映画のページ

99 francs / 39,90

Jan Kounen

2007 F 100 Min. 劇映画

出演者

Jean Dujardin
(Octave Parango - 広告代理店企画部社員)

Jocelyn Quivrin
(Charles Dagout - アート・ディレクター)

Patrick Mille
(Jean-François Marolles - 営業)

Antoine Basler
(Marc Maronnier - クリエーティヴ・ディレクター、オクターヴの上司)

Vahina Giocante
(Sophie - 元オクターヴの恋人、現在マークの恋人)

Nicolas Marié
(Alfred Duler - 取引客、マーケティング部長)

Elisa Tovati
(Tamara - 売春婦)

見た時期:2009年9月

原作はフレデリック・ベグベデの¥999(邦題)。原作のオリジナル・タイトルは通貨統合前で、 99 francs。ドイツでは 39,90 でした。ドイツのタイトルは原作のハードカバーのドイツ・マルクでの定価です。 ドイツは本が高く、当時の生活感覚で換算すると日本円で4000円程度です。ハードカバーの小説はこの程度の値段が普通です。文庫本は通貨統合後で、定価は9,90ユーロになりました。これも一般的な値段です。そして生活感覚から言うと日本の倍ぐらいに感じます。

映画も価格のタイトルをそのまま使っています。内容はベグベデの広告業界における体験談です。

2007年に映画化したのはオランダ生まれの監督ヤン・クーネンで、ドイツでも封切られています。

★ ストーリー

本の内容と同じく、フィクションで、オクターヴという広告代理店の有能な社員が主人公になっています。自分がどういう風に働き、今なぜ自殺をしようとしているかを説明して行きます。

パリでも有数の広告代理店に勤め、コピーライターとしての才能にも恵まれ、今は大手のヨーグルト会社から依頼を受けてコマーシャルを作っているところです。まるで国家の会議であるかのような企画会議、社内、社外での競争を勝ち抜き、今日も大勢の人に注目されながら仕事をしています。自分は今世界の中心にいるのだという自覚があります。

お金は湯水のごとく使え、女も買いたい放題、コカイン吸いたい放題という夢のような生活を続けています。夢とは言っても悪夢です。長い間本人はこれが最高だと思っていたのですが、実はそうだろうかという疑問が無いわけでもありませんでした。それがはっきりするのは恋人が上司の女になった時です。

オクターヴはソフィーと恋仲になったのですが、やがてソフィーが妊娠します。子供を喜ばずソフィーをぞんざいに扱ったら、彼女はオクターヴの上司のマークと恋仲になってしまいます。そしてある日マークが自殺をした時彼女も一緒に死んでしまいます。

自分の生活がでたらめだと気づいていたオクターヴは首になるかと思っていたのですが、なぜかマークの後任に任命されます。自堕落ででたらめな生活は続きます。

ある時エクスタシーと思われる薬を飲んで車を運転したため通行人を数人轢いてしまいます。そのまま事務所に入って仕事をしていましたが、警察が彼を逮捕しに来たと知るとビルの外側に出て、そこから飛び降り自殺をします。

その後にハッピーエンドのバージョンも流れるのですが虚しいです。

★ 原作とやや違う

原作といくらか違いがありますが、作者の言わんとする所とクーネン監督が言わんとするところは同じです。原作では残酷な拷問殺人となっていますが、代わりに映画では自動車でひき逃げをやるという風になっています。作者が表わしたかったのは広告業界の虚しい派手さ。何もかもが表面的だと言いたかったようなのですが、それは映画で十分に表現されています。

映画界に広告業界と似た空虚さがあってもおかしくありませんが、99 francs を作った人たちはそれに比べると仲間意識があるらしく、メイキング・オブでは楽しそうに話し合いをしているシーンが多かったです。

★ クーネン監督

ベルリンでクーネン監督と暫く話したことがあるのですが、人の話を良く聞く、素直そうな、地味な人です。その日は彼がベルリンのファンタに持って来たドーベルマンを見終わったところで映画館の入り口前で話し掛けられ、「どうだった」と聞かれたのです。私は「あまり気に入らなかった」と答えたのですが、すると「なぜ」と聞き返されました。「暴力が凄過ぎて怖くなった」といったような答を返したように記憶しています。まだ若くあんな映画を作るような人には見えなかったのが不思議です。優しい物腰の素直そうな人です。

それから12年。今ちょうどメーキング・オブを見ているのですが、彼は12年分年を取っただけで、今でも率直そうな人柄の良さそうな外見です。

ずっとファンタに参加しているうちに私はドーベルマンが好きになったのですが、監督は私の変化は知りません。数々のアクション映画、犯罪映画、暴力映画を見ましたが、見れば見るほど、ドーベルマンのレベルの高さに感心するようになったのです。

テレビはやらない人で、現在までに13本の映画を撮っています。私はファンタに来たので、ドーベルマンブルーベリーを見ました。99 francs は3本目です。14本目はまだ企画中でこれから撮るところです。

99 francs では映像的にはドーベルマンと似たスタイルを使っています。ドーベルマンと同じくちょうど旬の俳優を主演に起用。おもしろいのは私はジョン・デュダルジャンを映画俳優だと思っていたのに、99 francs のメイキング・オブではコメディアンと紹介していました。彼とずっと一緒に出続ける2人の男性もコメディアンとなっています。そして美女もコメディアンと紹介されています。

