April.29,2002 えっ!? 小さん、急病!?

4月27日 第244回国立名人会 (国立演芸場)

        私が落語の本当の面白さに目覚めたのは中学生のときだった。テレビの寄席中継を熱心に見ていた私に、父が一度寄席に連れて行ってやろうと言い出した。そうして父に連れられて東宝名人会に行ったのがナマの落語を聴いた初めての体験だった。出てくる噺家さんや色物の方など、どれもこれも面白い。テレビで見るよりも各段に面白かった。プログラムは進み、トリが柳家小さんで『長短』だった。それまでテレビで見ていた落語は、どこかセコセコしていた。それが小さんの気の長い人の演技。テレビではとうていこんなノンビリとした間は受け入れられないのだろう。いやあ面白かった。そして感動した。落語ってこんなに奥が深いものだったのか。その夜は眠れなかった。小さんの『長短』の仕種を反芻して楽しんでいるうちに夜が明けてしまった。それから中学いっぱいまで続く寄席通いが始まってしまったのだった。

        そんな小さんは、今や人間国宝。八十七歳になって、さすがに高座に上がることも減ってしまった。そんな小さんの高座を見たいと国立名人会のチケットを買った。ところが当日、国立演芸場の前に来て見ると、貼り紙がしてあった。



        休演。がっかりすると同時に、「急病のため」という文字に不安が走る。たいしたことが無ければいいのだが。

        前座は金原亭駒丸で『真田小僧』。頑張ってね。

        出演者の演目は予め決められている会だから、噺家さんが何の噺をするのかイントロ当てゲームのようなことをすることもない。のんびりと構える。橘家円太郎は『稽古屋』だ。円太郎の『稽古屋』を聴くのはこれで三回目だが、今回は持ち時間がたくさんあるようだ。マクラで野球の話、落語と歌舞伎の違いなどをたっぷりと聴かせてくれた。「人間二十歳を回ると、もう老化現象が始まるそうで、そのあとに学んだことはなかなか身につかない。だから大学生になるともう老化現象が始まっていると言っていい。仕送りなんて意味ないですよ」と振って、『稽古屋』に入る。

        二十五歳の美人のお師匠さん目当てで稽古屋へ行く男。何を習いたいのか訊かれて、「歌です。今晩この女をなんとかしようというときに歌う色っぽいやつ」って下心みえみえ。『鬢のほつれ』、通称『びんほつ』。♪もしもわたしがウグイスならば 主のお庭の梅の木に たったひとこと さあ ホ―――れっましたとさ お師匠さんが見本をみせてくれるはずが、おやおや、なんだかヨレてるぞ。「すみません、ちょっと止めてください」と三味線のお囃子さんを止めて、「きのう、こぶ平に誘われて、遅くまで歌っていたものですから、どうも声が出ない。あの・・・歌を歌う高座の前の日は気をつけないと・・・・・では、もう一度、気を取りなおして・・・」 どうもこりゃあ教えるのに時間がかかると判断したお師匠さん、先に小さな女の子のお花ちゃんの踊りを済ませてしまおうとする。「どうしたの? 袂が重そうね。何が入っているの? あらあら、お芋? 出して舞台のそでに置いておいて」と稽古を始めるが、男がその芋を食べちゃう。この男の言い訳が可笑しい。「手を出しちゃいけないと言い聞かせてあるんですが、この手は欲しいものがあるとすぐに手を出す。この手には名前がついているんですよ・・・・・ムネオちゃん」 円太郎の『稽古屋』に、ここのところ私はすっかりハマってしまっている。可っ笑しいんだよなあ、これが。

        古今亭志ん橋は『居酒屋』だ。三代目三遊亭金馬の代表作。もちろんナマで聴いたことはないが、ラジオでよくかけられている。「出来ますものは、おひたしにたらこぶ、あんこうのようなもの、ぶりにおいもにすだこでございまーす。えーい」 小僧さんの言うこの名セリフ。森田芳光監督の出世作『の・ようなもの』の題名はここから来ている。確か金馬版では、おひたしは無かったような記憶があるが、江戸っ子ならば[おひたし]じゃなくて、[おしたし]にして欲しかったなあ。

        柳家小さんのトラは橘家円蔵。「目白の代演とは光栄です。何を演りましょうかねえ。リクエストありますか?」の声に、さっそく客席から「猫金!」 うん、十八番の『猫と金魚』。いいなあ、聴きたいなあと思ったら、「『猫金』ねえ、あれだと七分で終わっちゃいますから・・・。『鰻の幇間』でも演りましょうか」と、先代の桂文楽の思い出話に入る。「私は文楽信者でしたからねえ。本当は桂文楽に弟子入りしたかった。ところがきっと弟子が大勢いるだろうからと、弟子が誰もいないところにしようとウチの師匠のところに入ったんですが、それが回りまわって文楽師匠のところに預かり弟子に出された」 「当時、昭和二十七、八年でしたが、お座敷に呼ばれて一席演ると五万円でしたよ。今の五十万円くらいの値打ちがあった。家に帰ると金勘定してね、金庫にしまう。うれしそうにね、『やめられないなあ・・・・・売れるとね』。この『売れるとね』が強烈だった」 そんな文楽の想い出を語ったあとに文楽から習った『鰻の幇間』へ。

        仕事が無くて町をフラフラ歩いている太鼓持ち。「腹減ったなあ。芸人、手銭で食べちゃいけないっていうけどなあ。天丼食いてえなあ。○○○の天丼! 食べたあと胃薬飲みゃーいいんだから」 法事で会った事があるだけの旦那を捕まえてうなぎ屋でゴチになるが、まんまと男に騙されてしまうこの話、私が中学時代大好きで、レコードまで買って毎日のように聴いていた噺だ。旦那をヨイショしている太鼓持ちの様子が面白いのと、食べ物に関するウンチクが面白いのが好きだった理由。そして実は騙されたとわかって態度が豹変する太鼓持ちの態度が可笑しかったのだ。「不味い酒だね、井戸水飲んだ方がまだまし」 「畳がザラザラしてるじゃねえか。海の家で呑んでいるんじゃないんだから」 「硬い鰻だね、草履の裏の方がまだ柔らかい」 「トックリを見ねえ。[天下太平]って書いてある。裏は[運転手募集]。労働組合で呑んでいるんじゃないんだから」 桂文楽のとは大分趣が違うが、これはこれで面白い。

        仲入り休憩があって、くいつきは金原亭伯楽。「コイったって、唐揚げにしてアンカケにして食おうってんじやないですよ。恋愛映画、好きでしたねえ。『慕情』 『ローマの休日』―――オードリー・ヘップバーンね。あんなに歳取るとは思わなかった。あれじゃあ、『ローバの休日』。日本映画にもいいのがありました。『潮騒』、青山京子ね。後に山口百恵も演りました。それから『野菊のごとき君なりき』。純愛もの、好きですねえ。そこへいくと最近の映画、部屋に入るとすぐ服脱いじゃって、男がそこにしゃぶりつく。私そういうの・・・・・大好き」 「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道」と『お若伊之助』に入ったが、この噺、純愛ものというよりは、カシラが両国と根岸を行ったり来たりするお笑いの方が中心。どこが純愛ものだあー。

        日本橋栄華ねえさんの三味線に、神田福丸ねえさんの歌。芸者さんだから、普通の寄席には出ない。国立演芸場にだけは出ているとのこと。お座敷に上げたらいくらすることやら。『京の四季(春・夏)』 『六段くづし』 『柳の雨(唐人お吉入り)』 『東雲節』 『推量節』と、いい心持ちにさせてもらえたけれど、ここでちょいと一杯呑めたら、もっといい心持ちになるんだがなあ。

        座布団の横に湯呑茶碗が置かれる。トリは柳家小三治だ。ひざがわりのねえさんたちの芸を[品がある]と誉め、「先代の文楽師匠が、『品のないものは芸とはいえません』と言ってましたが、いつか私も品のある芸になりたい」と言って、茶碗からお茶をすする。「この茶碗、きょうで三回目なんですがね、初日に水漏れしましてね。着物の上にポタポタッときた。別に粗悪品というわけではないんだそうで、おまんっまっ粒を練って漏っているらしいところに練りこんだら止まりました。風流というらしいんですがね」と、『茶の湯』に入った。

        マクラ十分。当然、小三治だから、このあと『茶の湯』だろうと三十分で済むわけがない。四十五分ほどもかけての長講。蔵前の大旦那、根岸の郷に楽隠居したものの、やることが無い。茶道でもやるかと、習うのではなく、いきなり自己流で始めてしまうからスゴイお茶ができあがる。青ぎな粉を溶いて洗剤として使われたムクの皮を放り込んでグツグツ煮立てるから、大きなアブクが立ってしまう。アブクで中が見えないほど。小僧の定吉に「お前から飲め」 「いや、ご主人様からどうぞ」と譲り合ううちに、定吉うっかり「いや、ご主人様から飲め!」 アブクに息を吹きかけて、お茶と称した不気味な液体を飲むと、旦那の口の中では咽喉が飲み込むのを、あきらかに嫌がっている。すごい風流があったものだ。毎日三回、ふたりで茶の湯をやっているから、ふたりともお腹を下してしまう。定吉、「もう、いやですよう。私ばかりが血祭りに。今度は誰か呼んでお腹を下させましょう」 かくして、孫だなの豆腐屋にカシラ、手習いの師匠まで血祭り。さらには出入りの魚屋に酒屋、向こう三軒両隣、果ては、ただ表を通りがかった何の罪もない人まで血祭りに。うぎゃー、地獄の茶室だあー。

        笑い転げて国立演芸場を出た。ふと振り返ると、また「小さん休演」のビラが目に入る。何事も無ければいいのだけど―――と思って家に帰り、ぼんやりと演芸情報誌『東京かわら版』を眺めていて気がついた。この日小さんは、三鷹市芸術文化センターで、三語楼、花緑と『親子三代落語会』(14:00と17:00)に出ているではないか!! こりゃ、どう考えてもダブル・ブッキング。三鷹で昼夜出ている小さんが、どう考えたって半蔵門の国立演芸場にちょいと顔出して一席できるわけがない。そりゃないよなー。急病なんて書かれると心配しちゃうよ。[都合により]程度にしてほしかった。まさか本当に急病だったんじゃないだろうなあ。


