映画と関係ないページ

韻をどうするか

吟味した時期:2003年1月

日本でも聞いたことのある話ですが、ドイツでもビートルズが出て以来、ロック、ポップスの歌詞をどうするかということが問題になりました。あの手の音楽は英語の歌詞しか合わないという諦めがある一方、いや、ドイツ語でもできるはずだという人もいました。しかし出来上がったものは野暮ったく、ドイツの雰囲気から抜けることができませんでした。

若者はビートルズに夢中になり、ああいう明るくて楽しい音楽にすぐ理解できる自国語をはめてみたいと思うわけですが、いざやってみるとそう簡単ではありません。英国から出て来たメロディーは発祥が英語圏であったにも関わらず瞬く間に世界中を魅了し、全く言語体系が違うアジアでも好まれました。 実は当のビートルズは一時ドイツで活動していた時期があり、ドイツ語でレコーディングもしています。しかしコーラスにまぎれていて目立たないから良かったものの、その歌詞はあまりスマートな出来ではありません。

ロック、ポップス、ポピュラー音楽というのはドイツ人が書いたもの、英語圏から入って来たものの差はなく、その後ずっと好まれ続けています。そしてドイツ語をどうするかという事を考え続けた人はいたようです。いつの日かドイツから自然な響きの歌詞のついたドイツ人の書いた曲が出始め、やがてドイツ人はドイツ語の歌詞をそういう音楽に乗せる技術を身につけたようです。今では野暮ったい響きの曲の横でスマートな曲が堂々と共存しています。

ドイツ語と英語は同じ系統の言葉なのですが、音で聞くと全然違って聞こえます。大きな原因はポキンと折れる音と、歯の間から空気が抜けるような音(浮き袋の空気を抜く時のような音)にあるようです。ポキンと折れる音というのは耳に聞こえない音で、日本人には当たり前の「愛飢え男」などという言葉を発音する時の音です。この文字を見て日本人はためらいなく「あいうえおとこ」と言います。そしてそのように聞こえます。

これは極端に母音が重なった言葉ですが、ドイツ人に aiueo と紙に書いて「読んでごらん」と言うと、問題なく「あいうえお」と言えます。これはドイツ人がそのポキンと折れる音を「あ」と「い」の間、「い」と「う」の間などに1つ1つはさむからです。ドイツ人はこれをポキンと折れる音と呼びますが、実際に耳に聞こえる音ではありません。前の母音と次の母音の間を流れるように続けず、1つ1つ切ってしまい前の音と次の音を分けて読むということです。同じ事を英語圏の人に頼むと、聞こえて来るのは全然違う音。そして本人は発音しにくそうな顔をします。「アゥイゥウェウォ」のように英語の w 音が何も書かれていないアとイの間に入ったりします。

歯の間から出て来るような音というのはシ、ス、ツなどといった音のことです。これはたいていの言語にあり、英語にも日本語にもあります。問題はその音がどこに現われるか、その頻度、発音の仕方。こういった音が母音の間に現われると、音全体は流れるような感じに聞こえます。イタリア語や日本語などがそれ。言葉の終わりに現われて、その後に母音がつかないとシャープな感じがします。ナオミ・ワッツはナオミ・ワまで流れるように進み、最後のッツでシャープな止まり方をします。メッサーシュミットなどという飛行機の名前ですと、メは柔らかいですが、その後ッサーシュミットと終わりまでシャープです。以前首相だった頭の切れるシュミットという人はメッサーシュミットというあだ名をもらったことがあります。シャープだったんですね(メッサーは「ナイフ」という意味で、これから手術をしようというお医者さんが「メス!」と言うのは日本で縮めた言い方)。

次にそういう音をどういう風に発音するかですが、じっと聞いているとドイツ語ではかなり鋭く発音します。日本語などではさしすせそは口のかなり前の方で発音し、平たく聞こえますが、英語、ドイツ語では口を奥まで使い、かなりインパクトを込めて発音します。日本人が「趣味と生活」などとさして鋭くもならずに発音するのに比べ、ドイツ人が「メッサーシュミット」を発音する時は圧力がかかっているようにも聞こえます。英語とドイツ語だけを比べると、やはりドイツ語の方がシャープです。ですからこの音が歌詞に出て来るとやたら目立ってしまうわけです。

ドイツ語には sind という言葉があって「ズィント」と発音します。ズドンと重そうに聞こえます。英語の複数の are と同じ意味なので、文章中にやたら登場します。その上英語では完了形を作る時 have + 過去分詞で済みますが、ドイツ語では2通りの作り方があって「行く、帰る、走る、飛ぶ」など動きのある言葉の時は sind が必要になって来ます。それで登場する回数が増えます。

