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Bee Gees: One Night Only  ♪

ドイツ版

USA 1997 130 Min. コンサート

Michale A. Simon

出演者

Barry Gibb
(ボーカル、ギター)

Maurice Gibb
(ボーカル、キーボード)

Robin Gibb
(ボーカル)

Alan Kendall
(ギター)

Stephen Gibb
(セカンド・ギター)

Matt Bonelli
(ベース)

Ben Stivers
(キーボード)

John Merchant
(セカンド・キーボード)

Steve Rucker
(ドラム)

Céline Dion
(ゲスト)

Andy Gibb

Olivia Newton-John
(観客)

Chloe Lattanzi

見た時期:2006年8月

映画サタデー・ナイト・フィーバーから続く。

サタデー・ナイト・フィーバーで音楽を担当したビージーズは、この映画ができた時点では世界的に有名なグループでした。小学校、中学校の年齢ですでにナイト・クラブで歌っていたというギブ3兄弟。1967年にはオーストラリア国内ではかなり知られていました。67年英国からもレコードを出し、マサチューセッツなどであっという間に世界的なスターに。1度下降し、小さな恋のメロディの音楽でまたヒット。再び下降した後、サタデー・ナイト・フィーバーであっという間に3度目の大ヒット。特にサタデー・ナイト・フィーバーではこれまでのスタイルを捨て、全く別なジャンルの曲を持ち込んで来たので、私は「えええ、これがあのビージーズ?」と驚いたものです。リズムの跳ね具合はスティーヴィー・ワンダーかという感じですし、至る所にソウルかファンクかという印象をちりばめています。そして結局はディスコという名前の新しいジャンルを確立してしまいました。お見事。

80年代は自分たちが歌うのではなく、他の人に曲を提供するという形でしたが、ヒットがあり、90年代になるとまた積極的に動き出します。紆余曲折という意味では、ジョン・トラボルタの人生と、ビージーズの人生はいい勝負です。

そのビージーズのコンサート録画を見る機会がありました。時期的にはモーリス・ギブが亡くなる少し前。特に有名な曲を集めてあり、ビージーズ・ファンを満足させるために作られています。

以前はロビンが1番若者らしく、バリーとモーリスはちょっとお兄さんという感じだったのですが、実はバリーが長兄で、ロビンとモーリスは同い年。しかしこの録画ではロビンが1人だけ大人びて見え、バリーとモーリスは青春を引きずっているような印象を受けます。3人共他のオールディー・バンドに比べ、まだ現役という雰囲気で、アウトフィットも年齢を重ねたわりにはサタデー・ナイト・フィーバーがヒットした時期の印象を壊さないような年の取り方です。ファンのイメージを崩さないという意味で、偉いなあと思います。

驚いたのは声の質。サタデー・ナイト・フィーバーで甲高い声を出していたのは恐らくバリーでしょうが、面影がありません。元々不自然な出し方をしていたのでしょうか。 録画を見ていて気持ち良かったのはハーモニーを付ける2人の兄弟の様子の方でした。長年歌い慣れた曲でしょうが、手を抜かず、プロという感じでバリーをサポートしています。私はビージーズの曲全部が好きなのではなく、サタデー・ナイト・フィーバーがらみの曲だけが好きなのですが、良い面と失望が混ざり合います。

どのぐらい変わったかを比べると、ビージーズはゆっくりと年相応に変化し、当時のファンがついて来られるという感じです。トラボルタの方は、サタデー・ナイト・フィーバーのトニーにもう1度なれと言われても無理でしょう。何しろあのトニーは今のトラボルタからは考えられないぐらい痩せているのです。現在のトラボルタはお腹が出て、脂肪で太った男か、それと同じぐらい太いけれど中身は筋肉という二者択一の道しか残っていません。当時のズボンにはもう入らないでしょう。その代わり役者としては何枚も皮がむけ、非常におもしろい俳優になっています。女性を蔑視した役もあるので、ドイツでの評判は良くありません。私もカチンと来る時があります。しかし役者として個性があるのは事実。宗教問題などを持ち出すと、私はカチンどころではなく、「帰ってくれ」と言いたくなりますが、本人はトム・クルーズに比べ余裕を持った解釈をしている様子です。

