叙述トリック概論

2006.04.27~2026.06.27 by SAKATAM

 叙述トリックとは

 ミステリにおいてしばしば使われる“叙述トリック”は、他の一般的なトリックとは異なるいくつかの特徴を備えています。

[1] 騙す者と騙される者

 叙述トリックは、文字どおり叙述によるトリックであるわけですが、この叙述――すなわち“語り”とは、情報の伝達(あるいは伝達される情報そのもの)ととらえることができるでしょう。そしてそこに関与するのは、伝達される情報そのものを間に挟んで対峙する、送り手と受け手(典型的には作者と読者*1)のみ。したがって、叙述トリックとは情報の送り手が受け手に対して仕掛けるトリックである、といえます。

 これは、作中の登場人物(例えば犯人)が他の登場人物(例えば探偵役)に対して仕掛ける一般的なトリックとの、大きな相違点となっています。

[2] トリックの所在

 通常のトリックでは、作中――仮想の物語世界――において、ある事象Aが別の事象Bに改変される(あるいは登場人物が事象Bと誤認させられる)ことになります([図1]参照)。したがって、トリックは物語世界の中に存在すると考えることができます。

[図1:通常のトリックの構図]
物語世界
事象A――→事象B
 

 これに対して叙述トリックでは、仮想の物語世界の中のある事象Aを、送り手(例えば作者)がA'と表現して伝達し、それを受け取った受け手(例えば読者)が別の事象Bだと誤認させられる形になります([図2]参照)。

[図2:叙述トリックの構図]
物語世界
事象A

――→
送り手
叙述A'

――→
受け手
誤認B
 

 [図2]からもわかるように、事象Aが物語世界の中で改変(または誤認)されることはないのですから、叙述トリックは仮想の物語世界の中ではなく、送り手がそれを表現した叙述の中にのみ存在するといえます。

[3] トリックの解明

 先の[図2]に示したように、通常のトリックとは異なり、叙述トリックでは物語世界の中の事象Aが改変されることはありません。すなわち、叙述トリックは物語世界に影響を与えない、と表現することもできるでしょう*2

 ところがこれは、原則として*3物語世界の中の登場人物は叙述トリックの存在を認識すらできない、ということを意味します。したがって、叙述トリックが仕掛けられた物語の登場人物は、叙述トリックによって隠された真相そのもの(例えば[図2]における事象A)を直接的に示すことはできる*4としても、叙述トリックを解き明かす(仕掛けを説明する)ことはできない、ということになります*5

 叙述トリックを使ったミステリでは時に、最後に示された真相がにわかに納得しがたいものになっている例が見受けられますが、これは真相そのものの問題というよりも、通常行われるはずの登場人物による解明がなされない(できない)という理由が大きいのではないでしょうか。また逆に考えれば、叙述トリックは原則として、真相を示すだけで受け手を納得させることができるような、ある程度シンプルなものにならざるを得ない、ともいえるでしょう。

 もちろん、叙述トリックを認識できるメタレベルからであれば、トリックを解明することも可能です。叙述トリックを使ったミステリではしばしば、作中作などによるメタフィクションの形式が採用されますが、これもトリックそのものの要請だけでなく解明の必要性によるところがあると考えられます。

 以上の三点は叙述トリックに特有の性質であり、叙述トリックと通常のトリックとを峻別する特徴といえるのではないでしょうか。

*

 さらに、叙述トリック特有とはいえないものの、重要な性質として以下の二点を挙げることができます。

[4] 偽の真相

 トリックを、その目的に着目して“隠すトリック”“騙すトリック”の二つに分けるとすれば、叙述トリックは明らかに後者に該当します。

 例えば密室トリックやアリバイトリックの一部のように、どうやって実現したのかわからないという状況を生じるものは、真相を不明にするための“隠すトリック”といえます。これに対して、叙述トリックは真相が不明な状況を生じるのではなく、何らかの形で“偽の真相”が暗示される、“騙すトリック”となります([図3]参照)。

