Clos du Vieux Plateau Certan

1996年3月13日 MMC 41st Meeting (ポムロール特集)の資料より

昨年(1991年)の初夏、払はベルギーの2つのワイン商から1通のファックスを受け取った。それにはこう書かれてあった−ポムロールに完ペさな位置に小さなぶどう園がある。それはヴィユー・シャトー・セルタン、プティ・ヴィラージュとペトリュスそしてコンセイヤントに囲まれている。−−さらに、−高潔な品質で最高位の品質である。−と続いていた。
私は日付を確認した。いや、4月1日ではなかった。もし自分がだまきれているとしても、少なくともエイプリル・フール(poisson d’avril)ではなかった。良質なワインを試飲する経験を増やしたいと常々切望している私はさらに詳しく知りたいことの旨を返答した。やがて実現した。見事な演出である。スリムでモダンなラベルがダーク・オリーヴ・グリーン色のボトルに貼られ、クラレットというよりも高品質のイタリアのスーパー・トスカーナのような外見である。しかし中身は称賛すべさ要素を持っている。悲しいことに価格は非常に高い。蔵出し価格1本当たり220フランはラフルール、ル・パンと同じランクであり、ペトリュスよりも安いがこのシャトーに近接する他の生産者よりも越えている。生産量は−かろうじて0.5ヘクタールある畑から200ダース−ごく小さい。そのためにワインはその本来の品質よりも過度の希少の結果、必然的に、より高く売れるであろう。さらに憤慨すべさことに、このワイン簡単には買えそうにもない。400ケース(6本人り)はヨーロッパ諸国とアメリカの主な消費者に均等に分割される。
THE VINE / CLIVE COATES MW No.87 (APRIL 1992)



1988年の夏、ヴィユー・シャトー・セルタンとセルタン・ド・メイの入り口の反対側で、マーク・シエットカット(Mark Schiettekat)はクロ・デュ・ヴィユープラトー・セルタンと食刻された小さなプラカードを発見した。
彼はアレクサンダー・ティエンポン(Alexandre Thienpont)に聞いてみた。ティエンポン氏の返事ではそのぶどう園は彼のヴィユー・シャトー・セルタンとは関係がないとの事であった。
もともと200年前のメイ(MAY)家時代のセルタンのぶどう園の一部であった。今ではミッシェル&フランソワ・ド・ラヴォー(Michel and Francois de Lavaux)とその姉(妹)の所有である。彼女達はリプールヌのネゴシアン、オロー・ペイロ(Horeau−Beylot)社と近郊の小さな土地をいくつか所有している。
偶然にもマーク・シエットカットの会社であるマフリベル(Mafribel)社はベルギーにおけるペイロ社のエージェントあった。彼は市場に決してリリースされることのなかった少量のクロ・デュ・ヴィユー・プラトー・セルタンを発見した。それはマグナムボトルに詰められラヴォー家の自家需要用のワインであった。
当時、熟成に新樽を使う事は無く、ワインは地味で早熟な飲料のように仕上がっていた。このワインの将来性をまじめに取り組むものは誰もいなかったのである。
シエットカットはこのワインを変貌させようと決心したのであった。彼はこのぶどう樹が理想的である樹齢20〜25年であることを発見した。ばとんどがメルロ種。ル・パンばどではないにしろ、1本当たり250フランの値付けにすることはクロ・デュ・ヴィュー・プラトー・セルタンにでも可能なのではないか。彼はラヴォー家にぶどうを浸漬する期間を伸ばすこと、新樽を購入すること、そしてワイン造りの見解を変えるように説得した。彼はその成果の賜を市場へと企てたのであった。
クロ・デュ・ヴィュー・プラトー・セルタンは現在サンテミリオンのブルジョワ級のシャトー・マルティネ(Martinet)の醸造所のシングル・ステンレス・スチール・タンクで醸造され、熟成は別のラヴォー家が所有するシャトー・ラ・ルネッサンス(La Renaissance)で行われる。このワインはフランソワ・ド・ラヴォー・の手によって、類語めまでに2年間ばど長期にわたって樽熟を経て生産される。
THE VINE / CLIVE COATES MW No.87 (APRIL 1992)

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