April.27,2002 論理の狂気が加速していく面白さ

4月21日 『志の輔落語21世紀は21日』 (安田生命ホール)

        二日続けて新宿へ。雨が降っている。地下街の中華料理屋で食事を済ませ、一度も地上に出ないままに地下だけを使って安田生命ビルへ入る。東京では毎日多くの落語会や定席があるが、前売券を買ったあった日は、どれに行こうか迷うことはない。一ヶ月前に買った立川志の輔の独演会のチケット。前から三列目だ。

        前座は立川志の八で『狸の札』。頑張ってね。

        立川志の輔一席目。いきなり、「本日、梅雨入りしたそうです。このところ四月というのに初夏のような暖かさ。ゴールデン・ウイークには真夏、夏になったら雪が降る」と、かましてきた。考えてみると、最近の気候がヘンなのは去年からだ。七月に猛暑がやってきたと思ったら、八月はそれほど暑くなかった。早めに寒くなったと思ったら暖かくなるのも早くて、桜が三月下旬にはもう満開。地球の回転が一ヶ月近く狂っているとしか思えないのだが、どうしたことなのだろう。

        そんなことをボンヤリと考えているうちに、志の輔のマクラはどんどんと進み、みずほ銀行のコンピューター統合ミスのことを[三本の矢]に例えて笑い飛ばし、ツジモトナオミ事件に触れ、春風亭昇太と屋久島へ行った珍道中話に繋がっていった。旅行の最大の楽しみは、風景を見ることでも、美味しいものを食べることでもなく、そこに住む人の生活を見ること、そこの人と話すことだという志の輔。飛行場前のレンタカー屋との会話、カヌーのインストラクターとの会話、泊まったホテルの客との会話。都会のビルの中へ雨にも濡れずに入って来た私の頭の中に、一度も行った事のない想像上の屋久島の風景が浮かんでくると同時に、屋久島に住む人の時間を忘れたようなのんびりとした暮らしが動く。私は自由業ではないから、長い休みを取って南の島に行くなんてことは出来ないが、きっといいところなんだろうなあと思う。

        「屋久島には都会のスーパー・マーケットのようなものはありません。小さなマーケットがあるだけ。当然、品揃えが少ない。これは、ある意味では、[迷わなくていい]ということでもあります。ハムだろうが醤油だろうが一種類しかない」と振って、『買い物ぶぎ』へ。これは去年の暮にPARCO劇場で初めてかけた新作。風邪をひいたという奥さんに頼まれて薬局に風邪薬を買いにきたペンキ職人。「出がけに女房、何て言ったと思う? 次の中から選んでください。1、早く帰ってきてね。2、二度と帰ってこないでね。3、リメンバー・パール・ハーバー」 「・・・・・、1じゃないですかねえ」 「ブー、答は、ついでにこれも買ってきてくれというリストを持たされた」 「三択の中に入ってないじゃないですか!」 この職人、思考回路がいったいどうなっているのかをうかがわせる、スピード感溢れる登場のさせ方だ。

        こうして、「一番いいものを、ニイちゃんに選んでもらおうと思ってさ」と、便所の臭い消し、掃除の洗剤、歯磨きと歯ブラシ、トイレット・ペーパー、猫のエサの缶詰など、どれがいいのか店員さんに訊くのだが、その種類の多さからトンチンカンな会話が続いていく。「風邪薬はどれがいいのかなあ」 「どんな症状なんですか?」 「鼻水が出て、熱があって・・・」 「それでは、これがいいです」 「すごいね、ニイちゃん。これだけたくさんの中から、よくこれがいいなんて選べるね」 「これにはクラシオペプシターゼが入っていますから」 「クラシオペプシターゼって何?」 「成分です」 「へえー、じゃあニイちゃん、クラシオペプシターゼが風邪のバイキンと闘っているのを見たことがあるの?」 「・・・・・」 「[美味しい猫缶]って、これ、誰が美味しいって言ったの? 猫じゃないよね?」 「トイレットペーパーの[便利な二枚重ね]って自分の手で二枚重ねにするのとどう違うの?」

        ひねくれたといえばひねくれた論理なのだが、この絶妙な視点が面白い。昨年の十二月に見たときにも書いたのだが、談志ゆずりのこのヒネった論理を、毒を抜いてオブラートにかけ、笑いに転化させてしまう志の輔。江戸っ子の職人と薬局の真面目な店員の対比が可笑しい。店員にカラんでいるようで、その実、天然ボケ風でもあり、まったく真っ当なことを言っている職人。たいていこういう着想を得ると、くどくくどく演りたがりそうなものだが、トントントンとスピーディーに持っていくのがいい。

        私もよくスーパー・マーケットに行くのだが、どれを買おうか迷うことが多い。選択肢が多すぎるのだ。例えば、スパゲティ・ミートソースを作ろうとしてスーパーへ行ったとしよう。まずスパゲティ選びだ。どの会社のスパゲティを買うか、茹で時間は短い方がいいか、麺の太さをどうするか、300g入りにするか、500g入りにするか、迷いに迷う。ミートソースは缶詰にしようと思っても、これまた多くの会社で出している。それもマッシュルーム入りだとか、有機野菜を使ったとか、十数種類に及ぶ。こんなとき、一種類しかなかったら楽なんだけどなあと思うときもある。

        しかしだ、噺家に関しては一種類は困る。同じ演目でも演じる噺家によって大きく違ってくる。それが落語の楽しいところだ。噺家の数はたくさんあればあっただけいい。

        二席目に入る前に、この会恒例の松元ヒロによるNHKニュースの当てぶり。この日は小泉首相の靖国神社参拝問題が中心。シメはいつもどおり天気予報。波浪注意報が手を上げて「ハロー」のポーズ、雨は飴を舐めているポーズ、雪崩注意報は涎をたらしているポーズなのは、何回見ていても可笑しい。

        二席目のマクラは今度はオーストラリア旅行の話。いいなあ、自由業の人は。パースでイルカを見て、フィリップ島でペンギンを見てきたという話。今度は話でしか知らないオーストラリアの雄大な自然が頭が浮かぶ。数千円の木戸銭で屋久島とオーストラリアに行ってきた気分。話下手の人に旅行の土産話を聞かされると閉口してしまうときがあるが、やはり話術なんだなあ、その話にグイグイと引き込まれてしまう。

        「人間、何かにハマっているときが楽しいもので」と『木乃伊取り』に入った。吉原に遊びに行って帰ってこない若旦那。番頭を迎えにやるが番頭も帰ってこなくなってしまう。「もう勘当だ」と怒鳴る旦那に、おかみさん「何かというとカンドウ、カンドウって、立松和平のようにおっしゃってえ」と今度はカシラを迎えに送る。ところがこれまた帰ってこない。見るからに堅物で田舎者という飯炊きの清蔵が、断固連れ戻すと言って吉原へ。若旦那、番頭、カシラと三人顔を揃えている座敷に上がりこみ、店の者には「このムジナ野郎! ぶっ殺すぞ!」と怒鳴りつけ、三人には説教。「尻はしょって踊ってやがって! ♪奴さんどちらいく〜だとお! どこへでも行け!」 ところが若旦那は帰る意思はまったくない。「オレは今、帰る気にならない。お前が来たことは旦那に言っとくから、もう帰れ」 このへんの感じは高座をすっぽかして「演る気にならないんだ、今日は」なんて言ってる師匠の談志を意識してか。

        それじゃあわかった、シメにしようとばかり清蔵に酒を飲ませて、花魁をひとりあてがったのは、これが若旦那の上手い作戦。まんまと酔っ払って歌なんか歌い出しちゃう。村で流行りの『おぼろ月夜』は♪たぬきが出たから 月も出て〜・・・とドン臭い。続く『ドジョウ小唄』も♪ドジョウが出たから フナも出て〜・・・っておんなじじゃないの! 花魁に手を握られて「立派な手ねえ、カニみたい」なんて言われてデレデレ、グズグズ。木乃伊取りが木乃伊に・・・というよりは、吸血鬼ハンターが吸血鬼になっちゃうようなものだよなあ。

        この噺、円生で何回か聞いたっけ。円生のはいかにも昔の遊び人らしい感じで良かったが、志の輔のも、スピーディーで狂った感覚があって面白い。やっぱり噺家は多い方がいい。噺家の数だけ噺がある。


April.21,2002 シュールで愉快なひとり芝居

4月20日 入江雅人ワンダー1劇場 『筑豊ロッキー』 (紀伊国屋ホール)

        あまりよく知らない役者のひとり芝居公演。ゲストが清水宏だということのみで見に行ってしまった。

オープニング
        開演前の楽屋でのふたりの会話という設定。いきなり清水宏が飛ばしている。「構成としては、入江雅人がネタを演る、オレが暴れる。また入江雅人がネタを演る、オレが暴れる・・・ってことでいいんだな」 「お前、出過ぎ。それじゃあ、ふたりの会になっちゃうだろ! これはオレの舞台! ワンダー1なんだから!」 どちらかというと暴れる清水宏が見たくて来たのだが、入江雅人という人の芝居も気になる―――って、それじゃあ本末転倒か。例によって清水の手拍子で客席が盛り上がったところで開幕だ。

『イミテーションハンター真』
        レプリカントとの闘いのあと、故郷の大月に中央線で帰る真(なんだあ?)。ところが大月に電車が着いてもドアが開かない。これは罠であった。倒したはずのレプリカントのボスはまだ生きていたのだ。再びボスとの闘いが始まる。そのボスとは真の双子の兄だった・・・。アニメのようなストーリーの中、ときどきギャグが入る不思議な芝居。

『ポエムリーディングIN』
        彼女に自作の詩を読む男。やがてこの詩の中に、読んであげている彼女が現れ、また詩の中に詩が現れて・・・といったこれまたシュールな話。詩って苦手な分野なのだが、こういうユーモラスな詩の朗読ならば聞きたいなあ。

