映画のページ
1984 F/D (西) 147 Min. 劇映画
出演者
Harry Dean Stanton
(Travis - 記憶喪失になった男)
Nastassja Kinski
(Jane - トラビスの妻)
Dean Stockwell
(Walt - トラビスの弟)
Aurore Clément
(Anne - ウォルトの妻)
Hunter Carson
(Hunter - トラビスの息子)
Justin Hogg
(Hunter、幼児)
Bernhard Wicki
(Ulmer -医者)
Edward Fayton
(ハンターの友達)
見た時期:2005年7月
ドイツ映画が続きますが、まだ西ドイツという国があった頃の映画を1本。最近監督がこの映画の後編に当たるような作品を発表しています。ここに出て来る地名ですが、テキサスは合衆国の州のこと。パリスというのは町の名前らしく、フランスとは関係ありません。
お涙頂戴の結末がばれます。古い映画だからいいか・・・。
★ ドイツの作る映画の種類
ドイツ映画にはどうやら種類がいくつかあるらしく、これまで見た作品の傾向にはこのような物がありました。
■ ドイツが外国語の映画にお金を出しているけれどドイツ人の姿が(ほとんど、あるいは全然)見えない。⇒ふたつの過去を持つ男、オープン・ウォーター 2
■ ドイツも一緒になって外国語の映画にお金を出しているけれど、ドイツ人の姿が(ほとんど、あるいは全然)見えない。⇒ 陽だまりのグラウンド、 光の旅人 K-Pax、 レッドドラゴン、 ルールズ・オブ・アトラクション、 ベッカムに恋して、 愛の落日、 抹殺者、 バレー・カンパニー、 スナイパー 、 コンフィデンス、 氷の微笑 2、 The Matador、 007/カジノ・ロワイヤル、 ブラック・ダリア、 ファンタスティック・フォー 超能力ユニット、ファンタスティック・フォー:銀河の危機、 ロンリーハート、 バイオハザードIII、 キングダム/見えざる敵、 暴走特急 シベリアン・エクスプレス、 セルラー 、 ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝、 ウォンテッド、 戦場でワルツを、 ターミネーター 4、 イーグル・アイ、 エスター、 ブッシュ、 エンター・ザ・ボイド
◇ その中でEU関係。⇒ Princess、 ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女、 ミレニアム2 火と戯れる女、 ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士
■ ドイツも一緒になって外国語の映画にお金を出して、ドイツ人の顔が見える。⇒ ヘブン(監督)、 陰謀のシナリオ、 パリ、テキサス(監督)
■ ドイツも一緒になって外国語の映画にお金を出して、ドイツ人ではないけれど、ドイツに関係のある人の顔が見える。⇒ 16ブロック(ウィリス)、 ラッキーナンバー 7(ウィリス)、 クラッシュ(ブロック)
■ ドイツが外国でお金を出して、ドイツ人の顔がはっきり見える。⇒ 0:34 レイジ34フン
■ ドイツも一緒になって外国語の映画にお金を出して、ドイツで撮影されている。⇒ エイリアンVSヴァネッサ・パラディ、 バイオハザード、バイオハザード2 アポカリプス、 ボーン・アルティメイタム、 The Ghost Writer、 ファイナル・カット
■ 国内で補助金を出して国内向けの作品をドイツ人俳優中心で作る。⇒大多数の作品
■ 国内で補助金を貰わず国内向けにドイツ人俳優中心で作る。⇒マニトの靴
この他にも特定分野で輸出を視野に入れて作った作品や、ドイツは全然お金を出していないのでドイツ映画とは言えませんが、ドイツ人俳優が出ている作品などまだいくつかの分野があります。
★ 時代と共に変化
