September.30,2002 爆笑で突っ走った昇太の二席

9月28日 曳舟名人会・春風亭昇太 (曳舟文化センター)

        長年東京に住んでいても行った事が無い場所というのは多いもので、曳舟という土地も初めて。「曳舟? 曳舟ってどうやって行ったらいいんだ?」と、東京の鉄道路線図を見つめて気がついた。なあんだ、私の住む最寄の駅から乗り換え無しで、十分程度で着いてしまう所ではないか。京成曳舟駅で降りると、曳舟文化センターは、目の前にあった。

        客席数600程度のホールだが、満員にはならなかった。昇太ならもっと入ってもよさそうなのに・・・。定刻、恒例と言える春風亭昇太自らのマエセツから始まった。「このホールのネタ帖を見せてもらったら、小さん、志ん朝、そして志の輔・・・。志ん朝師匠のあとが志の輔ですよ。志の輔は私と同期。落語家に友達の少ない奴なんで友達になってあげました。彼は私のことを[昇ちゃん]、私は彼のことを[志のっち]という仲です。内海好江師匠がいる前で、『志のっち』って呼んでたら、好江師匠が『ちょっと待ちなさいあなた! 先輩に向ってなんて呼び方するの!』って怒られた。どうも納得がいかないので、あとで『実は同期なんです』と言ったら、『えっ!? あなたたち同期なの? ではあなたもっと頑張りなさい!』 どっちにしろ怒られた」 まあ芸風が違うんだから仕方ないんだけどね。昇太という噺家は、その振舞いが、いたずらっ子、やんちゃ坊主という感じがいつまでも抜けない雰囲気を持っている。そこが、妙に老成した感じの志の輔とは正反対なところだろう。

        最初は神田京子の講談だが、メクリには[開口一番]としか出ていない。それどころか高座に釈台すらない。「実は釈台を忘れてしまいまして」って、本当にそんなことってあるのかなあ。急に出演が決まったという感じだ。釈台が無いので床を叩きながら『カルメン』。張り扇の音が、「パン! パン!」ではなく「ドン!・・・ドン!」と鳴ってしまう上に、張り扇の着地点が低いので演りにくそう。替わりになるもの何か無かったのかなあ。

        昇太に形容させると、「野に咲く、立ち枯れたコスモス」だという春風亭柳好は、ヘラヘラとした自然体の噺家さん。つかみ所が無いその飄々とした感じが楽しい。「どういうわけか私、小さい子にバカにされるんですね。小学生が私を見て『似てる似てる』って言うんです。何に似ているのかと思ったら、『ちびまるこちゃん』のはまじ」。ああーっ! 似てる。似てるぞお! 「山を歩くのが好きなんです。それも高尾山みたいな低い山。ケーブルカーで登って、山の中をワンカップを呑みながら、ふらふら歩く。森の妖精になったみたい」って、わかるなあ。本当にこの人らしい。ネタの『唖の釣り』に入っても、この飄々とした感じが続いていく。与太郎も七兵衛さんも無理に作り込まない自然体のキャラクターになっている。いいなあ。この人の噺は角が立たない気持ちがいい世界がある。

        春風亭昇太の一席目。「うちの師匠(柳昇)、日本酒呑まないんですよ。いつも焼酎の水割り。しかも氷を入れない。なぜかというと冷たいと体に悪い―――って、なら呑まなければいいのにね」 「落語家にも酒を呑めない人がいます。歌丸師匠は一滴も呑めない。それでも日本酒のコマーシャルに出ています。なぜかと思うでしょ。あえてお酒を呑めない人を使うんだそうです。お酒を呑まない人はお酒で問題を起こさない。事故が起きない」 ははあ、なあるほど、といった反応が客席に起こる。

        こんなマクラから『宴会の花道』へ。今度の宴会はノンアルコールでいこうと相談がまとまった社内。それぞれが食べたいものを言って、揃えてもらう。「ナタデココ」 「焼き鳥」 「カニミソ」 「焼きそば」 「パイナップル」 「ボラの白子」 「ショートケーキ」とバラバラ。中には「鍋」なんて人もいる。「ひとりで食べたいの。鍋なんて好きな者同士で食べるからいいの。この会社で好きなやつ、ひとりもいないんだもの!」 おお、おお、何とも凄い会社ですこと! こうして始まったアルコール無しの宴会、実はこのあと大きな落とし穴があるのだが・・・。昇太らしい可笑しさに満ちた爆笑編だ。あまりの可笑しさにゲタゲタ笑ってしまった。下戸ばかりの人同士だってこんな光景にはならないだろうに。ふふふ。

        仲入りがあって、二席目は古典の『壷算』。以前から昇太の『壷算』を聴いてみたかったのだが、なかなかぶつからなかった。ようやくここでめぐり合えた。なるほど昇太らしい『壷算』になっている。特徴的なのは、おかみさんに言われて甕を買いに行く男だ。ちょっとぬけている男なので、買い物上手な兄ィについて行ってもらう噺だが、兄ィが「お前だったら、どうやって値切る?」と訊くと、「負けてくれよ」と言いながら相手に抱き着いて離れず、首をベロベロと舐めるという戦術。「これは使えるかも」と呟く兄ィ。瀬戸物屋に行って、何度頼んでも負けてくれないので、抱きつき首舐め戦術を実行。これが腹を抱えるほど可笑しい。「首を舐めたらダメー!」 悲鳴をあげる主人の可笑しいことったら! 「いろいろなお客さんのお相手をいたしましたが、こんな情熱的な方は初めてです」 こういう先制攻撃があっちゃあ、あとのだまくらかしも効いて来る。