『男一匹ナレーション人生』
        ある男の一生を年表のようにしてナレーションで流して、それに添った芝居をするというアイデア。『ツァラトゥストラはかく語りき』が鳴り響く中、ひとりの男が誕生し成長していく。小学生時代、クワガタに夢中。中学生時代、万引き事件。高校生時代、村上龍と出遭い音楽に目覚める。大学生時代、怪しげなテニスサークルに入る。就職、怪しげな詐欺商法の会社。故郷に帰る。父の死。家業の肉屋を継ぐ。結婚・・・・・。私はこれが一番面白かった。ナレーションとリアクションの芝居が漫才のような掛け合いになっていて、可笑しいのなんのって。これをうまく文字にして可笑しさを伝えられないのが惜しい。

リラクゼーション
        客席が明るくなって清水宏とのトーク。ここは清水宏のシンバル漫談が冴える。「車内の携帯電話! 迷惑だから注意するようにしている。でもちょっと恐めの人だと躊躇する。先日いいことを思いついた。心臓が悪くてペースメイカーをつけているから止めてくれと言って注意するという手。『すみません、心臓が苦しいんで止めてください』と言ったら止めてくれた。そうしたら、車内のアチコチで着信音が始まってしまった。しょーがないから『うー』と苦しむふりして、次の駅で降りなければならなかったじゃないかー! 何でオレがそんなことまでしなくちゃならないんだー! ばかったれー! ガシャーン!(シンバルの音)」 「サラ金のCM! 『恋人のように親身になってお金を貸します』 そんな恋人がいるかー! 恋人が利子取るか、バカー! ガシャーン!」

東京大パニックメガネ・2002REMIX 完全版
        東京でメガネをかけている人が、全員幻覚を見るという異常事態が起こるという、奇妙なSF? 50分くらいある超大作。ギャグを挟みながらで面白いのだが、いささか長い。ちっょと疲れた。

        清水宏見たさに入った入江雅人のひとり芝居。また気になる役者がひとり増えた。


April.20,2002 にいちゃん、振られたの?

4月14日 上野鈴本演芸場四月中席夜の部

        池袋四月革命で乗りに乗っていた柳家喬太郎が、今度は上野鈴本の夜トリを務めている。話の調子では上野は古典を演る場所と決めているらしい。よーし、古典を演る喬太郎も見ようではないか!

        松坂屋の地下で買ったコロッケを齧りながら、まずは前座さん。三遊亭麹の『狸の札』。頑張ってね。

        喬太郎の兄弟弟子、柳家喬之助。「私の名前は小さん師匠がつけたんです。私の顔をジーッ見て、『喬之助』とつぶやいたことから決まりました。ウチの師匠のさん喬までがいまだに兄弟子の喬太郎と喬之助を間違えます。先日、地方の仕事に行ったら『喬太郎がくる!』と間違ったチラシが出ていた。真打の喬太郎が一万円で来るわけがない。喬太郎の仕事は・・・・・一万五千円から」 おいおい、そんな割り前かあ? ネタは『寿限無』 隠居のところに八っつあんが赤ん坊の名前をつけてもらおうとやってくる落語の基本中の基本の話。「して、生まれたのは男子(なんし)か女子(にょし)か?」 「えっ!? ナンシーかキョンシーかですって?」 フハハハハ、生まれたばかりの子供をキョンシーにするなー!

        すず風にゃん子・金魚休演。トラは曲独楽の三増紋之助。二枚の羽子板を使う『羽子板の舞』でうまく羽子板のてっぺんに独楽が止まらず苦心している。それでもきれいに決めて、「どうもご心配をおかけしましたー!」

        五明楼玉の輔が本来の出番よりずっと早く高座に上がる。このあと仕事が入ったのかなあ。ネタは『珍獣』というタイトルが上に付きそうな、お得意の『動物園』。赤白のパンダや、いい匂いのするねスカンクが出てくる。月百万円の給料で雇われた男が黒いライオンの着ぐるみを着て檻の中をノシノシ。「お客さんがたくさん来てる。少し鈴本に行ってやりゃあいいのになあ」

        酔っ払いの噺というのは、誰のを聴いても面白い。『代り目』がいくら聴いても飽きないのは、そんな酒好きの私のせいもあるのだろう。金原亭馬遊の『代り目』も可笑しかった。ベロベロに酔っ払った男、「矢でも鉄砲でも持って来ーい―――ってんだ。・・・俺は逃げちゃうから」 もっともそのあとのおかみさんとの会話になると、あんまり酔ってない風情なのはなぜ?

        トリを取る喬太郎の師匠柳家さん喬が早い出番。外房線に乗ってきた「ちょームカつく」を連発する女子高生の話をマクラに持ってきたが、現代の若者を描写させると弟子の喬太郎の方が一枚上になってきた感じ。おやおや、今夜のネタは『初天神』じゃないか。去年の七月、柳家権太楼に弟子のごん白が、さん喬に習ったという『初天神』を演ったあと、「時代考証ができていない。あの時代にたこ焼き屋はなかった」と叱られたネタだ。つい、ふわっと聴いていて、たこ焼き屋のことを言っていたかどうか私は聴き漏らしていた。ははあ、本当だ。さん喬版の『初天神』にはたこ焼き屋が出てくる。

        アサダ二世の奇術。水の入った瓶を逆さまにしても水は落ちて来ない。ありゃ? どうなってるんだあ? 逆さまにした瓶の下から爪楊枝を入れると、瓶の中で爪楊枝が浮く! つづいてロープの奇術を演っていたら、客席から「うまい!」の声。「当たり前です。私はとりあえずは本職ですから」

        橘家円蔵休演。トラは金原亭伯楽。この人、先代馬生の弟子で志ん生の鞄持ちをしていたという。志ん生は骨董が好きだったそうで、あるとき浅草で小野東風のものだという書の掛軸を五千円で買ったという話が始まった。五千円は安いと思ったが、何と書いてあるのかわからない。さっそく可楽に見せる。「面白いものが手に入ったんだよ」 「(それを見て)いいねえ」 「ようがしょ」 「さすが可楽はものがわかる」 ところが可楽も何て書いてあるのかわからない。後に鑑定に出したら[今川焼]と書いてある。どうもニセモノらしい。「今川焼という字を書いた奴も書いた奴ですが・・・」 これがマクラで『猫の皿』へ。なるほどね。

        五街道雲助は『千早ふる』 百人一首の在原業平の作、「千早振る神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」の意味を訊かれた隠居さんがでっちあげの話をする噺。「何て言ったけなあ。浅草から東武線に乗るんですよ。その一つ目の駅」 「業平か?」 「そうそう、藤原業平の歌」 「ヘンな憶え方してんね」

        仲入り後に玉の輔と出番を交代したらしい三遊亭歌武蔵が出てくる。元相撲取りの歌武蔵、大きな体で出くると『不精床』へ。これが怖いのなんのって。ドスの効いた床屋の旦那って何? 客が頭を当る前に水をかけてくれと言えば、「水は自分で汲んで来い。小学校のときに習ったろう! 自分のことは自分でやれっ!」と怒鳴られてしまう。久しぶりの客だてえんで、小僧にやらせると、この小僧さん、剃刀を当てるんじゃなくて毛を毟ってる。「イデデ、イデデ、イデデーオ」 『バナナ・ボート』じゃないっつーの。「だいたいね、床屋に来て無傷で帰ろうってのが間違ってるんだ!」 おっかねえ、床屋だなあ。

        柳家三太楼は『風呂敷』。亭主の留守のすきに男を呼びこんじゃったおかみさん。帰りが遅いはずだった亭主が早々と帰ってきてしまう。とりあえず押入れに男を隠すが、亭主が帰ってきて押入れの前にどっかと腰を据えてしまい、男を逃がすことができない。カシラに頼むとこのカシラ、亭主の頭に風呂敷を被せて男を逃がす算段をしてくれる。三太楼は顔の表情が豊かなので、この逃がす場面が上手い。亭主に風呂敷を被せておいて男に、「早く行けってんだよ! そんなとこでいつまでもペコペコお辞儀してんじゃねえよ・・・ゲタ間違えるんじゃねえぞ!」と顔で示す様子が実にいいのだ。

        春風亭一朝はいつも通り林家彦六の話から、「宗教なんて寄席で軽々しく言っちゃいけないことですが・・・そこは落語ですから・・・それではタブーに挑戦する春の問題作、いよいよの開演です!」と『宗論』へ。それほどのことないだろ? 『慈しみ深き友なるイエスは』を歌い始める息子。客席に向って「どうぞご一緒に! 別に恥ずかしがることはないですよー」 本当に一緒に歌っている人が何人か。本当にクリスチャンなのかなあ。シャレのわかるクリスチャンっていいなあ。

        ひざがわりが柳貴家小雪の太神楽。女性のピンでの太神楽はタイヘンだよなあ。五階茶碗も茶碗は真っ赤。きれいだなあ・・・。あっ、いや、茶碗ももちろん、小雪ちゃんも。

        お待ちかね、トリの柳家喬太郎だ。「こっちの信号とこっちの信号が迷っているんですよ」と耳に両手を当てて見せる。 この信号とは、古典と新作、どちらを演ろうということらしい。池袋では新作だったから、鈴本は古典をとい期待してはいたが、こうズラーッと古典が並ぶと喬太郎の新作を聴きたいという気もしてくる。マクラを振りながら、何を演ろうかまだ迷っているようだ。「解決策としてはひとつあるんです。演らずに帰る」 そんなわけにもいかないだろうが!

