August.25,2001 泥棒と落語を材料にしたうまい脚本

8月25日 『二人の噺〜The two men`s story〜』 (PARCO劇場)

        三谷幸喜の東京サンシャインボーイズで演出補をしていたという、[泪目銀座]の福島三郎の脚本・演出ということで『二人の噺』を興味を持って見に行った。

        幕が上がると、中井貴一が寄席の高座の上にアグラをかいて座っている。人生とは何かといった、様々な偉人の言葉を引用してモノローグが始まる。やがて中井は、あるひとりの噺家を紹介する。大阪より東京の寄席にやって来ている桜福亭藤介(段田安則)だ。段田は、[泥棒噺の藤介]と呼ばれる泥棒噺を得意とする、泥棒落語一本に賭けた噺家。『締め込み』 『碁どろ』といった古典の泥棒噺を演っていたが、最近になって新作『平成の大泥棒』を作り、高座にかけるようになっていた。石川五右衛門の末裔、ちょっとボケた石川十五右衛門の噺だ。段田が着物、羽織姿で高座に上って本物の寄席同様にマクラから話し出す。この段田の噺家ぶりが、なかなか板についているのに感心した。夢の遊眠社出身だが、ひょっとして落語を演ったことがあるのか?

        段田がマクラを終えてネタに入ろうとするところで、背景の寄席の障子が上がり、段田のアパートの一室が現れる。いかにも泥棒といった風情の中井が窓から侵入してくる。黒づくめの服装に髭ヅラ。なにやら物色しているところへ、段田が帰ってきてしまう。中井は押入れに隠れるが、やがて見つかってしまう。「いったいお前は何者だ!」の問いに、「石川十五右衛門」と答える中井。自分は石川五右衛門の末裔なのだと言う。創作のつもりで作った石川十五右衛門。その本物が現れたことから、物語はこの奇妙な二人の関係が展開していく。

        たった二人しか登場しないので、正直言うと前半は少々退屈した。前日までの仕事の疲れでウトウトしたことも何回かあった。しかしこの芝居が本当に面白くなるのは後半。何なんだろうとボンヤリと聴いていた様々なセリフが伏線になっていて、ラストに向かって、ひとつひとつピタリピタリと気持ちよくはまっていく。脚本の上手さだろう。

        落語ファンとしては、段田にもう少し落語を演ってもらいたかったこと。特にラストで新作が出来たと高座にかける直前で芝居が終わってしまうのが惜しい。聴きたかったなあ。ここでタイトルの『二人の噺』のもうひとつの意味がわかるという仕掛けなのだけれどね。


August.19,2001 一人芝居『芝浜』

8月15日 一本柳道中双六〜喬太郎勉強会 其の五 (なかの芸能小劇場)

        前座、柳家さん角。「喬太郎兄さん、まだ楽屋入りしてないんですよ」と『寿限無』を。頑張ってね。

        柳家喬太郎、一席目。「池袋の[やるき茶屋]で午前四時まで盛り上がっていたわけじゃないんですよ」と本当のこと(?)をサラリと告白してみせている。寒空はだか、ブラック、新潟、二楽、扇辰といった仲間のことをアレコレ話す中、「『SM強情灸』というのを演ろうと思ったことがある」と、まだ習ってもいないという『強情灸』と『SM強情灸』の二本立て。『SM強情灸』というのは、お灸のかわりにぶっ太いロウソクを腕にたらす噺。演り終えて、「三分の一は引いてるなあ。中には怒っている人もいる」 続いては携帯電話を取り出してゲームを始め、その実況中継。いったい何やってんのかなあと思い出したころ、「どうやら酒が抜けてきたようです。一人の人間が少しづつ健康になって行くところを見ていただきました」とようやくネタに入っていった。

        「じょーだんじゃねえよ!」 「めちゃめちゃにしてやる!」と鬱屈している男。小学校時代の同級生だったという長谷川さんという女性のところへ押しかけていく。「あら、山下くんじゃない? 山下くんよね。久しぶり」と反応する相手に、まだ怒りが収まらない男。小学校時代に授業中に尿意を感じて我慢していると、「あっ、山下くんトイレに行きたいんでしょ」と大きな声で言ったものだから、思わずオシッコを漏らしてしまったという経験を持つ。「それがブタウマ・・・いや、トラウマになってなあ、緊張するとオシッコを漏らすという病気になってしまったんだあ! 聞けば今度結婚するそうじゃないか。幸せになんかさせるものかあ! 今日は復讐するためにやってきたんだあ!」

        神田北陽のネタ、『殺したい女』を喬太郎風にアレンジした一席。北陽版は去年、ジャンジャンで聴いたことがある。とてもインパクトのある噺で、「みんなお前が悪ーい!」と叫ぶ調子が、やけに耳に残ってしまい、それの影響で自分のホームページの2000年1月21日の『言いたい放題食べ放題』で、菓子パンを取り上げたときにこの調子で書いてしまったことがある。

        嫌がらせにやってきたはずの山下くん、長谷川さんに「結婚? 誰にそんなこと聞いたの? 私、結婚なんてしないわよ。フィアンセ? あっ、ひょっとして山崎くんに聞いたんでしょ。フィアンセって私が所属している事務所の名前。私、今、ホテトル嬢してるのよ。偶然に山崎くんがお客で来たのよ」 「・・・・・・へえー、フーゾクにいるんだ」 「うん、割とそういうこと好きだったしね。趣味と実益を兼ねているっていうのかな」 長谷川さんは、もう子供までいる。「うん、でも誰が父親なんてわかんないの。こんな商売してるからね。どのお客さんの子なのやら」 「クソーッ、この売女めー!」 「うん、そうだよ、アタシ、売女だもん」 「すべた! おまえなんか、パンパンじゃないか!」 「そうだよ、アタシの子供、こないだ作文で『わたしのおかあさんは、ひごうほうの、ふうぞくじょうです』って作文書いて、花〇貰ったもん」 「くっそー! 不幸にしてやろうとして来たら・・・不幸じゃないか! そして、その中で幸福を生み出しているじゃないか!」

        憤懣やるかたない山下くん。しかし、その怒りの持っていき方が分らなくなってしまっていく。「ちきしょー、お前のせいでなあ、緊張するとオシッコを漏らしてしまうから、今まで好きな女の子に告白しようとすると、オシッコを漏らしてしまってたんだ。それで今まで結婚なんてできなかったんだぞ!」 「ごめんなさい。山下くんの、いつも泣いているような目、ペペ桜井みたいで、昔っから好きだったんだ」という、ふわーっとした長谷川さんのキャラクターが何とも言えずにいい。北陽の原作を、うまく自分のものにしている。

        中入りがあって、繋ぎが三遊亭天どん。前の高座で、喬太郎が「天どんくんってね・・・そうだなあ、おっきなハサミムシ」って形容したことから、「そうかあ、喬太郎あにさんって、ボクのことを、そう思っていたんだあ」とボヤく。「二ツ目になるとヒマでしてねえ。もっとも私が二ツ目になったことを知らない人の方が多いみたいなんですが・・・」 「昔成りたかった職業というのは、マッド・サイエンティスト」という無理矢理のようなマクラを振り、食欲、性欲、睡眠欲始め、人間の欲求が我慢できなくなる薬を発明した科学者が、その薬を噴霧してしまうと、次々といろいろな欲望をもった人間が解毒剤を求めてやってくるが・・・という、これまた、おっそろしくシュールな噺。まあ、今のうちにスキなように演ってみていてください。新潟くんだって、初期のころは「何なんだ、この噺は?」っていうのが多かったもの。

        同じく落語が続くというのに、ここで一旦、幕が下りる。再び幕が上がると、そこには高座があるものの座布団は無く、喬太郎がゴロッと寝っ転がっている。「寝かせてくれよう・・・そりゃあ今日から仕事に行くって言ったかもしれないけどさあ・・・もう随分仕事行ってないんだよ・・・お得意さんなんてもう別の魚屋から買ってるよ」 これって、ひょっとして『芝浜』かあ? ムクッと起き上がると「包丁なんて錆びちゃってるだろ? えっ、砥いであります?・・・・・・・ちょっと、ちょっと待って! これで行かなかったら、オレを包丁で刺そうと思ったの? ちょっと、そんな冗談言うかなあ。あーあ、いっそお前が魚屋になれば?・・・ウソ、ウソだよ。行くよ・・・。『いってらっしゃい』は?」 びっくりした。これは、一人芝居の形に直した『芝浜』なのだ。

        よく考えてみると『芝浜』という噺は、魚屋の旦那と、その女将さんしか出てこないという、大ネタにしては珍しい構成の噺だ。近所の人間を呼んで騒ぐ前半も、あったことにして話が進んでしまうし、後半の大晦日の部分も使用人が何人かいるはずなのに、旦那の側からのセリフだけ。さあ、ここで喬太郎は大胆なことを考えてしまった。残るひとりの女将さんまで消してしまったのだ。落語であるべきものだったのは、ついに一人芝居になってしまった。女将さんの部分のリアクションは全て聞き手の想像に委ねてしまおうというのである。

