映画のページ
Meg Ryan
1961 Fairfield/Connecticut, USA
考えた時期:2004年6月
メグ・ライアンは一体どうしてしまったのでしょう。ミーハー的な意味もありますし、1人のスターが現在抱えている悩みらしきものが見え気の毒だと思う時もあります。
私は特にメグ・ライアンのファンでもなく、嫌っているということもなく、《かわいい笑顔の人だなあ》と思って長いこと暮らしていました。自分で馬鹿な事をしてスキャンダルに巻き込まれる人や、気の毒な目に遭って、芸能新聞に書かれてしまう人など色々ありますが、彼女は長い間そういう事には関わりが無く、幸運に恵まれた人、その幸運を上手に生かしている人と思っていました。
ハリウッドというのは摩訶不思議な場所らしく、私たちに測り知れない、とんでもない事もあるようですが、世間にもれるスキャンダルというのは、ある程度コントロールされていて、出ては行けない話は出ていないという部分もあるようです。仮面夫婦などという新しい言葉ができましたが、仮面を上手にかぶってそのままうまく収まっている人もいるようです。
ライアン/クウェイド夫妻が仮面夫婦だったのか、普通の家庭を築いていたのかなどの疑問はどうでもいいのです。デニス・クウェイドとメグ・ライアンという俳優の同僚がいて、それなりに仕事をしていたということだけが重要で、たまたま2人は夫婦になり、子供が1人できたということです。
そのバランスがある日突然崩れ、世間ではメグ・ライアンがラッセル・クロウと不倫をしただの、ライアンが結婚したがっている時に、クロウがトンズラしただのあれこれ言っていました。クロウもその前後あれこれ武勇伝が飛び出しましたが、結局昔からのガールフレンドと一緒になってそれなりに収まっています。彼にまつわる噂も作られたものが多いようで、話半分どころか話4分の1なのかも知れません。
どうせこういう話はいいかげんだろうと思っていたので、ハナから信じていなかったのですが、逆に私の目に迫って来たのは彼女の顔の表情や姿。私が彼女を最初にスクリーンで見たのはロマンチック・コメディー。アインシュタインが絡んだ大学の話で、星に想いをといいます。そこそこ楽しく、共演者には贅沢な名前が並び、いいバランスでした。ブロックバスターというほど大ヒットはしないけれど、人に好かれるような作品でした。
その後は彼女の映画は見ていませんでした。ドイツでもよく写真が雑誌に出ますし、映画のポスターも何度か見ました。時々彼女がインタビューで、「コメディーは卒業したい」的な発言をしているのを読みました。ビリー・クリステル、トム・ハンクスなどと共演し、大成功していたので、「なぜ」と思いましたが、コメディアンがシリアスな映画に変わりたいという話は時々聞いていたので、そういう話の1つと思いました。それでもやや不思議に思ったのは、メグ・ライアンはサタデー・ナイト・ライブの人たちのように《コメディアン》という扱いを受けておらず、《女優》という扱いを受けていたからです。コメディアンというのは私の目から見ると、ただの俳優より立派な仕事ですし、人間を深く分かった人でないといい演技はできないと思うので、アメリカでコメディアン扱いだけを受けて、他の芝居をする機会に恵まれない人たちを気の毒に思います。それに比べると、ライアンは業界から最上級の尊敬を持って扱われている人です。
逆にいい事だと思ったのは、1つのジャンルで確固たる地位を固めた人なのに、止まってしまわず、他のジャンルも開拓しようと思っている姿勢。当時はその程度しか考えませんでした。それから大分経って、あまり見たくもなかったのですが、シティ・オブ・エンジェルを見てしまいました。安い映画館にかかったのです。あまり見たくなかった理由は、できの悪いポスター。あのニコラス・ケイジが欺瞞丸出しで純情な顔をして写っていたからです。彼にはフェイス/オフのように思いっきりスケールの大きい悪役を演じてほしかったのです。それが純愛映画?うそーっ。しかし彼はしれーっとした顔で嘘をつき通し、映画を完成させました。俳優はひたすら演じ続けるのが職業だ・・・ごもっとも。職業意識と根性をしっかり出して上手に演じたのはマッチスティック・メンの方。どうせ純情そうな顔をするのなら、ああいう風にしてもらいたいなあ。さて、相手役に選ばれたのが、メグ・ライアン。彼女は天使に恋をして・・・じゃなくて、天使のニコラスが彼女に恋をして・・・というロマンチックな役どころでした。これはドイツの監督が作った作品をやや進めた話で、リメイクというか続編というか、そういう作品です。おやっと思ったのはメグ・ライアンの演技。なんだかやりたくなさそうな、あまり心から喜んでいないような演技。共演者の格が低いとかそういう話ではありません。《全然やりたくない》というような印象を受けました。