それにしてはテーマは非常に深刻です。

★ 部分的に見える深刻さ

あまり全体の関連性を考えなくても問題だと思えるシーンがいくつも出て来ます。ファースト・ネームを呼び合い、親しさを強調する社会ですが、実は相手の事などこれっぽっちも気にかけておらず、本当は全く親しくないのです。中にはすぐ肉体関係に発展し、懇ろな仲になる人もいますが、それでも親しくならないのです。毎日集まってわいわいがやがややっていても実は全く誰も自分の事など気にもしていないことをどこかで自覚しています。これは広告業界だけの現象ではないでしょうし、フランスだけの話でもありません。

次に驚くのはコカイン。特定の社会にはコカインがかなり流通しているそうで、ドイツでも時々問題になり雑誌が特集を組んだりします。他の麻薬以上にインテリ層、上層階級に広がっています。99 francs を見る限りフランスも同様です。私は麻薬恐怖症で、特にコカインを吸っている様子を映画で見ると、自分の鼻が痛くなるような気がして行けません。

実は5年以上前に餃子の皮を手作りでやってみようなどと無謀な事を思いつき、実行した時にしたたか小麦粉など材料に使う粉を吸い込んでしまったのです。そのため鼻に耐えがたい痛みが。その頃に無軌道な若者がコカインを吸い込む映画を見てしまい、そのシーンと鼻の痛みが組み合わさって記憶されてしまったのです。それ以来人がコカインを吸っているシーンを見るたびに痛みまで思い出してしまいます。

なので 99 francs を見ていても「なぜあんな痛い事をして楽しいんだろう」と、つい自分中心に考えてしまいます。実はあの人たちは麻薬でハイになっているのだと分かってはいるのですが。それにしても俳優というのはつらい仕事だと思います。一体コカインの代わりに何を吸って撮影しているんでしょう。

★ 映画の外は深刻

とまあ、これは小説、映画の世界なのでまあ、いいんですが、ちょうど同じ頃に日本では2人の麻薬犯が捕まりました。よりによって超有名なタレント。私はこちらに来てから長いので、実は2人とも知らないのですが、日本ではアイドルと呼ばれてかなり有名な人らしいです。1人は 99 francs にも出て来たエクスタシーを使ったようです。エクスタシーはドイツでも広がっていて、政府も心配しています。以前ラブ・パレードが行われた頃はその夜などが危なかったです。日本で捕まった犯人タレントは外国にもいたことのある人で、その国で覚えたのかなと思いました。

もう1つは覚醒剤らしく、これはドイツではあまり知られていない麻薬です。犯人は夫婦。私は知らない人でしたが、夫人の知名度は山口百恵引退後では松田聖子のレベルだったらしく、メディアは他の報道を全部ぶっ飛ばしてしまう勢いでした。ドイツで覚醒剤の話は聞いたことが無く、ドイツではコカインの方が手に入り易いらしいです。ハイになりたい人はコカインに手を出すようです。困ったことにドイツにはコカインをやることをシックだと思い込んでいるインテリがいます。

日本は暴力団系統ですら覚醒剤を禁止している組があると聞きました。手を出すと破門だそうです。今回の報道を読んでいると覚醒剤は体と理性の両方に攻撃を仕掛けて来るタイプの麻薬のようです。こういう物に手を出すだけの経済力があるのだから(=治療入院するだけの財力がある)、放っておけばいいのかも知れませんが、国が蝕まれるという視点では良くない事です。欧州でも町が麻薬に汚染されてしまって・・・という話は時たま耳にします。

欧州でハード・コアの麻薬はヘロイン。ここまで行くと元に戻れないのではないかと思います。その他に体が蝕まれる例として挙げないと行けないのはアルコール。欧州人は体の作りが頑丈で、アルコールを日本人より多く体内にキープできる人が多いです。日本人はある程度飲むと気分が悪くなって吐いてしまう人が多いですが、欧州の人はかなりの量を飲んでも顔色1つ変えず、振る舞いも崩れない人が多いです。日本から来る人はそれを見て、礼儀正しいと感心するのですが、実はそれだけ体がアルコールにがっちりつかまれてしまうことにもなります。

主人公のオクターヴはこういった危ない物は全部カクテル。お金が湯水のように使えるからと言って、こんな人生に踏み込む必要は無いのですが、その場で皆と一緒にわいわいがやがややっていないと何かに取り残されるような気になるのでしょう。そしてこれこそが多くの人がやっては行けない事をやる動機なのではないかと思います。

ではなぜ人はこういう生活を受け入れてしまうのでしょう。クーネン監督は夢を全部実現したようなオクターヴに本当に親しい友人も家族もおらず、家族を作る気も無いことを答に選んだようです。前面に家族を大切にしろとか友達を大切にしろと出してお説教をしているわけではなく、何かに駆り立てられ、実は拠り所になる物が何も無い男を描いています。それが作者の意思であり、監督の着目点であり、演じている俳優はそこをきっちり理解して演じています。

この後どこへいきますか?     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