[図3:“騙すトリック”]
隠された
真相
ミスディレクション
――――――――→
偽の真相

 つまり叙述トリックとは、受け手を“偽の真相”に誘導するトリックであり、真相の隠蔽ミスディレクションという二つの機能によってそれが実現されるということになるでしょう。

[5] トリックの隠密性

 安眠練炭さんの指摘(「叙述トリックについてのはしりがき」)を受けて、以下のように修正。

 一般的なトリック――例えば密室トリックの場合、密室トリックが使われたことが明かされたとしても、“どうやって密室を構成したか”というトリックの中身が直ちに判明するわけではないので、格別の問題がないことがほとんどではないでしょうか*6

 これに対して叙述トリックについては、トリックが仕掛けられていることが明かされてしまうと、“偽の真相”が十分に機能しなくなる――それが“偽の真相”であることが見えてしまう――ため、(一般的には)それと対立する“隠された真相”まで見抜かれてしまうおそれがあります(理由については安眠練炭さん「叙述トリックについてのはしりがき」を参照)。特に、叙述トリックは[3]で述べたようにシンプルなものになる傾向があるので、なおさらその危険性が高くなります。

 それを回避するために、叙述トリックはその存在自体が極力隠蔽されることになります。つまり、隠されてきた真相が示される時に初めて存在が明るみに出るのが、理想的な叙述トリックといえるでしょう。

*
[6] 典型的な叙述トリックの機構

 ここで、典型的な叙述トリックの機構を示しておきます。

[図4:典型的な叙述トリックの機構]
事象A叙述A'誤認B
情報
a1,a2,...,an

―――→

a1
情報
a2,a3,...,an

―――→

b1
情報
b1,a2,...,an
送り手に
よる欠落
受け手に
よる補完

 a1及びb1がそれぞれ事象A及び事象Bを決定づける情報であり、a2,...,anが事象A及び事象Bのどちらとも矛盾せず、しかも全体として事象Bの方をより強く示唆する*7情報であるとします。この場合、送り手がa1を欠落させる(真相の隠蔽)とともに、a2,...,anをそのまま伝える(ミスディレクション)ことで、受け手がa2,...,anの示唆によりb1を補完してしまった結果、事象Bだと誤認することになります。

 真相の隠蔽はミステリの大部分で一般的に行われていることなので、ミスディレクション――“真相”にも“偽の真相”にも当てはまり、なおかつ“偽の真相”の方をより強く示唆する情報(あるいは“表現”というべきか)――こそが、叙述トリックのポイントといえます。そしてまた、どのような情報をどのように扱うことができるかを考えれば、誤認の対象となる事象の選択が重要になってくることも間違いないでしょう。

*

 もう一つ、いわゆる“信頼できない語り手”との関係について触れておきます。

[7] 叙述トリックと信頼できない語り手

 まず、似鳥鶏『叙述トリック短編集』巻頭の「読者への挑戦状」から引用します。

 「叙述トリック」とは、小説の文章そのものの書き方で読者を騙すタイプのトリックです。たとえば、

 犯人は「事件の時に一人だった人間」である。主人公は事件の時、「松方」という人物と話していた。だから犯人ではない、と読者は思ったが、実は「松方」という人物は実在せず、主人公が作り出した妄想であった。つまり主人公は、客観的には事件時に「一人」だったのであり、犯人は主人公である。

 こういうやつです。この作品は主人公の視点で書かれており、「主人公にとっては松方は存在する」のだから、「松方が言った」とか書いても嘘ではない訳です。(後略)

  (似鳥鶏『叙述トリック短編集』 講談社タイガ 8頁)

