220回点盛り
利孟 金柑を洗ふ飛沫を輝かせ 恵◎ 金柑を食べるという行為が理解できない(利) 玉砂利に足取られゆく寒露かな 白○恵 角切らる蹄虚しく宙掻きて 比◎恵○美 柞径石塊ひとつ置く祠 正◎耕美○ 青すだち三親等より無き身内 恵一 武蔵野の柞もみぢや銀の空 白 まさにそんな具合に空が見えるとは白美さんだが 角伐りしあとの大社の寂として 白◎耕 時間経過は詠まない(詠めない)、角切で森が騒がしいとかいうところでは 黒塀に金柑映ゆる朝日かな 利耕○義○ 夜空ゆく鳥の影踏む寒露かな 利○義◎白 実際に陰がくっきり地面に投影されていることは無いだろうが、こんな感じ方は面白いね 人去りてベンチかがよふ花薄 比呂四 金柑の蜜にふやけていたりけり 利 体ごとジャズに酔ひしれ秋の夜 利 角切りて放たる鹿の安堵水 利美耕◎ 安堵水というのがあるかといえば造語、それは無理でしょう、切りては人、放たるは鹿ではおかしい ずつしりと坐骨の重き寒露かな 利武○美◎正○ ずつしり以外に的確な擬態語があるといいのだが 幻影の柞の森を駆け巡り パス 美子 ハロインの南瓜の灯仮装の子 利 灯で「ともし」なのだが、この場合「ひ」と読んでもう一度読み直さないといけないので、ルビ振ったほうが親切 山錆て地は赤銅の柞かな 利 山さぶ」とは違って錆色ね、 生簀より釣られて烏賊の啼く寒露 利○比○ おもろいね 角切の鹿の荒息勢子の息 利◎白比 リフレインが息の荒さに重なっている 金柑を買ひて昭和の香を求む 武甲 品評に悲喜こもごもの寒露かな 比 展覧会の品定めらしいが、品評会というのがあるので、それにひかれて??? 金柑を生けて新居に色添へる 利 花瓶に飾るという作者の意図らしいが、金柑を活けるかな、新居の何も無い庭に実の付いた金柑の苗木の方がうれしい 角切りや業師の腕の見せどころ 利 豊穣を祝ふ柞の社かな 利正 当たり前すぎるけど カーナビが告げる迂回路紅葉狩 利義正 カーナビが詩の言葉として有効かとなるとまだ熟していないかも、カーナビに問う方が好みです 耕平 野良着干し腰を伸ばして寒露の日 利○恵 腰を伸ばしてはかえって当たり前 角切りや追込む勢子の獣めく 利○美正 ふくらはぎ揉みほぐ湯舟体育の日 ほぐ」でほぐすのつもりだろうが、「ほぐす、ほぐさず、ほぐせば」の活用だから、ほぐ」は使ってはならない、ジジババの句会ならともかく、四天句会は知性派の句会です 裏庭の金柑たわわ黄金色 そういうものですね 湖畔から柞紅葉の山仰ぐ 柞って湖とか山とかではなく丘陵、小川などのイメージかも 白美 西方に富士の顕はる寒露かな 耕 西方に」はなにやら、西方浄土のごとく、顕れるは? 金柑の実の数ほどよ少女の恋 利 塾という柞紅葉の降る学舎 恵 津田塾ですか、松下村塾、慶応とか諸説ありましたが 角切りの鹿苑紅白幕覆ふ 利武 十月や弥勒菩薩に畏みぬ 仏さんの前に畏まるのでは当たり前 正 山頂のかすかに白き寒露かな 利 白いという断定だと、寒露で雪か、霜かという理屈になってしまう 雨に濡れ柞紅葉の朱をこぼす 利比武 まあ、当たり前で他の紅葉でもいけるけど 咳すれば母は金柑いつも煮て いつもというのが一年中見たい出 角切られし鹿の啼く夜のいと淋し 人肌のぬくもり恋し暮の秋 義春 金柑や隣の庭を振り返へり 利 振り返る、は見る動作でしかなく、それでどうした 秋の日や妻と語らふ露天風呂、 利 角切りや歴史をしのぶ一人たび 歴史をしのぶ一人たびではなにも具体的な情感が伝わってこない、あくまでも句を通じてなにか言いたいことを表現する、角切りを見に古都奈良へ一人で行きましたでは、宗ですかで終わり、その角切でこんなことを見つけましたが発見でありそれが俳句です 終業時暗くなりたる寒露かな 寒露の頃はもう会社を出ると暗くなっている、確かにそうだがそれだけではなんとも、因果関係は句として成り立たない 二人して清水汲みたる柞森 清水は夏、二人であることはその二人にとっては重要でも句の情感には響かない、ほのぼのとした夫婦愛などは描くに及ばないのです