ビージーズの方は当時の面影を年齢に合わせて渋くしたと表現するのが適当かと思われますが、リズム感は当時より良くなったのではないかとすら思えます。トラボルタに比べると体重の問題はきれいにクリアしています。元々太るたちではないのかも知れません。

ビージーズというのは1946年と1949年生まれの英国人3兄弟のボーカル・グループなのですが、国籍は1958年から住んでいるオーストラリア。1963年から商業的な音楽活動を始めています。初期は完全に未成年労働です。ナイトクラブなんかに出て、児童福祉所が飛んで来なかったのかと気になってしまいます。

1958年にアンディーという弟が生まれますが、ビージーズには参加していません。ギブ家には男の子が4人、女の子が1人生まれていますが、現在は2人他界。早く亡くなったアンディーには子供1人、ビージーズ2世バンドができるかは分かりませんが他は2人以上の子孫を残しています。このコンサートにはギブという苗字の親戚が参加しています。

バンドの名前は長兄のバリー・ギブのイニシャルを取ったのではなく、デビュー当時3人に関わった人たちのイニシャルなのだそうです。あまり深く考えてつけた名前ではなさそうですが、覚えやすいです。

1967年に生まれた国英国に戻り、すぐにアルバム発売。それから数年間トップの座に。マサチューセッツトゥ・ラヴ・サムバディホリデイ、ロンリー・デイなどが並びます。しかしブームはいずれ去るもの。いつの日か忘れられて行きます。そしてロビンはグループを抜けます。

私は白人が「自分はソウル歌手だ」と言うと不審の目を向けることにしているのですが、例外中の例外、大賛成のアンドリュー・ストロングとトム・ジョーンズ以外に渋々認めているのがビージーズです。世間ではディスコという分野を開拓した人たちとして、ディスコの代表のように言われていますが、曲のいくつかはソウル性が盛り込まれています。女々しい声を出して歌っていたマサチューセッツなどは大嫌いなのですが、同じ3人が安田大サーカスのような声で歌ったソウルっぽい曲は好きです。あのでれっとしたおよそリズム感のとろい曲と、パシッとリズムの決まった歯切れのいいソウル。同じ人たちがこうも違う曲を出すのを見て、プロデューサーの力の大きさに恐れ入ってしまいます。

70年代、ロビンも戻り、ビージーズはサタデー・ナイト・フィーバーと共にむっくり起き上がり、マサチューセッツなどの過去は無かったかのごとく、世界をあっという間に圧倒してしまいます。

その勢いに乗って更にアルバムを出した後休憩。人のために曲を書く仕事に移って行きます。

今日ご紹介するのはモーリスが亡くなるちょっと前のコンサートの録画です。たった1晩だけのコンサートと銘打ってラス・ベガスで1997年に行われています。1997年ですと、長兄が51歳、双子が48歳。3人の様子を見ると音楽的には現役。ビーチボーイズなどと違い、凄いプロだなという雰囲気が漂います(ビーチボーイズの録画も見たのですが、崩れています)。

ステージのギブ3兄弟は黒白装束で、長兄がドイツの大工かバーテンダー、ロビンが新教の牧師、モーリスは頭を隠す必要も無いのに帽子をかぶって出て来ます。双子のロビンが頭を見せてしまっているのでバレバレ。バリーはギター、モーリスはキーボードをやりながらのステージ。ロビンは手ぶらですが、3人の中で1番プロっぽいです。3人を懐メロバンド視しては気の毒なぐらい威厳を保っています。