        この噺で本来、ひとりだけになるのは、このあとの芝の浜で財布を拾うシーンだけ。「波、疲れねえんかね・・・働きもんだね・・・・・・見習お!」 「んっ? 何だ? あっ!鮫!」 「サイフ・・・きったねえサイフ。皮なんかヌルヌルになってる」 中に大金が入っているとみると、スッと懐の中へ。セリフなし。それだけで表現できてしまう。

        これで遊んで暮らせると酒飲んで眠ってしまう旦那。翌朝、あれは夢だったと知らされると、喬太郎版の『芝浜』の旦那はかなりロジックを持ち出す。「ほうら、雪駄に砂が付いてるじゃねえか、これが本当に芝の浜に行った証拠!」 「ほうら、この掌見ねえ、これは芝の浜でキセルで火傷した証拠!」 それを退けられた旦那、借金を前にして、今度は子供のように駄々をこね出す。手足をバダバタさせて、「ねえ、ヨタカになれなんて言わないからさあ、水茶屋奉公してくんない?」とまで言い出す。

        さあ、三年後の大晦日のシーンだ。「酒は止めるといいね。体調メチャメチャいいもんね」と禁酒した恩恵を語ったものの、あのときのサイフを見せられて、男の中に何事かが起こる。「ちょっと待って。これ、現実? バーチャル?」 「それはないんじゃない? わたしはあなたに、『あなたはウソをつく人ですか?』と訊いたら、『つかない人』って言ったろ? ウソをついたんじゃない! キチンと喋ってくださいよ! 聞こえるよーに! 涙声じゃあなくて! じゃ、アタシを騙したって事でしょ! 金がどうこうじゃないんだよ! オレを騙したことについて言ってるんだ! バカにしてんのか!?」

        「何でオレ、すっきりしないのかなあ。モヤモヤしてる。死ぬ? 死ぬって、死んでどうするんだよ。三年・・・辛かったろ? ありがと。ありがとね。ああ、泣かない泣かない。ごめんごめん」と、怒りが急に優しさに代わっていく変化の妙。う〜ん、こういう『芝浜』もアリだよなあ。喬太郎という才人、ヘラヘラしているようで、とんでもないことを考えているようだ。


August.16,2001 新作落語の未来を語る理論家、清麿

8月14日 イナコレ2001 (お江戸日本橋亭)

        中学校時代にあれだけ落語にのめり込んでいたのに、最近までの長い間、パッタリと落語を聴きに行かなくなっていた。そんな期間でも、円丈が始めた新しい新作落語を作ろうとする波には興味があって、年に何回かはそんな会を覗きに行っていた。そんな[実験落語]一派の中に、夢月亭清麿もいた。演芸作家稲田和浩の会。清麿も稲田の台本からのネタおろしを演るというし、サブタイトルが『新作落語の明日を考える』とあったので見に行く気になった。

        まずは、稲田と清麿による対談『新作落語を考える』。清麿は、五代目柳家つばめの『古典落語は邪道だ』に影響を受けて、つばめに入門したと言う。1978年、円丈らとともに[実験落語]を開始。当時の、米丸、柳昇らが演っていた新作落語ではない新しい新作を作り始めた。この対談を聴いていると、当時の彼らの熱い意気込みが伝わってくる。「円丈さんも言っていたように、ようするに[お客さんをナメない]ということですよ」と力強く語るふたりに、そうだったよなあと当時のことを思い出した。演劇の世界では、つかこうへいが登場し、大きな革命が起きていた時代でもあった。そのころ、落語はこのままでいいのかという波が起こっていたのは確かだ。「古典落語は洗練だけど、もっとビビッドでなければいけないと思った」と清麿。

        話が、春に亡くなった右朝のことになる。稲田「五十三歳で亡くなられましたね。酒癖が悪くてね。いわゆるカラミ酒ってやつ」 清麿「彼は美学の人でしたからね。僕はロジック。古典を演っていた彼はよく、『新作は一過性のものだ』と言ってました」 稲田「一過性でもいいんですよね」 清麿「喬太郎みたいな人気者も出てきたし、新作は幅広さから言ったら今、黄金期ですよ」 新しい江戸ものを作ったらどうだろうと話を向ける稲田に、「実体験のある昭和三十年代を舞台にして作ってみたい。それがやがて古典になり、また新しい年代を舞台にした噺を作る落語家が現れて、それが循環していくのがいいのではないか」と結んだ清麿。楽しみにしてますよ!

        難しい話のあとは、川柳つくしによる『同窓会』。同窓会に出席することになったOLのモミジちゃん。ミエをはって高いスーツを着て出かけていく。なにせ卒業した仲間は名簿を見ると、外交官や医者や有名な俳優と結婚していたり、仕事をしている者もスチュワーデスやベンチャービジネスの経営者だったりしている。「みんな一流の男と結婚したり、一流の会社で働いている」とヒケメを感じて会場へ行ってみると・・・といった話。この心情よく分るなあ。女は男よりもミエっぱりなのかもなあと感じさせる表現はさすがに上手い。

        中入りがあって、今度は清麿の『五反田和式便所物語』。五反田に降り立ったひとりの男。何やら文士を思わせるたたずまいだ。五反田の街を歩きながら、文学的な思いに浸っている。やがて足は、今や見かけなくなってしまったような一軒の連れこみ旅館へ。そこは時代を戻ったかのような昔ながらのたたずまい。部屋に通されると卓袱台があったり、カヤが吊ってあったりする。便所は昔ながらの木の開き戸で、トイレットペーパーならぬ落とし紙が置いてあったりする。ひとりでやってきた男に、宿の女将は女の子を呼んでやる。やってきたのは、和服に身を包んだ源氏名駒子。女将に「文士? また? 最近流行っているのよね。いいんだけど精神的に疲れるのよね」と男の部屋へ。「駒子でございます」 「島村だ」 「あら、島村なんて名乗るなんて『雪国』みたいね。ひょっとして文士さん?」 「のようなものだ」 やがてふたりはひとつの床へ・・・。清麿らしい独特なムードを持った世界だ。オチが『茶の湯』に似ているのがやや不満だったが、文学官能落語とでもいう世界に、すっかり浸りこんでしまった。

        大喜利は評論落語。つくしが司会になって、お客さんから題をもらって清麿と稲田がその場で評論を加えていく。例題の『靖国神社参拝』に続き、『水』 『金儲け』 『[べけんや]の歴史的意義』なんてよく分らないものまで、ふたりが論評を加えていく。ロジックの清麿らしく、その弁舌は淀みないが、なんだか難しくてよく分らない。

        こうして、落語意外の清麿の話を聞いていると、この人理屈っぽい人だなあと思った。一緒に酒飲んだら疲れてしまいそう。論理の世界に客を引き込むという、噺家としては珍しい人。この人の噺はなかなか文学的なものが多くて私は好きな噺家さんのひとり。話題も、政治、経済、社会、スポーツ、漫画など何でもござれ。新しい落語の道を切り開く理論家として、期待してますよ。


August.14,2001 上手くなったこぶ平への驚き

8月13日 上野鈴本演芸場八月中席夜の部

        鈴本の八月中席夜は、恒例のさん喬と権太楼が交互でトリを取る豪華なプログラムだ。去年初めてこのプログラムをのぞいた私は、その混みようにびっくりしたものだった。今年は前売り券を買っておいたので、チケットを買うために列を作っている人達を尻目にスイスイと中へ。

        五時二十分開演が、五時十五分にはもう幕が上がってしまった。それも前座なし。いきなり紙切りの林家二楽から始まった。「前座さんってタイヘンですね。一番先に出てくるのは、こんなにドキドキするものなんですかね」と言いながら、まずは手始めに[桃太郎]を切り上げる。犬に吉備団子をあげているところ。お客さんからの注文は、まずは[打上げ花火]。「注文を受けて切るというのが難しい。自分で切りたいものだけ切っていれば楽なのですが・・・それじゃあ芸にならない」とか言いながら、花火を見上げる母と娘の姿を切り上げた。あれー? 去年もこの人出てて、やっぱり[打上げ花火]切ってたよ。こんなの切り慣れてるんだよね。次の注文が[阿波踊り]。お囃子さんもタイヘンだ。即興で阿波踊りをチャンカチャンカチャンカチャンカ。ほどなく四人の女性が阿波踊りを踊っている姿を切り上げた。

