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ホルスト・ブーフホルツはコメディーに向くか

Horst Buchholz 訃報

1933 Berlin, Deutschland

向いたんだそうです。

違う記事をアップする予定だったのですが、ホルスト・ブーフホルツが亡くなったので急遽変更しました。

追いかけていない人だったので、彼が時々ハリウッドの映画に出るドイツ人俳優だという以外ほとんど何も知りませんでした。それでも何か書く気になったのは、彼の生き方、死に方のためです。

訃報が出た時の報道をざっとまとめてみます。

3月2日夜肺炎を起こしていたブーフホルツはうちから自転車で15分ぐらい行った所にある、日本で言えば日赤、慶応病院クラスの大きな、設備の整った病院で亡くなりました。直接の死因は肺のトラブルでしたが、その少し前大腿部の治療で長く入院しており、退院した矢先のことだったそうです。まだ肺がトラブルを起こしていない時は川向こう、これまたうちから自転車で20分ぐらいの所にある Kurfürstendamm という、日本で言えば銀座4丁目のようなステータスを持った目抜き通りのペントハウスの自宅に住んでいて、最後の入院の直前、死の1週間ぐらい前には有名な新聞のジャーナリストと近くの飲み屋でインタビューをしています。彼なりに元気ではあったようですが、死についての発言が多かったようです。

ドイツ人は仏教徒が少ないこともあって、死について話題にするのを嫌う傾向があり、また非常に死を恐れる傾向があります。それでブーフホルツの発言もドイツ人には何か不吉な事を予感していたように取れてしまうようですが、日本人の目には、来るべきものが来るのを知って達観しているように見えます。日本人が「僕が死んだら・・・」とか「お葬式はこういう風にしたい・・・」などと軽く口にできる話題も、ドイツの社会では難しいことがあります。

このところ摂食障害か鬱状態だったそうで、ほとんど食事をしなかったそうです。朝食は丸パンを半分と紅茶だそうですが、これは私の食事の量とあまり変わらないので、小食の人なら普通と言えないこともありません。しかしその後が行けません。昼食を忘れてしまうことが多く、次の食事が夕食だという日が多いのだそうです。ご飯を食べるのに階段を降りなければならず、脚の調子が悪いこともあって、不精になってしまい、つい食事を止めてしまうんだそうです。ブーフホルツの住んでいたアパートがどうなっていたかは知りませんが、ドイツでは5階建てでエレベーターが無いなどというのは普通です。元気なうちは運動になっていいですが、脚を傷めるとダメージは大きいです。Kurfürstendamm というのは日本の規模と比べると笑われてしまうほど小さく、静かですが、それでもベルリンの目抜き通りなので、階段を降りて外へ出ればいくらでもカフェ、レストランがあり、タクシーもつかまるので、その気になれば自分で料理しなくても何とでもなります。それでも食べなかったのは気力が衰えていたか、鬱状態だったからなんだと勝手に想像しています。

ヘビースモーカーでウォッカなどの強い酒にも強かったそうで、最近ではアル中という噂も出ていました。日本人の目から見ると完全にアル中ですが、ドイツの依存症の基準点は日本よりかなり高く、またかなりの量を飲んでも酒乱にならない体質の人が大半という国民なので(生物学的に体質が違うんだそうです。ちょっと飲んで顔が赤くなり、すぐ吐いてしまうと、それで体内からアルコールが出てしまうので、見ていて気持ちの良いものではありませんが、アルコールは早めにトイレへ!)本人はアル中とは思っていませんし、別な有名人のような酒乱スキャンダルも聞いたことがありません。静かに1人で飲んでいたようです。しかしこういう状態では命を縮めてしまうでしょう。

彼がそのインタビューをしたのがこれまたうちから自転車で20分ぐらいの所にある飲み屋だったそうで、ウォッカを飲んでいたそうです。その時の彼は180センチで60キロを切っています。アビエーターのハワード・ヒューズの晩年(190センチ40キロ弱)に迫っていますが、ブーフホルツは俳優としての面目は保っており、《かつての》と但し書きが付いても大スターとして恥じない姿だったようです。新聞に最後の写真として大きく出ているのは今から1年ほど前のものらしいですが、元々痩せ型のブーフホルツ、70歳に近い男性としては崩れた顔もしておらず、ダンディーに写っています。

若い頃はドイツ版ジェームズ・ディーンと騒がれ、ロミー・シュナイダーの恋人だったこともある人ですが、実生活は比較的静かだったようです。50年代に結婚した女性とは44年間夫婦で、2人の子供がいます。バイセクシュアルだと発表したことがあり、夫人とは別居していましたが、「離婚はない」とブーフホルツが発言していたそうです。ベルリンで友人に囲まれ静かに暮らしていたようです。たまに古い映画を見たファンに話かけられることもあったそうですが、ドイツはスターが来てもあまり大騒ぎする国ではないため、生活をかき乱されるようなことはなかったようです。

映画の仕事は売春と同じだという哲学を持っていたそうで、スターというのは偉大な売春婦だという言葉を残しています。こういうきつい言葉もこの人から出ると、スキャンダルにはならないようです。彼の世代のドイツ人俳優がハリウッドで出演すると、ナチの役が多く、ブーフホルツにもそういう役がよく回って来ました。1番最近ではイタリア映画ライフ・イズ・ビューティフルも似たような役だったと記憶しています。ドイツでは1956年の Die Halbstarken で名を成しています。子供の時にはエミールと探偵たちにも出ています。そして、ある時方向転換を図りコメディーをやったら、それがなかなか良かったそうで、評判は高いです。長い間ドイツ語圏の映画に出ていましたが、荒野の7人で世界に名が知られるようになり、今でも彼の名前をこの映画で覚えている人がたくさんいます。私はこの他に2、3本英語の映画を見ているはずですが、ほとんど覚えていません。英語圏、ドイツ語圏以外の映画にも時々出演、その他に映画の吹き替えを500本以上こなしています。何かの機会に彼の映画に出会ったら是非見てみたいです。

そういう人が同じ町に住んでいて、同じ町で亡くなったというのは悲しいですが、パパラッチに直撃されず静かに死ぬことができたという意味では良かった、と変な所でほっとしたりもします。ちなみにブーフホルツはベルリン出身です。

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