        「カップルってね・・・・・ダメだよ!・・・・・あっ、最前列のお客さん、カップルですね・・・・・う〜ん、10代のカップル・・・・・そんな人は今日いないでしょ。ベタベタベタベタ、イチャイチャイチャイチャしてね。注意をしてやろうと思っても相手は強いし・・・・・不愉快ですよ・・・・・あたりはばからず腰に手回しちゃったりして」 こう喬太郎が言うたんびに、大きな拍手をする若い男がいる。その拍手がいささかくどい。喬太郎も演りにくそうだ。「バレンタイン・・・よくないですよ! いりますか? バレンタインなんて! 必要ないでしょ! 人間は平等だって教わるじゃないですか。あんなの人間の差別化! モテない男なんて士農工商のさらに下ですよ。国立演芸場の楽屋口を出てきたときですよ。Y家K緑とT川D春と一緒でした。女の子が群がってK緑にチョコレートを渡すんです。やがて気がついたように『あっ、じゃあ喬太郎さんにも』って・・・あんな複雑な思いをしたことはない」 わかるなあ、モテない男のひとりとして、その気持ち十分にわかるのだよ。でも喬太郎がモテないというのはどうかなあ? この人、女性ファン、相当に付いているよ。

        バカに受けているしつこい拍手男は、『純情日記・横浜編』に入ってからも、くどい拍手と独り言が止まない。シャイな純情男が、好きになっちゃった彼女に電話をしてデートの約束を取りつける。有頂天になっている男、当日は関内の駅で待ち合わせ。横浜を歩き回って中華街で食事をして・・・。あまり酒に強くない男、招興酒の飲みすぎで山下公園で屈み込んでしまう。このへんで客席ではヘンな反応をしている若い男にキレた別のお客さんが「うるせえな!」と切り返している。どうやらこのヘンな客、酔っ払っているらしい。くどい拍手以外にも意味不明の呟きが入るので客席の雰囲気が怪しくなる。喬太郎の噺はおかまいなしに進む。山下公園の男が公園の人に対して、「ケンカしない方がいいですよ」なんて言っている。さらには「気にしないで、オレのことだけ見て」なんてセリフが入る。

        シャイな男、デートの最後で、彼女に告白する。「好き・・・とか言ったりして・・・・・マジで・・・きょうすげーマジ・・・でもオレなんてダサいし、金ないし、クルマもないし・・・」 そして面と向っては振りずらいだろうからと、「目をふさいで数を十数えるから、振りたければそのまま行っちゃって」と言う。さて、その結果は・・・。せつない噺だなあ。振られ人生を続けてきた私には、この主人公の気持ちが痛いほどわかるのだ。ひょっとして、あのヘンな拍手をしていた若者も、女の子に振られて酔っ払って、寄席で笑い飛ばそうと入って来たのではないだろうか? それが喬太郎の噺に同感しっゃたのかも知れないなあ。おーい、頑張れよ、若者! 噺の邪魔をするのは良くないことだけど、こっちはモテない振られ男の大先輩なんだ。明日は忘れて元気だせよなー!


April.15,2002 演ってるあんたはもっとエライDEショー

4月13日 小松政夫&団しん也の
       みにくるあんたはエライDEショー
       『おとなげない大人たち』 (THEATER/TOPS)

        2週続けてシアター・トップスへ。今週は前から3列目という絶好の席が取れたこともあって見やすかったし、とにかく笑えて笑えて椅子の悪さも気にならない1時間40分だった。『ショーほど素敵な商売はない』のテーマが流れる中、照明がつくと、いきなり小松政夫と団しん也の漫才が始まる。これは駅弁売りのコントのようなもの。小松が駅弁売り。団が客というスタイル。「駅〜、駅〜、アメにイカに新聞はいかがですか〜」 「アメちょーだい」 「アメなんて売っていませんよ」 「だって今言ってたじゃない」 「いや、私の言ったのは、アメリカの新聞」 「スッポン!」 「おでんに白菜いかがですか〜」 「おでんちょーだい」 「おでんなんて売っていませんよ」 「だって今言ってたじゃない」 「いや、私の言ったのは、お電話ください」 「スッポン!」 「鶏肉弁当いかがですか〜」 「鶏肉弁当ちょーだい」 「はい、鶏肉弁当どうぞ」 ところがこの弁当売り、客が受け取ろうとするとひょいひょいと弁当を動かす。「何これ〜」 「とりにくい弁当」 「スッポン!」 こんなのを矢継ぎ早に何本も演って笑いを取る。最初っから飛ばしてるなあ。

        暗転すると、これがアメリカの[Friday Night Club]なるコメディ・ハウスで、今のふたりはコーマッツとダンというアメリカ人のお笑いコンビだというのがわかる。それにしては冒頭の漫才は思いっきり日本だなあ(笑)。このあとダンはコンビを解消してテレビに出ると切り出す。この舞台は、そんなふたりが31年後に再会して、またお笑いを演るというストーリーの中で、お互いの持ち芸を披露しようという趣向だ。

31年後に戻ってきた団のものまね
        トレンチコートにサングラス、帽子を被った団が入ってくると、小松はすぐに団だと見破る。それをすっとぼけて、自分は三船敏郎だとか、渥美清だとか、野坂昭如だとかシラを切る。三船の肩を揺する動き、野坂の訥弁が、可笑しいほど似ている。小松の「おまえ、テレビ局に圧力かけたんじゃないのか?」というセリフをきっかけに、団のスズキムネオのものまね。「あのー、私が個人的に圧力をかけたなんていうことは一切ないと、ここで明確に申し上げたい」 似てる似てる! すると小松の切り返し。ツジモトキヨミだ。「うそつき、うそつき、あんたはうそつきやわ。あんたは疑惑の総合商社やないの!」

団のディーン・マーチン『エブリバディ・ラヴス・サンバディ』のものまね
        団しん也の得意ネタ。ディーン・マーチンなんて真似できる日本人は、この人ひとりだろう。ディーン・マーチンから始めて、『エブリバディ・ラヴス・サンバディ』を、「橋幸夫で」 「五木ひろしで」 「前川清で」 「東八郎で」とリクエストに答える形で歌っていく芸だ。久しぶりに聴くことが出来てうれしい!

小松政夫一発ギャグ裏話
        「ながーい目で見てください」 「表彰状 あんたはエライ!」 「知らない、知らない」 「もういや! こんな生活」 小松政夫が演ったへんな流行り言葉は枚挙にいとまがない。その言葉にはモデルがあったんだという裏話をするコーナー。「ニンドスハッカッカ、シチリキホッキョキョ」は小学校の女の先生が授業中に言った言葉だという。団しん也が「うーそだあ〜」とつぶやくが、まったく同感してしまうくらい不思議な話。「たまりませーん」は、定食屋でタバコをオカズにご飯を食べていたおじさんが食後に言った言葉。こういうおじさん、いそうだけど何が「たまりませーん」だったんだろう? タバコを吸いながらご飯を食べてそんなに旨いのかなあ。タバコを吸わない私にはわからない世界。「わりいね、わりいね、ワリーネディートリッヒ」 電車の中で酔っ払いのおじさんが小便をもらしたときに言った「わりいね、わりいね」を貰って言っていたのに、あとから伊東四朗が「ワリーネ・ディトリッヒ」と付け加えたもの。この酔っ払いのおじさんの話が可笑しいのなんのって。

小松政夫の瞬間芸
        これまた数ある小松政夫の瞬間芸から、『象のひと声』、『ジェット・コースター』、『コンドルの着地』。コンドルの表情の芸が細かいこと! ポスター・シリーズから『中国のポスター』と『それを見ている人民』 フハハハハ! 可笑しい可笑しい! よくぞこんなことを考えたものだ。しかし、この可笑しさはとても文章に出来ないのだよ。

ネタ作り
        劇中で、久しぶりにふたりで演ろうということになり、時事ネタを作ろうとして考えているという設定のコーナー。新聞を見ながらネタを作っていく。「チャイナタウンの記事が出ているなあ。おっ、こんなのはどうだ? 中華料理屋に入った客が『鴨の切ったやつをくれないか?』と注文すると、『ありません』 『それじゃあ、フカヒレくれないか?』 『フカヒレもありません』 これぞ、可もなく不可もない」 「最近、鴨が庭先にやってきて、うちの中にまで入ってくる。これぞカモナ・マイ・ハウス」 駄洒落だけど可笑しい。

小松政夫ヒットメロディー
        小松政夫もずいぶんと歌を出している。その中から『小松の親分さん』 『タコフン音頭』 『しらけ鳥音頭』 『電線音頭』 『エライあんたのロックンロール』 うーん、急にCDが欲しくなってきちゃったなあ。

団しん也オン・ステージ
        もともと歌手なんだもの、歌が上手いのは当たり前。『シャドー・オブ・ユア・スマイル』をおふざけ無しにキチンと歌って拍手がくる。さすが、さすがの実力。ときどきジョークを入れながらのステージ。「今やパソコンの時代だなあ。猫も杓子もマウス、マウス。喫茶店の窓際でノートパソコンやっている人がいた。ウインドウズだ」 ルイ・アームストロングの『このすばらしき世界』をサッチモそっくりに歌ったかと思うと、途中で藤山一郎を交えてみせる。自由自在だね。

小松政夫の『淀川長治の部屋』
        小松政夫のものまねといったらこれ。団しん也がいろんな人物のものまねをで登場して小松政夫の淀川長春と会話をするというコーナー。丹波哲郎が「世の中にはありとあらゆるところに霊が存在する」と言うと、「ハワイへ行ったら、若い女の人が首にかけてくれた・・・」 「それはレイ」 「深いお辞儀・・・」 「それは礼」 「やあね、この人怒りっぽくって・・・」 「それはゲイ」 大橋巨泉、小泉純一郎、常田富士夫はバツグンだったけど、アグネス・チャンってどこが似てるんだあと思ったら、そのあとにオチがあった。ははあ、これがやりたかったんだ。

小松、団の瞬間芸
        『電車』 『新幹線のすれ違い』 『リフト』 『駐車券』 『猫の排便』 『見合い写真』 『ミニスカート』 『手品』 『オットセイと調教師』 『君はUFOを見たか(アメリカ、中国、アフリカ、フランス)』 『製材所(角材、杉の皮の付いた丸太、ベニア板、釘の刺さった古材、木っ端くず、永六輔、田中邦衛、加藤紘一)』 『タヒチアンショー/ファイアーダンス』 ウチアゲの余興芸として開発されたものらしいこれらの芸は、本当に可笑しいのだ。いわゆる密室芸といわれたもの。ここにタモリと坂田明と山下洋輔が加わったら、可笑しいだろうなあ。世の中にまだカラオケなんて野暮なものが無かった時代に、この人たちはつぎつぎとこういう珍妙な芸を作り上げていたのだ。これが見られただけでも、絶対に見に来た価値があった。

        劇としてもこのあとオチがついて、また『ショーほど素敵な商売はない』が流れてカーテンコール。いつまでも鳴り止まない拍手。そのたびに出てきて挨拶をするふたり。なんて贅沢な時間を過ごせたことだろう。ふと東京に、この劇のような、お笑い専門のライヴ・ハウスが出来たらいいだろうなあと思った。毎日毎日、2〜3組の落語や漫才やコントなどの芸人が日替わりで出演するライヴ・ハウス。協会や事務所のしがらみを廃して、グラスを傾けながらお笑いの芸を楽しむ。そんな夢のような空間が出来たら・・・。誰か作ってくれません?