        このあとは、「私の好きなものを切らせていただきます」と始まるコーナー。カカシをひとつ切り上げてプロジェクターにかけた。ここで、♪うさぎ追いし・・・と童謡『故郷』が流れる。さあ二楽のスライドショーだ。故郷の風景から、道路工事をしている若者の姿、囲炉裏端の老夫婦、机に向かって何か書いている若者、ポストに手紙を入れる若者、稲刈りをしている老夫婦、手紙を受け取る老夫婦、[金送れ]の文字、工事をしている若者に逢いに来た若い女性、指きりをしてる若いふたり、バッグを持って故郷へ帰るふたり、両親に婚約者を紹介する若者、再び故郷の風景、[終]の文字。ちゃーんとストーリーになっている。去年はこのコーナー、ウルトラマンと怪獣だったっけなあ。

        「噺家がパソコンをいじる時代になってまいりました」と柳家三太楼。「ウチの師匠の権太楼まで電子メール始めちゃったんですから。一番困るのは小言がメールで来ること」 いよいよこの秋には真打昇進の三太楼、師匠ゆずりの明るい高座が楽しい。「この着物、高いんですよ。うん十万するんですから。本物なんですよ。火をつけると燃えちゃう。喬太郎の着物はね・・・火をつけると溶ける」とマクラを振って『十徳』へ入るのも鮮やか。隠居さんの着ていた珍しい着物の名前を訊きに来た男が、他にも両国橋の名前のいわれなども訊いている。「ところで、ご隠居、[つる]っていう鳥がいますな。あれ、なんで、つるっていうんですか?」 「それを言うと別の噺になってしまう。知りたかったら、また明日おいで」 ほんとに翌日『つる』をかけるのかなあ。前座噺だけど、さすがに三太楼ともなると上手い。快調に演じてみせた。

        林家たい平は漫談だけ。「芸能人なんて犯罪を犯して謹慎するなんて言っても半年もたたないうちにテレビに出ているじゃないですか。私なんて犯罪を犯したこともないのに、めったにテレビに出られない」 シメはお得意の折りたたみ傘を使った[台風中継]。

        曲独楽の柳家とし松。親指止めの独楽。扇子を使った地紙止めの独楽。そしてさあ、独楽のサーカス、糸渡りの独楽だ。最前列の若い女性を指名して、上手の端で糸の端を持ってもらうのはいつものこと。あれっ? この女性、楽屋の人と目配せしてる。「楽屋にお知り合いがいるのかな? こりゃやりやすい」と、糸の上に独楽を乗せ、女性の方に独楽を渡らせる。「今までにこんなに糸の持ち方が上手い人はいない」といつものセリフで、「あたしの糸、前にも持ったことあるの?」 女性が指を三本広げて見せた。「三回!」 続いて刀の切っ先に独楽を止める刃渡りの独楽。キセルの先で独楽を回す五月節句は風車の独楽とござい。

        「芸人ですからね、わかっちゃいるんですけどね。ニコニコしながら出てくりゃいいんですが・・・。別にやる気がないわけじゃないんです」とウソばっかりのツクリの柳家喜多八が出てくる。「和風旅館って、もてなしを勘違いしてるんじゃないですかね。玄関にズラーッと並んで頭下げられて、部屋に通されたら早く寝っころがりたいのに、仲居さんの説明が長いし・・・。浴衣に着替えようとすると、これが薄っぺらで、ノリばかり効いているやつで・・・。すると戸をトントンと叩いて、女将が挨拶に来る。『私が女将です』なんて。てめえは何十万もする着物着やがって、そんなことはどうだっていいよ!」 「世界には年収何千円程度で生活できる国もあるそうで、そんな国に行ってみたいなあと思うんですが、行くゼニがない」と振って、『噺家の夢』。ある田舎で日が暮れてしまった噺家。とある家に泊めてもらうが、そこで出された雑炊たるや、味噌が無いから赤土が入っていて、具はワラ。ダシを取るためだとオタマジャクシが入っているというシロモノ。翌朝、これはたまらんと漁師に魚を分けてもらいに行くが・・・。元気に高座を勤め、またツクリに戻ってダラダラと楽屋に消えていった。

        このところネットを見ていると林家こぶ平の評判がすこぶるいい。ちゃんと古典落語を演っているという。今回の番組で一番楽しみにしていたのが実はこぶ平。「八月中席夜は恒例のさん喬、権太楼の特別興業。私も去年から出させてもらっています」 そう、私も去年この人の高座をこれで見ている。あの時は、こぶ平が上がったと同時に客席から「太ったなあ!」という声。その声には答えず、父三平ゆずりの漫談を演っていた。自分が太っているということをネタにまでしていて、なんだかやりきれない気持ちになってしまったものだった。今回、一年ぶりにこぶ平を見てびっくりした。痩せた! 去年とは見違えるほどだ。「去年出て、つくづく一門の違いを思い知らされました。柳家に行っていればと・・・。そうすれば私も立派な噺家になっていたかも知れません」と、父から地口オチ、つまり駄洒落のような小噺しか教えてもらえなかったという話をして、『味噌豆』に入った。

        びっくりしました。これが、これがあのこぶ平だろうか? この一年で、こぶ平に何が起こったのだろうか。上手いのだ。しゃもじで熱い豆を鍋から取って食べる仕種の堂に入ったこと! 語り口の滑らかなこと。途中、使いから帰ってきた定吉が、またつまみ食いをしようとして、いきなり茶碗によそいはじめてしまうミスがあって、それに気がつき「いけない。これは順番を間違えた。まだ茶碗によそっちゃいけないんだ。急に古典やるからいけないんだな」と笑いをとったのはご愛嬌。こんなミスが気にならないほど、こぶ平の噺は堂々としていた。うれしいじゃないか。こんな逸材が知らないうちに誕生していたなんて!

        すっかりいい気分になっていると、昭和のいる、こいるの漫才が始まった。「お盆で帰省ラッシュが始まってますね」 「そうそうそう、よかった、よかった」 「よかないよ、渋滞が続いているんだよ」 「ああ、そうなんだ、しょーがねえやな」 「せっかく故郷に帰るんだから、いい気持ちで行って欲しいですよね」 「はいはいはい、まあどっちだっていいよな」 いつものヘエヘエヘエ、ホウホウホウ漫才だ。いつ聴いても可笑しいんだよな。ラストはこれもお決まり、いつまでいっても「泣くな小鳩よ小鳩よ泣くな」ばっかりしか出てこない歌。

        「夏はやっぱり暑い方がいいですね。その方がビールが旨いですもの」と古今亭志ん輔が話しだす。「ビヤガーデンのビールなんて旨いわけないんですよ。慣れないアルバイトが注いだ生ビールを、これまたアルバイトがドーンとテーブルに置いていったやつなんて。旨いわけないけど・・・これが旨いんですねえ」とうれしそうな顔。 うわー、急にビールが飲みたくなってきちっゃた。何のネタを演るのかと思ったら、やっぱり『代わり目』。酔っ払った亭主が自分の家の前で車屋の車に乗りご帰宅。おかみさん、「なんだっておまえさんは、毎晩毎晩家の前から車に乗るんだい!」 えへへ、この亭主、毎晩同じことやってるのかなあ。まあどこかの寄席で毎晩のように『代わり目』かかっているだろうけれど。そして、いつものようにおでんを買いに出ようとしているおかみさん。あれっ? おでんの種類のとこがスッポリ無くなってるぞ。ここでも「毎晩これなんだからね」だって。毎晩おでんを買いに行ってるから、好きなおでんの種類知ってるのかなあ。

        「いつも鈴本に出ているわけじゃないんです。夏のこの時期だけ、支配人さんから、『そろそろお盆ですから』って声がかかる。谷中の方に住んでいるわけじゃないんですよ」 中入り後には松旭斎すみえのマジックが始まった。そうそう、去年もこの人が出ていて、同じこと言ってたっけ。男のお客さんに一枚カードを引かせて、それを戻してよく切って、それを当てる手品。「はい、他のお客さんに見せたら、戻してください――――――ほらあ、戻すときに私の目を見て―――――もっと情熱的な眼差しで見てよー。昔はそんなこと言わなくてもよかったんですけどね」 お客さんもイジられてタイヘンだ。

        「外で逢ったら、キョンキョンと呼んでください」という、いつものツカミを入れた柳家喬太郎。「こう言っていたら先日、広小路の交差点のところですよ。向こうで信号待ちしてた男が大きな声で『キョンキョン!』って、手を振っている。殺してやろうと思いましたね」 ネタはキャバクラに行った会社員の上司がさかんに部下たちに、自分の座右の銘を言ってみろとせまる『夜の慣用句』。部下たちが思いつくのは、[棚からボタ餅]だとか[馬の耳に念仏]といったコトワザばかり。さらには[四面楚歌]なんて四文字熟語が出てくる騒ぎ。「うしろの屏風に合わない落語だと思っているでしょう」と、この興業のために置かれた白屏風を指して言う。そこでどっと拍手がきて場内が沸くと、「となりの宴会がうるさいな」と、それを利用して噺に戻るうまい機転。喬太郎の落語の[自由奔放]な面白さは、いつも楽しい。

