テレビと小説のページ
1985 USA 100 Min. TV映画
出演者
Keith Carradine
(Allen Devlin/Ed Vinson - 記憶喪失の男、家族殺しをした父親)
Kathleen Quinlan
(Chris Graham)
Richard Widmark
(Joe Steiner - 地方警察の刑事)
Michael Beck
(Mike Patterson)
Gerald Hiken
(Theo Grant)
Don Hood
(Phil Murphy)
見た時期:1980年代
Dan Simmons
2002 小説
主な登場人物
(ジョー・クルツ -
元私立探偵、免停)
(レイチェル -
クルツの実の娘、高校生)
(ドナルド・ラファティー -
レイチェルの養父)
(アーリーン・デマーコ -
クルツの助手)
(ゲイル・デマーコ -
アーリーンの義理の妹、集中治療室の看護婦)
(アンジェリーナ・ファリーノ・フェラーラ -
ファリーノ一家の長女)
(スティーヴン・ファリーノ -
ファリーノ一家の次男)
(エミリオ・ゴンザガ -
ファリーノ一家を乗っ取るつもりのマフィア)
(ポール・フレデリック -
ホームレス、元プリンストン大学教授)
(ジョン・ウェリントン・フレアーズ -
バイオリンニスト)
(ジェームズ・ハンセン -
連続暴行殺人犯)
(ハワード・コンウェイ -
引退した歯科医)
(ロバート・ゲインズ・ミルワース -
警部)
井上さんに紹介されたハード・ボイルド小説、ダン・シモンズの雪嵐、とてもおもしろかったです。アメリカの北部、極寒の地方を背景に上手に使い、救いようの無い難しい立場に立っている主人公が、ぼろぼろになりながら憎い奴をやっつけるという話です。
これを読んで思い出したのがアメリカでテレビ用に作られたスリラー。日本では冷血バイオレンスマスク 銃弾のえじきというとりとめの無い名前がついています。原題の《ブラックアウト》でも事足りたかも知れません。犯人が冷血男なので《冷血》でもいいですが、これだけですとよその小説や映画と紛らわしい、《バイオレンス》という言葉が表に堂々と出て来るとペキンパー流と誤解し易い、《マスク》と言われると確かに顔にも関係しますから的外れではありませんが、これもちょっと前に有名になった映画と紛らわしい、《銃弾のえじき》と言うほど派手なドンパチが物語りの中心になっているわけでもないので、どうもこのタイトルは中途半端です。まるでスケアリー・ムービーの邦題のようなつけ方です。
テレビと小説、何が似ているかと言うと犯人。他人のアイデンティティーを利用して別人になりすまし、何食わぬ顔をして家庭を築き、適当な時期が来ると家族を皆殺しにして一家心中を装い、自分も一緒に死んだことにして本人は新しいアイデンティティーでまたよその町で新しく始めるのです。こういう犯罪を行う人をテーマにした映画は時たま作られますが、冷血バイオレンスマスク 銃弾のえじきと雪嵐はサスペンスの盛り上げ方が傑出しているように思います。
冷血バイオレンスマスク 銃弾のえじきは随分前によそのテレビで見たので、誰が何を演じていたのかはっきり覚えていません。リチャード・ウィドマークが事件を追う刑事役だったことは間違いありません。その他の主要な人物は事件の犯人1人(多分カラダインでしょう)、犯人が仮の姿で家庭を築いていた家の妻、子供、以前の事件に関連する人、病院の看護婦や外科医、事件の他の被害者、警察関係者などです。犯人と刑事は共に演技が良く、映画の雰囲気を盛り上げています。これがテレビ?と一瞬思ってしまうほどです。脚本もよくできています。何しろ映画が終わっても疑問がふと残ってしまうのです。