        二席を終えて、最後の挨拶。「今はまだ、ドワーッと演るだけ。そのうち味はついてくるんだと思ってます。もっとも死ぬまでこのままだったら、それはそれで面白いんじゃないかと・・・」 昇太に枯れた芸なんて想像がつかない。このまま突っ走って行って欲しい。新作、古典、どちらも爆笑の二本が聴けて大満足。ウキウキした気持ちで会場を出た。


September.28,2002 マニアック池袋

9月23日 池袋演芸場九月下席昼の部

        池袋演芸場の下席は夜の部が特別興行になる関係で入れ替え無し。料金も二千円と、通常よりも安い。しかしあなどれないのが、その顔づけ。妙にマニアックな演者が並ぶ。というわけか、客席もどこか見た顔が並んでいる。ふいの客は少なく、圧倒的に濃い客が占めている。これは出て来る方も、それなりの覚悟が必要そうだ。

        前座は入船亭ゆう一で『元犬』。前座の序列(たて前座、太鼓番、楽屋番、高座がえし)の説明つき。頑張ってね。

        前日が大相撲の千秋楽。一年以上の休場で復帰してきた貴乃花の話題で盛り上がった今場所だった。そんな相撲の話題から始めたのが春風亭栄助。「貴乃花、二日目に旭天鵬に負けましたでしょ。普通、横綱が負ければ座布団が舞う。それが、座布団が舞わない。『やっぱりダメじゃん』と思ったんでしょうね。心配かけちゃう横綱なんて初めてでしょう」 相撲の珍しい決まり手についての漫談が始まる。「素首落し。相手の頭を上からグイッと下へ押して倒す。とっくり投げなんてのもあります。相手をとっくりに見たてて投げるなんて、情緒あるでしょ。後ろもたれなんて技もあるんですよ。クルッと後ろを向いて相手にもたれかけて倒す。これ、後ろもたれが得意なお相撲さん同士が闘ったら面白いでしょうね。軍配が返ると両者クルッとうしろ向きになって背中で押し合う。そのうち、後ろもたれすかしなんて決まり技が出来たりして」 相撲の噺に入るのかと思ったら、そのままスポーツの話題あれこれに発展し、漫談だけで下りてしまった。これから始まる寄席の最初で、お客さんの気持ちをほぐす、案外この位置で出て来る噺家さんの役割としては、こういう漫談が一番いいのかも知れない。

        「亭主が浮気をして、本妻が浮気の相手を刺すなんて事件がよくあるようで・・・。亭主を刺さないで、その相手を刺す。悪いのは亭主なんですけどね。女性というのは独占欲が強いんでしょうな。亭主だろうがハムスターだろうが同じ。どうかするとハムスター取られても、相手を刺したりして」 柳家燕路は『悋気の火の玉』。本妻と妾がお互いに相手を呪い、藁人形に釘をカツーン、カツーン。二人とも死んでしまう。「643のダブルプレー。旦那さんだけ残塁になっちゃった」 流れるような粋なテンポで話す燕路。気持ちいい噺家さんだ。

        「楽屋には新聞も置いてあります。もっとも師匠方、朝日、毎日、読売なんて三大新聞は読まない。日経なんて数字ばかり並んでいるのも読まない。もっとも週末になると、『一馬』とか『勝馬』なんて、これまた数字ばかり並んでいる新聞は夢中になって読んでいるんですけど」 入船亭扇治は『新聞記事』。新聞に天ぷら屋の竹さんが強盗に入られて殺されたという記事が出ていたという、実は落とし噺を聞かされた男が、他の人にやってやろうというこの噺。[腕におぼえがある]が[腕でオーボエが吹ける]になってしまったり、[生兵法はケガのもと]が[生ビールのあとは、強力わかもと]になってしまったり。このところ、こぶ平が得意にしているが、こうやって他の人で聴いても、それぞれの個性が出ていて面白い。「犯人はすぐ捕まった。天ぷら屋だけに縄で縛られて・・・」「SMクラブか?」 「いや、そうじゃない。天ぷら屋だけに起訴されて入った」 「ムネオハウス?」

        アサダ二世は、かのアダチ竜光のお弟子さんだった。寄席の奇術という、独特の話術で引きこむスタイルは、師匠ゆずり。百三十種類くらいある紐切りのトリックの一端をあざやかに披露する手さばきは、見事の一言。「手品を見破ろうとして見られちゃうと、拍手が来なくなっちゃうのね」 いやいや、鮮やかさに我を忘れてしまうんだろうね。

        二日前に国立演芸場で『明烏』を聴いたばかりの五明楼玉の輔だが、この日はお得意ともいえる『宗論』だった。今、若手がこぞって演っている『宗論』だが、玉の輔のはもう定番の域。どことなく悪意の覗くこの人の芸風に合っているようだ。円丈師のホームページを読んでいたら、玉の輔が『宗論』を演ったら、「キリスト教をバカにしている」と楽屋に抗議に来た人がいたというエピソードが書いてあった。確かに、あの『宗論』は怒るキリスト教徒がいるだろうなあ。なにせ悪意がチラチラと見え隠れしている玉の輔の芸風なんだもの。