オープニングは ジョン・トラボルタがサタデー・ナイト・フィーバーのディスコのフロアーで1人で踊るシーンに使われた曲ユー・シュッド・ビー・ダンシングです。プロのバックバンドがついてわくわくするようなオープニングです。

ドキッとするのがバリーの声。上にも少し書いたように、すっかり潰れています。周囲が完璧なだけ悲惨です。サタデー・ナイト・フィーバーのサウンドトラックが出た頃の声も安田大サーカス風に高かったですが、当時は効果的で、鋭さがありました。ラスベガスのコンサートでは高いには高いですが、猫が鳴くような奇妙な丸みがありました。バリーは当時私にはローリング・ストーンズのギミー・シェルターといい勝負の特徴ある声を出しているように思え、好印象を持っていました。喉を使い過ぎたのでしょうか。

2曲目の Alone ソロはバリーですが、ここでも彼の声は限界。猫がニャ〜ゴ〜と丸い声を出しているようです。2人の弟より1オクターブ高い声を出しているのです。しかしこの曲は音域が高いだけで、ユー・シュッド・ビー・ダンシングほど緊張しないはず。途中からロビンも高い声を出しますが、ロビンの声は安定しています。安定と言えば、声だけでなく、ロビンは精神的にも1番プロっぽく、以前1番世間知らずの少年のような顔をしていたので意外でした。

それにしてもバリーとロビンの話し声が似ていて、やはり兄弟だなと思います。

3曲目、マサチューセッツに入りますが、 3人の背後には大きなスクリーンがあって時々懐かしい家族の映像が映されます。ソロはロビン。以前と全く同じ声です。私はあのふわふわした声と、ロビンのニタニタした顔が嫌いだったのですが、1997年には当時とほとんど変わらない声ながら、足場が固まったような安定感があり、ロビンの顔はすっかり大人。イメージがアップしました。

ここでふと気付くのが3人のアウトフィットの違い。バリーはご存知のように髪型も歯型(!?)も完璧に整えて出て来ています。モーリスは(私の個人的な意見では)隠す必要の無い頭を隠し、歯型を整えて出て来ています。それに対し、ロビンは隠す必要の無い頭は隠さず、完璧に整える必要の無い歯型はそこそこにきれいにしていますが、完璧という感じではなく、何となく普通のサラリーマンのおっさんという感じで出て来ます。当時1番嫌いだったロビンが1番感じが良かったです。

4曲目はわりと好きなトゥ・ラヴ・サムバディ 好きと言っても、私が覚えているのは To Love somebody という歌詞が出て来る部分だけです。ビージーズはでれっとしたのろい曲よりリズム感のある曲がいいようです。この曲ではバリーの声のぼろが出ません。
獄中の手紙 特に好きな曲というわけではありませんが、3人に良く合っていて、感じがいいです。ポップスとして良くできています。ビートルズのヒット曲などに比べると地味ですが、人に覚えられる要素があり、私も聞き覚えがありました。

60年代からあるバンドを見て行くと、ビートルズ、ビージーズ、ビーチボーイズと3大Bが世界を制覇し、売上もトップを行っていました。

時々大写しで映る中年のギター弾きのおっさんがいるのですが、もしかしたらこれが身内のギブ氏なんだろうか。

次のワーズ しっかり覚えていて、好きでない曲。嫌いな人にも覚えられるところが偉大。バリーのソロ。彼の声はこういう曲にはしっかり力が入っています。モーリスがキーボードでイントロを入れるのですが、手を見ると腱鞘炎かというぐらいのゴツゴツぶり。もしかしたら舞台裏ではミュージッシャンとしてもう体がガタガタなのかも知れません。それにしては体裁を保っており、私は懐メロミュージッシャンと呼ぶのは気の毒な気がしてしまいます。

