つぶやくという「行為」

ちょっと前までは、つぶやいても聞いているのはほんの一握りの人たちであった。

あるいは、単なる独り言で済んでいたはずだ。

つぶやいて、反応があってもなくても、自分でもう一度考えてみることができたはず。
つぶやきには、自分のつぶやきで回答がくるのが普通で、自分の脳内で処理されるものだった。
自分の中で発生した「思考」を自分の中だけで消化・吸収することができたということ。
つぶやきは自己完結するものだったから、責任を負わずに済んでいたわけだ。

漏れ聞こえて、周囲の何人かを巻き込んだとしても、
そのつぶやきに影響される範囲はとても小さいから問題なかった。

つぶやきは、考えるために発生するものであり、
つぶやきから「共起する言葉」は、特定の文脈やテーマにおいて、
脳のネットワーク上でつながっている「言葉の組み合わせ」を引き出します。
それらの組み合わせは、互いに意味を明確にするだけでなく、つぶやきに本来の深みを与えます。

引き出されるものや深みがさまざまであって、ときにはカオスをもたらすのがSNS空間です。
不特定多数のネット空間という外部記憶装置をあなたの脳は相手にするようになりました。

あなたのつぶやきは、その外部装置に永遠に記録され、
再構成され、他の情報とつながり、ネットワークを形成し続けます。
夢見なら、一晩過ぎれば、記憶消去のシステムによって、忘れることもできるでしょうが…
SNS空間はそのような機能は最初から装備されていませんし、拡散の機能のみが圧倒的なので、
つぶやきに対する他者からの反応は、理性的な文脈が混じってはいますが、
おしゃべりはとまりません。おしゃべりは基本的に感情そのものです。
なぜなら、おしゃべりという繰り返しは「感情」から生起されるものだからです。
つぶやきにはつぶやき、それが基本原理で、おしゃべりの本質です。

AIに「つぶやき」を担当させれば、あなたは「つぶやく」ことは減るかもしれませんが…。
スタートがあなたでなくても、おしゃべりは絶え間なく繰り返されるのがSNS空間です。
あなたの夢見は、その空間に居場所を見つけるかもしれません。
なぜなら、夢見の生成のしくみとSNS空間の生態は似ているからです。
ところで、居場所だと思っていたSNS空間は、夢見にとってニッチな生態系であり、
取り込まれてしまう危険性があることを承知していなければなりません。
あなたの身体を除外してしまう「恐れ・惧れ」があるからです。
身体を素通りしてみる夢は、もはやあなた自身を「主体」とみなさないようになるでしょうから。
夢見の限界はおそらく、そのあたりにあって、私自身も危惧しており、
創造的な役割を果たせるための「別の出口」、あるいはインターフェースを探っています。

懐かしい彼  「ようこ」さんの夢
https://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/youko01w.html