供することによって,公共の福祉を増進すること』を目的として制定されたものであり(法1条),法68条,73条が規定する免責又は責任制限もこの目的を達成するために設けられたものであると解される。すなわち,郵便官署は,限られた人員と費用の制約の中で,日々大量に取り扱う郵便物を,送達距離の長短,交通手段の地域差にかかわらず,円滑迅速に,しかも,なるべく安い料金で,あまねく,公平に処理することが要請されているのである。仮に,その処理の過程で郵便物に生じ得る事故について,すべて民法や国家賠償法の定める原則に従って損害賠償をしなければならないとすれば,それによる金銭負担が多額となる可能性があるだけでなく,千差万別の事故態様,損害について,損害が生じたと主張する者らに個々に対応し,債務不履行又は不法行為に該当する事実や損害額を確定するために,多くの労力と費用を要することにもなるから,その結果,料金の値上げにつながり,上記目的の達成が害されるおそれがある。」

(二) 審査基準論

  1 目的

「上記目的の下に運営される郵便制度が極めて重要な社会基盤の一つであることを考慮すると,法68条,73条が郵便物に関する損害賠償の対象及び範囲に限定を加えた目的は,正当なものであるということができる。」

 ⇒目的における正当性という要件を要求

  2 目的と手段との関連性

「法1条に定める目的を達成するため,郵便業務従事者の軽過失による不法行為に基づき損害が生じたにとどまる場合には,法68条,73条に基づき国の損害賠償責任を免除し,又は制限することは,やむを得ないものであり,憲法17条に違反するものではないということができる。」

 ⇒やむにやまれぬ利益を促進するに必要不可欠であると認定

⇒厳格な審査基準

  3 特別送達

「特別送達は,民訴法第1編第5章第3節に定める訴訟法上の送達の実施方法であり(民訴法99条),国民の権利を実現する手続の進行に不可欠なものであるから,特別送達郵便物については,適正な手順に従い確実に受送達者に送達されることが特に強く要請される。そして,特別送達郵便物は,書留郵便物全体のうちのごく一部にとどまることがうかがわれる上に,書留料金に加えた特別の料金が必要とされている。また,裁判関係の書類についていえば,特別送達郵便物の差出人は送達事務取扱者である裁判所書記官であり(同法982項),その適正かつ確実な送達に直接の利害関係を有する訴訟当事者等は自らかかわることのできる他の送付の手段を全く有していないという特殊性がある。さらに,特別送達の対象となる書類については,裁判所書記官(同法100条),執行官(同法991項),廷吏(裁判所法633項)等が送達を実施することもあるが,その際に過誤が生じ,関係者に損害が生じた場合,それが送達を実施した公務員の軽過失によって生じたものであっても,被害者は,国に対し,国家賠償法11項に基づく損害賠償を請求し得ることになる。」