April.14,2002 裏話トークの方が面白かったというのは・・・

4月7日 ラサール石井プロデュース・シリーズ『ハヒフ・フホ』
      第一弾『ハ・ハ・ハ』
      三人芝居『No.2』 (THEATER/TOPS))

        小倉久寛、山口良一、ラサール石井による三人芝居。題名の意味は何かと思ったら、それぞれ、三宅裕司スーパー・エキセントリック・シアターの第2の男小倉久寛、佐藤B作東京ヴォードビルショーの第2の男山口良一、渡辺正行コント赤信号の第2の男ラサール石井。この3人が集まって芝居をやったということらしい。

        話の方も、政治家の秘書をやっていた小倉、ヤクザの若頭山口、雑誌の編集者の石井という具合に、それぞれの道のNo.2という役どころ。『ハ・ハ・ハ』という副題が付いているし、このメンバーなら当然コメディと期待していたのだが、笑いの要素はあるものの、ほとんどがNo.2であることの悲哀という話に終始していた。笑いに行こうと身構えていた私は肩透かしをくった形。まさかこんなシリアスな話を見せられるとは思わなかった。

        3人が手を組んで、ある政治家のスキャンダル写真をネタに、大金を強請り取ろうという計画を話し合っているのが前半部分。これが途中で、山口の舎弟が敵対する組織のNo.2を撃ったという事件が起き、話が急展開する。

        席も後ろの方しか取れなかった上、私の位置からは前の人の頭が邪魔になって舞台がよく見えないという最悪の条件。しかもパイプ椅子で尻が痛い。それでも、芝居が面白ければ気にならないのだが、この1時間半は正直きつかった。

        この3人らしさが出たのは終演後の爆笑トーク。3人が出てきて、その日のミスなどを話し合うというスタイル。この日は小倉がセリフを2箇所すっ飛ばしたという。それでも繋がっていたから可笑しい。もっと凄かったのが、芝居の中で示談金1億を払わなければならないというところで、小倉が「親分がやらしたんだから、親分に払わせればいいじゃないか」と言うところを「社長がやったんだから、いや、親分が・・・」と言ったところ。なんで[社長]と言ってしまったのかという小倉の解説が可笑しい。開演前に石井光三社長に捕まってしまい、石井社長の芸歴をとうとうと聞かされ続けていたとのこと。「社長、社長」と言い続け、[社長]という言葉がインプットされ、ついうっかり出てしまったらしい。

        さらにはテレビ放映の収録日に、石井が小道具の携帯電話を楽屋に忘れて舞台に立ってしまうというハプニングがあったとの暴露話。夏に放映されるそうだから、その部分、編集で繋いでいるかどうか、ちょっと楽しみ。


April.13,2002 池袋四月革命の夜に

4月6日 池袋演芸場四月上席

        昼すぎまで迷っていた。この日これといって予定がない。寄席に行こうとは思っていたのだが、絞り込んでみると選択肢が三つ。新宿末広亭では真打昇進披露興行の真最中。この夜は新作派の林家彦いちのお披露目である。この日を逃すともう見られない。浅草木馬座では柳家権太楼、三遊亭白鳥、柳家三太楼、昔々亭桃太郎といった大好きな噺家さんたちが出ている。そして池袋演芸場では面白い試みが行われている。題して『池袋四月革命』。夜の部の仲入り後を、柳家三太楼、柳家喬太郎、林家たい平の若手人気真打で自由に使わそうという企画。二人しか集まらなかったら二人だけ。一人だったら一人だけで一時間半演らせようというのである。さあてどれに行こう。前日まで気持ちは新宿の彦いちの披露と決めていた。それがネットを見ているうちに気持ちが池袋に傾いていった。面白そうだ。喬太郎が気持ちよくぶっ壊れているらしい。よし、池袋に行こう。

        このところの池袋の入場パターン、昼の仲入り前に入るに添って二時三十五分、池袋演芸場のチケット売り場の前に立つ。場内を写し出したビテオには大田屋元九郎が三味線を弾いているのが見える。急いで階段を駆け下りる。「断ることはできねえんだ」と、ベンチャーズの『パイプライン』テケテケテケテケを弾いている。モギリを通って客席へ。ツーっと空いている席に座って最後の『禁じられた遊び』が挟まるじょんがらを聴いて、さあ中トリの柳家市馬だとメモ帖とシャープペンを取り出すと、後ろの席から肩を叩く人がいる。「何やってるの? それ」 振り返ってみれば、私がそもそもこのコーナーを始めるキッカケになった『新宿末広亭 春夏秋冬 定点観測』の著者長井好弘さんではないか。「何って、メモに決まってるでしょ。長井さんは書かないの?」 「ボクは、そんなの持ち歩きませんよ。チラシの裏なんかにちょこちょこっとメモする程度」 驚いた。毎週日曜日の読売新聞朝刊に連載している『寄席おもしろ帖』には、噺家の言った名セリフのようなものが、ほとんど一言一句違わず書かれている。それもハンバな長さではない。どうしてそんな記憶力があるの?

        動揺した気持ちを落ち着けて市馬の高座に集中しようとするも、メモを取る手が落ち着かない。なにしろ長井さんも自分のホームページでいずれ、この日のことを書かれるはず。困ったなあ、不正確なことを書いてあとから指摘されたらどうしよう。市馬の師匠人間国宝の小さんの話、彦六の逸話をしてから『ふだんの袴』へ。正直言って、私は市馬という噺家をそれほど買っていなかった。上手い。上手いけれども古典落語をキッチリと、そつ無く演る人としか思っていなかった。不思議と市馬は女性に人気があるようだ。なぜだ? その理由もわからなかった。それがどうだ、今回の『ふだんの袴』面白いのだ。大きくよく通る声、淀みのない流れるような口調。池袋演芸場の狭い客席に響き渡る市馬の噺にグイグイと引き込まれてしまった。上野の道具屋に入ったお侍、鶴の絵が描かれた掛け軸を夢中になって観ているうちに、キセルの雁首から火玉が袴に落ち、焦がしてしまう。店主が心配するとお侍、「心配いたすな、ふだんの袴だ」 それを見ていた毎度お馴染み、落語の真似してやろう男。「せっかく見ちゃたもんね。真似しなくちゃ」 大家さんに無理矢理に袴を借りて、道具屋へやってくる。タバコを吸おうとするが、うっかりタバコを切らしている。底の粉になってしまっているものと、袂ッ屑、それになぜか出てきた芋の皮を入れて一服。その描写の可笑しいこと! 市馬ってこんなに面白かったっけ!?

        市馬が終わると、さっそく仲入り。「長井さん、ずいぶん早くから来ているんですね。昼夜通しですか?」 「いや、夜は他に用があるの。今日は昼トリの志ん輔が目当て」 げげっ、なんともったいない。四方山話をしているうちに、すぐに後半が始まる。まったくこの人と、ゆっくり話をしている機会がなかなか無い。

        食いつきが橘家富蔵で『禁酒番屋』。こういうスカトロジーテーマの話って苦手なのだ。よくゲタゲタ笑っている人がいるが、ダメなんだよね、私は。ついつい引いてしまう。あとで長井さん曰く、「食いつきに『禁酒番屋』はないよね」 そう、仲入り後に出てくる人のことを食いつきというのは、仲入りで弁当を食べ残している人がまだ食べている最中。長井さんもあなご寿司とバッテラを慌てて食べていたっけ。

        古今亭志ん五は、これまた私の苦手な『錦の袈裟』なのだが、不思議とこの人のだけは好きなのだ。女郎買いに揃いのフンドシで行くという発想が、これまたシモネタに近くて嫌いで、そんなのの、どこが粋なのか私にはわからないのだが、志ん五の場合、与太郎が出てくると途端に噺に引き込まれてしまう。なぜに与太郎にこんなにしっかりしたおかみさんがいるのかわからないのだが、「いい大人が昼間っからバカなこと考えて」なんて言いながら、知恵を授けてくれる。やっぱり和尚さんに錦の袈裟を借りに行くところが一番可笑しい。おかみさんに教わった袈裟を貸して欲しいという理由をメチャメチャに言いたてて、自分でじれったくなって、「つべこべ言わずに早く貸せ!」 とにかくすごい与太郎さんなのだ。そういえばこの人、ポマードで髪をオールバックに撫で付けているのがトレードマーク。それが去年のことだった。明治座の千秋楽。出番を終えた志ん五師がひょっこり来店なさった。始めは気がつかなかったのだが、それもそのはず髪の油を落とし、サラサラヘアーだったからだ。公私でヘアスタイルを分けているのかなあ。

        和楽社中の太神楽。あれっ? 和助の五階茶碗の回り灯篭。糸でタテモノを回しているとき、右から左へ行く途中で、最後まで行かずに真中あたりで止めて顎に乗せちゃった。危なくなっちゃったのかな?