        「たまに、客席でお休みになっている方がいらっしゃいます。いいんですよ、お金を払って入ってくださったんですから、ご自由に。ただ、イビキ、寝言、寝返りはご勘弁のほど・・・」と、入船亭扇遊は「どんな夢を見たんだい」と争いになる『天狗裁き』へ。眠りませんよお。三連休の昨夜はよく眠ったし。

        仲入り後のくいつきの三遊亭白鳥は出てきた途端に、「ねえ、ちょっときのうのこと聞いてくれます?」と、前日にこぶ平の代演で浅草演芸ホールへ上がった話が始まる。「浅草はいつでもお客さんがいっぱい入っている。きのうも立見ですよ。こぶ平師匠の代演で、小朝師匠が『(ボクが)何を演るんだろう』とピッタリとくっついている。次はこぶ平だっていうんで客席はヘンに盛り上がっている。お囃子さんは、おん年八十六歳の人。出囃子の『白鳥の湖』が、ほとんど『葬送行進曲』になっちゃってる。出ていったら、お客さんが全員下を向く。パンフレットを見ているんですね。『こぶ平じゃなーい』なんて子供の声が聞こえる。『でも、似てない?』 『同じように太ってるからいいか』 客が一気に引きますもんね。しょーがないから、『実はこぶ平の弟子の、でぶ平でーす』とやって、十分の持ち時間、三分で下りちゃった。そしたら小朝師匠、『うーん、まだまだだな』」。浅草のお客さんは、寄席に年中通っている人は少なく、ふいに入ったという感じの人が多い。白鳥に言わせると、某新聞社が招待券を撒いているようで、「お客さんの四分の三はタダ券」 そこへいくと池袋は本当に寄席が好きな常連さんが多い。

        動物のマクラをふって、『真景カッパねヶ淵・鶴の恩返し』へ。これは今年の三月十七日に同じここ池袋演芸場で聴いた。人間とほのぼのとした付き合いをしようと、カッパが『鶴の恩返し』を参考に、四十二歳にして独身男の炭焼きのゴンベイのところへやってくる。ゴンベイは中山美穂のファンだと知り、「この吹雪に迷った中山美穂でございます。一晩の宿をお願いしたいのですが」 「今は、九月だあ」 三月のときは叶美香だったなあ。まったく信用しないゴンベイに、「実は私は、あなたに助けられた鶴でございます」 そっと戸を開けるとクチバシと頭の皿が見える。「鶴に皿があるかあ!」 「丹頂鶴でーす」 「うそつけー!」 「開けろってんだ、このやろう!」 どこがほのぼのだか。

        新作をかけることが多い柳家喬太郎は、この日は何の前置きもなくスッと古典の『金明竹』へ入った。「どなたがいらっしゃったんだ?」と訊ねる主人に、店番の松公、「・・・着物着てえー・・・帯締めてえー・・・クチバシとー、頭に皿」 「そんな奴が来るわけないだろう。古典落語だぞ、しっかりしろ!」 本寸法な『金明竹』なれど、松公のふるまいが正に喬太郎ワールドの住人だ。

        落語ばかり続くこの日、アサダ二世以外は、色物はひざの大瀬ゆめじ・うたじの漫才だけ。白鳥と喬太郎が噺の中で、あまり世間には知られていない某噺家の話題をクスグリに入れていて大受けだったのを受けて、「池袋ってマニアックなお客さん多いですね」 そうなの、よく寄席でみかける人が多い、この日は特に。この人たちのネタは、不眠症か鰻かのどちらかにしか当らないのだが、噂に聞く季節限定のサンマと戻りがつおのネタを演ってくれた。ウンチクが楽しいのは鰻ネタと同じ。

        トリは入船亭扇辰の代バネで柳家三太楼の『三方一両損』。「オレの懐が嫌だって出てった薄情な銭だ。そんなのいらねえや!」と啖呵を切る江戸っ子の論理が可笑しいやねえ、この噺。落ちていた財布を届けに来た男と、落とした男、さらにそのふたりの男のそれぞれの大家。この四人の描き分けがキチンとされていて気持ちがいい。先日の『小言幸兵衛』といい、大家の描き方がまだ三十代だというのに実に堂々としている。たまげた才能だ。これから歳を重ねていくうちに、さらにどうなっていくか楽しみ。マニアックな客は、きっとついて行くよ、三太楼さん。


September.23,2002 不思議な世界

9月21日 志の輔らくご21世紀は21日 (安田生命ホール)

        『花形演芸会』の国立演芸場から新宿へ移動。いくつかの買い物を済ませ、コーヒー・ショップで小説を読んで暇潰し。本の中で主人公がホットドッグを食べるシーンにぶつかり、無性にホットドッグが食べたくなる。ホットドッグとコーヒーをもう一杯追加。これが夕食となる。どうも小説を読んでいると、登場人物と同じものが食べたくなる。悪い癖だ。

        早めに会場入りしたら、この会恒例のロビー・ゲストがパフォーマンスをやっていた。ダメじゃん小出というストリート・パフォーマンスで、ジャグリングがメインらしいのだが、話術が達者でその世界に引き込まれてしまい、座り込んで見てしまった。ジャグリングもいろいろと工夫が凝らされていて面白い。この人、要チェックだなと思いながら客席へ。