 この『叙述トリック短編集』は、収録された短編のすべてに叙述トリックが使われていることがあらかじめ宣言されている、実験的かつ意欲的な作品集ではあるのですが、「1-2 「叙述トリック」の定義――似鳥鶏と我孫子武丸 - 新・叙述トリック試論(孔田多紀) - カクヨム」でも指摘されている*8ように、上に引用した“叙述トリックの例”は何とも困ったものになっています。というのも、上の例はいわゆる“信頼できない語り手”の一種ではあるものの、叙述トリックではない*9と考えられるからです。それは、読者が騙される機構を以下のように図式化してみると、明らかではないでしょうか。

[図5:似鳥鶏による例]
作中の現実語り手の認識語り手の叙述読者の認識
事象A

―――→
妄想B

―――→
 
叙述B

―――→
 
誤認B
語り手に
よる誤認
 

 上の図のように、作中の事象A(松方は存在しない会話していない)に対して、主人公が妄想B(松方は存在する会話していた)という誤認を生じ、それを主人公がそのまま叙述Bとして語り、読者も語られた誤認Bをそのまま受け入れる――という流れで読者が騙されることになりますが、誤認が生じるのは叙述よりも前の段階です。読者が叙述を介して騙されるのは確かです*10が、叙述によって騙されるのではない――トリックの核心となるのはあくまでも作中の語り手の認識であって、叙述そのものには何らトリックが仕掛けられていないわけですから、叙述トリックとは到底いえないでしょう*11

 つまるところ、叙述トリックと“信頼できない語り手”は、実作者が混同してしまうほど似ている部分もある――特に、読者が叙述を信用することで騙される点、そして読者が何について騙されたか――のですが、そもそもは異なる概念であり*12、さらに、例えば「信頼できない語り手 - Wikipedia」“叙述トリックの一種”と書かれているような包含関係にあるわけでもない、といえます。

 とはいえ、“信頼できない語り手”といえども、必ずしもすべての事象を誤認するわけではない*13、ということを踏まえると、叙述トリックと“信頼できない語り手”は決して排他的な関係――“信頼できない語り手”であれば叙述トリックではない、あるいはその逆――ではなく、両立できる余地があるのではないかと考えられます。例えば、上に引用した似鳥鶏による例を一部改変した、以下のような例ではどうでしょうか。

 犯人は「事件の時に一人だった人間」である。主人公は事件の時、「松方」という人物と話していた。だから犯人ではない、と読者は思ったが、実は「松方」は人間ではなく人形であり、主人公は「松方」が人形と知りながらそれを明示せず、会話する妄想をしていた。つまり主人公は、客観的には事件時に「一人」だったのであり、犯人は主人公である。

  (似鳥鶏『叙述トリック短編集』の例を筆者が改変)

 ……期せずして(?)某作品ほぼそのままになってしまって恐縮ですが、これを[図5]と同じように図式化してみます。

[図6:改変した例]
作中の現実語り手の認識語り手の叙述読者の認識
事象A

―――→
 
妄想B

―――→
 
叙述B

―――→
 
誤認B
事象P
p1,p2,...,pn

―――→
 
 
認識P
p1,p2,...,pn

―――→

p1
叙述P'
p2,p3,...,pn

―――→

q1
誤認Q
q1,p2,...,pn
語り手に
よる欠落
読者に
よる補完

 作中の事象A(会話していない)から読者の誤認B(会話していた)に至る上段は[図5]と同様ですが、作中の事象P(松方は人形)から読者の誤認Q(松方は人間)に至る下段の方は、作中の語り手を介している以外は[図4]と同じになります。誤認Q(松方は人間)を引き起こす最大の要因となるのが、妄想B(に端を発する叙述Bの内容)であることに引っ掛かりを覚える向きもあるかもしれませんが、しかし語り手の叙述次第では成立しない、すなわち叙述P'によって成立するトリックとなっているのですから、誤認Qに関する部分に限れば十分に叙述トリックといっていいのではないでしょうか。

 このように、“信頼できない語り手”と叙述トリックは両立し得る――正確にいえば、“信頼できない語り手”を利用した叙述トリックさえ成立し得ると考えられます。


*1: 送り手―受け手は、通常は作者―読者ということになりますが、間に作中の登場人物が介在する場合もあります。例えば、作中作に叙述トリックが仕掛けられている場合、下の図のような形になるでしょう。

