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夢はデジャブ? 夢の中で、奇妙な感じを受けるのは、あなたの意味記憶が識別しているからです。 意味記憶というのは、たとえば「教室」とはこういうものという記憶のこと。 机があって、生徒がいて、友人もいれば、苛めるやつもいる。 初恋の人がいたり、部活動があったり、勉強もしたりする、 いい思い出もあり、いやな気分にもなる空間というような「枠組み:スキーマ」を提供します。 教室にいる夢を見ている場合、そこにあるものが会社のデスクであったり、 小学生の友人であったけど、中学で転校してしまった初恋の人が 高校生の自分と話をしていたりと、ありえない状況にあることに気づくのは、 意味記憶が「それは奇妙だよ、ありえないよ、おかしいよ」と判断しているから。 新奇な体験をしているとき、いつもと違うという「感覚」を引き出すのも、「意味記憶」ですね。 初めての場所にいるとき、未知の物を見て、触れているときに、 新奇な体験だと気づくのは、嗅内新皮質と海馬、嗅周野がやり取りをして 新皮質にあるエピソード記憶を参照し、既知のエピソードでないかどうか検索し、 新奇であると海馬が結果を出すからでしょう。 新皮質に散らばっている類似する記憶の断片を見つけようとするときに、 これだというエピソード記憶は見つからないのに、 きっとあるはずという検索が、同時進行してしまうことがあります。 まさに「いま」体験していることが、記憶を上書きし、 かつての記憶への重ね合わせのような妙な感覚に陥ることがあります。 同じ経験をしたことがあるはずだ、そうにちがいないというような「既知感覚」が生じます。 あるかもしれない「経験」を、あったかもしれない「経験」に 仕上げてしまう「デジャブ」効果ですね。 類似の記憶を探す作業において、あるいは記憶を想起する過程において、 想像的に「記憶」をつくりだしてしまうからですね。「嘘の記憶」もありふれているでしょう? 新奇な体験の短期記憶を既存のエピソード記憶と関連づけようとするときも、 同じように想像的に仕上げられるのですが、その際にみているのが夢なのですから、 デジャブのような感覚が夢見において生じるのは当然のことかもしれません。 夢は近い未来を予測し、生存のための「スキーマ」を提供するデジャブということなのかも? |