ワンダフルハウス私物 P0302 FJ09 価格不明 (カールヘルム1990年夏物) |
|
![]() |
![]() |
ジャケットなのにフード付きという大変凝ったデザインです。フードはファスナーで着脱できるようになっていて、時計のワッペンが縫い付けてあります。綿100%、シングル2つボタン、ノーベント、裏地無しの1枚仕立てです。 |
1979年から1981年までananに連載された「金子功のいいものみつけた」の63回目(アンアン1981年3月11日号)「古い赤い上衣(ブレザー)」を紹介いたします。
![]() |
ジャケット¥28800、シャツ¥6900、ネクタイ¥1900、カマーバンド¥4900(カサブランカ) スカート¥19500(ピンクハウス1981年春夏物) |
ホテルのドア・ボーイ。パレードの楽隊のボス。ちょっと賑やかなレストランの老支配人。
そういう男が着るような赤だ。ブレザーとしてはごく古い、つまり平凡そのものという形。衿などのオールド・ファッションなところといい、まさに「昔からある」タイプそのものだ。
あるいは、プレスリーみたいな歌手がちょっと品悪く歌っていたりするホテルに、ディナーを奮発しにやってくるお客。こんな赤い上衣を着て大声で笑う”おっさん”が、ひと昔前のアメリカにはいっぱいいたのではないか。
そういう赤いブレザーがここにある。何と組合せて着るのか、あれこれ考えをめぐらしていると――。
ボーイのようなイメージなら、タキシード用の幅広ベルトが思い浮かんだりする。パナマ帽もいい。白いオールド・ファッションのワイシャツに蝶ネクタイ、白い広めのズボン。
だが、女の子がすべて男もので揃えて着こなすにしては、この赤はややコメディーになってしまう危険もある。
パンツはやめてスカートにしよう。それでも礼装用のベルトは使って。アンティック風の絹っぽいスカートが似合う。帽子はフェルトのボルサリーノ。女がかぶると勝気な姐御のイメージも感じさせる帽子だ。
または、上衣は片袖だけ通して投げやりなはおり方。シャツの腕にガーターみたいな留めゴムをつけている男。ポーカーのカード配りなんかに、そういうキザな奴がいる。赤だのグリーンだの派手な色の留めゴム。
ネクタイも、クラシックなやつをわりあい乱暴に結ぶ。やくざな男の気どり方。昔のニューオーリンズかシカゴあたりの酒場にうろちょろしている伊達男。
などなどが思い浮かび、古いニューオーリンズ・ジャズが聞こえてくるような気分。なぜかこの赤いジャケットには、場末のクラシックな酒場の匂いがして、キザな男のかっこよさ、といったイメージがつきまとう。
そういう男の相手役の女は、威勢のいい啖呵(たんか)を切るような姐さんか、絹のワンピースでもの憂げに煙草を吹かす美女。口紅を濃くぬるのが似合う女。
誰でも、ちょっとやくざな雰囲気に憧れを持つことはあると思う。古いブレザーの赤い色にそんな気分を感じたら、そういう雰囲気を連想させる組合せをしてみればいい。連想を集めるだけで、なんとなくそんなふうに、なる。やくざな男のネクタイと、やくざ姐御の口紅とスカートが、うまく一つに融け合ったりする。男もの、女ものということは関係なく、一つの雰囲気が生まれてくるものだ。
1979年から1981年までananに連載された「金子功のいいものみつけた」では、63回目の他に、31回目(アンアン1980年4月1日号)「洗いざらした赤」でも、金子さんが”赤”について語っています。
![]() |
ジャケット¥7800円(サンタモニカ)麻ワンピース¥29800(ピンクハウス1980年春夏物) |
また古着屋で、いいものを見つけてしまった。というより、こんな気分になれる品物が一つや二つ、必ず古着屋では発見できるものなのだ。
今回もまた、男もののジャケットである。古着の魅力とは別に、男のスポーティーなジャンパーやシャツも絶対にいい。
もちろん、ジーンズやTシャツと合わせて着るのにこのジャケットは最適だ。が、ごく普通のそうした着方から、ちょっと外れてみたいという気もいつものことながら抑えられない。
麻の女っぽいワンピースの上にこれを着る。この服のややくすんだ色に、赤いジャケットの色は本来あまり合いそうにない。ところが、この二つの異質の赤が、じつにしっくりと合う。
上衣の男っぽさと服の女っぽさがなんとなく似合ってお互い「サマになる」、それ以上にこの赤と赤の合い方は心楽しい。
その理由を考えてみるのだが、多分、古着というものの不思議な魅力なのだろう。洗いざらされ、何人もの人に着られたり捨てられたりしながら、何年も何十年もの月日を経て、偶然にこの店に来た。その道のりの中で、上衣の赤は少しづつ色あせ、ゴワゴワだった厚手木綿が、クタッと柔らかな材質に変貌する。
古着にも、新しい服と同じように、男っぽいシャツ+ジーンズのツナギが似合う、といった組合わせの”きまり”はあると思うのだが――しかし、それを無視したどんな組合わせをしてみても、そのすべてがそれぞれサマになってしまう。
デシンのワンピースにも、スポーティーなズボンにも、と、たとえば五つの着方をしてみるとそのどれでもがちゃんとうまくいく。理由は、古いものの質感の”寛大さ”のようなことではないのか。写真のコーディネーションにしても、服の新しさを上衣の古さでやわらげているし、そのあせた色合いが、服の個性を少しだけ抑えている。で、全体として、柔らかく着る人の身についた雰囲気をかもし出す。
NEW! |
もしも新品だったら、好きでもないし手にも手にとってもみないかもしれないこのジャケットだ。アンバランスなボタンの大きさ、広すぎる衿…。そして最初の色は、もしかしたらあまり品のよくない赤だったろう。
新品で着るなら、合わせる相手をかなり選ぶはずだし、このワンピースに合うということもないはずだ。――結局、年月をかけた質感の変貌ということが、人間の技術(テクニック)や感覚(センス)を超えた力を持っているわけで、そこが面白くもちょっと口惜しくも思われる。”時間”というデザイナーは相当に微妙な芸当をやってのけるものなのだ。
となると、新しい服をおろすときの気恥かしさや自分になじみにくい服をこなす気の重さをなんとかしたい、そんな場合に好んで古いものを合わせてみるのも一つの方法かもしれない。