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1981 USA/UK 99 Min. 劇映画
出演者
Kurt Russell
(Snake Plissken - 囚人)
《カーペンター作品4本》
Lee Van Cleef
(Bob Hauk - 警察官)
Ernest Borgnine
(囚人、タクシーの運転手)
Donald Pleasence
(アメリカ合衆国大統領)
《カーペンター関係の作品10本》
Isaac Hayes
(ニューヨークのボス)
Harry Dean Stanton
(Harold Helman - スネークのかつての仲間)
《カーペンター作品2本》
Frank Doubleday
(Romero - デュークの手下)
《カーペンター作品2本》
Tom Atkins (Rehme)
《カーペンター作品3本》
Charles Cyphers (秘書官)
《カーペンター関係の作品7本》
John Strobel (Cronenberg)
《カーペンター作品2本》
Nancy Stephens (ハイジャッカー)
《カーペンター作品5本》
George Flower (酔っ払い)
《カーペンター作品6本》
John Carpenter
(シークレット・サービス、ヘリのパイロット)
Jamie Lee Curtis (声の出演)
《カーペンター関係の作品7本》
Debra Hill (声の出演)
《10本以上のカーペンター作品で共同作業》
Season Hubley
《元カート・ラッセル夫人、
カーペンターの作品2本》
Adrienne Barbeau
(Maggie - ハロルドの恋人)
《元カーペンター夫人、
カーペンター関係の作品5本》
見た時期:2006年10月
ドイツで雑誌を買うと時々劇映画のDVDがついて来ます。たまにそれにつられて買ってしまいます。そうして手に入れたのがニューヨーク1997。雑誌のおまけとしてはなかなかの選択で、大分前にオスカーを取った作品もあれば、B級ではあるけれど名物監督が撮った作品もあります。どうしようもない最悪の作品はありません。
ニューヨーク1997は1981年に《16年後はこうなっている》という設定で作られた SF です。あのジョン・カーペンター監督の作品。
まずは主演、助演の名前が軽くないという点に注目。25年前のカート・ラッセルはテレビに出まくっていた頃で、映画は時々。数年前から出る時は主演という風になって来ている時期ですが、まだ大ブレークには至っていません。 カーペンター周辺はカーペンター・ファミリーの様相が見られ、カート・ラッセルはニューヨーク1997のすぐ後、遊星からの物体Xでも主演を取っています。 ニューヨーク1997でアメリカ大統領を演じているドナルド・プレザンスはご存知ハロウィーンの主演の1人。嫌な顔もせず亡くなるまでその後のシリーズで主演を演じています。助演にもそういう人が何人かおり、マギーを演じたアドリアンヌ・バーボー他もカーペンターの作品に複数出演。また私たちには音楽家として知られているアイザック・ヘイズはこの時もう俳優として活躍中。そして1989年に他界したリー・ファン・クリーフが重要な役で出演しています。アーネスト・ボーグナインは64歳で出演。現在は90歳近いはずですが、まだ現役。驚くべき数の作品に出ています。
1981年に今日の携帯のことが分かるわけもなく、通信機はちょっと古臭いですが、それでも2006年に見てそれほど違和感を感じないのは、SFだということで思いっ切りセットを削り、シンプルな作りにしてあるためでしょう。車は新車ばかりを出す映画ですと何か斬新なデザインを考えなければなりませんが、混乱のニューヨークということにしてあるので、色々な車が入り乱れ、普通のタクシーも出て来ます。カーペンターは低予算の職人芸的な監督ですが、予算の削り方が上手で、削っても安っぽく見えない工夫が見られます。
更に驚くのは、カート・ラッセル演じるスネークに対しリー・ファン・クリーフ演じる警察部長が使うスネーク監視のための拘束方法。25年以上も経った今年、トム・クルーズのアクション映画でもそっくりな形で使われているのです。映画のリメイクをするだけではなく、手口もリメイクです。
もっと呆気に取られるのは冒頭のワールド・トレード・センターのすぐ側のビルの激突シーン。アニメーション化された映像ですが、あれを見て2001年の事件を思い出さない人はいないでしょう。アメリカだけでなく、ドイツでも事件後最近までワールド・トレード・センターの写真が世間から消えていたのですが、最近また復活し始め、オリバー・ストーンの映画でも崩壊前のビルが画面から消えることはありませんでした。ドイツ人というのはそれほど過敏症ではないので、事件後に雑誌やテレビで以前のままのワールド・トレード・センターの建物を見ても、事件は事件、建築物は建築物と分けて考えるでしょうが、最近まではアメリカに同情して一緒に喪に服すかのように、建物の写真などは減っていました。私はDVD目当てに雑誌を手に入れた時には全然建物の事は考えておらず、まさかあんな形で映っているとは思いませんでした。まるで事件のシュミレーションであるかのようなアニメが出て来たので唖然。「実行犯はカーペンターの映画を見て研究したのか」と言いたいところですが、彼らは映画ができた頃はまだ1歳から中学校ぐらいの年齢。万一見たとしたらビデオでしょうが、まさかアラビア圏の外国人がわざわざアメリカのB級作品を見て参考にするとは思えないので、偶然の一致でしょう。事件直後よその州から特に目的地を知っているわけでもなく掛けつけた海軍兵士が、一直線に瓦礫の下に埋まっていた警官2人を発見してしまったのと同じで、世の中では時に信じられないような偶然が起きるものです。