        いつものように前座は立川志の吉。『粗忽の釘』。頑張ってね。

        立川志の輔一席目は、先日の小泉首相北朝鮮訪問にかけてか、七年前に北朝鮮四泊五日30万円のツアーに参加した思い出話がマクラになる。北朝鮮へ行きたいと思いビザの申請を出した経験が、その前に二回ほどあったそうで、そのときには許可が下りなかったという。思想的背景や職業で引っかかるわけないと思っていたので、落語家という職業をどう説明したのか訊いてみると、[見て来たことを面白く喋る人]、「これじゃあ、許可が下りるわけない」。名古屋空港から飛行機に乗ってピョンヤン空港へ。手荷物検査、夜中の真っ暗な農道をひた走るバス、翌朝から始まる観光、マスゲームの見事さと不思議さ。ガイドのテイさんとの約束で、落語の小噺をホテルの従業員の前で演ることになる。「日本語で私が演ったのが、この人たちにわかりますかねえ」 「大丈夫、私、あとから通訳して話して聞かせます」 「どんな小噺がいですかねえ。『ねえさん、粋だねえ』 『私しゃ、帰りだよ』なんてのどうです?」 「それだと意味が違ってきます」 そこで演ったのが、「山田! 学校になんでエンピツを忘れて来た! これは戦場にピストルを忘れて来たようなものだぞ! 戦場でピストルを忘れた奴を見たら、どんな奴だと思う!?」 「はい、大将だと思います」 これを通訳してもらうと大笑いが起き、拍手がきた。「これ、韓国の小噺なんですけど・・・」と打ち明けると、また拍手が。

        不思議な国の不思議な体験噺が、小三治顔負けに四十分ほど続いた。「これから、どういうネタに入ろうか、このマクラにくっつく落語って何だろうか考えたんですが・・・」と、人間、信じること、信じ込んでしまう事の可笑しさとていうことから、『後生鰻』へ。殺生はいけないと信じている信心深い隠居、鰻屋の前を通りかかると、今、まさに鰻を蒲焼にしようと、鰻を裂こうとしている最中。殺生はいけないと二円で引き取り、川の中へザッブーンと帰してやる。翌日また通りかかると、鰻屋の主人の「いらっしゃーい」の声。「なんだその、明るい声は!」 今度はスッポンを料理しようとしているところ。「お客さんの注文で、スッポンの生き血を飲みたいとのことで」 「バカー! なんてことをする。お前の血を取れー!」 オチが残酷だと言われもするこの噺だが、志の輔のように明るく演ると、ひとつも残酷ではない。ばかばかしい落語の世界が広がる。

        恒例、松元ヒロのNHKニュースに合わせた、当てぶりジェスチャー。[遺体]には頬を押さえて、歯が[痛い]。[国交]には、ニワトリのマネ。[会談]には幽霊の格好。アナウンサーが噛むと、コケてみせて大忙しだ。

        「サマージャンボ宝くじ。連番で何組も買ったという話をアメリカ人とすると、相手は不思議がる。『なんでそんなに買うんですか?』 『いや、確率が高くなるでしょ』 『どうしてですか?』 『いや、十枚買うよりも二十枚買った方が、それだけ当る可能性があるということでしょ』 『どうしてですか?』」 これが日本人とアメリカ人の考え方の違いだと志の輔は説明する。アメリカ人は運というものは向こうからやってくるという考え。だから、当るときは一枚だけ買ったって当る。当らないときは何枚買っても当らない。そういう考えらしい。運とはそういうものと思ってみると、日本人は[なぜあがくのか]というテーマが見えてくる。

        こうして二席目は『宿屋の富』。一文無しスレスレの男が宿屋に泊まる。自分は大金持ちで使用人が二万五千人。身の回りの世話をする者だけでも七百人。左手の係、右手の係などが全ていて、自分は何もする必要がない。家は広大で玄関から屋敷まで行くのに三日かかる。途中で宿場が二つある・・・と大法螺を吹く。すっかり信じ込んでしまう宿の亭主。「あのオヤジも、どうゆう奴なんだろう。二万五千人の使用人とか、宿場町・・・あるわけないだろう」 これも一席目の『後生鰻』と同じで、現実に鰻を金を払って逃がしてやったり、そんな大法螺を信じる奴はいないと思うのだが、これが落語世界の面白さ。これを明るく演ると、不思議でもなんでもなくなってくる。不思議不思議の北朝鮮も、落語的観点からみると不思議でもなんでもないのだろうか? いや、現実がそうであっては困るのだが・・・。


September.22,2002 アンジャッシュさえ出ていれば!・・・だが・・・

9月21日 第280回花形演芸会 (国立演芸場)

        まったくこんな不思議な客席は、ちょっと無い。明かにライヴ系のお笑いタレント目当ての若い女性がいると思えば、講談や浪曲を聴きたくてやってきているお年寄もいる。かと思うと、結構熱心な落語好きも来ている。そして私みたいな、なんでもいいから面白ければいいなんてのもいる(?)。ところが、よっぽどの人気者が入っていないと客席は埋まらない。今回も空席が目立つ。私はアンジャッシュさえ入っていれば買いだったのだが、他の顔づけも文句無し。ましてや1400円という入場料は、この顔づけでは信じられないくらい安い。