        喬太郎とこぶ平の出番がひっくり返ったことで、はからずも、つづけて喬太郎の師匠の柳家さん喬が高座に上がることになった。弟子の喬太郎のことをくさすが、けっして悪くは思っていないような気がする。「(喬太郎は)もう少し髪を切った方がいいと思ったりね。なんであんなドサ芝居みたいな着物着るんだとかね。楽屋で見ていて上がるのがイヤになっちゃった」 子供のころにあったレモン水の話をして、「今の清涼飲料水って何だ? あんなの原価は3割以下ですよ。7割が宣伝費! なあ〜にがスポーツドリンクだ、この野郎!」 昔あったという水屋という職業の話を振る。「水を天秤棒に吊る下げて、『みずやー、みず! ひゃっこいみず!』って売り声だったかどうかは知りませんが」と『水屋の富』へ。

        富くじで八百両当てた水屋さん。畳をめくって床板をはがし、縁の下に金を隠す。ところがいつ盗まれるかと気が気ではない。毎朝、出かけるときに竹竿を縁の下に入れて、金が無事なのを確認する。外に出ると全ての人が泥棒に見える。四文字熟語だと[疑心暗鬼]。寝ようとすると泥棒が入ってくる夢ばかり見る。石川五右衛門が、弁慶が、ねずみ小僧が、出てきては刃物をつき付ける。「はては、中国窃盗団が来て、『マネー、マネー』」 水屋さん、眠れやしない。そんなある日、本当に空巣が入り、金を持っていってしまう。金を取られたと分ったときの水屋さんの驚き悲しみの表情を存分に見せておいて、「ああ、今夜は寝られる」と落とす表情の見事さ。自ら[正統派]と語るさん喬師匠の[面目躍如]

        ひざがわりが柳家小菊の粋曲。座布団の下にさらに毛氈のような赤い布が引かれる。『きんらい節』を演ってから、都々逸三つ。♪ひぐらしの鳴けば来る秋 あたしはきょうで 三晩泣くのにこない人 だったっけかな? ここで小春も登場して、ふたりで新内流しの再現。よっ! 姉さん、オツだね!

        トリが柳家権太楼。この日、小泉首相が靖国神社に参拝したという。「なにもそんなんで騒ぐことないじゃないですかねえ。これが、靖国神社参拝のあとに鈴本に落語を聴きに来たっていうなら騒いでいいんですよ。『聖霊をバカにしているのか!』ってね」 この夜のネタは『たちきり』。「この話、あまり好きじゃないんですよね。私のガラに合わないんですね。私に向いているのは『ぜんざい公社』だとか『代書屋』。でもね、芸人やってると、こういう噺をしてみたいなあと思っちゃうことがあるんですよ。喬太郎だって思うんですから・・・。まあ期待しないで聴いてください」と、まずはオチになる言葉の説明から話しだす。これをやっておかないと分らない噺だものね。

        正直言うと、私もこの噺聴くのあまり好きじゃない。辛いんです、これ。笑いの要素がほとんど無い噺で、聴いていて疲れる。それを爆笑落語の権太楼がはたしてどう料理するのか、ちょっと興味があったのです。結論を言ってしまうと、やっぱり疲れた。特に蔵から出された若旦那が好いて好かれた芸者の小糸のところへ行くと、女将から小糸は死んだと聞かされる場面。若旦那が蔵に入れられて連絡がとれなくなってからの小糸の経過を涙ながらに語る部分が長いんです。演者の見せ所でもあるのですが、やはり熱演されればされるほど辛い。上手いんですけどね、権太楼師匠。女将の表情もいいし、そのあとの若旦那が線香をあげようとして泣くところなんかもいい。オチの部分にあたる線香がたちきれる余韻もいい。でもね、やっぱり疲れてしまった。まっ、たまに聴くのにはいい噺なんだけどね。

        大きな拍手の中、幕が下りて行く。出口に向かうと、来月下席に行われる新真打披露興業の看板が目についた。今回は十人同時昇進。贔屓の新真打が何日のトリをとるかチェックして外に出た。これは何日か通いたいなあ。ふと、下を見ると招き猫が今日の看板の横に座っていた。


August.13,2001 面白ければ窮屈な椅子も辛くない!

8月12日 落語21 (プーク人形劇場)

        快楽亭ブラ談次。ブラックの二番目の弟子。噺家になる前にフリーターをやっていたころの体験談。なんと彼は初代ペプシマンだったとのこと。ペプシマンの着ぐるみを着てプロモーションのショウに出ていたとかで、そのときのことを、面白おかしく語る。富士スピードウェイでの武勇伝がクライマックスになる。まだ前座さんだそうだが、けっこう語り口がさまになっていて、話術がある。ペプシマンは無言のパフォーマンスのようだったが、何か喋らせたら面白かったかもね―――それじゃ、まずいか。「『知られちゃいけないペプシマンの正体』でございました」って言って高座を下りたから、それがタイトルかな?

        春風亭昇輔。パチンコで八万七千円儲けたとかで散財したというマクラが始まる。噺家が出したレコードを収集するのが趣味だとかで、三遊亭円丈のシングル『恋のフォアン・フォアン』が9700円したと実物を見せてくれる。「ちなみにこの店、このシングルのA、B面も収録されているアルバムも売っていて、こちらは6500円―――って、どういうことなんでしょうかねえ」 そこからネタに入る。タイから出稼ぎに来たカップルがクルマを運転していると、刃物を持った五十男にクルマをハイジャックされる。男は刑務所を出てきたばかり。家に帰る金がないので、家まで乗せていってくれと言う。『幸せの黄色いハンカチ』ばりに、刑務所から出てきたこの男は、もし妻がまだ自分を愛してくれているなら自宅の前に緑のハンカチを吊るしておいてくれと約束している。はたして緑のハンカチはあるのか・・・。なぜタイから出てきたカップルを登場させないといけないのか、最後までその必然性が分らなかった。まっ、いいか。オチは秀逸。タイトルは『幸せの緑のハンカチ』っていうのかな?

        柳家小ゑん。「みんな、お盆で田舎帰っちゃったんでしょうね。東京はいつもより空いているみたいですね。もう帰ってくるな!―――って感じですが・・・。もう江戸っ子なんていないですよ。三代続いたなんていませんって。そこへいくと上野動物園のライオン。あれは三代続いた江戸っ子のライオンだそうで」 ネタは先月も他所で聴いた円丈が昔作ったという『フィ』。久しぶりに会った友人の言葉の中に、やたらと[フィ]というのが入る。「残業は増えちゃったのにフィ、給料は減っちゃうだろフィ」 なんで[フィ]というのが入るのだと問うと、「えっ! [フィ]知らないの? これは、人間、生活していれば自然と出る感情から出る言葉だ。喜怒哀楽フィだよ」 「喜怒哀楽は分るけど、フィって何だ?」 「う〜ん、ほらさ、テレビショッピングの高枝切りバサミが欲しいなあと思ったときに、郵便やさんが来たときみたいな・・・」 わかんねー。ゴンゲレゲッケッコー。ベンベロバー。ヒニンチョケッコンコー。テレポカポッポッポー。前回よりも慣れてきたのかな。スムーズになってきたみたい。

        林家しん平。「かみさんが親の看病で実家に帰っちゃってね。四十五になってひとりになるって寂しいものです。外食も味気ないから、自分でカップヤキソバ作ったりして。先日、カップヤキソバにお湯入れて、そのまま忘れちゃった。五分以上たつと、あれはいけません。お湯を出して食べてみると、モソモソ、ブワブワしちゃってて・・・。便利で安いものは、体悪くしそうだね」 そこからパチンコの話になり、[CRポクポク坊主]という台があまりに面白いので、それを落語にしてみたと『ポクポク坊主』が始まった。三人の小坊主、ソース(ソース顔の遊び人風)、マメ(ちょこちょこ動き回る食いしん坊)、メガネ(エッチな奴)と、怖い顔をした和尚さんの噺。パチンコの中のアニメキャラクターを上手く使った噺で、頭の中にアニメの絵が浮かんでくる。面白い、面白い!

        三遊亭小田原丈。「この噺の注意点は、汚い単語がたくさん出てくることです。あまりリアルに想像しないように」と始めたのが、自転車泥棒の噺なのだが、確かにキタネー。オチもババッチー!

