1216年 (建保4年 丙子)
 
 

1月13日 丁卯 霽
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。還御の後、御台所詣でしめ給う(御車)。女房出車二両。
 

1月15日 己巳 晴
  相模の国江嶋明神託宣有り。大海忽ち道路に変ず。仍って参詣の人舟船の煩い無し。
  鎌倉より始め国中の緇素上下群を成す。誠に以て末代希有の神変なり。三浦左衛門の
  尉義村御使いとしてその霊地に向かう。帰参せしめ、厳重の由これを申す。
 

1月17日 辛未 晴
  将軍家の御持仏堂の御本尊(釈迦像、雲慶これを造り奉る)京都より渡り奉らる。開
  眼供養の事有るべし。信濃の守行光の奉行としてその沙汰有り。
 

1月28日 壬午 晴
  始めて御本尊を御持仏堂に安置す。即ち供養の儀有り。導師は荘厳房律師行勇、請僧
  七口(鶴岡の供僧等なり)。導師の御布施は、綾の被物二重・裹物五、行光これを役
  す。御馬一疋(銀の鞍を置く)、三浦左衛門の尉義村・大須賀の太郎道信。一疋(裸)、
  筑後左衛門の尉朝重・同六郎知尚等これを引く。加布施は砂金五十両、仲章朝臣これ
  を持参す。請僧分は口別に裹物二・青鳧二千疋、宿坊に送り遣わさる。大夫判官行村
  ・結城左衛門の尉朝光これを奉行す。