音楽のページ
考えた時期:2004年6月
ジャッキー・吉川とブルーコメッツの OB 会のような話を聞いたなあと思った矢先、井上忠夫氏が目の病気のためもあって将来を苦にして自殺というニュースが入りました。私はビートルズとローリング・ストーンズではビートルズ・ファンでなく、ジャッキー・吉川とブルーコメッツとスパイダーズではコメッツのファンではなかったという人間で、バンドはそれほど好きではありませんでした。しかし、一時代を制覇したグループで、そういう意味ではスパイダーズとの一騎撃ち、火花を散らしたライバル関係が当時の芸能界をどんなに楽しいものにしたか、重要なバンドだったという点では全く疑いがありません。
井上忠夫氏が亡くなった後で、家庭思いの人だったと聞いて、あの派手な芸能界の売れっ子作曲家にしては珍しいと感心したのを覚えています。その彼を惜しんでということで、ブルーコメッツをメインゲストに、スパイダーズ、その他の歌手を呼んで音楽葬というのが行なわれました。井上さんがすぐ様子を知らせてくれたのですが、技術的な問題で、トラブル。それがちょっとややこしい方法ですが、見られることになり、実現。
葬儀ではありますが、あまり湿っぽくせずという演出で、成功しています。井上忠夫氏はまじめな性格のように思いますが、やはり音楽家だからにぎやかに送りたい、それが企画のコンセンサスだったようです。井上忠夫氏の悲劇があまりにも大きいので、まじめな雰囲気にすると、観客も悲しくなってしまいます。で、私もこういうにぎやかなショーで良かったと思います。
前半は井上忠夫氏が作曲した作品を紹介。当時の歌手の姿がチラッと見える時もあり、歌の方は最近名の知れている歌手、私が全然知らない歌手などが歌っていました。気になったのが歌手の発声。以前の歌手に比べ、声量のある人がいますが、私は不満たらたらでした。実力派らしく見せるトリックを使い、きちんと自分の声を出していない人が堂々とステージの中央に立って歌っていました。アン・ルイスが昔使った手です。中にはかなり音程をはずす人もいました。喉から声を出す人が多く、あのまま行くと喉を潰すかと心配になるような発声をする人もいます。歌が商売なのだからもう少し商売道具の喉は大切にと、余計なことながら思ってしまいました。
反対に感心したのがダンス。郷ひろみの踊りが上手くなったという話は聞いていましたが、私はその頃から国外に出ていたので、じっくり見るチャンスはありませんでした。シブガキ隊というのも名前を聞いただけで、もう私の世代ではありませんでした。ですからこういう若者がプロとして恥ずかしくないダンスをするとは知らなかったのです。それを見る機会があり、ああ、上手になったなあと思いました。
岩崎宏美はドイツに来る前に知っていました。金沢明子と並んで当時の現役では日本で1番歌が上手だと思っていました。どうやら歌い慣れていなかったらしく、やや実力が落ちていました。結婚でもして家庭に入ったのでしょうか。でも彼女が1度たどり着いた実力は記憶に値します。喉を傷めず、のびのび歌っていたのを覚えています。
とまあ、前半はゲストの連続。これを愉快なアナウンサーの司会で陽気に紹介。やや小柄な堺正章がアナウンサー相手に茶々を入れ、非常に大柄なアナウンサーを笑わせたりします。コメディアンとしては堺正章はちょっと冷たいタイプだと思いますが、茶々のタイミングなどはさすがプロ。視線が鋭かったりするので、私は近づき難いという印象を受けますが、井上さんはもっと身近なところで知っているから、1度どんな様子か聞いてみたいものです。意外とやさしい人だったりするのかも知れませんね。
とにかく私は当時スパイダーズのファンだったのです。一緒に歌える曲もスパイダーズの方が圧倒的に多いです。かまやつひろしがわりと好きで、音楽的にはかまやつと大野を信頼していました。GS 時代、私の関心を引いたのはスパイダーズ。特に記憶に残ったのはスパイダーズとコメッツの2つでした。ですから私に取っては代表格です。その両グループが揃った音楽葬。豪華です。
本音とも冗談とも思える堺正章の一言、《あの年、「夕日が泣いている」をぶつけたのに、コメッツはレコード大賞と紅白取って、うちは何も無かっ た》。当時私はそれほど意識していませんでしたが、優等生グループと不良グループのような分類になっていたようです。私の目には不良には映りませんでしたが。学校でもスパイダーズを禁止した先生などはいませんでした。軍隊を身近に知っている母が、ミリタリー・ルックは嫌だと言っていたのが唯一の大人からの苦言。音楽については文句は聞きませんでした。歌謡路線にフィットしたのがブルーコメッツ、ポップス路線にフィットしたのがスパイダーズですから、レコード大賞と紅白からはずされたのは誇りに思っても良いのではとも思いますが、それではあまり金儲けができないのでしょうか。
それにしても両方のバンドが井上忠夫を除き勢揃い。昔の面影を残している人、全然変わっていない人に混じり、全く誰だか見破れなかった人もおり、私にとってはクイズのようでしたが、大喜びしたのは、白髪のおじさんたちがギター抱えて、まだまだ行けるというところを披露した点。ゲストで来ていた内田裕也 とダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童も混ざり、楽しい演奏。音声があまりはっきりせず、誰がどういう音を出しているのかまでは判別できませんでし たが、皆しゃきっとして、まだまだ行けるというところを見せています。横浜には銀蝿もいるのですから(と、脱線)シルバー・コメッツ、銀蜘蛛団を再結成して、まだやれるんだぞというところを見せてもらいたい。
それにしても久しぶりに当時の事を思い出す機会が、井上忠夫氏の葬儀というのだけが残念です。井上さん、どうもありがとう。
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