        前座が金原亭駒丸で『鮑のし』。頑張ってね。

        お化けの季節は終わり、講談もいよいよ年末に向って『忠臣蔵』の季節へ。神田阿久鯉は『赤穂義士外伝・天野屋利兵衛 ー石江茶入れー』。天野屋利兵衛は赤穂の義士に武器調達などをしたという、どうやら架空の人物らしい。赤穂家の宝物、石江(せっこう)の茶入れを盗んだとあらぬ疑いをかけられても、「私がやりました」と侍を庇うというのは、なんとも古風な男であったことよ。私などには理解の他という気がするが、まあこれも『忠臣蔵』を背景の物語では美談になってしまうということか。う〜ん。

        三遊亭遊馬の『蛙茶番』などは、客席の反応が様々。素人芝居の舞台番にされた建具屋の半さん。役者として出たかったのに舞台番なんてやってられるかと不貞腐れてしまう。一計を案じた旦那、半さんの惚れているミイちゃんが半さんの舞台番姿が見たいと言っていたとウソをつく。ミイちゃんに目立ちたいとの一心で、半さん、緋縮緬の赤フンドシで舞台袖に立つことにする。「セガレさんの還暦のお祝いですか?」なんて皮肉もなんのその、舞台が始まるというのに銭湯へ。「早く来ないと、ミイちゃん帰っちゃうよー!」の声に慌てて風呂を飛び出して舞台へ向うものの、肝心のフンドシを締めるのを忘れてしまう。舞台の袖で得意になって尻をはしょると・・・今なら猥褻物陳列罪。熟年のオバサンは声をあげて笑っている。一方、ライヴ系お笑いタレント目当ての若い女性は、うつむきぎみで恥ずかしそうに笑っている。

        女流講談、艶笑噺ときて、次がライヴ系お笑いタレントユリオカ超特Qの漫談。「高速道路のサービスエリアにある公衆便所。男子トイレにオバサンは平気で入ってくる。それも笑いながら『やあー、恥ずかしい恥ずかしい』って! 恥ずかしいのはこっち。逆に男性が女子トイレ入ったら犯罪ですよ」 ここでも客席のオバサンには大受け。若い女性はクスクス。不思議な名前遊びが始まる。「周富徳・・・贅沢な名前ですね。金持ちそうですよね。富も徳も持っている。こんな名前、殿様キングス以来」 どっと受ける客席。「ああ、ここでは受けるんだ。いつもは、もう殿様キングスを知らない子が多い」 こういう客席いいなあ。「ショートピースってタバコ・・・縁起悪いですね。短い平和ですよ。ロングピースならわかるけど」 「サンデー毎日・・・おかしくありません? 勤労意欲がない。そのくせ火曜発売」

        林家たい平は『あくび指南』。四季のあくびのうち夏のあくびを習う噺だが、秋のあくびと冬のあくびもあるというのを今回初めて知った。「掘り炬燵に入ってジッとしている。炬燵の上にはむきかけのミカン。(ミカンをつまらなそうに食べる。やがてウトウト)。コタツから猫が出てきて背伸びをして大あくび。それにつられて、ふっふっふわーっ」 この噺、夏のものだから春から夏にかけることが多いが、秋ヴァージョン、冬ヴァージョンも作って演るようにしたらいいのにぃ。

        仲入り後のくいつきが、東京で演るのは初めてという大阪の浪曲師幸(こう)いってん。ほらあ、こういう珍しい芸を聴くチャンスはなかなか無いんだから、見に来なくちゃあ。浪曲にはあまり接していないが、幸いってんの浪曲は、大阪らしくどことなく河内音頭の調子が入っているような気がするのだが、気のせいかな。『雷電と小野川遺恨相撲』だ。「♪あうんの呼吸がぴったり合ったあ はっけよいやと軍配かえった 土俵の真中で両力士が火花を散らしてがっぷり組んだところで ちょーど時間となりまーしたー」 おいおい。う〜ん、このテンポのいい名調子、もっと聴きたいぞおー。

        お目当てのアンジャッシュのコントは『告白』。児嶋が恋の告白をしようと思っている。そこへ呼ばれてきたのが渡部。実は児嶋が好きなのは男の渡部。好きな人に告白をしようと思っているらしいと察した渡部が児嶋にアドバイスしてやろうと思うが、まさか児嶋が好きなのが男である自分とは思ってもみない・・・。こういうチグハグ、勘違い、といったネタを演らせたら、この人たちに敵うコンビはいないのではないか。すでに見たことがあるネタなのに何回見ても飽きない。おそらくこの人たちは、こういったチグハグな可笑しさという設定を構成するコツのようなものを掴んだのだろう。渡部のよく通る声、児嶋の演技力(とくに困った表情を見せる演技)、そして細部まで計算された緻密な台本。おそらく持ち時間は十分くらいあるはずなのだが、五分ほどで終わってしまう。おそらくそれ以上は演れない性質のコントなのだろう。それでも満足度は、今のコント界にあってピカ一だ。私はこの五分のためだけに演芸場に足を運んでも悔いはない。

        いつも寄席で、同じツカミから入って、軽い噺を演って下りてしまう五明楼玉の輔だが、トリを取るとなると本寸法な落語をキッチリと演るのだからあなどれない。「昔、吉原というところがあったそうで・・・、男に生まれて女性が嫌いという人はいませんよ・・・中には前の人(アンジャッシュ)のコントみたいに男同士が好きなんて人もいますが・・・。演りにくいですよね、ああいうの演られると」となぜか同性愛の話にズレていってしまったが、やがて『明烏』に入った。この人、どうしてどうして上手い人なのだ。真面目一方でウブな若旦那、町内の遊び人、茶屋の女将といった人物の演じ分けがしっかりしている、どうどうとした『明烏』だった。