        川柳川柳。「長嶋監督がまたヘンなこと言ってますな。[ミラクル・アゲイン]だって。ミラクルって奇跡ってことでしょ? これがタイガースが優勝すれば、確かに奇跡ですよ。でも予想からいったらダントツで優勝候補のジャイアンツですよ。優勝できない方が奇跡だよ」 「サッカーなんて面白いですか? なかなか点が入らないのがイライラする。二時間見てても0−0だったりする。もっと点が入るようにすればいいんだ。ゴールの前にいる手を使える門番いるでしょ。あんなのクビにしちゃえ! そうすりゃ30−29なんて面白い試合になる」 やがて選抜高校野球の行進曲の話になり、パフィーの『これが私の生きる道』。お約束の軍歌になって『スポーツあれこれ』が終わった。

        柳家喬太郎。なんだか妙にテンションが高い。「ケータイの出会い系サイトってあるでしょ。先日[37歳、既婚、返事ください]って出したらメールが来て、『バカじゃないの!』だって」 「それにしても、みなさんよく来ますね。今日は私の本当の気持ち言っていいですか?・・・・・・・・・・バカじゃないですか!?」 ハハハ、バカかもねえ。「昔から無趣味でしてねえ。唯一趣味だった落語は、今本職になっちゃったし・・・。ところがね、私にも、もうひとつ趣味があったんですよ」と、円谷プロの怪獣ものが好きだという話になった。店先に置いてある、一回100円〜200円の[ガシャポン]でフィギィアを集めるのに夢中になっているという。「この際どうですか! 寄席にも[ガシャポン]を置いてみたら! 『野ざらし』を演っている志ん朝とか、『小言念仏』を演っている小三治とか。川柳はもちろん、こういう形」って、『ガーコン』のオチになる脱穀機を使っているポーズ。ネタに入る。宴会芸が得意な万年係長。元は芸人になりたかったのだという。てんぷくトリオに憧れて、弟子入りした経験もある。五十五歳の定年を待って、もう一度、お笑い芸人の夢を追いかけようとしているが・・・。しみじみとしたムードの噺だった。オチのセリフが可笑しいのに、笑った途端に何とも言えなくなる複雑な心境になる。いい噺だった。

        トリが林家彦いち。終演予定の九時を、すでに10分過ぎている。腰が痛い。この劇場の椅子は小さくて狭くて辛い。「窮屈な椅子でしょ? 私もここで人形劇を見たことがあるんですが、耐えられなかった。すぐ終わらせますから、もう少しだけご辛抱を」と、すぐさまネタに入る。学校の怪談話サークルの噺。そんなサークルあるかあ? まあいいか。怪談話を練習する部員と顧問の先生の様子を描いたものだが、この先生、だんだんと怪奇ワールドへ入っていってしまう。もっともこの先生まったく動じないのだが・・・。

        前回、この会に来たのが三月。あのときは、あまりにつまらない高座が続いたので、もう来るのは止めようと思ったのだが、やっぱり来てよかった。この内容ならば狭くて辛い椅子でも気にならない。


August.12,2001 陽気な志ん朝、住吉踊り

8月11日 浅草演芸ホール八月中席昼の部

        古今亭志ん朝師匠が先頭にたって演っている吉例納涼住吉踊りは、いつも混むという話を聞いていたので、初日にあたる11日、早めに浅草演芸ホールに行くことにした。ここは、いつも11時40分開演だけど、10時30分ごろに現地に着いてブラブラと浅草を散歩するのもいいなと思っていた。伝法院通りを抜けて浅草演芸ホールの前に出ると、もう呼び込みをやっているではないか。「あれっ? もう開けているみたいだぞ」と看板を見れば、[11時開演]となっている。慌てて木戸銭を払って中へ。私が入場したのが10時30分ちょうど。5分後の10時35分には、もう前座さんが出てきてしまった。

        最初の前座さんは柳家り助。ネタが『金明竹』。頑張ってね。

        もうひとり前座が続く。三遊亭金兵衛。こちらは、大分手慣れてきた感じで『初天神』を。頑張ってね。

        11時。いよいよここからが本番。古今亭志ん太。「只今のは住吉踊りのオマケ、前座二本でございました」 う〜ん、そんなオマケいらないんだけどなあ。「住吉踊り、お楽しみに。もっとも激しくは踊れません。みんな歳取っちゃって・・・。中にはぶる下がりながら踊っている人もいる」 ネタは『手紙無筆』。あれっ? ちょっと短く終わっちゃったみたいだなあ。今席は出演者が多いからだろうなあ。

        三遊亭金時。「朝早くからおこしいただきありがとうございます。芸人は起きられないような時間でございますね」 「只今、『手紙無筆』を聞いておりましたら、私の前座時代の失敗を思い出しました。『織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公と、偉い人はみな公と呼ばれる』というところで、『徳川秀吉公』って言っちゃったんです」 ネタは『のめる』。

        粋曲、柳家紫文。「駅売りのスポーツ紙。うしろから4〜5ページあたり。いわゆるH欄。よく『スポーツニッポン』なんて買うんですがね。そこに都々逸のコーナーなんてあるんですよ。まあロクなのが載ってないんですがね。 ♪惚れた数から振られた数を 引いたら女房が残るだけ なんてね。そこにさらに解説なんて野暮なものが付いている。これを誰が書いているかというと―――私が書いてる」って、ちゃっかり宣伝か? 「火付け盗賊改め方 長谷川平蔵が、いつものように両国橋を歩いていると、一日の商いを終えたであろう納豆屋が、足早に平蔵の脇を通りすぎた。向こうからは水商売の女。すれ違おうというそのとき、納豆屋の体が前のめりに崩れ落ちた。『もし納豆屋さん、ケガはなくて?』 『へい、ケガもなければ、なっとうも(なんとも)ない』」 キャハハ。これお得意らしくて、いつも演っているらしい。次は納豆屋の部分を葬儀屋に替えて演ってみせる。「葬儀屋の体が前のめりに崩れ落ちる。『もし葬儀屋さん、ケガはなくて?』 『へい、ちと、考え事をしていたもので。実は知り合いにまとまった金を貸してくれと相談されましてね。貸そう(火葬)かどうしよう(土葬)か迷っています』 このパターンで、もうふたつ。いったいいくつこれ持っているんだろう?

        三遊亭円王。艶笑小噺を三連発してから、『権助魚』へ。妾のところに行こうという旦那に嫉妬した女将さん、「隠し事は嫌いだ。だから昔から、[かくれんぼ]をしたことがない」という権助に、旦那の供をさせる。円王のは、この旦那の風情がいい。いかにも遊び人の旦那というたたずまいがある。よくこの噺を、なんだかものの分った旦那風に演じる人がいるが、やっぱり、遊び人風に演じられなければという気がしてきた。これは、案外持って生まれた遊び人気質があるかどうかで決まってきてしまうのではないだろうか。演じている本人が遊び人だと、演じられる人物にもそれが現れてくる―――って、極論かな?

        三遊亭歌る多。「現在東西合わせまして、13名の女性の噺家がおりますが、その中で一番キレイなのがわたくしでございます」 客席から笑いがおこるとすかさず、「ワハハじゃないんですよ」と図太い声。幽霊のマクラらしいものを振っている。幽霊が標準語以外で喋ったらというお馴染みのものだが、今のギャル言葉版なんてのまで演ってみせる。「てゆーか、なんかー、すっごく恨みに思ったりしてー、それでー、あっ! ちょっとケータイにメール入った」 さらにはデビ夫人の幽霊、田中真紀子の幽霊と演っていて、なかなか怪談噺に入らない。あれっ? 漫談だけで引っ込んじゃった。

        いったん中入りのような短い休憩があって出てきたのが、古今亭菊春。客席がまだざわついていて声がよく聞き取れないまま『子ほめ』が始まってしまった。人の歳を聞いたらば、歳より若く見えると言えと教わった熊さん。さっそく実行してみるが失敗ばかり。子供をほめようと上がりこんだ家で生まれたばかりの赤ん坊を見て、「これはよいお子さんですなあ。死んだおじいさんに焼いて・・・じゃなくて、炒めて・・・じゃなくて・・・そうだ煮て(似て)」 なんだか乱暴な『子ほめ』だなあ。面白いけど。

        江戸屋まねき猫。「かわいい雄の犬がいるかと思えば、太い声の雌の犬もいます」と、かわいい犬の鳴き真似を「キャンキャンキャン」。すると客席から「カーワイイ!」の声が漏れる。別に、まねき猫がかわいいわけではないらしいけど・・・。メンドリが卵を産むところの顔真似は、やはり絶品。目を閉じてしばらくして、パッと目を開けた瞬間が卵を産み落とした瞬間だと無言で分らせてしまう芸は、やっぱり凄い。

        金原亭馬生は『ざるや』をかけた。今までこれ、オチとして使われる「『深川』でも踊っちゃおう。♪上がるー」というのが分らなかった。それが今回、住吉踊りの解説パンフレットが配られて、それを見ていて初めて理解できた。それに『深川』の歌詞が載っていたのだ。三番の歌詞に、♪坊様ハイハイ二人で芳町通い上がるお茶屋は・・・ とある。こっちが野暮なのか、このオチがマニアックなのか・・・。勉強になりました。はい。

        雷門助六。「お客さんもたいへんですよね。芸人が出てくれば拍手。引っ込めば拍手。でもね、拍手って体にいいそうですよ。血行がよくなる。こんなケッコウな事はない」 ネタが『相撲風景』。