        昼トリの古今亭志ん輔は、志ん生の逸話を聞かせてくれた。人形町末広で志ん生独演会があったときのこと。息子の馬生、志ん朝が前に出た。ところがお父さんの志ん生が来ない。仕方ないのでまた志ん朝が出て、馬生が出て・・・やっぱり志ん生は来ない。息子ふたりが家に帰ってくるとおとうさんはいない。やがて志ん生が帰ってくる。「何やってたの?」とおかみさんが訊いても返事がない。息子たちと三人になって、「ひょっとして、おとうさん、向島のアレ?」 「・・・ああ」 それじゃあしょーがないと納得したという話。その理由がふるっている。「なんか知らないけど、今オレが行かないと、あの人が遠くへしまうような気がしたんだ」 志ん輔も言うように、「あの人、そんなキザなことを言うこともあったんだ」 この日のネタは『三枚起請』 年があけたら夫婦になろうという起請を女郎に貰った棟梁。ところが若旦那の猪さんも、経師屋の職人清さんも同じ女郎から起請を貰っていることが判明。三人揃って直談判に行く噺。バレて居直る女郎が手練手管に長けていて、一枚上。これで二十歳だというのだから、水商売とはいえ昔っから女は強い。実を言うと、私は志ん朝師匠の噺の中で一番好きだったのがこの『三枚起請』。したたかな女の様子を描くのがまさに名人芸の域に達していた。志ん輔の噺にも、ところどころ志ん朝の影響が垣間見え、懐かしい気持ちになった。この噺、志ん朝師に教わったのかもしれない。志ん朝が作りあげた噺を、若い噺家に財産として残してくれた。それが次々と受け継がれて行く。志ん朝師匠の死は、いまだに悲しくなる事柄だけれど、それでいいのではないか。そんな気持ちがする志ん輔の高座だった。

        そういえば四月上席の池袋。ちょうど一年前に、また定席通いを始めようとやってきたんだっけ。志ん朝師匠の夜の部十日間の主任。超満員の中で『お見立て』を見た。そのあと八月の浅草で軽妙な漫談と住吉踊りを見たのが最後。もしかして、志ん朝さんは私が寄席に帰ってくるのを待っていてくれたのかもしれないと勝手なことを考えてしまった。あれから一年。長かったような、短かったような。そんな日に、「定席に行きなさいよ」とメールで言ってくれた長井さんと寄席で逢うなんて、ちょっと運命的なものを感じてしまった。

        そんなこっちの思いを知ってか知らずか、夜の部に入る前に、また長井さんと雑談したのだが、早口でボンボンと話してくる。頭の回転が速い人だから、こっちが何かいうと、絶妙の突っ込みやら、ボケが返ってくる。およそ、あの文章とは印象が違うのが不思議。ほとんど漫才のようになってしまうこの会話は何? 落研だったんじゃないの、この人?

        前座は柳家さん市。「きっと十八番の『つる』だよ」と、長井さんは言うのだが、私は『道灌』かと思った出だしは、やっぱり『つる』に入っていった。頑張ってね。

        最近引越しをしたというマクラを振って、柳家喬之助は『引越の夢』へ。いまどき、住み込みで奉公するなんていう習慣はほとんど無くなってきたが、私の子供時代には、私の店でも数人の者が住み込みで働いていた。だから、『引越の夢』とか『寝床』とか『味噌倉』いった噺はよくわかる。新しく奉公に来たお梅さんに夜這いをかけようと、一生懸命モーションをかけている番頭さん。自分に任せれば「帳面をドカチャカドカチャカと」と何かといえば言ってから、「私は歳のせいか、ハバカリが近い。夜中に起きてしまうことが多いんだ。おまえさんの部屋に入ってしまうこともあるかも知れないがね、『きゃー』とか『あれー』なんて言っちゃだめだよ」 こんなこと思っているのは番頭さんだけじゃない。かくて夜中の台所は、同じことを考えている人たちで地獄絵図に陥ってしまう。品行方正で真面目そうな喬之助がこんな噺を演るのが面白い。

        昼の部で『禁酒番屋』 『錦の袈裟』とシモネタが続いて、今度は柳家さん光が『転失気』だ。小便、フンドシの次がオナラときた。ここで腹ごしらえと買ってきたサンドイッチを食べ始めた私は・・・しっかり食べました。ああ。

        長井さんがここで退場。夜、どんな用があるのか知らないけど、他に何の楽しみがあるっていうの? 今夜はここの池袋演芸場が一番楽しいところなのに! 三遊亭小円歌ねえさんは例によって三味線を持ってきても、最初の十分くらいは漫談。紙切りの正楽師匠のことを話し始めた。「あの人、見るからに胡散臭いでしょ。宇宙人みたいで」 ハハハハハ。「普通に歩いているだけで胡散臭いんだもの。それが国立演芸場に行こうと歩いていた。あのあたりは最高裁判所があったりして、そのとき限界体制。やっぱり職務質問ですよ。『バッグあけてください』と言われて、『ヤダ』で帰ってきちっゃた」 凄いなあ。私もオウム真理教事件の最中、公安からバッグを開けろと言われたことがある。その顛末は2000年7月10日の『蕎麦湯ぶれいく』に書いた。あのとき「ヤダ」と言ったら、どうなっていただろう? 小円歌ねえさん、まだ夏は早いというのに、「冬の間演らないでいると忘れちゃうの」と夏のだしもの『両国風景』 練習?

        柳家〆治のトラが春風亭正朝。「池袋は演りやすいんですよ。唯一自分の意思だけで来る人たちだけのところですからね。団体という美名に隠れた悪魔たちはいません」 それでもこの夜の池袋演芸場は満員。さすがに今回の企画らしく若い人が多い。ネタは『野ざらし』だ。この噺、毎日のように定席にかかっている。前半の隠居さんとの会話はさすがに飽きてきたけれど、後半に釣りに行くところからがなんといっても聴かせどころ。♪鐘がゴンと鳴ーりゃさー 上げー潮 南さ カラスがパッと出ーりゃ コリャサノサ・・・ 

        拍手の音がひときわ大きくなる。ここからは、若手の人気者がズラーッと並ぶことになる。まずは林家しん平が高座に上るのだ。「(今席は)常連さんが多いですね。名前知らないけど、見たことがあるお客さんばかり。楽屋でみんな演り憎いって言ってますよ」 そりゃあそうだろう。この番組表を見れば、コアなファンが行きたくなるメンツが並んでいるんだもの。「私もね、古典落語演るときがあるんですよ。それは、お客さんが十人以下のとき。なぜかと言うと傷つきたくないから。いつものダラダラした話が受けないと、下りてから泣き崩れそうになってしまう。古典なら自己の世界に陶酔できるんですよ。そういうときは、『ああ、オレも落語上手いな』って気になれる。だから私の古典聴きたい人は平日の昼が狙い目ですよー」 いつも漫談のようなものが多いしん平。聴いてみたいなあ、古典。そのまま自分の家は駄菓子屋だったという想い出を語る『駄菓子屋物語』へ。うらやましいなあ。自分ちが駄菓子屋だったらなあと小さいときにきは、いつも思っていた。

        柳家権太楼が節句の解説を始めた。五節句といって、五月五日端午、三月三日上巳(桃)以外に、一月七日人日(七草)、七月七日七夕、九月九日重陽(菊)を意味するんだそうな。勉強になったなあ。このマクラではきっと『人形買い』だろうと思ったら、やっぱりそうだった。二月にもやはりこの人の『人形買い』を見たのだが、マクラが面白すぎて印象が薄くなってしまった。今回はちゃんと聴いた。前半の人形を値切って買うところよりは、後半、その人形を店の者に運ばせるところの方が可笑しい。喋り好きの小僧さん、店の旦那と使用人の女性との濡れ場を訊かれもしないのにペラペラと、「あら、いやーん、そんなところから手を突っ込んじゃって、いやーん」

        ふたり合わせて百五十歳の長老コンビ、あしたひろし・順子の漫才。順子が、そもそものコンビ結成の裏話を語る。「隅田川のほとりで、この人から声かけられて、『漫才、一緒に演ろう。俺と演れば一流になれる』って、なれないじゃないの!」 ほんとかなあ。元は襖太郎という歌手だったというひろし。ほんとかなあ。『氷川きよしのズンドコ節』を歌ってみせるが、どうもリズムが違う。「ズンズンズンズンズンズンドコ―――って、釘打っているじゃないんだから」と、代わりに歌ってみせる順子も、ちょっとリズム違うんだけどなあ。そのあとは社交ダンスならぬシャコダンス。ふたりで相撲とってるみたいじゃないかー。可笑しいんだよね、この人たち。いつまでもお元気で。

        「大勢さまで・・・異常現象でしょうか? 楽屋でみんな言ってます」 こういう通好みの番組組んでくれりゃあ、みんな来るって! 三遊亭歌之介も飛ばす飛ばす。「ツジモトさん、『総理、ソーリ!』で売りだしまして、今度は秘書給与ピンハネで、『アイム・ソーリ』 マキコさんも秘書給与疑惑。ヒショは越後より軽井沢の方がいい」 そのままの乗りで「飛行機はダメ!」と、飛行機のうさんくささを語る後半に突入。あいかわらず、この人を知らない人には、その面白さが伝わらない迫力ある話術。是非聴いてもらいたい人のひとり。

        入船亭扇遊は『厩火事』。髪結いの亭主ってのは、洋の東西を問わずヒモ生活なのか? 亭主と喧嘩して仲人のところへ相談に行ってきた髪結いの女房。知恵をさずけられ戻ってみると、亭主はメシの支度をして待っている。ああ、うれしいと、さっそく亭主を試そうとする。ブンブンブンと皿回しの曲芸とござい。

        短い仲入りがあって、いよいよ本日のお楽しみ、三人の登場だ。幕が上がると、林家たい平がひとり。本来は前説のようにして三人が顔を揃えて、順番決めなどをやるらしいのだが、今、楽屋にはあとのふたりが入っていないとのこと。愛知県の長久手での独演会を終えて新幹線でかけつけてみれば、あとのふたりがいないという不安な心理状態が客席に伝わってきて可笑しい。「新幹線の中で缶チューハイ三杯やってしまいまして、とてもいい心持ちで出ています。とりあえず演ります。一席演って誰も来なかったら、着物を替えて同じ噺を演ります」と一旦引っ込んで、また出囃子に乗って登場。「待ってました!」の声に、「その掛け声、私があとのふたりに言いたい言葉です」 いつもの漫談もなく、すんなりと国営の擬似恋愛の場所であったと、吉原のことをマクラにして『幾代餅』に入ったのだが、あとのふたりのことを考えてか、なかなか本筋に入れず、一番前の客をいじりを始めた。「そうやってね、今プログラム見るんじゃないの。喬太郎が好きなの? 三太楼は出るのかなんて思ってるんじゃないですか?  それは私の方が気に病んでいるんです」