全体として見ると、ドイツ映画は
◇ 第1次世界大戦以前は見たい人はいたが、作る方はまだ体制が整っていなかった。外国の力を借りることもあった。
◇ 両大戦の中間あたりから作る側の才能が花開いた。作品としておもしろい物が生まれた。その横でドイツ・ポルノも始まる。
◇ 第2次世界大戦の時期には政治的に積極的に映画というメディアが利用された。
◇ 第2次世界大戦が終わった時に壊滅的な打撃を受ける。
(国が占領され、その後東西に分かれた関係、戦時中に監督や俳優が時の政府とどういう関係にあったかなどの事情もあり、早い話が映画界はずたずた。映画を作るスタジオなどは東西分割の後東に行きました。)
◇ 東西映画界がはっきり分かれた後、東は社会主義的な傾向の作品に進み、壁の崩壊とともに東の映画と言われるものは無くなる。
西は戦後復興映画の時期を越え、60年代からニュー・ジャーマン・シネマという時代を作り出す。助成金が貰えるようなシステムが整う。外国でも評価を受ける作品が続出。ヴェンダースもこの世代に属する。
★ ニュー・ジャーマン・シネマ − 観客に取ってどうだったか
ニュー・ジャーマン・シネマの時代に多くの監督が登場し、数々の問題作品を作り、国際映画祭でも評価されたのはいいのですが、《観客が映画を楽しむ》という部分だけ無視された感があり、立派な映画だけれどつまらないというのが私の感想でした。まだベルリンに住んでいない時期に日本でドイツ映画特集という催しで10本ほどを連続して見たことがあったのですが、エンターテイメント性だけ欠如していました。
この反省はドイツの側にもあったらしく、80年代に世俗か政治映画、社会映画の路線追求かで議論があった様子です。東の映画界は一見壁の崩壊と一緒に死んだかのような印象を与えましたが、プロでない私の目から見ると、時々東を表現するような映画も見えて来ます。《問題作を作ってやるぞ》というニュー・ジャーマン・シネマ時代の気負いが無く、足が地面についた視点で作られた作品を見たことがあります。
補助金、助成金というのはニュー・ジャーマン・シネマ時代を作り出すのに寄与していましたが、時代が過ぎ、国がお金を出してくれるものだと思い、《見た人が喜ぶだろうか、楽しんでもらえるだろうか、何かお土産を家に持って帰ってくれるだろうか》という点がおろそかにされる傾向が強まり、観客動員数は下降線をたどって行きました。正直言って、私もだんだん映画館に足を運ぼうという気が無くなって行き、ドイツではもっぱら映画以外の娯楽を楽しもうと考えていました。
私個人に取ってその波が変わったのは当時まだ素人だったデトレフ・ブックの登場からです。ブックは創世記のニュー・ジャーマン・シネマ世代に代わり、ユーモアを重視した世代が育つきっかけになった人の1人です。映画専門学校で勉強を始める前に優秀作を1つ作って、ベルリン映画祭に出品してしまい、映画専門学校の入学試験の面接では審査員に「入学させてくれたらジャガイモを1袋プレゼントする」と言ったとか言わないとかの伝説のある人です。ジャガイモ1袋というのは1キロの袋ではなく、10キロか20キロの大袋です。入学させてくれたから本当にジャガイモを持って行ったらしいという伝説も聞いたことがあります。その後ちゃんと映画の勉強を済ませ、卒業制作も出し、監督兼俳優として活躍しています。初期のニュー・ジャーマン・シネマに賛成して、あるいは反発して次の世代が出て来たのだと考えると、ヴェンダースに現在も尊敬が集まる意味も分かるような気がします。
現在のドイツではドキュメンタリー、ばかばかしい(けれど愉快な)コメディー、高校生世代を狙った作品、何かを追及するしかめっ面映画、何かを追及するけれど、しかめっ面をしないで見ていられる作品、スリラーなどミュージカルを除いてかなり広い枠の作品が作られるようになりました。時には補助金が必要無い作品も出ます。そういう中でヴェンダースの位置は「尊敬される監督だから作品を出せば注目されるけれど、普段は大抵の人が忘れている」といった感じです。