また英語でヒットした曲をドイツ語に翻訳してメロディーに乗せると、どうしても意味の辻褄を合わせるために単語を選ぶことになり、その単語のアクセントが英語のアクセントと違っているという事態も起きます。英語はフランス語から来た言葉と、元々のゲルマン語から伝わっている言葉が混ざっているため、アクセントはまちまち。ドイツ語はアクセントの位置が、はっきりした例外を除いては全部語頭と決まっているため、たいていの言葉は半ば強制的に頭にアクセントが来てしまいます。 となるとマーチのような音楽にしか合わないか、と絶望的な気分になってしまいます。 英語圏の曲を英語で歌った場合と比べてかなりの差が出、あちらこちらでゴツンゴツンとぶつかるような、あるいはドスンと重いものが落下するような聞こえ方をするので、ださいという感想になってしまうのでしょう。

さらに追い討ちをかけましょう。英語の歌詞をドイツ語に直すと字余りになる可能性が高いのです。ain't、isn't、don't、can't、gonna、wanna、I've、I'd などという便利な省略はできないので、ドイツ語ではフルに2語で書きます。英語では単純に過去形で I met him yesterday.(アイ・メット・ヒム・イエスタデー)と言えるところ、ドイツ語には Ich sah ihn gestern. という文法的にはぴったりな言い方があるのに使えないのです。これをやると文学的になり過ぎて違和感が出ます。現代の普通の言葉では Ich habe ihn gestern gesehen.(イッヒ・ハーベ・イーン・ゲスタルン・ゲゼーエン)と1語多くなります。英語にすると I have met him yesterday. で I've などと短くすることはできません。 過去の話をするのに完了形を使うので、過去分詞というのが出て来てしまい、その過去分詞のほとんどは頭に ge- というのがついています。このゲという音がまた固く聞こえます。

といったわけで楽しいロックやポップスを翻訳して歌おうとすると大変な騒ぎになります。当時関係者が絶望して諦めかかったのも分かります。ところが世代が代わるとやはり慣れる人がいるんですね。ロック、ポップスのメロディーが当たり前という世代に入り、ドイツ人の若者が学校などでもギターを手に簡単に作曲をする世代に入ってから、アクセントだ発音だという事を全然意識せず作ったメロディーに流れるようにドイツ語をはめ込む人が続出。この人たちは生まれた時からポップスを聞いて育った世代な上、楽器が簡単に手に入る、借りられる、学校で使える世代です。その上両親がすでにポップスが好きだったりして「うるせえ、止めろ」、教師が「不良の音楽だ」などと言わない世代です。 それからすでにかなりの年月が経ち、今ではできの悪い曲の方が少なくなっています。

例えば
Guten Morgen, Frau Nachbarin, wie geht es Ihnen heute?
という歌詞があるのですが、これにアクセントをつけるとだいたいこういう感じになります。
Guten Mórgen, Frau Náchbarin, wie géht es Íhnen héute?

曲を作った人はこのアクセントのついた部分をほぼ上向きのメロディーにして、曲のメリハリをつけ、メロディーは普通の会話のアクセントに近い形で流れます。違和感が起きません。これを作った人は当時高校生でした。この少年が友達と一緒に作ったアルバムは大ヒット、今ではおじさんですが、時たま新曲が出ていてラジオでも扱っています。といったわけで、前の世代が苦心惨憺していた部分を次の世代は軽くクリア。

それで思い出したのが「王様」と「女王様」。あれは凄いけれど、長くなったので今日はこの辺で。 続く。

PS: 実はドイツ人はフランスのシャンソンをたくさん取り入れた国民です。日本人が「パリのシャンソンはこういうものだ」と考えているような曲を、ドイツ人の作曲家がどんどん書き、歌手はたくさん歌い、観客は聞きます。この歴史は随分長く、マレーネ・ディートリッヒなどもシャンソン・スタイルの歌を残しています。ああいうのは最初からドイツ語で書かれているのですが、どういうわけかメロディーとの確執がありません。これを取り入れた当初やはりドイツ人はポップスと同じ苦労をしたんでしょうかねえ。フランス語というのはドイツ語とはかなり文法も発音もアクセント違うから、そう簡単に1対1で取り入れられるものではないと思いますけれど。誰かフランス語のできる人に考察してもらいたいところです。

この後どこへいきますか?     次の記事へ     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