        やがてようやく落ちついたようで『幾代餅』に入っていった。吉原の花魁幾代太夫の錦絵に惚れてしまった奉公人の清蔵は患いついてしまう。理由を訊いた主人に、幾代太夫に惚れてしまったことを打ち明ける。「いくよ?・・・いくよだって!? そんな太ったのが好きなのか?」 幾代太夫ほどの花魁遊びをしようとしたら、奉公人の給金ではとても追いつかない。主人は一年間金を貯めろと諭す。さあ一年後、金をくださいと言う清蔵に主人は、幾代太夫のことは諦めと言う。「そんなら、そんな金、もうどうだっていいや! また患っちゃおう!」とふてくされる清蔵がいい。「そんなに逢いたいか。一年働いて稼いだ金。一晩で使っちまうなんてのは江戸っ子だ」と、吉原というと心ウキウキ患者というと頭が痛くなるという医者の先生に連れて行ってもらうことにする。「おい、先生を呼んで来い。ついでに誰か楽屋に入っているか見て来な!」 清蔵、期待に胸が一杯。「旦那さん、行ってまいります。おかみさん、行ってまいります。お店の皆様、行ってまいります」 「おいおい、学徒出陣じゃないんだから」 これから、いよいよ吉原へと舞台を移しての『幾代餅』の一席。たい平らしく明るくて、それでいてしっとりとした噺になった。このところ、ちょっと元気がないように見えたたい平だが、この日のたい平は良かった。

        果たしてあとのふたりは来るのだろうかと、こちらも不安になる中、柳家三太楼が出てきた。三太楼は浅草での会を終えて、「無事到着しました」 この日は『花見の仇討ち』だった。私はこの噺、あまり面白く聴いた記憶がない。自分の中では、つまらない噺という方の分類だったのである。それがこの三太楼のを聴いて、考えが変わった。やっぱり演者によって落語というものは変わってくる。生き物なのだ。花見の余興に巡礼兄弟の仇討ちという狂言芝居を計画した長屋の面々。「仲裁役の半公が入ったところで、今評判の幾代餅を仕込んでおいて、パーッと撒くってことにしよう」なんて思ったものの、当日、半ちゃんは入谷の叔父さんに拉致されてしまう。巡礼兄弟の方は本物のお侍とのトラブルに巻き込まれて、打ち合わせの場所になかなか来ない。割りをくったのが敵役のクマさん。キッカケとなるタバコを吸いつづけていなければならないというので、朝から吸いっぱなし。このもうタバコで気持ち悪くなって、これ以上吸いたくないといったクマさんの表情がバツグンなのだ。「早く来いよ〜 何してんだよ〜 いつまで待たせるんだよ〜 こっちはタバコ嫌いじゃないけれど 朝からおまんま食わねえで タバコばかり吸ってる」 もう泣きそうなクマさん、可哀想だあ。「来たー 駆出して来やがった。バカ! 何にもならねえじゃねえか! 何キョロキョロしてるんだ すり鉢山のてっぺんって、こっちだよ! 何で人に訊くんだ、バカ! 訊いてからそっちへ行くなよ、おーい!」 「仇が呼んでるよ。怒ってる、怒ってる。悪い悪い」 「悪いですむと思うか! いつまで待たせたと思うんだ。すっかり具合が悪くなっちまったじゃないか。早くしろ! ぶっ殺してやる」 この独り言を言うクマさんが絶品! クライマックスのドタバタチャンバラも可笑しいのなんのって。こんな『花見の仇討ち』は聴いたことがない。花見の時期だけでなく、いつでも聴きたいなあ、これなら。

        今、東府中。今、新宿を通過中と途中経過の入った柳家喬太郎が無事に到着。「府中の森芸術劇場の高座を終えやってきました。きょうは顔見せだけでございます」とスッと引っ込もうとする。喬太郎流のイタズラだ。百円ショップで土鍋を売っていたので、それを買ってその中にレトルトカレーを入れて火にかけると旨いという話。「ちょっと焦げたりして旨いんですよ」 ううん、旨そうだ。さっそくウチの鍋焼きうどん用の鍋で試してみよーっと。長井さんとの雑談の中で、客席を見回していると、噺家がマクラを終えてネタに入ったときに、誰が一番早くそのネタの演目を書き込むか、見ていると面白いという。そう、ちょっとイントロ当てみたいな楽しさがある。この日の喬太郎は「親ばかちゃんりん、蕎麦屋の風鈴」と夜鷹蕎麦の説明から、[当り屋]という屋台の蕎麦屋に客が入ってくるところだから、これは当然『時そば』と思うだろう。蕎麦を誉めて、「ほう、蒲鉾が二切れに、卵焼きが二切れ、それにクワイの・・・・・・・・・・なんとかしたやつ」フハハハハ、何だこれと思ったら、「落語ファンのみなさんね『時そば』じゃないよー。慣れなえんだよ、こういう噺。新作じゃないよ。古典なんだけどね」 ええっ! 『時そば』じゃないの? メモ用紙に『時そば』と書いたところに線を引く。

        この客、槍の道場の門弟。稽古の合間に蕎麦を食べに出てきたのだった。門弟が道場の先生にも蕎麦を持って行くと、蕎麦屋を呼びつけ、「わしは普段、蕎麦は好まんが、あれは旨かった」と言う。この先生、さすがは武道の達人。この蕎麦屋が只者ではないことを見ぬく。蕎麦屋が返事を「へい」ではなく「はい」と言ったと指摘する。「蕎麦屋、国はどこだ?」 「備前の岡山でございます」 「岡山か」 へいと言わなかったと指摘された蕎麦屋、「へいへいへい」 「へいは一回でいい。三回続けると、違うものになる」 重い噺の中に、こういう冗談を入れないと出来ないのが、これまた喬太郎。これをきっかけに蕎麦屋は、この道場に出入りするようになる。やがて先生に仕官の話が舞い込む。それは体のいい吉良上野介の用心棒。やけ酒を飲んでいる先生、蕎麦屋に愚痴をこぼす。そんな中で「この噺はネタ下しだ。トリで稽古を演るなんて百人(池袋の定員約百人)が可哀想だ」 ゲゲッ、これはネタ下しなのかあ。ノンシャランな顔して、土曜の夜で満員であろう池袋のトリで、こういうことを演るのが喬太郎の凄いところ。これは何と講談ネタ『義士銘々伝・夜鷹そば杉野十平次と杉田玄蕃』 まだ未完成といったところだが、ところどころぶっ壊れているところが喬太郎テイストで面白い。

        いい企画を組めば、自然と客は集まる。池袋四月革命。この調子で五月も六月も、革命を起こしていって欲しい。


April.6,2002 またもや東京ボーイズを見られなかった・・・シクシク

3月30日 新宿末広亭三月下席夜の部

        新宿スカラ座で『ブラック・ホーク・ダウン』という、戦場に放りこまれたような緊張感溢れる映画を見たあとに、ラーメンをすすって気持ちを落ち着けてから、末広亭の前に立つ。チケット売り場に貼り紙がある。[代演 鯉昇→蝠丸]。あちゃー、トリの鯉昇が休演で代バネかよー。一瞬どうしようかと思ったが、東京ボーイズも出ているからと、思いきって入ることにした。

        前座、橘ノ冨多葉。今月前座になったばかりの橘ノ円の弟子。これまた今月に出たばかりの『寄席演芸年鑑』を見ると1964年生まれとある。とすると・・・今年38歳? まだあまり噺を教えてもらっていないらしい。軽い小噺をやって下りたのだが、いや、上手いよ、この人。とても前座とは思えない。頑張ってね。

        「うちの師匠(鯉昇)、今、四十九歳。お見合いを八十回やった人なんです。それで四十三歳で結婚。それが八十回目のお見合いで決まったんじゃないんです。八十回ずーっと断られ続けてきた。それがそのあと恋愛結婚」 滝川鯉之助が、そんな裏話をしてくれてから『息子の結婚』に入る。三笑亭笑三がよくかけている噺で、おそらく笑三に習ったものと思われる。仕種などもそのまま。これからもっとオリジナリティを出していってもらいたいなあ。

        「今日が最後の花見日和。今日は四月下旬の陽気なんですって」 俗曲の春風亭美由紀もピンクの着物。今年の桜は咲くのが早過ぎる。これじゃあ入学式には完全に散っているなあ。『深川節』を歌ったあと、『さくらさくら』と『夜桜』。ちょっとした花見気分に浸らせてくれた。「俳句や短歌と違って、同じ七五調なのに都々逸って忘れられようとしているの。なぜかっていうと学校じゃ教えてくれないから。教えられないってこともあるけれど。それじゃあどこで教えてもらえるかっていうと、お座敷に遊びに行くと三味線弾けるおねーさんが教えてくれるの。そのおねーさんも、みんな骨になっちゃってるんですけどね」と、色っぽい都々逸をいくつか教えてくれた。学校の授業で都々逸教えてくれたら、もっと国語の成績が上がったんだろうけどなあ。

        桂歌助は新童話をポンポンとマクラで聴かせてくれた。中でも『鶴の恩返し』三パターンが可笑しい。「『私がハタを織っている間、決して見ちゃいけませんよ』と中に入ると、音がしない。開けてみると家財道具一切合財無くなっていた。ツルじゃなくてサギだった」 「中に入ると娘さんが倒れて死んでいた。ツルじゃなくてガンだった」 「娘さんと麻雀をした。そしたら娘さんのひとり負け。ツルじゃなくてカモだった」 こりゃあ『桃太郎』に入るのかと思ったらそのとおり。こまっしゃくれたガキに反対に『桃太郎』を教わるおとうさん。「大きなサツマイモが流れてくる噺もあるんだよ。おばあさんがその大きなサツマイモを蒸かして食べたら、おじいさんは山でシバを刈らずにクサかった」 この子供、噺家にした方がいいね。