前置きが長くなりましたが、ストーリーはいたって簡単。犯罪発生率が急上昇したアメリカでは1988年以降マンハッタン島全体を刑務所と定め、囚人は老若男女全てその中で放し飼い。島を刑務所にという発想はアメリカでは普通らしく、アル・カトラスのような例があります。日本やフランスでは遠島申し付けといった形で遠い島に流してしまうという発想がありますが、もう時代遅れになっています。刑務所には2通りの考え方があり、1つはそこに入れて教育をし、いずれ社会に復帰させようという主旨。もう1つは社会に置いておくと邪魔、危険だからどこかへ一生閉じ込めておこうという考え方。どちらにもその時代の政治が大きく反映しますが、当事者にとっての違いは、戻れるか戻れないか。ニューヨーク1997は、一般人から一生分けておこうという主旨の刑務所です。 次の世代、この中で生まれて来る子供には罪はないじゃないかとツッコミは入れないことにして、私たちは1997年のニューヨークの様子から見ることになります。 1981年に作られた作品なので、16年先を予想していたわけです。
島全体を高さ15メートルの壁で囲い、付近に地雷を置き、昼夜監視がついています。ちょっと1989年より前の東西ベルリンを思い出してしまいますが、あの時陸地の孤島にいたのは私たちでした。
見方を変えると、マンハッタン島全体を終身刑の囚人たちに開放していたわけで、ワールド・トレード・センターだけでなく、ブロードウエイであれ、何であれ行きたい放題、やりたい放題。囚人の数は現在のニューヨークの人口よりずっと少ないので、町はガラガラ。例えば皆がその気になれば1人ずつアパートがもらえ、それなりに楽しく暮すことも可能です。しかしそこはアメリカ映画。ボスと言われる人間が現われ、力を誇示したくなるので、平和な暮しは無理です。
終身刑を食らう人にもピンからキリまであり、善良さ、凶悪さに差があります。デュークと呼ばれるアイザック・ヘイズが大ボスで、最悪。ブレインと呼ばれるスネークのかつての仲間のように、恋人と比較的静かに暮らしている男、キャビーと呼ばれる男のように、時々ショーを楽しみ、マンハッタン内でタクシーの運転手をしている男もいます。デュークには舎弟の者が大勢いて、夜な夜な弱い者を襲って回ります。
いくらかガソリンがあり、火をたいたり、車を動かしたり、小規模に発電をしたりもでき、その様子はちょっと28日後・・・を思い出させます。(ゾンビは出ません。)
そこへ降ってわいたようなトラブルが起きます。合衆国大統領を乗せた特別機がハイジャックされ、ワールド・トレード・センターに突っ込みます。飛行機本体はこれで破壊されますが、大統領は特別な脱出用カプセルで生き残ります。しかし大統領は囚人たちに人質に取られてしまいます。警察は大統領の身柄と、サミット用に用意されたカセット・テープを奪還しなければなりません。(このカセットが普通のカセットだというのがご愛嬌。1981年に1997年を想像して作るのだったら、もうちょっと工夫しても良かったと思います。)警察本部はちょうどこれからマンハッタン島に送られることになっていた闇の帝王スネーク・プリスキンにその任務を押しつけることに成功。
スネークがちゃんと仕事を終えるように彼の体内に小型爆弾を埋め込み、タイム・リミット厳守と言い渡します。22時間。 大統領とテープと一緒に戻ってくれば爆弾は破裂しないようにしてくれるって言うじゃない・・・。あとはカート・ラッセルの超人的活躍に期待しておけば事件は無事解決します。
もし公開当時見ていたら、その頃としてはまあ観賞に耐える、2001年宇宙の旅よりは安上がりの SF と思っただけでしょう。特に哲学的な考えをめぐらす必要も無い、単純な追いかけっことハッピーエンドです。しかし今見ると、女性の役回りが最近の映画とやや異なります。マギーはブレインの情婦なのですが、ブレインがやられると、自分には助かるチャンスがあるのに、スネークに銃をよこせと言い、ブレインを殺したデュークに立ち向かいます。それで結局命を落としてしまいますが、自分の人生に自分ではっきりけじめをつける女性として描かれています。かつての、男性に媚びを売ったり、従属する役から少しずつ自立を目指す社会に変わり、映画に描かれる女性像も変わって行きました。最近はその傾向が分裂し、ファンタなどを見ていると、また女性がぞんざいに扱われている作品もあります。逆に女性にスーパーヒロインをやらせておだてているような作品もあります。最近の映画で1番矛盾しているなあと思ったのは、剣を持って男勝りに戦うレディーを演じている女優がガリガリに痩せこけていること。せっかくの立派な役なのに、あれではねえ。意外だったのはクリント・イーストウッドのようなマッチョの権化のような男性から、悪と戦ったり、底辺で努力する女性を描いた作品が飛び出したこと。最近の女性の描き方は多様になっています。
別な観点からも見てみます。2001年の事件を知ってから見ると考え込んでしまいます。スタンリー・クブリックが自分の SF に2001年という区切りをつけたのはなぜだろうと考えてしまいます。監督が1968年にワールド・トレード・センター事件を予想したわけではないでしょう。しかし彼が何を考えたかに関係なく、2001年が1つの区切りになり、その前とその後で世界が大きく変わってしまったことは確かです。2001年宇宙の旅には、人類が何度か経験する大きな節目が描かれていました。現実の2001年もそういう年です。続編の2010年は米ソが協力して消息不明のディスカバリー号を探すという設定になっています。ソ連という国はなくなりましたが、後続のロシアとアメリカは確かに喧嘩せずに話し合う事が増えました。1968年の時点では政治的に対立していた両国は最近では競争心があるにしても一応友好的。米ソだけでなく、当時西ヨーロッパと呼ばれていた国と現在のロシアの間にはいくつもの協力関係ができあがっています。クブリック、ハイアムズ、クラークなどは早々とそれを小説や映画にしています。お主等、なぜ知っていたのか。
という風に、たかが雑誌の付録のB級映画なのに、色々考えるきっかけができます。それで3€30¢。得をした気分です。
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