        トリの玉の輔が始まる前、アンジャッシュが終わった時点で帰ってしまった若い女性がいたが、是非最後までいて欲しかった。アンジャッシュは私も絶賛だが、『明烏』の世界も知って欲しい。日本にはいろんな芸がある。私もまだまだ勉強だ。


September.21,2002 実話と創作の二本立て

9月16日 起死回生の会 (お江戸日本橋亭)

        直前まで、行こうか止めようか迷ってしまっていた会。立川談四楼が『はんちく同盟』に書いていたアルコール依存症神田愛山、ビュルガー病春風亭柳桜のふたり会の二回目。『はんちく同盟』に関しては今年の3月に『アームチェア』にも書いた。まさか本当にこんな会が催されるとは思ってもみなかった。それぞれ講談と落語を一席ずつと、闘病記が語られる。この日は雨。自室で迷いに迷った末、「よし、行こう!」と決意。闘病のことを聞くのは辛いかもしれないが、思いきって聴いてみようという気になった。傘さして我が家から一番近い寄席、お江戸日本橋亭へ。

        前座が神田春陽。吉岡道場の創始者、吉岡拳法の噺。頑張ってね。

        講談が、もう一本。神田阿久鯉の、前田利家の噺。只今、NHKの大河ドラマで取り上げられている利家の半生を読む趣向だが、どうもあんまり利家にも大河ドラマにも興味のない私には、ちょっと眠くなってしまった。

        いよいよ病気の話が始まる。ふたりとも、前回の『発病編』に続いて『闘病編』だ。まずは神田愛山。「酒を止めて十八年。治らないんですよ、アル中って。一旦アル中になると、断酒するしかない。一杯でも呑んだら、元の木阿弥」 孤独な闘いになる。そうなると友達が欲しくなる。ただ、愛山にとっては五体満足な人とは友達になれないという。愛山にとっての真の友達とは、原因不明の難病で、自分との葛藤があり、かつ自分をさらけ出せる人でなければならないそうだ。今年七月、入谷の地域寄席で柳桜と愛山が久しぶりに会った。愛山が「病気どう?」と声をかけると、ニコニコ笑いながら左手を見せてくれた。薬指の第二関節より上がない。笑いながら媚びを見せてくるということは、自分自身を受け入れていることだと思った愛山は、「一緒に会をやろう」と提案。「じゃあ、やろう」とまとまった会だという。「私はネタとしてやってきたことですが、柳桜さんは一回目、とてもきつかったそうです。そうでしょう。消してしまいたい記憶と対峙するんですから」

        こうして愛山の『アルコール依存症(二)闘病編』になった。十九歳で呑み始め、二十五、六で気がついて三十一歳で止めた。以来、十八年の禁酒生活を続けている。一回目の『発病編』を聴いていないので、どんなことをやったのかわからないが、相当に荒れた生活だったのだろう。昭和五十九年七月十一日、弟弟子の神田山裕が運転するクルマで、故郷の静岡へ強制送還される。アルコール依存症の治療は精神病院に行くことになる。ここで毎日飲まされるのがシアナマイドという薬。これを飲んでいると、アルコールが体内に入った場合にひどい目にあう。いわば二日酔いの元を作る薬だ。酒を呑もうにも苦しくて飲めなくなるというわけ。

        断酒会に通い出す。全国五万人の組織。夜の7時から9時、いわば酒飲みのゴールデンタイムに開かれる会。回りはおじさんばっかり。アルコール依存症は普通は五十代半ばで発症する場合が多いので、どうしてもそのくらいの年代の人が多い。その中で三十一歳の愛山は、やっぱり異色。断酒会とは、自分の体験談だけを語る場所。とても恥ずかしいことを話している。そんな中で、「『どうも人前で喋るのは苦手です』とは言えない家業」な彼は、幻覚症状を見たという高校教師の言葉に、自分と同じだと感じることになる。

        いったい、いつになったら講談の世界へ復帰できるのだろう。そのXディがわからない。三ヶ月も酒を止めていたら戻れると思っていたのに、いつになっても許しが出ない。「兄弟子が、(愛山の)復帰を許してくれるなと言っている」というハガキを貰う。さらには、弟弟子の山裕が真打昇進するという知らせが届く。「あの、私を拉致して強制送還した弟弟子の山裕がですよ! 内蔵が爛れてくるような怒りを感じました」 「そのとき、オレをこんな目にあわせた先輩たちに復讐してやろうと思った。そうだ、酒を止めることだ! 酒を止めることが復讐につながる」 昭和六十年の終わり、師匠から「どうだ、じゃあ戻ってくるか」と許しが出る。十三ヶ月の謹慎がこうして終わる。結城昌治が好きで、彼の小説を講談にしたいと思っていた愛山は、久しぶりに結城昌治に電話をする。「別人かと思った。ずいぶん明るい声になったね」。立川談四楼からは、「敵ばかりじゃないぞ、仲間もいる」と言われる。こうして復帰が叶った愛山は、アル中とはなんぞやという、独自の『アル中論』を考えるようになるのだが、その続きは次回、十月へ続く。