ワーズでバリーとモーリスが気持ち良く歌っている間、ロビンはサボってその辺を散歩。2人はそんな事は全然気にせず演奏と歌を続けます。それなのにグループがバラバラという印象になりません。そしてハモが必要な時にはどこからともなくさっと戻って来て、間に合います。

もっと近くに 新しいアルバムからだそうです。曲は あまり人に覚えられていませんが、巧みな作曲で、退屈しないです。ソロになったマイケル・ジャクソンが歌いそうなメロディーです。
アイランズ・イン・ザ・ストリーム 平凡な曲で、ビージーズだぞという印象は残りません。背後には大洋に浮かぶヨットの画像が。
次は One という曲で リズムはサタデー・ナイト・フィーバー風。ジャイブ・トーキンの亜流のようなので、インパクトの強いジャイブ・トーキンが勝ち残ったという印象です。一体いつ書かれたのかは不明。そこまで詳しくはビージーズを知らないのです。
愛をすてないで 死んだ弟のアンディーのためと、バリーが一言。バリーが最初のソロを取ります。 背後でアンディーの古いビデオをかぶせます。やがてアンディーのコンサートビデオに変わります。 声はちょっとジョン・トラボルタと似ています。アンディーは4人の中で1番かわいいです。当時はアイドルだったのでしょう。高音を出すとやはり兄弟だという声になり、やはりギブ家の人間だと分かります。バリーは懐かしそうな、悲しさの混ざった笑顔で歌います。

ここでセンチな雰囲気に一区切りつけて、サタデー・ナイト・フィーバー・メドレーに突入。

恋のナイト・フィーヴァーです。 私はこの曲は大好きです。曲の流れに非常に変化があり、考えられない展開を見せるのですが、人に親しまれやすく、作曲の上手さではバート・バカラックより上を行っています。この種の独創性は時たまビーチボーイズの作曲にも見られます。天才然とはしていませんが、この曲を書いた人には非常に才能があります。

それまでプロっぽくクールにふるまっていたロビンが、サタデー・ナイト・フィーバー・メドレーに入ってから急に楽しそうに歌い出します。こういう曲が好きなんでしょうか。

さて、楽隊はそのままそ知らぬ顔をしてモア・ザン・ア・ウーマンヘ。 背後のスクリーンにはトラボルタがダンスの練習をしているシーンが映ります。ちょうどこのシーンでモア・ザン・ア・ウーマンが使われました。
バリーの声はやはり気の毒なぐらい枯れています。誰でも歌手になれる時代が来たのはいいことですが、プロになって歌いまくることが商売になるのでしたら誰かが発声指導をしないと、喉に無理な発声をしている人は後で手術などという事になってしまいます。これまで私はどちらかと言えば、日本人のタレント歌手について危惧していたのですが、外国の有名人でもたまにはそういう問題が起きるのかも知れません。ドイツ人は普通の人でも大抵お腹から声を出しているので、あまり心配しませんが。
次の Still waters あまり特徴がありません。
続くロンリー・デイ 私も良く覚えています。途中でリズムが変わったり雰囲気が変わったりと工夫の跡が見えますが、こういう風な変化のつけ方はビートルズの方が上手かも知れません。しかし作曲に携わる人間としては、似た曲が他にあってもやってみたいのでしょう。これもバリーが主旋律を取り、ビージーズはバリーのバンドだというイメージを持ってしまいます。ロビンが時々ソロ活動をしたがるわけも何となく納得。
Morning of my life ちょっとフォークっぽく、典型的なビージーズという感じではありません。3人が1つのマイクの前に集まって歌います。こんな曲聞いたことないよ。

なお、ここからは有名な曲をさわりだけ歌います。

歌だけ聞いているとビージーズはサンフランシスコに関係があるように思え、アメリカ人という感じですが、バリーが喋り始めると、やはり英国人かオーストラリア人だなと分かります。私は米語が苦手で、両国のアクセントの方が聞き取りやすいのです。