        漫才、すず風にゃん子、金魚はいつもの[胎教]のネタ。「どんな子供が欲しいの」 「キムタクみたいな子供」 「では、この二枚の写真をマクラの下に入れて寝てください。キムチとタクアンの写真ね。キムチを上、タクアンを下ですからね。逆にするとタク・キムという人が出来ちゃう」 途中、金魚が[歌舞伎役者]と言うところを[株式役者]と言い間違えるが、そんなこと無視して突っ走るこのコンビ。乗ってるね。同じネタでも少しづつ変わってきているのが面白い。

        桂文楽。「落語にはもう使われなくなっちゃった言葉が出てきますでしょ。粗忽なんて言葉今や若い人は誰も分りませんものね。この間若い人に『粗忽って知ってる?』って聞いたら肩の骨触ってるの。それは鎖骨! 『粗忽ってのはね、人が死んで、焼いたあとに残るのがあるだろ』 『それはお骨よー』って、シャレは分るんですね」 「新潟にはいい酒がありますね。八海山、久保田、それに越乃寒梅ね。先日ね、腰の関節っていう酒があるっていう。『どんな酒?』って訊いたら、『節々がガタガタになる』だって」 このまま自分の髪が薄くなった(頭が薄くなったんじゃない!という、ひとり突っ込み)ということから、毛生え薬とカツラの漫談で、客席を爆笑させて引っ込む。先代とはまったく違う芸風なれど、面白いよねえ。

        金原亭駒三。「お手洗いといったら、狭くて薄暗いところだったでしょ。それが最近は広くてキレイなトイレがありますね。観葉植物が置いてあったり、芳香剤の匂いがして、BGMが流れていたりしてね。自分のウチの四畳半の部屋がイヤになっちゃう」とマクラを振っているので、こりゃまたあの汚ねえー『家見舞い』かなあと思ったら、もっと汚い『勘定板』だった。ふう。

        四月に池袋演芸場の志ん朝のトリのときにも出ていた、奇術の松旭斎美智が出てきた。あのとき「私も志ん朝一門なのよん」と言っていたのは本当らしい。アシスタントとして弟子の美登も連れている。二人して住吉踊りも踊るようだ。レコードのマジックを二人で鮮やかに決めたあと、最前列の男性に話しかけている。「毎年来てるの? そう。これね、さっき貰ったお饅頭、あげるわね」 男性が喜んで受け取ろうとすると、スッと引っ込めて「タダであげるんじゃないのよ。マジックに協力してもらわないとね。はい、靴脱いでこっち上がっていらっしゃい」 アハハ、捕まっちゃった。袋抜けのマジックの手伝いをさせられるのだが、いいようにイジられている。まさにカモ。これだからこの人が出るときは最前列は座れない。

        なんだか時間が押してるなあ。大丈夫なんだろうか。金原亭伯楽。「四万六千日様っていいますがね、一日で四万六千日拝んだことになるって・・・。一年毎日拝んで三百六十五日でしょ。十年で三千六百五十日。百年で三万六千五百日。どう考えたって一生分以上になる。そしたら違うんですってね。一升の米って、一粒づつ勘定すると四万六千粒あるっていう。これで一生(一升)のご利益ということらしい。暇なひとは、米粒数えてみてください」 こりゃあ『船徳』が始まっちゃうのかなと思ったら『夜店風景』。ところが入って早々、早いところで切り上げちゃった。「私は怠けて止めるんじゃない。お気づきでしょうが只今の時点で三十分押しております。あとのひとのことを考えて、ここで止めるんですからね」だって。

        鈴々舎馬風。「大喜利の住吉踊りをお楽しみに。あれ、踊りが付くからいいんですよ。住吉で切っちゃうとヤクザになっちゃう」と始まった漫談。時間を気にしてか、物凄く早く切り上げちゃった。これで大分、調整がついてきた。

        俗曲の三遊亭小円歌。「このあと、私も住吉踊りに出ますんで、『小円歌ちゃーん』と声をかけていただけますと踊りやすくなりますので」 「きょうは女性の演者が多いでしょ。これも住吉踊りに出るためなんですね」 そうだ、そういえば今まででも、歌る多、まねき猫、にゃん子、金魚、美智、美登、そしてこの小円歌と女性が出ている。「最後に出てくる女性ほど美人なの」と笑いを取って、「最後は順子先生よ」 お得意の和風ラップ『両国風景』を三味線を弾きながら歌い上げ、「上がった、上がった、上がった、上がった、ターマヤー!」で締めくくる。そう、この夜は住吉踊りを見たあと、東京湾の花火大会を見に、月島の高層マンションに住む友人のところに行くのだった。

        柳家小せん。「若い人の間で、よく言葉をツメるのが流行っていますね。[マジにやる]って、あれは[まじめにやる]ってことでしょ。喫茶店に行くと[レスカ]とか[レイコー]だって。中には[クソ]くれだって。何かと思ったら[クリームソーダ]のこと」 客席は立見状態なのだが、私の横で立って見ていた中年女性二人組が、小せんの高座になると今までになく笑い転げている。そんなに可笑しいかなあと思っていたら、何とこの二人、小せんが終わると同時に帰っちゃった。どうやら小せんのファンらしいのだが、こんないつも演っているような話、聞き飽きているだろうになあ。小せんも漫談だけ。

        三遊亭円弥。「ある人がタバコを吸ったあとに、地面に捨てて足で火をもみ消した。するとそこへアヒルがやってきて、その吸殻を食べた。『おや? アヒルって吸殻を食べるのかな』と思って与え続けていたら、十数羽いたアヒルが一羽だけになっちゃった。どうしたのかと思ったら、みんなガンになって飛んでいっちゃった」 ネタは『鼻ほしい』

        漫才、あしたひろし順子。二人あわせて百五十歳という師弟コンビ。相変わらず達者だね。モーニング娘の話題から「この人はモーニング男って言われてるの。朝の三時に起きるんですから」 ふたり合わせて百五十歳はオーバーとしても、二人とも元気。パラパラ(?)まで披露して、笑わせてくれた。

        三遊亭金馬。「暑いうちに笑っていると、冬になっても風邪引かないそうですよ。のべつ笑っていると絶対に風邪を引かない。バカは風邪引かないと言いますけどね・・・」 ネタは『たいこ腹』

        柳家小里んは『たらちね』。言葉の丁寧すぎる女性との縁談を持ちかけられた八っつぁん。「言葉がバカ丁寧? こちとらバカぞんざいだ。一緒に入れて掻き回せば、ちょうどよくなる」 「風呂じゃないよ」 威勢のいい『たらちね』だね。

        翁家和楽、小楽、和助の曲芸。傘の上で毬や枡を回し、バチや輪の交換取り。

        メクリが返り、[志ん朝]の文字が出ただけで拍手が鳴る。「矢来町!」の掛け声がかかる。古今亭志ん朝がトリで、このあとはいよいよ大喜利の住吉踊りだ。「大喜利をつける真打なんてものはロクなもんじゃなかったんです。昔は、噺が一本立ちにならないような真打が、あとで大喜利を着けてたものです。それが今では『笑点』で有名になっちゃった」 「なんのことない。今日のアタシは、みんなが住吉踊りの支度してる間繋いでいるだけ」と言って、最前列の人に声をかける。「毎年来てるんですか? えー? 初めて!? そーお? なんか見たことあるなあ。どっから来たの? 板橋! 江戸っ子だねえ。昔は板橋までが江戸だった」

        「暑さでやられちゃって―――いや、冷房にやられちゃったんですがね。どっかの店に行くでしょ。すると、『あっ、こちらへどうぞ』って店で一番涼しいところに案内されちゃって、こっちもそういうところに好んで座るようになっちゃった。それでとうとうおかしくなっちゃった。咳が出るんで医者行ったら、キカンシ炎だって。普通の人はならないですよ。鉄道関係の人だけ」

        「ワイドショウって、同じ事件のことを何回も喋ってるでしょ。たまには他のことに目を配った方がいい。たとえば私のことを・・・。もう私のことなんてマスコミ関係の人知らないんですから。今年の始めに三木助がバカなことやったでしょ。上野鈴本、玄関先はマスコミ関係でいっぱいですよ。それでアタシに挨拶してくれってんで、『あっそう、分った分った』って出ていったんですよ。紋付、着物、袴の格好でですよ。待ち構えてましたよ、マスコミ関係。ところが誰も呼びとめてくれない。外まで出ちゃって・・・。そしたらようやく一人がやってきて『あのー、志ん朝師匠ではありませんか?』って。そしたら『あっちにいた!』って集まってきた」

        このあとも、朝ビールの話。映画館のシルバー料金の話と自虐的とも取れる話題が続き、山田吾一ネタで締めくくり、漫談だけで幕となる。志ん朝師匠の噺を聴きたいけれども、住吉踊りがあるとなると無理は言えない。それにしても、軽快な漫談だ。一時、こういったボヤキ風の漫談が、本当にボヤキに聞こえたことがあったが、自分を道化のネタにして軽やかに話してみせる。こういう元気な志ん朝師匠は気持ちがいい。