        高座にパイプ椅子と、その前に簡単な台が置かれる。春風亭柳桜の登場だ。二月に池袋でこの人の高座を初めて見たときに、足を悪くしたのかと思ったのだが、この人、なんと両足とも義足だというのだ。ちょっとつっぱったような歩き方で出てくるものの、それほど不自然な感じがしなかったので、まさかそんなこととは思わなかった。「粗忽者に悪い者はいない。自分のやっていることを端から忘れてしまいますから」とマクラを振って、『粗忽長屋』に入った。上手い。この人の落語は文句のつけようがないのだ。軽妙で洒脱。椅子に座って話していることなど忘れてしまう。こうなると、いったい座布団に正座して話すことの意味は何なんだろうという気がしてくる。この人が出るならまた来たいという気にさせられるのだ。

        柳桜が下りても、パイプ椅子はそのまま。次は都家歌六のミュージカルソーだ。両足にノコギリを挟み、左手でノコギリの先をつかみ、右手に持ったバイオリンの弓で弾いていく。右足は貧乏ゆすりをしてビヴラートをかける。「ビヴラートってイタリア語。英語だとヴァイブレーション。フランス語だと・・・知りません」 『憧れのハワイ航路』 『埴生の宿』 『月光値千金』などを聴かせてくれたが、相変わらずバックに流れるカラオケテープのヴォリュームが大きくなったり小さくなったり。そろそろテープ、新調してくれないかなあ。

        パイプ椅子が片付けられたら、今度は釈台が置かれる。神田すみれの講談だ。「只今、女流講釈師二十八人。その中でも一番美人なのが私でございます」 おーい、女流講釈師って全員そんなキャチフレーズから始めてるぞー。この日は『お富与三郎』から玄治店の前の噺。お富と与三郎との出会いから、与三郎が血だるまにされて木更津の海に放りこまれてしまうまで。ううっ、凄惨な噺だなあ。

        三笑亭笑三は漫談だけ。「寄席に来たら、頭ん中カラッポ、腹の中カラッポ、ハートの中カラッポにしてくださいね。そうすると新鮮なものが入ってくる。お客さんね、買い物に来て、お金だけ払って品物置いていっちゃう人いないでしょ。笑えば笑うほどモトが取れる」と、盛んにアッピール。前のオバサン、コクコクと頭を縦に振っている。

        松旭斎八重子は桜の着物。今年は桜の開花が早かったので、もう花見の季節も終わってしまいそう。「明日からは別のものにします」だって。ロープの手品のネタ明かしをしてみせ、最前列の男の子、上手桟敷の女の子にロープをプレゼント。「上手になったら、また見せに来てね」

        「本当の美人というのは、最低でも三人の男を泣かさないと美人とは言えないそうで・・・(客席を見まわし)今日は男を泣かせた人が多い! 昨日なんか、三人の男に笑われたというような人ばかり」 桂歌春が絶妙なマクラから『短命』に入った。この三人の男に笑われたという女性がどんな人物なのかは、この噺を最後まで聴くとわかる。隠居から話を聞かされて帰ってきた八っつぁん。女房にご飯をよそってもらおうとすると、この女房がガラガラ声で面倒くさそうに、お櫃から茶碗にてんこもりにして「ほらっ!」と突きつける。でも箸をご飯の上に立てて渡すのだけは勘弁してくれー! ああ可笑しい。この話、八っあんのおかみさんが、凄ければ凄いほど可笑しいんだよね。

        橘ノ円が休演。トラは三遊亭栄馬。「橘ノ円師匠は、昨晩お亡くなりになりました。今日突然に本人から電話がありまして、代わりに行ってくれないかということで・・・代演ということになりました。ダイエン申し訳ありません」 栄馬が突っ走っている。酔っ払いがフラフラと歩いている。「なんだ、ポストじゃないか。真っ赤な顔しちゃって! お前も酒呑んだのか? 何をツマミにして呑んだんだあ? ハガキに手紙かあ? ハガキなんかで洟かんだら飛び出しちまうし、ケツ拭きゃ痛い」 凄い『代わり目』の出だしだなあ。クルマ屋とのやりとりも大騒動だ。家に上がれば、「またお酒呑んできたんですか?」とのおかみさんの問いに「股で酒が呑めるかあー!」 クルマ屋には、「クルマ屋! あしたも、あ・そ・ぼ!」 すんごい酔っ払いなの。まんまと家でも呑むようにおかみさんを騙すところで切ってしまったから、これは正確に言うと『代わり目』ではなく、『酔っ払い』かな? この噺、まだまだ演出の仕方が残っていたんだな。

        おやおや、この日一番のお目当てだった東京ボーイズが出ないで春風亭柳昇が出てきちゃった。東京ボーイズの楽屋入りが遅れているのかなと思ったら、なんとこの日彼らは休演。しかもトラも出ないで、東京ボーイズの分すっぽり一組無くなった形。あーあ、ついてないや。どうして私が東京ボーイズを見に行くと代演になっていることが多いのだろうか?

        柳昇は『里帰り』だった。嫁に行った娘が泣きながら帰ってくる。ひどい姑で、毎日いじめられてばかりいるというのである。娘の話を聞いた父親は、懸命に娘をなだめるが、ついには「そんなやつ、殺しちゃえ、やっちゃえ。幸い私の友人でトリカブトを栽培している人がいる」と、凄いことを言い出す。娘に毒薬を渡す父親。そして一年後・・・。これ、良く出来た噺だと思う。てっきり柳昇の新作かと思ったら、古典なんだそうな。この噺、演出いかんによっては絶対にもっともっと面白くなるはず。もっとみんな演ればいいのに。

        仲入り。伊勢丹の地下で買って来たサンドイッチを齧りながら後方の壁に貼ってある紙を眺める。翌日は三十一日で余一会。今回は三派連合新作サミットだ。行きたくてウズウズしてくるが、すでにロジャー・ウォーターズのライヴのチケットを買ってしまっているのだった。ロジャー・ウォーターズといえば、元ピンクフロイドのベーシストにして、ピンクフロイドのほとんどの曲を書いていた人。寄席で都々逸や懐メロを聴く以前に、私は60〜70年代ロックを浴びて育った世代だ。翌日のことを考えると血が騒いで仕方ない。新作落語も聴きたいけれど、ロジャー・ウォーターズはこれを逃すと、もう一生聴けないかもしれない。喬太郎や白鳥は、またいくらでも聴ける日があるんだ。

        春風亭柳好の出番のはずが、三遊亭とん馬が出てきた。「私は昼に出るはずだったんですが、出番を取り替えてくれとのことで・・・。きっと、ちょうどこの時間に、いい仕事があるらしいんです」と、私の嫌いな『錦の袈裟』へ。

        漫才の新山ひでや・やすこまで休演。トラが桧山うめ吉。三味線を弾きながら、『ストトン節』 『木更津甚句』 『おてもやん』 『長崎ぶらぶら節』 『春はうれしや』 『芝で生まれて』 立ちあがって踊り。『奴さん』 『あねさん』 どうしてこの人の芸は発表会のようになってしまうのだろう。でもいいか、カワイイから。

        いつも同じだと思っていた昔々亭桃太郎の、『桃太郎のニュース解説』 今まで聞いた事の無かったバージョンが入っていた。「加藤紘一・・・はっきりしない男でね。グズグスしている。いやな野郎です。ポチャとた顔してね・・・まっ、オレもそうだけどね。お尻に弾力性が無いんだ。ケツダンリョクがない」 「盆暮れに贈り物が二十箱も届いてね。部屋の中の八割くっちゃった。そのうち十箱がリンゴ。『近所の人に配りましょうか?』って女房が言うから、『近所の人に何か貰ったことあるか? 腐らせろ!』って言ってやった。こないだなんかピンポンの玉百個送ってきた! 食べられないし、腐らない。跳ねてばっかりいる。これが本当のタッキュウ便」

        ネタの方も、これが初めて聞く『お見合い中』。三十男が喫茶店でお見合いをする。相手は全身を真っ赤にコーディネイトした派手山さん。一方男の名前は地味川さん。この対比が笑いになっていく。派手山さんが訊く、「私は御茶ノ水女子大卒業です。あなたは?」 「早稲田」 「理工ですか?」 「いえ、バカです」 「スポーツは何をなさってますの?」 「ゲートボール」 「私はテニス。高級でしょ」 「あれは庭球じゃないんですか?」 くっだらないけど、可笑しいんだなあ、これが。

        このところ『パピプ』でヘンな歌を歌ってばかりいると思った三遊亭遊三は『長屋の花見』を演った。みんなで句会を開くところなんて長屋の連中にしては風流じゃないの。「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」 甚兵衛さんの気持ちが現れている。今年ももう花が散っちゃっているから、四月に入ったらもうかけられない噺になっちゃったかも。

        ボンボンブラザースの痩せている方の人は、堺正章の甥(?)だという話を聞いたことがあるが、この人の売りはコヨリを鼻の上に立てる芸。末広の高座は狭すぎるということもあるが、この日、ついには客席に下り、下手の桟敷席に上り、お客さんをかき分けて、ついには廊下へ出てしまう。さらには戻ってきてそのまま高座に上がったんだから、拍手喝采。ただ、翌日の三派連合新作サミットに出たときには、また同じことをやって戸のガラスを割ったとのこと。気をつけようね。末広、もうだいぶ老朽化してるもんね。

        代バネの柳家蝠丸が高座に上がったのは九時十分。持ち時間二十分。せっかくのトリなんだから、三十分はあげたかったところ。「夢ってあまり見ないんですが、悪夢っていやですね。高座で、こうやって喋っていると、お客さんがクスッとも笑わない。水を打ったみたいにシーンとしている。もっと恐ろしいのは、それが正夢になったとき」と『天狗裁き』に。いい気持ちで目が醒めると、女房が「どんな夢を見たの?」と聞きたがる。「夢なんて見てないよ」と言っても信じてもらえない。隣家の男、大家、奉行、そして天狗までが聞き出そうとするこの噺。男は本当に夢を見ていなかったのだろうが、そんなに聞きたがるなら、勝手に夢を創作しちゃえばいいのになあ。まっ、創作できる人が噺家さんのような人。私ら観客は、面白い話を聞きたがる女房や隣家の男や奉行や天狗なのかもしれない。いや、天狗は上手い噺を演った噺家の方かな?


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