次のニューヨーク炭鉱の悲劇 タイトルだけは知っていました。曲が始まると、メロディーも知っていました。これも3人が1つのマイクの前で歌います。

ロビンとモーリスは双子ですが、二卵性。どうやら身長も違うようです。バリーとロビンより顔半分ぐらい背が低いみたいです。知らなかった。

失なわれた愛の世界 聞き覚えがありました。この曲を歌っている間にモーリスの横顔が映るのですが、内気な印象を受けます。
誰も見えない(I can't see nobody) メロディーは知っていました。英語にもよく can't がついているのに後に nobody などが入り、真面目に文法を勉強する人を惑わしますが、実はこういうの、ドイツ語の方言にもあります。ドイツ語は本来フランス語とは違い、not に当たる言葉を文章で1度使えばそれで否定文になります。ところがそれだけでは安心できない人が南の方に住んでいて、確実に否定するために kein という言葉もつけたがります。そうすると、I can't get no satisfaction のような事になってしまいます。
Run to me にも チラッと聞き覚えがありました。これはロビンがソロを取り、あまりビージーズらしくない曲ですが、作曲の基礎がしっかりしていて、いい曲です。歌うのは難しいです。ロビンは典型的なロビン・スタイルで声を震わせていますが、そういうを止めて、ストレートにソウル・シンガーのようにぶ厚い声で歌った方がいいかも知れません。
そして太陽は輝くでは 3人のハーモニーをインストルメンタルを押さえて聞かせてくれます。この曲は知りませんでした。
次はブロードウェイの夜です。  

このあとバリー・ギブはトム・ジョーンズに変身し、汗を拭いたハンカチを女性の観客にプレゼント。そうです。ここはラス・ベガスなのです。

次に聞こえるのはロビンの声。傷心の日々です。 バリーもソロを取りますが私がビージーズを嫌うのはこういう歌い方のせいです。
次のハートブレイカーも知っていました。 何というか、私はあまりこういうタイプの曲は趣味ではないのです。
次はバーバラ・ストレイザンドの曲なのだそうです。ギルティ 聞き覚えがあります。これも作曲の巧みさが目立ちます。

作曲の力がが非常に優れているのに歌わせると壊滅的な人にジム・ウェッブがいますが、ビージーズは作曲の腕はかなり良く、歌わせてもそれほどぼろが出ないという幸運なグループです。私の趣味に合わないというだけで、コンサートはちゃんとこなしますし、聞いていて楽しい曲もあります。