この時は《そんなはずは無いだろう》と自分で受けた印象を自分で否定していました。ところが次に電話で抱きしめてを見て、またしてもそれに似たような印象を受けてしまったのです。これは一応コメディーで、彼女の得意な分野のはずでした。共演者も結構格の上の人たちで、見劣りはしません。問題ばかり起こしている父親と、家庭内で役割が決まってしまっている3人姉妹と、そういうゴタゴタから手を引いた母親の物語で、ライアンは家族に押し付けられた役から抜けようとしている2番目の姉妹という役でした。
この頃から変な事に気付きました。《メグ・ライアンが泣いた時に、泣いているように見えるだろうか》という疑問を持ってしまったのです。彼女はどの角度から見ても愛らしい、かわいらしい顔をしています。役で泣いて見せてもキュート。怒って見せてもキュート。眠っていてもキュート。起きていてもキュート。笑っていてもキュート。いつもキュート。
でも、そんな顔ってあるだろうか。ウィッシュマスターではないのだから、私生活で本当に怒った時は怖い顔になるし、悲しい時は惨めな顔になるだろう、それなのに彼女は・・・。この疑問はニューヨークの恋人を見た時に確認されたような気がしました。これは彼女お得意のロマンチックなコメディーだったのです。共演は今売り出し中のヒュー・ジャックマン。他は2人を引き立たせるようにやや有名でない人たち。良いバランスですし、ストーリーも普段の彼女ならぴったりの役です。ところが彼女の顔は上に書いたようにキュート。そしてぞっとするような恐ろしく絶望的な目をしていたのです。これはラッセル・クロウと共演したプルーフ・オブ・ライフのすぐ次の作品でした。ということは彼女は強いストレスを抱えながらこの作品を撮ったのでしょうか?何だか体調を崩しているなという印象は拭えませんでした。
世間ではプルーフ・オブ・ライフをきっかけにクロウとどうのこうのと騒ぎましたが、この話私はちょっと眉唾だと思っています。ちょっと離れて見ると、この頃オセアニア地方から来た映画人がどっとハリウッドに進出したり、撮影の契約をオーストラリアやニュージーランドに呼び込んだりと、色々な変化が起きています。ラッセル・クロウはオスカーをたくさん貰ったりして表で1番騒がれましたが、彼1人の問題でなく、ハリウッドがほぼ独占状態だった仕事場が、オセアニア、カナダ、中部ヨーロッパなど外国に分散したり、ハリウッドに南半球からどさっと能力のある俳優が押し寄せて来ています。その中で優等生のハリウッドのスター、ライアンがオセアニアの獅子クロウ(烏ではありません)と不倫ですか。何を信じたらいいのか分からないという気持ちと、そんな事はどうでもいいという気持ちが混ざってしまいます。
運悪く不倫話が重なっていますが、それとは関係なくライアンはコメディー以外の道を試してみたかった、それが全然認められずに興行的に失敗に終わっている、不満が重なっているというのがその時の印象でした。インタビューでは不満そうに「私がロマンチックなコメディーを演じたのは全作品の3分の1だ。それなのに残りの3分の2を覚えている人はほとんどいない」と語っています。
クロウ事件は落ち着きを見せ、2人は別々な道を選んでいますが、空中スピンを起こしたまま墜落の最中というのがライアンの現在の印象。整形で顔を変えたとか、その後作ったコメディーでない作品がうまく行かないという話がどんどん入って来ます。そして1番最近当たったタダ券。ファイティング×ガールです。これはニューヨークの恋人のように彼女のおかげでうまく行かなかったと言いたくなるような出来です。
ドイツではこれまでライアンがロマンチックなコメディー以外を演じると、最低の評になっていました。ロマコメでなくて、ロマだけ、あるいはコメだけでもいい点がつくのですが、ロマでもコメでもない作品には辛い点をつけています。彼女の作品をあまり見ていない私には何とも言えませんでした。ドイツの映画評論家は例えばシルベスター・スタローンができのいい演技を見せると、けちょんけちょんに書いて、アクション・スターに戻そうというキャンペーンを張ることがあります。スタローンの場合は良い演技を何度か見たので、私はドイツの評論家の言葉は信じません。ライアンはあまりたくさん見ておらず、彼女が本当は能力のある人なのか、何か別な理由があって、周囲がロマンチック・コメディーの枠に押し込んでおきたいのか分からないのです。
しかし今週見た ファイティング×ガールに関しては落第点は正解です。私でも低い点をつけるでしょう。
ここからやっと本筋に入ります。長くなったので、次のページへ。
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