★ 賛否が分かれる
さて、パリ、テキサスはその(第2次世界大戦が終了する1日前に後に日本人がたくさん移り住むデュッセルドルフで生まれたという)ヴィム・ヴェンダースの作品で、マニアには大きな支持を得ます。はまれない人には退屈で、メリハリの無い長い作品。私も途中何度か居眠りしそうになってしまいました。ヴェンダースは上に書いたように、二昔も三昔も前新鮮なドイツの波を作った映画人の1人で、当時大きな名を残しました。その当時一緒に活動していた人の名前がほとんど消えていく中で、いまだに活発に作品を発表し続けている人です。
映画というのはどんなに政治的な意味が深くても、人間を掘り下げた物であっても、何かしらの形で観客を楽しませ、楽しみを媒介にして監督の意図を伝えるという形を取る、当時私ははこんな言葉では考えていませんでしたが、まあ、ざっとこういった考えを持っていました。ですから初めて見た新しいドイツの映画は《自分の波長に合わない人は仲間に入れてあげない》と観客を無視しているか、あるいは観客に適応を強制しているかのようでした。
新しい事を始める人たちには勇気が要ります。バサっと映画音楽を切り捨ててしまう監督もいれば、俳優に愛嬌も何も無い演技をさせる監督もいれば、カメラ・アングルがあくびを誘ってしまう監督もいました。反対に人工的な歯をむき出したニヤニヤ笑いが無かったり、話があまり嘘っぽく見えない作品が出て来たりと、良い点もありました。しかしあまりにもドキュメンタリー風にし過ぎた劇映画を見せられ、当時親しみが沸いて来ませんでした。
こういった監督の間にも、演じている人自身の中にも試行錯誤があり徐々に変わって行った人もいれば、撤退した人もいたようです。押し並べて言うと、国からの補助金が無くて成立する作品は皆無だった、あるいはゼロだったという点が特徴的です。ターゲット・グループが一般大衆でなくインテリ層だったところに興行的に見ると大きな勘違いがあったようです。補助金を払っているのはインテリ層の人だけではないので、そのお金を使って無理やり映画を作り無理やり映画館でかけるのだったら、お金の一部を担った誰もが楽しめる、あるいは納得できる作品にしようという努力が必要だったかと思われます。それでもかなり長期間この人たちは頑張り続け、ドイツ映画の国際的評価は上がりました。いかんせん客足は伸びなかった・・・。
しかしこういう人たちが出て、長く居座らないと次の反省というのが生まれて来なかったのでしょう。次の世代を育てるための重要な過程だったのだと思います。ヴェンダース自身はちょっと前にブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブという作品を出して、私も心から納得するすばらしい音楽を聞かせてくれました。ドキュメンタリーの流れは相変わらずで真面目過ぎるきらいがありましたが、あのサウンドにはうなりました。その後はマルティン・スコシージと協力してブルースの映画まで作っています。こういう風に何か1つ《凄い!》と言える要素があると、ああいうスタイルが嫌いな人でも納得させることができ、音楽 CD でも買ってみようかと思う人や、コンサートに行ってみようかと思う人が出ます。すると投資したお金の元が取れます。そして何よりも《ヴェンダースは悪くないな》と思う人が出ます。
ヴェンダースは当時の監督のうちでは成長を続けた人で、いくつか注目に値する作品を作ったようです。リメイクされたり、続編のつもりで別な監督が作品を作ったりしています。名の知れたスターを使うことも躊躇わなかったようで、その辺で、一般受けする可能性は他の監督より多かったかも知れません。この時代の監督に重用されてその後名を成した俳優も少なくないので、何もかもが無駄だったという事は決してありません。この時代をこの監督たちに付き合わされた人たちには迷惑に感じた人もいたことは確かですが。