ここでまた3人集まって歌うのを止め、セリヌ・ディオンを迎えて元の形式で歌います。曲はイモータリティ ディオンは美声のプロの歌手ですが、なぜかアン・ルイス的な発声をします。これほど有名な歌手がなぜと思ってしまいます。日本の歌手の中には時々ああいう声の出し方をする人がいますが、アレサ・フランクリンもやらない、グラディス・ナイトもやらない、マーサ・リーヴスもやらない。止めた方がいいです。
ディオン嬢が帰った後は元気のいい曲、哀愁のトラジディ タイトルは悲劇ですが、曲はビートが聞いていて、メリハリがあります。ご存知の方も多いかと思います。結構有名です。ここでもバリーの声がちょっと苦しそう。
ジョークが続きます。 また私の嫌いなタイプの発声の曲ですが、長い年月を経、ロビンが歌う姿を見ると、ちょっと許してしまおうかと思います。当時長い髪でニタリとしながら歌うロビンはとても好きになれなかったのですが、今歌だけに専念してるロビンを見ると、ちょっと考え方が変わって来ます。私も年を取った。いや、ジョーク、ジョーク。歌い終わってうれしそうな顔をしているロビン、本気かいな。
次はジョン・トラボルタでおなじみのグリース いやあ、これはグリースのサウンドトラックの方がいいです。曲はできのいい作りで、ミュンヘン・ソウルの面影がチラリ。スクリーンにはトラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンが出演しているグリースが映ります。会場にはどうやらニュートン・ジョンが子連れで来ている様子。容色衰えていません。
さて、次はサタデー・ナイト・フィーバージャイブ・トーキン これも作曲の腕が冴えます。こういう曲を聞くと、自分も音楽をやってみたいとつい思ってしまいます。
愛はきらめきの中にが続きます。 これはとてもロマンチックな曲で、ビージーズが他にいくら自分に気に入らない歌い方をしても、平凡な曲を作っても、これ1つで帳消しです。テキストが言っている事はそれほど気に入っていないのですが、メロディーが言語のアクセントに良く合っていて、非常に耳に快いです。ドイツでは以前はドイツ語で曲を作るとメロディーに上手く流れず、野暮ったくなってしまいました。そういう時英語の曲はすばらしいなあと皆があこがれるような作りです。最近の若いドイツのソングライターはそれをようやくクリアし、いい曲を作るようになっていますが、そのお手本にしたいような曲です。映画にぴったり合っていましたし、映画を無視しても名曲です。
この曲が流れる間背後のスクリーンにはギブ家の思い出のホーム・ビデオが流れます。
いよいよ終わりが近付いて来ますステイン・アライヴ この曲では会場も3人も楽しそうです。バリーの声が苦しそうで気の毒ですが、この曲が好きそうで、楽しく歌っています。何とこの曲はブラス向きの音程になっています。

ここでお決まりの退場。

その後決まりの再登場。

ユー・シュッド・ビー・ダンシングです。 バカみたいに勿体をつけず、あっさり出て来てバンドのメンバーを紹介。このバンドも超有名なビージーズのバック・バンドなのに、もったいぶらず、あっさりしていて感じがいいです。途中で中年のおっさんギタリストがギブ家の一員かと書きましたが、結果は外れ。ギブ氏はまだ若い人でセカンドでした。
ユー・シュッド・ビー・ダンシングでは背後にトラボルタのダンス・シーンが入ります。最初の部分はバリーの声が辛そうですが、 You should be dancing という歌詞の所ではかつての鋭さが見えます。それにしてもトラボルタのこのシーンは迫力です。来年は30周年になるのに、まだ後光が差しています。フィナーレに持って来るだけのことはあります。この曲もブラス向きの音程になっています。後でチェックしてみたらジャイブ・トーキンもそうでした。ということはサタデー・ナイト・フィーバーの曲は全部そうなっているのかも知れません。

これでコンサートは終わりですが、この他にドキュメンタリーがついています。

それにしてもモーリスの死は残念でなりません。バリーが中心のバンドなので、モーリスはややかすみますが、3人いないとバランスが悪いです。息が合っているという意味では超人的です。やはり兄弟というのが強みだったのでしょう。声も似ているためハモには非常に都合がいいです。モーリスが運び込まれた病院で何か不手際があって、手当てに手違いが生じたとの話がありましたが、そうだとすると損失は非常に大きいです。自分の好きな曲をやらないから、ルックスが気に入らないからと言って、ビージーズが世界でも有数の才能を持った作曲家を擁するグループ、世界中の人を楽しませるエンターテイメントの権化だと言うことに変わりはありません。その上、この年になっても衰えが最小限にとどまっていて、まだ充分人を楽しませる力を持っていました。

3人が話しているのを見ると、モーリスが1番個性が無いようですが、エゴが強そうなバリーとロビンの間で良いバランスを保っているようです。モーリスは実際には楽器に長け、有能なミュージッシャンなのですが、兄弟が3人で、2人のエゴが強いと、1人はどうしてもそのバランスを取るように動いてしまうのでしょう。モーリスが欠けたビージーズでは、ハモをやる人が1人足りないと言うだけではなく、三角形で取れていたバランスが崩れ、一辺が戻って来ない状態になってしまうのではないでしょうか。合掌。

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