        さあ、いよいよ住吉踊りの幕が開く。まずは大勢で『伊勢音頭』。そろいの浴衣にたすき掛け。今まで高座に上った人はもちろん、時間の関係で出られなかった噺家さんまでが上がっている。こんなに多くの芸人さんが舞台に上がっている姿は、そう見られるものじゃない。

        上手に円弥、下手に金馬、そして中央に志ん朝で『奴さん』だけど、あれ? 金馬師匠のフリはズレてないか? 「いいかげんなものでして、こんなもの二十年も騙してやっているんですから」と志ん朝。『奴さん』は替歌でいろいろなヴァージョンがある。先日もうめ吉で『あねさん』を見たばかり。このあとは三人づつ組みになって替歌ヴァージョンを披露。今年は赤穂浪士討ち入り三百年とかで、新作の『赤穂浪士さん』を作ったという。義士の鉢巻をして、まずはこの新作から。

        続いて『お客さん』。アクロバットのような『お寺さん』が終わったところで、志ん朝を含めて五人による『芸者さん』。おやおや中央で踊っているのは、あしたひろしじゃないの。それにしてもその踊りはムチャクチャ。人が踊っているのを見てフリをつけているようなシロート風。「ちょっとちょっと何やってるの? 毎年これが悩みなんだから」と志ん朝がみんなを止め、ひろしに説教。これ、どうやら漫才らしい。「ちゃんと踊ってくれなきゃ困るじゃないの」 「自分ではちゃんと踊っているつもりなんだけどねえ」 「あんた、全然稽古に来ないでしょ」 「あたし稽古好きじゃない」 「誰だって稽古が好きな人はいませんよ。あんた、稽古のときに飲み屋にばかり行ってるでしょ」 「だって楽しいもの」 ひろしを帰して、次は、にゃん子、美智、美登、歌る多と女性ばかりで『たいこもちさん』

        ひとりづつ三人による『字余り都々逸』が終り、志ん朝、円弥の見せ所『網上』が終り、二人づつ三組の『深川』。金馬、金時親子が微笑ましい。

        最後の演目は『かっぽれ』。お囃子に乗せて志ん朝が踊ろうとすると、楽屋で歌が入ってこない。「どうしたの? なんで歌わないの? おふゆさん! ちかごろオレがかまってやらないと思ってスネてんだね。まったく女ってのは面倒だ。優しくすればつけ上げる。冷たくすればふて腐れる」 ここで客席から「その通り!」の声。ここでまた漫才タイム。金馬、小円歌、もう帰ったと思われたひろし、馬生、円弥、歌る多らが次々と出てきて、それぞれの『かっぽれ』を歌うが、とても踊れたもんじゃない。

        シメに全員が舞台に立ったが、その数約三十名。とても乗りきれない。楽屋の方まではみ出しちゃってる人もいる。いやあ、笑った笑った。そして踊りに満足した。住吉踊りって見るのは初めてだけれど、こんなに楽しいものとは思わなかった。

        浅草をあとにして、さあてこの夜は東京湾の花火だ。月島に向かって、「上がった、上がった、上がった、上がった、ターマヤー!」


August.9,2001 楽しかった大喜利、にゅうおいらんず!

8月5日 浅草演芸ホール八月上席昼の部

        落語芸術協会の噺家さんたちが結成したデキシーランド・ジャズ・バンド[にゅうおいらんず]が浅草演芸ホールの大喜利で出るという。ふふふ、ニューオリンズのモジリなのね。私もデキシーなら嫌いじゃない。はて、お手前はと行ってみる事にした。マクドナルドでベーコン・レタス・バーガーを買っているうちに遅くなっちゃった。仲見世を突っ走って浅草六区へ。おや? 聞こえてくるメロディーはデキシー―――いや、違った。あれはパチンコ屋の前のチンドン屋だ。木戸銭を払って中へ入れば、寄席のお囃子。ちょーど前座さんが高座に上ったところ。

        ふう、間に合ったと、ハンバーガーを齧りながら前座さんの落語を聴く。ごめんね。春風亭小あら。ネタが『狸の札』。頑張ってね。

        三遊亭遊喜。熱い風呂に我慢している人の様子をマクラにしている。「唐獅子牡丹の刺青をしているお爺さん、すっかり皮がたるんじゃって、ブルドッグがキャベツ狙ってるようになっちゃってる」 ははあ、これは『強情灸』に入るんだなと思っていたら、ズバリだった。「背中の両側に三十二個いっぺんに火をつけてね」と言ったところで、ピリピリピリと客席で携帯電話の音。「そんなに、いっぺんに火をつけたらピリピリピリと―――携帯電話が鳴るだろう」 「いや、ケータイは鳴らない」

        漫才のマッピーが休演。トラが漫談のローカル岡。だんだんこの人が面白く思えてきた。いわばスタンダップ・ジョークの茨城版(?)。「長野に行ってきました。近くなりましたねえ。新幹線で79分ですよ。信州そば・・・」 「先日医者に行ったら、『胃潰瘍ですね』って言われました。私の父は胃癌で亡くなったんですよ。その時、父には胃潰瘍だって通したんですよ。『胃潰瘍って、本当は癌なんじゃないですか?』って言ったら、『胃潰瘍と癌の中間・・・がんもどき』だって。

        講談の神田北陽は[にゅうおいらんず]のドラムス担当。いつものように出てきて超早口の例のツカミを演るのかと思ったら、この人にしてはノンビリとバンドの話を始めた。「今日で五日目ですがね、一人が五回以上間違えなかった日は無い。最初はレパートリーが一曲だけ。それが二曲になったら力が半分づつになってしまった。今、八曲あるから、一曲は八分の一の力になってる」 「最初ね、小遊三さんがバンド作るんで、お前も何かやれと・・・、講談で釈台バンバンバンバン叩いているからドラムがいいだろうと・・・そんな安直な理由で、私はドラムにされちゃった」 「七人いるメンバーのうち、三人は楽譜が読めないんですから。あとで見ててください、私のこの辺に立っている人、楽譜読めないのに譜面スタンド立ててます。あれ、カムフラージュですから」 あとから見ていたら、春風亭昇太のことだった。昇太、まるで譜面を見てなかったもんね。そんな話をしていたら、あっという間に5分以上費やしてしまい、なんだかネタに入るキッカケが掴めなくなっちゃったのかな。講談一口メモみたいなことを演って引っ込んじゃった。

        三遊亭右紋は、にゅうおいらんずではバンジョー担当。北陽のあとをうけて出てきて「彼のあとは凄くやりやすいんですよ」と話し始める。「お客さんがみんな起きている」 あのバンバンぶっ叩く講談を聴かされちゃあ、寝ている人なんていやしない。「テレビのグルメ番組、白々しいですな。レポーターは何を食べても『旨い!』って言う。中には不味いものもあるでしょうに・・・。それでレポーターやってる仲間に訊いてみたんですよ。そしたら、不味いものの場合は口に入れた途端に『旨い!』って言うようにしているって。不味さが顔に出ちゃうからって・・・」 もりそばの食べ方を演じてみせ、つぎが辛いものを食べたときの表情の演じ別け。カレーライス、キムチ、辛子明太子では微妙に違う。なるほどねえ。最後は正しいラーメンの食べ方。あれ? これは昔、東海林さだおが書いたエッセイに似ているなあ。あらあら、右紋も漫談だけで終わっちゃった。

        曲芸のキャンデー・ブラザース。毬とバチのジャグリング、傘の上で毬やリングや枡を回して喝采を浴びる。

        桂伸乃介は、にゅうおいらんずのキーボード担当。「写真を撮るにもフィルムを変えるといいでしょうね。山を撮るならフジカラー。赤ちゃんならコダック。もっとも、笑ってる赤ちゃんならコニカ。そして少ない客席を多く見せるなら・・・サ・ク・ラ」 ネタは『牛ほめ』

        にゅうおいらんず、トロンボーン担当、春風亭昇太。いつもの、海外旅行の話、サルの話から、落語界タテ社会話へと繋げていく。「上がなかなか死にませんから。何しろ座っているだけの体力があれば出来る仕事ですからね。死ぬ前日まで出来る。中には高座の上で死んじゃう人がいる。本人は本望なんでしょうが、周りは迷惑」 なんて言いながら『ストレスの海』へ。ストレスはいけないと本で読んだ奥さん、疲れて眠っている亭主を無理矢理起こしてストレスを解消させようと海へ連れていく。沖へゴムボートで漕ぎ出した夫婦、喧騒から逃れて、「波の音、青い空、白い雲・・・」って気持ち良さそうだが、そこに待ちうけていたのは・・・。