★ ストーリー
では本題のパリ、テキサスに行きましょう。この作品は現在でも決して無視されることの無い作品で、ヴェンダースの名前が挙がると、たいてい取り上げられます。この間見た無料映画館でも厳選して今年の作品に加えています。映画の前に口上を述べた人は音楽にも言及しています。私は日本語で書かれた映画のサイトを見て、おもしろそうだと思ったので出かけて行きました。実はそのサイトを書いた人の文章が上手過ぎたのですが。
扱ったストーリーは制作年が1984年ということを考えると、かなり先を行っていました。今でこそ家庭内の問題が真面目なテーマとして取り上げられ、テレビにすら出て来ますが、当時はまだヒッピー時代の残り火が燃えていた頃で、あまり自分の家庭に責任を持つ人はいませんでしたし、ドラッグがまだどんどん広がって行く時代でした。現在ではフリーターとか、結婚してもきちんと家族を養わない人をテーマに扱うのも珍しくありませんが、1984年にはこういった問題はまだ新聞や雑誌の中心に来ることは少なく、テレビもそれほど取り上げていませんでした。先見の明はあったのでしょう。そしてテーマの掘り下げ方もしっかりしていて、本質を見極めています。しかし長過ぎます。知り合いはロケーションをするのが楽しみで撮ったのではないかと、監督の本心を見抜いたかと言えるような発言をしています。
合衆国の南の方、テキサスの砂漠で中年の男が行き倒れになります。医者に助けられ、その医者が名刺を頼りにロサンジェルスに住む弟ウォルトに連絡を取って来ました。兄を引き取りにウォルトは現地に赴きます。ロサンジェルスの家には少年ハンターと奥さんのアンが住んでいます。
4年ぶりに再会したウォルトと兄のトラビスですが、トラビスは記憶喪失になっていて奇行もあり、カリフォルニアへ連れ帰るのも一仕事。ハンターは実はトラビスの息子で、妻のジェーンとの間に生まれました。両親が相次いで失踪したので弟夫婦がハンターを息子のようにして育てていました。小学生のハンターは人生の半分ぐらいを生みの父親無しに育っていたので新しい生活に戸惑いを覚えますが、徐々に仲良くなって行きます。
この過程ですでにトラビスがウォルトと違うという点がよく分かります。ウォルトは町で広告会社をやっていて、それなりに成功しています。奥さんは典型的な主婦。トラビスは息子を学校に送り迎えしたり、皿洗いをしたり、靴を磨いたりと家事を手伝うことにはためらいはないのですが、自分が社会に出て息子を育てようという考えは浮かんで来ません。同じ両親から生まれた2人の息子が対照的な性格になってしまうというのはよくあることですが、私の目にも80年代頃から分かり始めていた現象です。1人が母親の影響を強く受け過ぎて母親がやっている事が上手になり、父親の影響が少なくなってしまうのです。それ以前ですと男尊女卑の傾向が強かったですが、《男はこうあるべき》という像があって、男性は誰でもある程度社会に出て・・・という考え方が強かったです。68年世代、日本ですと70年安保の頃から男女の役割分担を決めつけるのは止めようという風潮になり、その後女性は大いに助かっていますが、逆に女性の役割をやる男性については見過ごされていたようなのです。ですから典型的な女性タイプの女性が、女性的な役目を好む男性と結婚してしまうと大きな問題が起きます。そこに目ざとく気付いたのがヴェンダースだったのかも知れません。
伝統的な夫婦の役目を引き受ける弟夫婦、そこで順調に育っていた息子、そこへ4年ぶりに戻って来た家事手伝いをする兄。経済的な問題が無ければこれである種のバランスが取れたかも知れません。しかしそれでは映画は1時間ほどで終わってしまいます。それに問題意識の高いヴェンダースがここで引き下がるはずはありません。
