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ヘブン / Heaven

Tom Tykwer

2002 D/USA/I/UK/F
93 Min. 劇映画

出演者

Cate Blanchett
(Philippa Paccard - トリノに住む英国人教師)

Giovanni Ribisi
(Filippo - トリノ警視庁の警官、英語の通訳)

Remo Girone
(フィリッポの父親)

Mattia Sbragia
(Major Pini - フィリッポの上司)

Alberto Di Stasio (検察官)

見た時期:2002年7月

2002年 ベルリン映画祭参加作品

要注意: ネタばれあり!

監督はローラが走る!ラン・ローラ・ラン、下の方へスクロールして下さい)のトム・トュクヴァーです。この役に当時恋人だったフランカ・ポテンテを据えても行けるストーリーです。ケイト・ブランシェットはこの役よりシッピング・ニュースの方が冴えています。私はブランシェットのファンなので、1度余計に見られて文句はありませんが。それでもブランシェットの良さが生きる映画と生きない映画があります。

共演はジョバンニ・リビシ。この人はあまり好きではありません。ブランシェットとはギフトで共演しています。マネー・ゲームでは主演です。父親がプロデューサー、双子の妹も俳優という芸能一家の出です。どういうわけか私が出会う映画ではいつも父親と問題を抱えた息子の役をやっています。今回はその3本の中では1番マイルドな役で、子供の時から父親とそれほどうまく行っていなかったのが、最後にお互いを認め合うという役になっています。

ベルリン映画祭にも出品され、ドイツでは当然ながら高い評価を受けています。「ドイツで高い評価」と言った場合多少眉唾と考えています。ドイツの映画関係者は自国の監督が国際的に進出するとよく出来を無視して誉めます。私は別にそういうことに批判的ではありません。外国に出て行くドイツ人をメディアが誉めるというのはその先の成功を祈ってのことでしょうし、出来を無視してけなすよりは、出来を無視して誉める方が親切というものです。私たちのような映画のファンはしかしそういうメディアの評価をうのみにするわけにはいきません。あくまでも主観的に、友達の評価を聞いても「自分はこう考える」という路線で行くしかありません。最後は Going my way. にならざるを得ません。

さて、筋をばらします。見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

自分の亭主をジャンキー(麻薬中毒)にされ、仕事先の子供(どうやら小学生)にヘロインを売るディーラーを殺そうと、ブランシェット演じる教師フィリッパは爆弾を仕掛けます。この男だけを片付けたかったので、秘書を遠ざけたり、人が帰った頃を狙ったりとそれなりに配慮をしますが、結果は無関係者が4人死に、ディーラーは生き残ります。殺そうと思い詰める前にはたくさん嘆願書を当局に送っていましたが、それは無視されていました。ディーラーを殺したかどで捕まっても良いと思っていたのか、犯行後逃亡していなかったので逮捕。イタリアはトリノの警視庁に連行され取り調べを受けます。たまたまフィリッパが英国人教師で取調べは英語でと要求したため、通訳の資格のある若い制服警官、リビシ演ずるフィリッポが通訳します。彼女はディーラーがまだ生きていることをここで初めて知りショックを受けます。その様子を見ていたフィリッポは彼女に一目惚れしてしまい、助けようとします。フィリッポの父親も出世した警官ですからフィリッポの思いつきは無謀そのものです。

監房が盗聴されていたため彼の計画は当局にばれていますが、それでもまんまと彼女の救出には成功します。こう言っては何ですが、トュクヴァーお得意のご都合主義が今回も多いです。ここから後半に入り、お先真っ暗の逃避行。トュクヴァーお気に入りのテーマです。プリンセス&ウィーリアーでは夢も希望も無い人生を歩んでいた、自分というものを持たない若い看護婦フランカ・ポテンテと、心に深い傷を負った兵士、後に強盗になるベンノ・フュールマンが出会い逃避行。ここでフィリッポがやるようにポテンテもフュールマンをかくまい、自分1人で独占します。トュクヴァーは絶望した人間と、自分というものが無い人間を出会わせて2人で逃げ、助けた人間が助けられた人間を独占するというテーマが好きなようです。

どこかの記事に「この作品はあまり語らず、雰囲気を感じる映画だ」とありました。そういう意味ではキャスティングは成功しています。大根役者にやらせたら務まらない役です。見ていて不気味に思ったのは、フィリッポが事件に出会うまでまったく透明な性格で「自分」というものが無く、フィリッパに出会ってから彼女を自分の人生の中心に据え、精神的に同化し始め、最後には2人の容姿まで似て来るという点です。ここは監督はあまり前面に押し出していませんが、ある程度意識して作っています。2人の名前が綴りは違うけれどフィリッパとフィリッポという風になっているのは偶然ではないでしょう。しかしフィリッポの行動を「愛」という言葉で説明し、批判的には見ていません。本来は「こういうのは愛情ではない」と切って捨てるべき話です。リサイクルするのならストーカーのミステリー仕立てにするという手があるかも知れません。

トリノはイタリアの工業都市。音を極度に落として撮影してあるので、冷え冷えした静かな都市に見えますが、実際は普通の活気のある大都市でしょう。主人公が後半逃げ込む田舎はトスカーナ。ここは小市民的なドイツ人インテリ層が大好きな場所で、毎年休暇をトスカーナで過ごす人が多いです。この土地を天国として選んだのがマジなのか皮肉なのかは映画を見た限りでは分かりませんでした。

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