宗匠の一言
頬被り鍬入れ時の山辛夷 頬被りは冬の季語、鍬入れどきも春耕に繋がる期間、ちょっと無理です 春一番筑波を越えて荒増しぬ 得意の筑波もの、荒増すで「あれ」とルビを振るなら、荒れとした方がよい、増す、つのる同じような意味だが違いませんか 板襖干返るすきま猫つぐら 干返るのような、無理な言葉遣いはいけません、この人難しい言葉でなんとか17文字に納めようとしますが、17文字でも余るくらいに単純な切り取りが良いのです 青く澄む富士を眼下に春の航 航には飛行機の飛行も含むとしていますが、どうしても舟に引っ張られます 飛行機と言わずに飛行機の俯瞰を表現できると成功します、今後もトライして下さい 駅までの道の一隅蕗のとう ただ蕗の薹があったというだけでは俳句として成り立ちません 目に沁みる白きリボンの花辛夷 リボンに例えたのはまあ良しとしても、目に沁みるような白さってのは月並みでいただけません 竿先の雪崩暴れし渓を釣る 冬の間雪崩で埋まっていた沢に入って渓流釣りをしているという意味と推測はしますが、それは季語としての雪崩を使っているのではないのですね、それなら、紅葉のきれいなときにも雪崩の句が出来ることになりますが、そうはいきません、俳句での季語というのは、時間空間を設定するト書き、そして舞台の書き割りのようなものなのです 湯の宿の夢覚まさるる雪崩音 今回の雪崩にはこの手の出句が多かったが、読みようでは皆、雪崩に旅館が押しつぶされているかのようにもなる、自分のイメージがその句によって読み手にすなおに伝わらなければいけません、句を作ったら、何度も読み返すことが大切です 本年も隣家へ配る蓬餠 あ、お宅はそうなのね、で終わり、ま気前の良いことでというのは詩的感動とは言わない、季語になる単語があって5、7、5なら俳句になるわけではありません、自ずから生まれるものであっても良いのですが、「詩情」を意識して下さい 鉄瓶に湯の滾りをり梅見茶屋 ま、こういうのを典型的な予定調和の侘び寂び俳句というのでしょう、月並み 鉢植ゑの影伸び伸びと春障子 障子と影と言えば、映っていると考えるのが普通、そうすると、鉢がどこにあるかが問題になる句、人の高さほどの台に乗っているのでしょうか 鍵っ子の鍵の綾糸鳥帰る こいつはよい、鍵の綾糸、どうしたんでしょうね、綾取りの毛糸みたいので首から提げて居るんでしょうか、それともきれいなリリアンみたいなもので母親がキーホルダを作ってくれたのでしょうか、夕暮れの高い空に北に向かう鳥の影を見上げている子供の後ろ姿があります、美しくてちょっと甘酸っぱいような、幻想的な絵です 掌に受けて柳の芽吹き子に教へ 教育ママですね、だけど教育的効果はあっても、詩情という点で殆どなにも無いのではないでしょうか、芽吹きは手に取るものでもないですしね 親子の情愛を描写しても感動とつながるとは限らないのです ババロアの揺れを崩して春炬燵 ババロアの揺れ、良いところを見て、春炬燵とのなんとも良い取り合わせですが、崩すがやりすぎだと私は思うのです。掬ひて、匙入れくらいで充分だと思うのは、ババロアの揺れという一節に充分な詩であるからで、それを崩すというと、だめ押しになって臭くなってしまうからです ===== 宗匠の一言これで終り ===== |