        単なる酒好きと、アルコール依存症の境はどこにあるのだろう。私もアルコールは嫌いじゃない。いや、積極的に好きな部類に入る。このままアルコール依存症に入っていってしまうのだろうか。いや、もうすでにアルコール依存症=アル中になっているのかもしれない。はたして自分に、愛山のようにアルコールを断つという勇気があるのか、そんな意思力があるのか。誰でもが陥りやすいこの病気のことを思い、人事ではないと愛山の噺に聞き入ってしまった。

         アルコール依存症はよく知られているが、ビュルガー病ともなると、その名前も知らなかった。インターネットで検索してみたら、閉塞性血管炎となっていた。春風亭柳桜によると、末梢欠陥循環不全と言っていたが、ようするに血液がうまく循環せずに、やがては末端から壊死していってしまうという難病だ。現在柳桜はこのために両足を膝から下で切断。義足で高座を務めているが、ちゃんと歩いているから、パイプ椅子に座って何の説明もないままに落語が始まってしまうと、気にならなくなってしまう。その病気を知っただけで引いてしまいがちだが、「前回は、よく笑う人が三人ほどいまして、演りやすかった。気がついたら四十五分も喋っていました。今回もよろしく笑ってください」と『ビュルガー病(二)闘病編』が始まったのだが、これは笑いどころに困った。噺家さんだから面白おかしく語ってくれるのだが、内容が内容だけに、笑っていいのかどうか自分の中で葛藤が生じてしまう。

        平成二年、ブチッという音が聞こえたと同時に、足の裏に痛みが走る。右足の小指の血管が切れた音だった。やがて足の裏の腐っている部分が五百円くらいの大きさにまでなる。「芸人、売れないと腐ってくると言いますが、まさか体が腐ってくるとは思わなかった」 痛くて夜も眠れなくなる。

        脊髄に麻酔を流すと痛みが止まり、また血液の循環にもよいと聞き入院。一回麻酔を打つと三時間は痛みを感じなくなる。一日四回の麻酔で、十二時間は楽なのだが、あとの十二時間はあいかわらず痛みが襲ってくる。やがて麻酔に体が慣れてきて効かなくなってきてしまう。一日四回だったものが、六回、八回と増えていく。ついには麻酔が効いている時間は三十分。次の麻酔まで、あとの二時間半は、次の麻酔までじっと耐えて、ひたすら待つ。「麻薬患者と同じですよ」

        四ヶ月後、症状はなかなかよくならない。「なんとかならないでしょうか?」と医者に話すと、「切るしかないでしょう」と言われる。平成三年の一月まで入院後、別の病院へ移り、右足小指の付け根から切断する。二週間後に退院。さらに十日後に抜糸。そのさらに十日後だった。天気のいい日で衣替えをしようと、段ボールを持って階段を上り下りしていた最中に、またブチッと音がして、縫ったところが裂けてしまう。

        具合が悪くなると、ウチで邪魔にされるようになる。自分の家に異物がいるとみなされてしまう。これを柳桜はカフカの『変身』を持ち出して説明する。

        あるとき、奥さんが「あなた、頑張るわねえ」と言う。「もう死にたいけれど、死ぬわけにはいかないだろう?」 「どうして?」 「子供のためさ」 その瞬間、奥さんは泣き出してしまう。「じゃあ、私はどうなるのよ!」 亭主が患って腐っていくのを一番心配してくれたのは奥さんだった。ひとりでアルバイト、家事、子供の面倒、そして亭主の看病と四役をこなしていた。「うそでもいいから、『お前のためだよ』となぜ言えなかったのか。みなさんも、こういうときは絶対に『お前のためだよ』と言ってあげてください」

        最初は柳桜の噺に無理にでも笑おうと思っていた。しかし、聴いているうちに、これは無理に笑うこともないのではないかと思えてきた。恐ろしい病気だというのに、務めて暗くならないように明るく語る柳桜。私はこの話にもぐいぐいと引き込まれてしまった。

        仲入り後は、普通の落語と講談になる。「どうも身の上話をしていると、懺悔室にいるみたいで・・・」と柳桜は、アル中だった愛山を意識してかしないでか、酒の噺『居酒屋』を出した。『居酒屋』といえば、三代目金馬「あんこうのようなもの〜」が有名だが、柳桜のには、この部分が無かった。それでも闘病話とはガラッと変わった爆笑編。上(じょう)の酒だという酒を口に含んで、への字顔。「甘口、辛口てのはあるが、酸っぱ口なんて初めてだ。何て酒だ? えっ、清酒O157?」 確か金馬は、あんこうの隣にいる番頭を指差して、「番頭(あんこう)鍋をもってこい」とオチをつけていたと思ったが、柳桜はもうひと押しある型。「番頭鍋、一人前持って来い」 「一人前は無理なんです。うちの番頭さん半人前なんです」 なあるほどおー。こっちの方が自然でいい。

        「寄席というところは明るく楽しく健康的なものを演るところなんです。それをこの会は、みなさんをどん底に突き落とそうと・・・。明日はわが身ですよ」 うーん、愛山の体験したアル中は、確かに明日はわが身かもなあ。愛山が尊敬するという結城昌治の小説『斬に処す』から連続講談『甲州遊侠伝』の四回目。とかく講談では次郎長を主人公にしたがるが、敵役として描かれてしまった黒駒の勝三の視点から語った一席。勝三が旅に出て戻ってきたところで、いよいよ島送りになってた吃安の脱獄が・・・というところで読み切り。うーん、これからが面白そうなにぃー! うう、続きが聞きたいぞう! ということは、来月もまた、このふたり会に行かなくちゃならないということで、うん、都合がついたら是非行くことにしよう。