[図:作中作を使用した例]
作者――物語

書き手――作中作―→読み手
―→読者
 

*2: 叙述トリックの大半は、別のトリックによってそれと同じ(あるいは類似の)現象を作中に生じさせることが可能なので、例えば[例を表示]といった形で、受け手(読者)と同時に作中の登場人物も騙すことができます。しかし、一見同じ(ように見える)現象であっても、登場人物は叙述トリックではなくあくまでも別のトリックによって騙される、ということに注意すべきでしょう。
*3: 物語の中に登場し、物語世界の事象をリアルタイムで語る一人称の視点人物が叙述トリックを仕掛ける場合は、その視点人物自身は当然叙述トリックを認識できることになります(一人称の叙述であっても過去の回想などの場合には、叙述トリックを仕掛ける語り手自身はメタレベルに位置すると考えられます)。
*4: 叙述トリックの種類によっては、これさえ(不可能とまではいえないものの)困難な場合もあります。
*5:  実際には、神のごとき洞察力を有する探偵役が、本来は認識し得ないはずの“読者の誤認”を(勝手に)想定するかのように、結果的に(あるいは間接的に、というべきか)作中で叙述トリックの種明かしをしている作品もないわけではありません――知る限りでは国内長編の例が三つあります――が、もちろんこれは例外です。
*6: 例外として一部のアリバイものについては、“アリバイものである(アリバイトリックが使われている)”ことを明かすべきでない場合がありますが、これは結果として“アリバイで守られている容疑者が犯人”だと見当がついてしまうことが問題であって、トリックの中身が露見するわけではありません。
*7: 主な原因は、受け手の先入観(もしくは偏見)ということになります。
*8: “しかし、小説における語りの技術や構造(いわゆるナラトロジー、物語論)に多少詳しい方ならば、ここで(あれ?)と首を傾げるのではないでしょうか。似鳥の例は、「信頼できない語り手」について述べたものであると見做しても、完全に成り立つからです。”
*9: 上に引用したように、孔田多紀さんはここまで断言してはいませんが……。
*10: これは実のところ、作中の登場人物が実行する一般的なトリックでも同じになってしまうわけですから、直ちに叙述トリックはといえないことは明らかでしょう。
*11: ついでにいえば、この例は似鳥鶏がいうような“小説の文章そのものの書き方”よりもむしろ、“小説の文章に書かれた内容”で読者を騙すトリックになっていると思います。
*12: 詳細は、「1-3 「信頼できない語り手」と「叙述トリック」はどう違うのか? - 新・叙述トリック試論(孔田多紀) - カクヨム」などを参照。
*13: “信頼できない語り手”である以上、その叙述は総体として信頼できない、という考え方もあるかもしれませんが、そもそもフィクションであるからには、語り手がいくら非現実的なことを語っていてもそれが“作中の現実”でないとは限らない(そのような設定かもしれない)のですから、“信頼できない語り手”か否かは一般的に、作中の事実が判明・確定してから事後的に判断されることになりますし、“どこまで信頼できたのか”も同時に明らかになるのではないでしょうか(これは“地の文の嘘”についても同様だと考えられます)。

(2006.04.27初出)
(2006.05.01一部修正)
(2023.02.19[7]を追記)
(2026.06.27全体を微修正)

 叙述トリックの対象による分類

 前項の[6]の最後に述べたように、叙述トリックにおいては誤認の対象が重要なポイントの一つであると考えられます。

 例えば、物語の舞台となる具体的な地名や詳細な日時などは、作中で示されなくてもとりたてて不自然ではありませんが、ある人物の名前が示されることなく人称代名詞のみが使われるといった状況では、いささか不自然に感じられるのは否めません。このように、重要な(あるいは具体的な)情報をどこまで隠すことができるか、どのようにミスディレクションを仕掛けることができるか、といったところに、誤認の対象によって差が出てくるのは間違いないでしょう。