        俗曲の桧山うめ吉姉さん。「お師匠さんは桧山さくら。私はうめでございます。もっとも、あと50年もすれば立派な梅干。♪梅干じゃとて昔は花よ うぐいす鳴かせたこともある―――こう見えましてもまだ独身。梅も満開ということにさせていただきます」と三味線弾きながら、『ストトン節』 『三階節』 『長崎ぶらぶら節』と聴かせ、立ちあがって『やっこさん』と『あねさん』。

        にゅうおいらんず、クラリネット担当、三遊亭円雀。「中入り後のにゅーおいらんずをお楽しみに・・・。たいへんに下手でございますから、お楽しみじやなくてお苦しみですかね」と言いながら、『紙入れ』へ。

        次の出番は米丸のはずが、漫談の新山真理が先に出てきた。「米丸師匠、ここよりちょっといい仕事が入りまして遅れております。もうすぐ届くころかと・・・」 女性同士の相方が結婚して漫談に転向した真理。「嫁に行ったからって辞める仕事じゃないじやないですかねえ。一日15分で終わる仕事なんだから。こっちはまだ独身。こういう仕事してると、出会いなんてないじゃないですか。楽屋内でいくらでも出会いのチャンスがあるだろうなんて言われますけれどね・・・確かに男の数はありますけど、年寄りばっかり。佃煮にしたいくらいいる」って、そのあといつもの刑務所と血液型の関連の話。

        その真理を受けて出てきた桂米丸。「最近は高座下りても帰らない人がいる。うめ吉さんや、真理さんなど若い独身女性が楽屋に増えてまいりましたからでしょうな。しかも、年取った落語家が図々しくも帰らない」 ハハハ。佃煮って言われてたこと知ってるのかなあ。「サメとフカの違いってどうなんでしょうねえ」 「字が違う」 「そうじゃなくてねえ」 「う〜ん、浅いところを泳ぐのがサメ・・・」 「まさか深いところを泳ぐのがフカって言うんじやないでしょうね」 「・・・もっと浅いところを泳ぐのがフカ。フカフカ浮いている」 先日またテレビで『ジョーズ』が放映されていた。私はDVDで持っているというのに、またついついテレビ放映を見てしまった。米丸は、1作目公開当時から演っているという『ジョーズのキャー』へ。オチが三つ続く豪華版だよ。

        ちょっと時間が押しているのかなあ。春風亭柳昇はすぐさまネタに入った。ははあ、これが例の『スキヤキ』という噺かあ。前半が人情噺めいていて、ちょっと何をやろうとしているのか掴めない。やがてオチに向かっていくと、「ははあ、なるほど、このオチがやりたかったのかな」という気分になる。よく出来ているけれど、前半の退屈さがちょっと気になる。あの部分をもう少し膨らませられたらなあと惜しい気がした。

        中入り後はデキシーランド・ジャズになるから、実質上のトリは三遊亭小遊三。『笑点』の裏話が始まり、番組のレギュラーの落語家たちの逸話が延々と続く。おやあ、ネタに入らないのかなあと思っているうちに時間いっぱい。「バンドが忙しいもんで」って引っ込んじゃった。小遊三はトランペット担当。なんだかみんな、バンドで頭がいっぱいで落語どころじゃないみたい。

        音合わせ(?)とも思えない雑音が舞台の幕の裏でしている。さあ、[にゅうおいらんず]の登場だあ。オープニングのファンファーレのような音出し。昇太のトロンボーンによるボケで笑いをとってから一曲目『線路は続くよどこまでも』。「写真撮ってもいいですよ、落語のときと違って、まったく気になりませんから」というバンジョーの右紋さんの声で、ようしそれならとデジタルカメラを取り出す。しかしなあ、「気になりませんから」って、どうゆうこと?

        「昨日まではよく脱線していましたが、今日は無事到着したようで」とホッとした表情のメンバー。司会を兼ねている右紋さん、やはり腕の方でも実質的なリーダーみたいだ。いいバンジョーを弾く。二曲目は『宗論』でもお馴染み、賛美歌から、312番『いつくしみ深き友なるイエスは』

        伸乃介のピアノソロがあったりして、「私らが小さいころはピアノを持っているウチは、お金持ちと決まっていたもので・・・。伸乃介のうちにはピアノがあったそうで、それで昔から弾けるんだそうです」と持ち上げる右紋。もっとも、このピアノソロ、右手一本。それを茶化す昇太。

        大丈夫、大丈夫。ジェームス・ブラウンだってピアノ・ソロは右手一本・・・。比較にならないか? 三曲目が『ユア・マイ・サンシャイン』。何だか知ってる曲ばかりだなあ。「ぼくら、譜面読めないから知っている曲しかできないんです」

        曲と曲の間に、バンジョーの右紋さんがメンバー紹介を入れていく。ドラムスが北陽。「小さいころ、鼓笛隊で太鼓を叩いていたというので、ドラムスを担当してもらいました。ドラムスのセットを買いに行って実物を見たら、太鼓がいっぱい付いている。そしたら、『これ何人で叩くの』だって」 「昇太は、高校でブラスバンドをやっていたということで参加してもらいました。『何をやっていたの』と訊いたら、『司会です』だって」 四曲目はエノケンでも有名な『月光値千金』

        ここで演奏の方は休憩。小遊三と昇太のトークタイム。「みんなが休憩で、何で俺たちだけがトークをやらなくちゃならないの?」 「そう、トランペットとトロンボーンって金管楽器で、唇から血が出ちゃうんですから」 「それは単に歯槽膿漏なんじゃないの?」と始まった掛け合いの漫才みたいなもの。山梨県出身の小遊三と静岡県出身の昇太の、相手の出身地のけなし合い。「静岡なんて、海が近くてボンヤリとした人間ばかりが育っちゃう。この人みたいに」 「静岡は明るいですよ。その陰になっているのが山梨。何かというと武田信玄持ち出して・・・。他に誰もいないんじゃない? だいたいね、武田信玄はお湯を隠しすぎ!」

        このあとはプレゼント・コーナー。にゅうおいらんずのメンバーの手ぬぐいを配る。[山梨から来た方] [静岡から来た方] [地元、台東区の方] [ピアノを弾ける方] う〜ん、どれにも当てはまらない。もっとも、私は静岡から来たと言ったって分らないんだけどね。証拠を見せるわけではないんだから。

        五曲目『ワシントン広場の夜はふけて』。ベースは、噺家さんではなく芸協の事務員さんのベン片岡。黙々とベースを弾いている。ベースソロになると、昇太、「暗いねえ」とまたもやチャチャ。でもこの人上手いよ。

        円雀さんもクラリネット歴は長そうだ。「小さな頃、親に連れられてブラスバンドを見に行って、いたく気に入ってしまったそうです。『どの楽器が良かった?』と親に訊かれて、『あのオネーチャン』。それがきっかけでクラリネットを始めました」 ホントかなあ。

  

        六曲目『ハロードーリー』。最近、キリンの一番搾りのCMに、ルイ・アームストロングの『ハロー・ドーリー』が使われていて、右紋さんも言っていたけど、これを聴くとビールが飲みたくなる。途中、小遊三のヴォーカル入り。よっ! サッチモ!

        「本日のゲストです」という声。こりゃあ、あの人しかいないでしょう。春風亭柳昇がトロンボーンを持って出てくる。「昇太がバンドをやるというので、古いトロンボーンをあげたんですが・・・あれっ? それは私のじゃないね。今使ってないの?」 すかさずメンバーが「ああ、あれは昇太の家の前に捨ててありましたよ」 柳昇がトロンボーンを持って出てくれば、もうこれは例の往年のネタでしょう。軍隊ラッパとその憶え方。起床ラッパ、点呼ラッパ、食事ラッパ、会報ラッパ、火事ラッパ、突撃ラッパ、消灯ラッパ、整列ラッパ。もちろん私は戦後生まれ。でも柳昇師匠のおかげで、起床ラッパの憶え方くらいは知っている。「起きろや 起きろや みなみな起きろ 起きないと班長さんに叱られる」だったっけ?

        ラストナンバー『聖者の行進』。柳昇、昇太の師弟による。ツイン・トロンボーン。いいねえ。

        右紋さんのメンバー紹介に乗せながら、ひとりづつ楽屋に捌けて行く。北陽のキープしているドラムに乗せて、「そして私、バンジョーの右紋でした」って引っ込んじゃった。ひとりドラムスを叩き続ける北陽。「ええーっ! 何で俺だけ残っているのー!」

        楽しい1時間ちょっとのステージ。いわゆるデキシーとはちょっとスジが違う選曲のような気がしたんだけどなあ。まあいいか。私がデキシーで一番好きなのは『世界は日の出を待っている』なんだけどなあ。あれ、バンジョーが大活躍する曲で、これぞバンジョー奏者の腕の見せ所みたいな曲。難しいけれど、なかなか達者な右紋さんだもの、きっと出来るに違いないと思うんだけどなあ。

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