Gジャンとは、ジーンズ・ジャンパーの略で、デニム製の衿付きのジャンパーのこと。英語では、denim jacketやjeans jacketといいます。1905年、リーバイ・ストラウス社はデニムジャケットの製造を開始。品番は1917年に506の品番が採用されるまでナンバー1(ファースト・モデル)の名前で親しまれました。1953年にデニムジャケットのセカンドモデル507XXがファーストモデルの後継型としてデビュー。チェストポケットが2つになり、身頃調節のバックストラップがサイドのアジャストボタンに進化しました。
わんだふるはうす私物 7 KF−13 価格不明 (カールヘルム1987年春物) |
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鮮やかなブルーのネルが身頃だけでなく袖の裏まで付いてるんです。Tシャツ+Gジャンだけでも、ネルシャツを着た時と同じくらい暖かくて、春先や晩秋に重宝してます(^‐^) ステッチは白。背中は無地。 | こちらは、色違いでホワイトデニムのGジャン。やはり裏地に白いネルが付いています。ホワイトGジャンも1枚は持っていたいアイテムです。 |
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バックサイドの身頃調節用のベルト。機能的なデザインが施されています。ボタンにもkarl Helmutのロゴ入り。 |
ジージャンについては、1979年から1981年までananに連載された「金子功のいいものみつけた」の39回目(アンアン1980年6月21日号)「着ふるされたデニムの上下」で、金子さんが触れているので、それを紹介いたします。
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ジャケット¥7800(バックドロップ)ブラウス¥13800(ピンクハウス1980年春夏物) |
デニムが流行だ。Gパンを中心とするジーンズのファッションは、もはや流行などと関係なく、深く広く生活の中に浸透してしまった……と思っていたのに。この日常的衣服が、ふたたび「おしゃれな」ものとして活躍し始めた。
面白い現象だと思う。魅惑的なできごとでさえある。
流行らせ始めた元祖は誰なのだろう――多分、ELLEの編集者あたりかもしれない。いずれにせよ、またもやパリだ。
パリの、あの手の女たちの憎いほど洗練された感覚には、もう何回となく”ちくしょう!”と思わされ、”あっぱれ”と敬服もしている。たしかELLEでだったと思うが、ジーンズの上衣を着てワンピースというのを見た。ごく最近では(デニムとは関係ないが)フリンジ付きのカウボーイジャケットにティエリー・ミュグレーのパンツというのも見た。後ろ向きで、いい女で、とにかく凄いページだった。写真に写っていたモデルよりも、その着方を考え演出する女(編集者が女だと決めてかかっているのだが)に興味を持たずにいられない。日本のいわゆるスタイリストのように、ただある服を組合せるのではなく、その服を使ってまったく新しいひとつの精神、別のデザインとさえ言える着方を創造している。ジーンズやカウボーイのジャケットなど、何十年も前からさまざまなスタイルで着こなされてきたものなのに、今また、新しく使ってみせようという心意気――。
発祥がどこであるにしても、デニムの流行は嬉しいことである。デザイナーはデニムで新しいデザインをしているが(それも悪くはない)一番普通のジーンズの上下、が脚光を浴びる、このことのほうがさらに楽しい。
オートバイ乗りのようなゴツい着方もよし、Tシャツでスポーツ少年風もよし。完成されたデザインだから、幾通りかの”お決まりパターン”があって、そのどれもがサマになる。
けれども、今はジーンズの上下を女らしく着ることが新鮮で、デニムの良さをもうひとつ発見するような思いがある。
古着がとくにいい。が、新品のゴワゴワだっていい。男ものなのだから、ガバッと大きめのやつがいい。
可愛いめのブラウス、花。ベルトとスカーフと靴は赤。たとえばこの組合せも、あるいはまた、パールのネックレスやデシンのワンピースでも……何に合わせてもジーンズの良さが厳然と主役だ。
長い年月、男たちに着続けられてきたデザインの完成度は高く、付け加えるべきものも取り去るべきものもない。このジーンズの上下を組合わされたほかのものが、主役にピタリと添わされてしまう。老練な名優のような存在である。
![]() わんだふるはうす私物 9 KF−6 ¥32000 (カールヘルム1987年秋物) |
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ピエロのアップリケが背中に付いてるGジャン。当時、丸井横浜関内店馬車道館にあったカールヘルムの店員さんから聞いた話では、丸井の社員さんが「これ、いいね〜」と言いつつ、買っていったそうです。確かにピエロのポーズとロゴの配置が絶妙で、いいGジャンですね。1987年当時、スキーのV字ジャンプは、飛型点で大きく減点される失敗ジャンプでした。しかし、1991年から減点対象から外されて、1992年のアルベールビル五輪から主流になりました。丸井横浜関内店は2000年に閉店されて更地になった後、2003年、超高層マンション「横浜シティタワー馬車道」に生まれ変わりました。時の流れを感じさせるGジャンです。 |