 したがって、誤認の対象に基づいて叙述トリックを分類することには、なにがしかの意味があるといえるでしょう。そして、誤認の対象とは送り手から受け手へと伝達される情報の一部なのですから、伝達すべき情報を整理する際に使われる、いわゆる“5W1H”の考え方を参考にしつつ、以下のように分類してみます*1

  • 人物に関するトリック (誰が)
  • 時間に関するトリック (いつ)
  • 場所・状況に関するトリック (どこで)
  • 物品に関するトリック (何を)
  • 行為に関するトリック (どのように)
  • 動機・心理に関するトリック (なぜ)
  • その他のトリック

 各項目の詳細については、「叙述トリック分類」(別ページ)にて説明します。


*1: 項目を立ててみたものの、具体的な例が思い当たらないものもありますが、その点はご容赦ください。

(2006.05.01)

 以下の項では、「叙述トリックとフェアプレイ」に関して思いついたことを書き連ねていますが、より厳密性を欠いた暴論になっているかと思いますので、その点はご了承ください。


 叙述トリックとフェアプレイ(その1)

 「叙述トリックとは」[図4]には、送り手による情報の欠落と受け手による情報の補完に基づく叙述トリックの機構を示しましたが、これに対して次のような例はどうでしょうか。

[図7:虚偽を含む例]
事象A叙述B誤認B
情報
a1,a2,...,an
――→
↓ ↑
a1 b1
情報
b1,a2,...,an
――→
 
 
情報
b1,a2,...,an
 

 [図7]の例では、送り手が事象Aを決定づける情報a1を欠落させるとともに、事象Bを決定づける(事象Aと矛盾する)情報b1を追加して伝達し、受け手はそれをそのまま認識して騙されることになります。これは要するに、叙述が虚偽(嘘)を含んでいる場合です。

 虚偽の情報を含む叙述によって騙すことは、叙述トリックには該当しないとする考え方*1が一般的でしょうが、叙述によって受け手を騙す手法には違いないはず(もちろん、全部が全部“叙述トリック”というつもりはありませんが)。にもかかわらずこれが“叙述トリックではない”とされるのは、“叙述トリックか否か”の判断以前に――おそらくは“地の文に嘘を書いてはならない”という“原則”に引きずられて――フェア/アンフェアの価値判断が入り込んでしまい、“アンフェアな手法なので叙述トリックではない”と結論づけられている、ということではないかと考えられます。

 とはいえ、叙述における“虚偽”を“作中の事実に反する情報”とするならば、例えば明示されない時系列の逆転――情報a1(日時に関する明示的な情報)を欠落させて情報b1(作中の時系列とは異なる叙述の順序)を追加する――などは、直接的な虚偽の記述がないとしても*2、厳密には“虚偽”に該当するように思われます。しかるに、これが一般に“虚偽”と見なされず、叙述トリックの手法としても許容されるのは、ミステリにとどまらず物語の技法の一つとしてすでに広く定着しているがゆえに手法の“アンフェア感”が薄い*3、というだけのことではないでしょうか。

 このような手法そのものの“アンフェア感”については、十分に理解はできるのですが、前述のようにそれが“叙述トリックか否か”を左右するのは、さすがに筋違いというべきでしょう。また、このアンフェア感は“納得しがたい卑怯な手法”という程度の意味にすぎず、“読者に謎が解けるように書かれているか否か”という意味でのフェア/アンフェアとは、そもそも観点が違っている――というのは、“アンフェアな手法”といった表現が持ち出される場合、主にトリックについてのみ用いられるにとどまり、その際に“謎が解けるかどうか”にまで言及されることがほとんどない*4ところにも表れています。

