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生きる目標は失われている 「ある行動」を起こす能力があるのに、実行に移すことがなければ、選択はされない。 同様に、「ある行動」をする動機があるのに、実行しなければ、やはり選択されない。 選択するのは、この世の中のシステムだ。「選択」は生き残りにつながる。 あなたが未知の状況のもとで、特定の目標に向けて行動しているとき、 現実世界の刺激によって駆り立てられ、単に知覚に反応し行動する傾向が多くなりがちです。 なぜなら、複数の可能な行動があるのに、あなたなりの「現実認識」の枠組みにとらわれ その都度、判断することを避けているからだ。判断しないで、行動しているということだ。 あなたの「現実認識」が、あらためて考えなくても大丈夫だと当然のごとく「提示」してくるから。 あなたは効率的に生きようとしているから、考えなくて済むなら、それでよいと、 最初に思い浮かんだ「行動」を選択し、納得しながら悠然と構えている。 意思決定能力を備えているのに、それを使わないのなら、 「現実認識」という記憶のネットワークに行動をゆだねるだけの存在になってしまう。 生きているのではなく、何かに動かされている実感しか残らない「生き方」となっている。 目の前の現実にたじろぎ、ストレスという刺激を受け、生きている多くの人たちは、 安易に、楽に生きようとする道を選ぶと、「現実認識」という安直な枠組みに追い込まれる。 あなただけでなく、大部分の人たちが、同じような行動で「反応」していることに気づくはずだ。 脳はつねに刺激を求めている。 同じ枠組みにとどまろうとはしていない。新しい提案を用意している。 それが、夢の機能だとわたしは思っている。 生き残りという「生存競争」はかつての「狩猟採集」の時代のなごりであり、 現在では「生きがいを創り出す」ことが生き残りを意味している。 AIとロボットの時代になり、人々は働くことをしなくて済むようになっていくだろう。 働かないで生きること、そうなったときに、現実世界は大きく様変わりをし、 社会における役割分担が変化してくる。何を考えるかが変わってくるということだ。 まさに、今が「過渡期」であり、脳は自分の役割をあらたに創造しなければならなくなっている。 夢をみる機能こそが、その役割を担うだろうとわたしは考えている。 共同生活の家? 「レッドアップル」さんの夢 |