10月のもう一言

利孟
着陸を待ち旋回の秋の空
大海老と薬味の葱と走り蕎麦
柿熟るや番外札所を守る地蔵
秋蚕飼ふ竹の柱の蚕棚
狐狸が戸を敲く音かも夜なべなほ
ミヨ
穴まどふ百穴墳の地震くづれ
秋天や塩桶ころぐ牧の窪
滝行の声打たれがち冬隣
打たれがちは?
麺板の音の乾ぶる走り蕎麦
蓑笠の古りし庵や遠添水
庵には蓑笠があるものだという約束は無いですから、不自然ですよね、逆に庵には添水があっても不思議はないですよ
比呂
日月の茶昆の白煙秋の空
小走りの若き神鶏新松子
新蕎麦や小池に鯉を飼ひ馴し
文弱の夫の歩みや草紅葉
文弱は虚弱とは違いますからね
歯に浸むる起きぬけの水返り花
青樹
二度三度台風すぎて空深む
新蕎麦を打つ手逞し媼かな
新蕎麦も三立てが美味と通に言い
三立てが分かるか?、食い物を美味というだけでは足りないというのは食レポの基本、通は新蕎麦が美味いのは知っているのだからわざわざ教える必要もない
秋晴れや舟は陸へと逃げ惑ふ
意味不明
幼児も二十歳を迎えそばの花
幼児も二十歳を迎へ蕎麦の花 酒じゃないから二十歳に意味はないだろう、蕎麦の花の季節は?
信子
相席で囲む木の卓走り蕎麦
重陽や関東一円晴れ渡り
折り返す走者走者に秋の天
菜園の一畝ごとの秋日和
秋天に対峙タワーとスカイツリー
タワーで東京タワーは無理
美恵子
新蕎麦の貼り紙有りし引き戸入る
新蕎麦や一子相伝の若女将
そば打ちに一子相伝は大げさでしょう
美味そうな絵の葉書来ぬ秋の空
絵のハガキというのは絵葉書とは言えないし、絵手紙でよいのでは
新蕎麦や都会言葉の客溢れ
どこまでも高し美し秋の空
秋の空といえば、天高しといった具合に分かった話なのね
昭雄
石臼を零れて碧き新蕎麦粉
和綴ぢなる蔵書数多や秋の堂(足利学校)
和綴じなるって言葉遣いは奇妙
蘊蓄を傾け捏ねる走り蕎麦
那須ケ岳錦の衣羽織る肌
羽織る肌ではちと不自然
塒へと孤高の翼秋夕焼け
孤高の翼って、せいぜい烏のことにしては大袈裟だろう?
雅枝
ビルひとつ秋天映す鏡なり
発想は良いのですが、言葉がそれを表現できていません
ヘイいらしゃい店に満ちたり新蕎麦の香
この手の作り方はいただけません
秋空や男体迫りて来る朝(あした)
栃木県人には男体で山のことと分かるけど、オトコのカラダが迫って来たって何?となります
走り蕎麦常連入り来て「大盛り一丁!」
インスタントラーメンの商標ではないんで、声を出したのが店の人って守護の混乱がありましょう
女心の例えとなすな秋の空
人口に膾炙していることを否定するからには何故ならばがなければならない、勝手なことを言いっ放しではダメ
良人
大欅はるか届かぬ秋の空
陸奥に続く那須岳秋の空
秋来るや東に入道西鱗
うちそとに並ぶ新そば店の客
夕日さす域は半分秋の空
聖子
秋の空西日差す影茜色
西日は夏、言葉が多すぎます
懐かしき友新米と共にくる
米と一緒に友達が宅配で届くってのはおかしいですね
そぞろ歩きの古本街秋の雨
雨の中を濡れて歩くってのは春雨ですよね
日の落ちてなほ雲流る秋の風
日が落ちてからはつきりの雲は唐突
唐突に秋の日が落ち残る雲 つるべ落としという一言でいえる、波長は苦し紛れに逃げ込んでも成功しません
巴塵
新蕎麦や蒸籠重ねる布袋腹
新そばや卓袱台囲む祖母の味
酒そばのあらたあらがふ縄のれん
考え落ちの季語ってのは無しです、即ボツにすべきですが救っておきます
水彩のまだ滲みゐる秋の空
風羽織り漫ろ漫ろに秋の空
木瓜
割り箸の香りを添へて走り蕎麦
蕎麦の儚い香りに箸の香りを取り合わせると負けます
味噌を添へ四角長皿新生姜
味噌を語る、皿を語るで詠むのだが四角長皿というのはイメージが希薄
秋深しさて今なにをするものぞ
隣は何を・・の本歌取りでしょうが失敗
窓を開け捨てるもの捨て秋の空
外国の貧民窟などこういう光景はあるが話が違いそうだし
熟々と唯我独尊熟柿食む
敬子
病む人の日毎念仏秋の空
船に描く唐草(からくさ)模様鰯船
ほつそりと風のぬけゆくホトトギス
生き方の腹式呼吸秋の空
新蕎麦の混み合ふ峠の暖簾かな
暖簾に新蕎麦が詰まってるっていうのはわからないな?、大体峠に暖簾掛けてどうするの?
英郷
片付けし流木に坐して秋の空
流木を片付けるという状況はわかりずらいですね
巻繊(けんちん)に馴染みて美味し走り蕎麦
巻繊汁は冬の季語ですけどね
山あいの秋立つ空に送電線
秋立つは立秋、季節外れの句は句会では受けません
里山の拓(ひら)けし緩斜に新蕎麦や
里山の拓けたものは畑、新蕎麦というのは蕎麦の状態になったもので、植物のソバではないのですからちと支離滅裂
新蕎麦を舞茸汁に漬(つ)け啜る
蕎麦の食べ方なら俳句にする意味はない、同じパターンの二句目ともなるといただけない