ある日アンから家出したジェーンの情報を得ます。ちょっと前まで定期的に電話がかかって来た、その後はヒューストンから息子のためだと言って毎月5日に送金があるというのです。あと数日で5日になるので、トラビスは息子を連れて車でヒューストンへ向かいます。学校も放り出して息子を連れて行ってしまうというところでまたトラビスの性格が表現されています。確かに母親を探すというのは重要な事ですが、社会生活の中では学校を放り出して小学生をいきなり旅行に連れ出すのは非常識。アメリカでは下手をすると誘拐罪になりかねません。愛情が理由ですが、優先順位、人への連絡などのバランス感覚が欠如しています。
とにかく予定の5日に間に合い、トラビスたちはジェーンを発見します。売春宿ではありませんが、コスプレのような店で客がのぞき窓から女性を見るショーに出ています。客を装って話をしてみます。次の日もやって来て、自分の話を続けます。ジェーンは徐々にガラスの向こうにいるのがトラビスだと気付きます。
ここで親子3人が再集結して再出発しないところが当時のドイツの新しい波。アメリカ映画ですとすぐハッピーエンドになってしまいます。トラビスは少しずつ記憶を取り戻していますが、その過程で何が間違っていたかも悟り始めています。で、ハンターに自分とジェーンの両方がついているとろくなことにならないと分かって来ています。で、彼の選択は息子を妻に託して去るという涙の物語。
なかなか分からなかった別れの理由はざっとこんな感じです。ジェーンと一緒になったトラビスは幸せでしたが、幸せを長く味わおうと思うあまり、家にいることが多くなり、仕事もちゃんとしなくなってしまいます。お金が無くなるとまた仕事。ウォルトのようにコンスタントに家計を支えるという考え方になりません。ジェーンに対する独占欲がどんどん強くなり、無茶な行動が出るようになります。息子が生まれてからはジェーンの方がこれまで押さえていた感情をコントロールできなくなり凶暴性が出るようになり、ある日出奔してしまいます。結局トラビスもジェーンも子供を放り出していなくなってしまったというわけです。
★ 空洞人間
ドイツでは最近《愛し過ぎる女性》という話題が雑誌などに出ますが、《愛し過ぎる》というのは名ばかりで、本当は愛情と関係の無い問題です。自分の居所、アイデンティティーがきっちりできあがっていないため、空洞のある自分を誰かに強く結び付けてしまいその人間を独占しようとしてしまう現象です。日本のドラマなどを見ていると携帯で四六時中コンタクトを取りたがる女性という形で表現されています。男性はストーカーという形が多いようですが、これもその一種でしょう。その辺の本質をヴェンダースは1984年に作った映画でスパっと斬っています。トラビスには自分が外で働いて、あるいはジェーンが外で働いて、あるいは2人が外で働いて家計を安定させ子供を育てるという考え方が異邦人の考え方に思えてしまうのです。トラビスにできるのが家事手伝い、ジェーンが見つけた仕事先がコスプレ屋だったというのも偶然ではなく、2人とも物を作り出す、客を自分で開拓するという意思が欠けています。
最近作られたトランスアメリカの主人公も一見アイデンティティーがしっかりしていない人のように見えますが、彼(彼女)はウエイトレスの他に自宅でもアルバイトをしていて、人生に対するアプローチの方法が違います。彼(彼女)には今あやふやなアイデンティティーを自分で稼いだお金でしっかりさせようという気があるためです。忘れていた、いないと思っていた人の人生に突然子供が登場してしまうという点、子供連れのロードムービーに発展する点は共通なのですが、違う国の監督だからか、アイデンティティー問題の取り扱い方が違い、その先に見えてくるものも違っています。ヴェンダースが80年代頃の話として出している主人公のアイデンティティーの弱さはドイツ的なのかも知れません。少なくともドイツではこういう形の弱さは珍しくありません。国の体制に子供を《自由に》放り出さないような対策が盛り込まれているので、里親として兄弟が認められたり、誰もいない時はきちんと施設が用意されていて、これといった理由も無く子供を放棄してしまう親でも少なくとも居所はたいてい知れていますし、養育費送金の義務は生じます。国が小さいので、外国にでも行かないと病気でも無い場合全く放り出しっぱなしというわけには行きません。ですからドイツを舞台にしてこの映画を同じ筋で描くのは難しいかも知れません。