 実のところ、手がかりよりも伏線が重視される感のある昨今の(?)風潮をみると、手がかりが“伏線”としか受け止められていない――解明ではなく納得のためだけの材料になっている――のではないかと思える節があり、そうするとフェアプレイについても実態としては、“読者に謎が解けるか否か”から離れて、“提示された真相に読者が納得できればフェア”と判断されている部分があるのではないか、と推測されます。しかし“納得できるかどうか”だけで考えると、最終的には主観の問題になってしまうおそれがあるのが難しいところです*5

 ということで、ここでは“読者に謎が解けるか否かにかかわらず、“アンフェアな手法”であれば自動的にアンフェア”という線引きではなく、あくまでも“読者に謎が解けるかどうか”という観点でフェアプレイを考えていきます。

*

 まず、一般的には以下の二点が、ミステリにおけるフェアプレイの原則とされています*6

 これについては、極楽橋水軒さんが“「地の文で嘘を書いてはならない」を弱いルール、「解決に必要なデータが予めすべて読者に提示されていなければならない」を強いルールと呼ぶ”ことを提案している*7ように、「原則1」「原則2」の効果が異なっていることは明らかです。すなわち、解決のための手がかりの提示を求める「原則2」が、読者が謎を解明できることを積極的に保証するのに対して、“地の文の嘘”を禁じる「原則1」は、読者による謎解きの妨げとなり得る要素を排除することで、読者が謎を解明できることを消極的に保証する性格のものといえます。

 そして実のところ、「原則1」の方はフェアプレイの「原則」とまではいえない――“地の文の嘘”はアンフェアの類型にすぎない、といっていいように思われます。例えば、謎解きとは無関係の“嘘”(もしくは“誤り”)が地の文に書かれている場合*8などは、基本的に謎解きの妨げにならないことは明らかでしょう。そして謎解きに関わる“嘘”の場合であっても、読者がしっかりと“嘘”を見抜くことができるように書かれてさえいれば、やはり最終的には謎解きを妨げるとはいえないはずです。

*

 ここでようやく冒頭の話に戻りますが、“虚偽を含んだ叙述トリック”といってよさそうなトリックが使われた作品であって、なおかつ読者が“虚偽”を見抜くことができるように書かれている――つまりは十分にフェアといえる作品の例を二つ、作品名などを伏せて紹介してみます。

『作品A』の場合

 『作品A』では、語り手が聴き手に対して語る物語――すなわち語りのパートにおいては一人称の地の文に当たる部分に、虚偽が含まれています。それに対して、聴き手に伝えられる物語の内部に加えて、その外部(メタレベル)である物語の“外枠”部分にも手がかりが配置されることで、虚偽が暴かれる形になっています(下の[図8]参照)。

[図8:『作品A』の手法]
作者――
『作品A』

―→読者
語り手――
語り

虚偽
―→聴き手
  手がかり  

 
  手がかり  
 

 おわかりかと思いますが、語り手の語りを“長い台詞”ととらえてしまえば、これは登場人物の偽証を他の手がかりによって否定する手順と実質的に変わるところはないので、地の文に虚偽があっても十分に解明可能――フェアであり得ることは明らかでしょう。

『作品B』の場合

 『作品B』では、作中作にトリックが仕掛けられています。作中作の形式をとっている――その作者である登場人物に責を負わせる(?)ことができる――とはいえ、メインの仕掛けは(作中作の)作者から直接読者に伝えられる情報に虚偽を配してある大胆なもので、(あまり指摘されていないように見受けられますが)実質的に“三人称の地の文の嘘”に等しいといえます。

 解明はやはりメタレベル、すなわち物語の“外枠”部分から行われるものの、『作品A』と違って“外枠”部分には直接的な手がかりが存在しない*9のが特徴で、その代わりに、作中にも反映されている(と読者が想定できる)作品外の現実が、作中作の記述とともに手がかりとして用いられ、作中作の虚偽が暴かれることになります(下の[図9]参照)。

