9月のもう一言

大鮎に拳固めて塩を打つ  
巨鮎など、品の無い言葉を使わないこと

字余りの指折つてゐる夜長かな  
俳句の句を作らないのが良いとは言うが、これくらいなのが出来れば許す

下り簗手桶にあふる野辺の花  
花一花、それが事実でもそうだとすれば、何の花くらいわかるでしょう(季重りになるけど)、だがらこうするの

逆光に透ける葉脈秋に入る  
葉脈透けて秋というやり方もあるが、因果関係がそこはかとなく感じられるというのでなければ切った方が良いでしょう

手垢染む逆柱や秋暑し  
陽明門の一本がこうなっているそうです

山の名を問ふ指先にあきつ来る  
飛ぶとすると、山、あきつ、指先の三つがばらばらに位置する

枝折戸を抜け来る風のこぼれ萩  
いかにも俳句的風景過ぎるね

長き夜や鍵盤探り弾きてジャズ  
鍵盤すべるジャズ音色ではただ言葉の羅列

朝霧や睫毛濡らして牧の牛  
牛の睫毛よくある、霧に牛もまた

泥水を叩きてみたるぎんやんま  
泥水もなんだろうが、そういう時間の経過より、泥水を叩いている方が感動的な瞬間でしょう

取り忘れ葉陰に育ちすぎの茄子  
茄子のジャンボなんて言葉遣いはあり得ない

長き夜を読書に耽る受験生  
この一句を「夜学」というだけで終ってしまう、

山小屋の板打つ窓や鹿の声  
古来鹿の声は淋しいとされていて、それをいまさら言うと陳腐になる、季語とぶつける一章を山小屋を描写する方向に

秋の蚊を打ちし吾が掌の血糊かな  
しつこく刺して手を汚すというと、刺した蚊が手を汚すのでしょうが、蚊には手がありませんから、きっと蚊を潰した結果だなと思いがいたるわけです、それは「一読句意明快」という俳句のあり方に反します

稲の穂をしごきて農業指導員  
作柄の稲の一穂で、作柄を見るためのというのが伝わるかといえば大方×

下り簗碧眼の子の鮎掴む  
別に珍しくもない、発見ということにはならない

板の間に設ふ床の壺の萩  
洋間にも床の間ありてといっては、それが眼目になり景が殺風景である

裸電球揺れて煌く下り鮎  
現場百辺の成果というが、まことに良い景を切りとっている

信濃川村ごとにある下り簗  
海までいくつなんていったら、数えなければいけないし、数え終わればそれだけのもの

鈴虫を鳴かせ銀座の茶懐石  
高級な雰囲気だけでは足りません

流木の芯まで乾き秋高し  
兼題が下り簗ではあるが、それで流木が乾いているってのはちと変だ

長き夜のタイマー点す炊飯器  
最近こういうパイロットランプは句材として多いのは、致し方ないけど

描き了へ長夜の絵筆納めけり  
了へ>納めるは、あたりまえすぎるでしょう

穂絮とぶ機械が搾る牛の乳  
良い句だ

秋ともし舐めて尖らす筆の先  
良く出来た句だが筆先舐める句は多い

ひねもすを巡りし旅の夜長し  
日たつぷり」て、まともな言葉ではないな

甘き香に出くわすところ下り簗  
鮎狂いには鮎の甘い匂いがわかるらしいが、一般俳人にはこれは理解できないぞ(利孟も話としてはわかるけど

小ぶりなるものほど跳ねて秋の簗  
小ぶりなのが跳ねてたというだけでは面白くない、嘘も芸術的、文学的なものがある

凪の間の風紋流る秋の浜  
凪の間「も描く」というのは違和感ある