10月のもう一言

赤のまま径別れても赤のまま  
松島やああ松島やでしかないので、リズムで遊ぶしかないのです

秋雲の真下に・・・  
事実はそうなのかも

五つ六つ風のふぐりの通草熟れ  
ふぐりが熟しては問題多いでしょう

裏木戸に鎖す棒の鍵露けしや  
閂のことを詠っているなら平選ですね、ちと反省

監獄に母子像ありき枝垂萩  
これでは、母子像はすでに撤去されています、萩は枝垂れるに決まったもので、こういう表現はしません

コンバインの終日稲を呑み込める  
俳句は眼前を詠うのです、終日飲み込めるというと一日観察した結果を行っているようでありまして、呑み込みてというと、眼前のコンバインの動きを見て、ああ、きっと一日こうして作業するのだなとなるのです

秋霖や未来曇らす核談義  
俳句と川柳の差は、長いスパンで鑑賞に耐えるか、そのときそのときの時代を反映して消えてゆくかというところにもあります、×

白銀の電波搭秋雲に浮く  
これでは557で俳句の定型をはずれてしまう

太極拳の突きの一手は爽やかに  
これでは太極拳ではなく、空手になってしまいます

那須岳の噴煙北へ通草熟る  
那須岳の噴煙がどちらになびこうが、高点句にはなりません

寝転んで眼遊ばす羊雲  
羊雲の目が遊んでいるみたいです

野分雲空に悍馬の嘶けり  
空にはあたりまえでしょう、嘶きってのはこうやって鳴いた方が力強いのでは

牧牛の動かざるごと秋の雲  
牧牛というのは常に動かないものであるというのが、「ごと」の前提で、この句は雲が動かないというだけの句である

山神に捧ぐ猟師のましら酒  
高点句となりましたが、取らないのは、猟師など猟に関わる言葉は冬の季語であること、ましら酒というのは密造酒で、神様にあげるには適当ではありません、清酒であることが大切なのです

裸婦像のまなざし遠き秋の雲  
遠きが修飾するのがまなざしか、秋雲か、一読句意明快ということを志すこと