重次の痕跡
ネットサーフィンをしていたら、今はもう閉鎖されたHP
の残渣が残っていて、どうやら「七天句会」という句会が
あってのこと、その殷人さんとやら、どうも天王寺あたり
とかかわりがあるらしいのだがの重次の俳句手法について
の教えが句評の中で紹介されている
その、紹介していること、重次生前の教えそのままであり
実になつかしいので、ここに著作権などのこと一切顧みず
ご紹介する
殷人講評
土生重次(はぶ・じゅうじ)という堺出身の俳人がいる。
AERAの初代編集長と三国丘高校の同級(ちなみにJリーグ
の川淵チェアマンも同級)で、しかも、一時、貝塚第一中
学(殷人出身校)に在籍したこともあると聞いて、親しく
させていただいた。「扉」という結社を主宰しているが、
現在、難病の病床にある。
あめんぼうおのが十字の影に乗る
という句が、この人にある。聞いて、ぱっと状況がわかり、
そして、「なるほど」と思ってしまう。口調もよく、一度
聞いて、覚えてしまった。
「1句1発見」が、この人の弟子への指導方針であった。
つまり、ちょっとした発見、句作者の独自の感性がとらえ
た情景や心理で、他人の何人かが「確かにそうだよなあ」
と思える何かが、俳句には必要というのだ。上記「あめん
ぼう」はまさに、そんな句であるといえる。
病む子ありオリオン落ちる音を聴く
これは評者が初めて俳句を作り始めた10年ばかり前の作だ。
オリオン座が時間とともに傾いてゆく様子を、「音をたて
て落ちる」と表現したところに発見があり、また、「お」
という音の繰り返しも調子がよく、仲間内で好評だった。
しかし、重次師は、この句を「説明的に過ぎる」と退け、
「病廊やオリオン落ちる音を聴く」と手を入れた。
説明的な句は、いうまでもなく、イメージを限定してしまう。
「病廊や」という言葉遣いは、ちょっとじじむさいかな、と
思ったが、「病廊や」と無機的な世界をまず提示してみせる
ことで、「聴く」主体である人との関係が弱まり、確かに説
明調が消える。最初の5文字が、次の句に続いていくとどう
しても、説明文のようになってしまう、との注意である。
順・徳の句に「オリオン」があったので、以上のことを思い
だし、少しは参考になるかも、と書いてみた。
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