1200年 (正治2年 庚申)
 
 

6月15日 己亥 晴
  勝長寿院一切経会、舞楽を結構す。羽林出御す。
 

6月16日 庚子 晴
  大官令亭の後山麓に新造屋を構う。山水有り。奇石有り。納涼逍遙の地なり。而るに
  今日、彼の朝臣京都より鞠を召し下すの由申せしむの間、羽林その所に渡御す。先ず
  献盃・管弦の儀有り。次いで晩涼に及び、件の鞠を松枝に付けこれを献る。仍って羽
  林立たしめ給う。北條の五郎・比企の彌四郎・富部の五郎・肥田の八郎・加賀房等参
  る。今夜御止宿。
 

6月17日 壬寅
  羽林還御す。大官令御馬已下の御引出物を献る。御供の人々皆賜有り。
 

6月21日 丙午
  岡崎四郎平の義實法師(年八十九)卒す。三浦庄司義継四男と。
 

6月29日 甲寅
  故梶原平次左衛門の尉景高妻(野三刑部の丞成綱女)は尼御台所の官女、御寵愛比類
  無し。且つは女性たりと雖も、その仁たるに依って、故将軍の御時、尾張の国野間内
  海以下所々を拝領すと雖も、夫誅戮の後一切隠居し、頗る恐怖の思いを成すと。仍っ
  てその沙汰有り。領所等相違有るべからざるの旨、今日仰せを蒙り安堵せしむと。