冷血バイオレンスマスク 銃弾のえじきは犯人に数年おきに間欠泉のように衝動が起き、これまでの家族を皆殺しにして次に進む、その法則に気づいた刑事が犯人がぼろを出すのを執拗に待つという風な運びだったように記憶しています。そして犯人は自動車事故に遭い顔面を破壊され、顔が分からなくなってしまいます。ついでに記憶も喪失。車に乗っていたのは2人で1人はこの殺人犯、もう1人は殺人には無関係。外科手術で長い時間をかけて顔を再生するところはハラハラします。非常に頭のいい犯人なので、観客には記憶喪失のふりをしているのか、本当に記憶がなくなっているのかも分かりません。その上記憶喪失は本当で病院で回復している間に殺人鬼の記憶が戻って来るのかもしれないのです。刑事は事件に没頭し過ぎてややノイローゼ気味。ですから刑事の勘違いかも知れないという恐れも生じ、いやが上にもサスペンスは盛り上がります。ストーリーを書いたのは David Ambrose という人。
小説の方は、時代が現代で、マフィアの抗争も絡み、犯人に目星をつけるのも刑事ではなく、娘を暴行の上殺され、自分には死期の迫ったバイオリンニスト。彼の依頼で主人公の元私立探偵が犯人を追うという設定です。アイデンティティーを偽装している男はあろうことか現在は警部になりすましています。ですから警察にバイオリンニストが訴えてもほとんど何もできません。マフィアの抗争だけでなく、主人公の実の娘が好色でアル中の義父に目をつけられたりもするので読者の目はそれてしまいそうですが、むやみに気が散らないようにできています。DNA検査ができる時代とできない時代の作品ですが、もっぱら恐怖は犯人のキャラクターから生じます。
双方に共通しているのはアイデンティティーを誤魔化すという手口だけでなく、人を上手に丸め込んでしまえる社交術、超天才的な知能、そして追う側は頭のいい人物ではありますが、超天才というほどでない点。リチャード・ウィドマークは丹念な調査で犯人に迫っています。ジョー・クルツは探偵稼業と12年ほどのムショ暮らしで経験をつんでいるので、めったなことでは騙されません。裏の裏の裏ぐらいは読みます。そして光るのは犯人の知能と自制心。
こんな男に狙われたら赤子の手をひねるようにみな殺されてしまうのは間違い無い!常人なら何年も家族と暮らしているうちに気が緩んでしまったりしますが、こういう知能犯はそういうぼろは出しません。20年近く前に映画を見た時私はまだ若く、そういう人間もたまにいるかと思いました。現在では若い頃どんなに天才だと言われた人間でも50歳、60歳になると、何もかもを完璧にこなすことはできないのではないかと思うようになって来ました。もっとも私が常人だからそう感じるのでしょうね。さて、そういう天才男をいらつかせるのは常人の間抜けさや隙。皮肉なことにクルツが天才ぶりを発揮するからでなく、経験を積み重ねる常人の知恵でとことん犯人に食いついて来るため、超天才の犯人は徐々に予定が狂って来ます。そして予定から外れて行くのに、天才のプライドが邪魔をして、相手を過小評価してしまいます。天才犯人は泥沼にはまって行き、クルツの方はティームワークで目的に近づいて行きます。結局1人の天才より数人のティームワークの方が勝利します。
もう1つ両作品に共通するのは残酷な描写。少女をレイプするようなシーンは上品に話を掘り下げないようにしてありますが、犯人がどういう目に遭うかは結構えぐくなっています。テレビの方ではあまり直接の画面は出ませんが、彼の顔がどうなっているかについて台詞などで描写があります。雪嵐の方は結末近く、被害者の父親自らが設置した爆弾に吹き飛ばされた犯人が、炎につつまれてもまだ生きていて、肺に吸いこんだ熱や溶けた指などと結構グロテスクな表現が出て来ます。
小説の方、ハードボイルドにしてはやや甘ったるいと思われるのは、後半クルツのティームができ始め、数人が集まって食事をするシーン。皆が家族の誰かを亡くし、共通の目的に向かって進んでいるのですから、ティームがまとまるのはいいですが、ちょっと優し過ぎて、ここだけ浮かび上がってしまいます。林屋亭どん兵衛の自宅ではないのです。冷血バイオレンスマスク 銃弾のえじきの方はかなりシビアでした。
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