[図9:『作品B』の手法]
作者――
『作品B』

―→読者
書き手――
作中作

虚偽
―→読み手
  手がかり  

 
  手がかり  
 

 物語の“外枠”部分で示されている解明の手順は妥当で、作中作には多数の手がかりが用意されており、作品外の現実の手がかりと合わせれば、読者にも十分に解明可能となっています*10。さらにいえば、登場人物による作中作という形式のために読者が疑いの目を向けやすくなっている面はあるにせよ、前述のように“外枠”部分に手がかりが配置されていないため、作中作(の“問題篇”)だけを取り出して読んでも解明は不可能ではありません*11

*

 これら『作品A』『作品B』のような例を踏まえると、虚偽を含む叙述であっても直ちにアンフェアとはいえない、ということになるのではないでしょうか。そして結局のところ、“読者に謎が解けるか否か”はトリックだけで定まるものではなく*12手がかりとの関係によって大きく左右されると考えられます。次項ではそのあたり、特に叙述トリックと手がかりの関係について考えてみたいと思います。


*1: 例えば「はてな - 叙述トリックとは」には、少なくとも2006年の時点では、“基本的な叙述トリックでは、あくまでも心理的な誘導を行うことがメインであり、意図的に偽の情報を与えるといった行為はこれに該当しない。あくまでも与える情報は「事実」のみである事が重要である。”と記されていました。
 ちなみに2026年現在では、“叙述トリックを用いる際、虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェアとして斥けられる。”とされています。
*2: 順序が変更された叙述だけをみれば、直接的な虚偽の記述とまではいえないかもしれませんが、章の番号などはどうしても順序を連想させるものですから、“虚偽”といってもおかしくはないのではないでしょうか。もちろん、あくまでも“読者に提示する順序”を示したものという見方もできますが、「13章」から始まる麻耶雄嵩『あいにくの雨で』などのように、積極的に作中の時系列を表す例もしばしばあることを考えると、かなり微妙なところがあります。
*3: 広く使われているために、もはや読者が当然想定してしかるべき手法の一つになっている、ということではないかと思われます。
*4: 私自身が、大山誠一郎「柳の園」(単行本版;『密室蒐集家』収録)の謎解きについて、“アンフェア”と評したことがありますが……。
*5: おそらくは当初から“読者を納得させる”ことを最大の目的として、探偵役による(論理的な)謎解きの手順なども含めた(本格)ミステリの形式が確立されてきたのでしょうが、その中で、より客観に近づいた指標――読者が納得すべき指標――として、“読者に謎が解けるように書かれている”という考え方が生まれてきたのではないでしょうか。
*6: 例えば、「推理小説#本格ミステリ - Wikipedia」では、“本格であるためには、解決の論理性だけではなく手がかりが全て示されること、地の文に虚偽を書かないことが要求される”とされています。
*7: 小田牧央さん「*the long fish*」内の「犯人当て小説のためのフェア・プレイ変換の提案について:補足資料」を参照。
*8: これについては、“すべての記述が信用できなくなるので(問答無用で)アンフェア”という意見もあるようですが、これはさすがに極端すぎるのではないでしょうか。
*9: サブの仕掛けについては“外枠”部分に手がかりが配置されていますが、あくまでもメインの仕掛けを見抜くためだけであれば、そちらは不要です。
*10: ……と一応書きましたが、厳密にいえば“作品発表当時の現実”が手がかりとなっているため、事情が変わっている2026年現在では残念ながら、読者が完全に解明するのは困難になっています。
*11: 実のところこの作品は、極度の“綱渡り”であるがゆえに仕掛けが露見しやすくなっている部分があり、“難易度”が下がりすぎるのを防ぐために、“虚偽”を盛り込むことでバランスを取ってあるのではないか、と考えられます。
*12: したがって、あくまでも“読者に謎が解けるか否か”という観点でいえば、“アンフェアなトリック”も存在しないといっていいのではないでしょうか。

(2006.05.15初出)
(2026.06.27改稿)

 参考