この時代の監督たちはいろんな事を象徴的に出すのが好きでヴェンダースも一方通行の感情を片側からしか見えないマジックミラーという形で表現しています。人間関係は相互の考え方の行き来で成り立つわけですが、マジックミラーですと一方通行。トラビスの愛情も一方通行だったと言いたかったのでしょう。先見の明のある監督と言えるでしょう。
こういう男女関係は古くからありましたが、大半の人が社会の規範に沿って決められた男女の役割を果たしている間は大きな社会問題にはなりません。嫌々でも男は外で金を稼いで来るわけです。社会の規範ですから変更は可能で、男の代わりに女が外で金を稼いで来る社会でもかまわないわけです。しかしドイツで68年に社会改革が起きた時、これまでの伝統的な男女の役割分担を壊したまでは良かったのですが、子供を持ったらカップルのうち誰かが、あるいは両方が家計を維持し、子供を教育しなければ行けないという代替のシステムをきちんと作らなかったのです。結果はその時の子供が大人になった90年代頃から顕著に見え始め、現代ではかなり大変な状態になっています。それを1984年から見通していたという点、頭の良い監督です。ですからこの作品が2005年になっても説得力を持つという点には大いに納得します。
トラビスは悪意でやったのではないとは言え、ジェーンの人生を難しくし、弟夫婦からハンターを奪い、ハンターはせっかくここまで落ち着いて来たのに、これから男親がいない生活に慣れざるを得なくなります。その上息子を引き取る決心がついたジェーンですが、彼女がカリフォルニアに戻らない場合はハンターは新しい土地で全く違う人生観を持った人たちに囲まれて生きていかなければなりません。こういう風に周囲の人の人生を足元から崩すような事を続けています。難しさはトラビスがトラビスなりにハンターに対して愛情を持って接しようというという気持ちがある点にあります。私もトラビスのような考え方をする人を何度か身近で見たことがあるのですが、その人たちがパリ、テキサスを見てくれれば良かったのにと思います。知人関係ではトラビス・タイプのカップルは全部破綻しました。それぞれが良い人だったにも関わらずです。
と、ここまで良いメッセージテンコ盛りの作品なのですが、なぜこうも単調に、あくびが出るような作り方をしたのでしょう。有名な俳優として挙げられるのはナスターシャ・キンスキー。あの有名なクラウス・キンスキーの娘で、お父さんには長い間苦労させられた人です。クインシー・ジョーンズの元恋人で子供が1人います。他は地味なベテランを使っていて、俳優には下手だと思える人は1人もいません。地味ながら味を出せる人ばかりです。少年も最近スピールバーグの映画に出るような子供と違い、観客はすっと入って行け、すぐ彼を好きになってしまいます。
これほど人間を掘り下げているのにどこかに説得力がなく、見ていて何度もあくびが出てしまいました。脚本を書いた人はなかなか評判のいい人で、他の作品でも名前を見たことがあります。日本にも最近は良いテレビドラマができているようで、アハハと笑って見終わってしまえば良いような軽い作品でも人間を深く掘り下げています。こういう脚本家はヴェンダースを見て洞察力は残し、ヴェンダースに足りないエンターテイメント性を付け加えたのでしょか。もしそうだとすれば、ヴェンダースの存在価値はそれだけでも大きいです。
この後どこへいきますか? 次の記事へ 前の記事へ 目次 映画のリスト 映画以外の話題 暴走機関車映画の表紙 暴走機関車のホームページ