September.16,2002 夜の顔役・・・いい顔になってきた三太楼

9月15日 池袋演芸場九月中席夜の部

        三連休の中日。昨夜の疲れもあるのだが、行くぞ! いざ池袋へ。池袋九月中席の夜の部は柳家三太楼がトリをとる。題して『夜の顔役』

        前座は柳家さん太で『金明竹』。カツゼツよく、元気のある『金明竹』だ。頑張ってね。

        「ペットブームですね。中には爬虫類飼ってる人がいる。ワニ飼ってる人がいましてね。ワニっていっても、そんなに大きくない。水槽で飼っているというんで覗いてみたけれど見当たらない。よく見たら隅の方で輪に(ワニ)なっていた」 柳家太助のこのマクラを聴いて思い出した。私はV6というグループの歌う『WAになって踊ろう』が流れてくると、どうしてもたくさんの人間がワニになって踊っているところを想像してしまうのだよ。というわけで、ネタは『動物園』。虎の着ぐるみを着て動物園の檻の中に入った男、「こんなに人がいるよ。いつもの池袋とは大違いだよ」とノソノソ。

        すず風にゃん子金魚の漫才。「女がもてるコツ教えましょうか? それはフェロモンを出すこと」とにゃん子。「納豆定食、ショーガ焼き、カレーライス・・・」 「それはタベモノ! フェロモン。女が男を引きつけるために出すものよ」 「お金?」 ほう、新ネタかな・・・と思ったら途中からまた、ハッピー不動産に入り、その前半だけ演って下りた。ふーん、新展開?

        「筆記用具をお持ちの方、番組表の私の名前の横に、『なかなかいい男』だとか、『きょう一番良かった』とか書いておいてください。あるいは『お前の頭を見るとタマちゃんを思い出す』とか・・・」 頭の毛の薄い三遊亭吉窓、この人のマクラは脱力的なダジャレをかますことが特徴。今回は何を言い出すのかと思っていたら、「もう何ヶ月も経つと、タマちゃんの話題は古くなっちゃうと楽屋で話していたら、『いや、アザラシイ(新しい)話だ』」 これだから油断できないの、この人(笑)。ネタは『都々逸親子』。都々逸を作り合う親子という、ぶっ飛んだ噺だが前半は英語のテキストを読んでくれという息子に、英語の不得意な父親がデタラメを教えるというところがある。ここは自由に変えられるから面白い。「ハロー、ハロー、レディース・アンド・ジェントルメン。トーキョー・ディズニーランド、トーキョー・ディズニーシー。ユニバーサル・スタジオ、コノナツ、カンキャクドウイン、フシン」 立ち上がって踊り『かんちろりん』。「これは舞扇(まいおおぎ)と言います。誰の扇? マイオオギ」 もう、吉窓さんたらー!

        柳家さん光は『長短』。『長短』といえば、どうしても小さんを思い出すが、最近の人は気の長い長さんを小さんほどのんびりと喋らせない傾向にあるようだ。さん光の長さんも割と早く喋る。その分、短七さんの短気の度合いを強くしてバランスをとっているようだ。短い持ち時間に演らなければならないときなど、小さんみたいにノンビリ演っているわけにもいかないということなのだろうか? ジリジリイライラしている短七さんの様子が可笑しい。

        「小泉総理が北朝鮮へ行くそうで・・・。あそこは、なかなか話ができません。どのくらいできないかというと、女子高生なみ。なぜ女子校生なみかというと・・・援助しなければ交際しない」 粋曲の柳家紫文は、いつもの[長谷川平蔵市中見回り日記]だ。「火付け盗賊改め方の長谷川平蔵が、いつもの両国橋のたもとを歩いていますと、一日の商いを終えたであろう飛脚が、足早に平蔵の脇を通りぬけた。向かいから水商売らしき一人の女。このふたりが両国橋の上ですれ違うそのとき、飛脚の体が前のめりに崩れ落ちる。『もし、飛脚さん、ケガはなくて? 佐川さん、クロネコさん・・・、大手の方じゃないでしょ?』 『おお、あかぼう(あたぼう)よ!』」 もうー、紫文さんたらー。立ちあがって踊り『かっぽれ』。紫文のは、始めから終いまで、左足一本だけで立って踊る体力技! 2コーラスきっちり踊っちゃったよ!

        「前座時代を一緒に過ごした仲間に白鳥(元新潟)という奴がいまして、赤貧洗うがごとしと申しますが、サイフの中に五百円以上入ってたことがないというくらいの貧乏。赤飯を貰ったことがあった。半分食べてテーブルの上に置いておいた。翌朝見たら、パリパリになっている。この赤飯をカップやきそばの容器に入れてお湯を注ぎ、流しにお湯をあけた。ところが手が滑って赤飯が流しにベチャ。この流しが髪の毛やら歯磨きが落ちていて汚い。そこで落ちた赤飯を洗って食べた。赤飯洗うがごとし」 入船亭扇治は、流し→流す、というマクラから『質屋庫』へ持っていった。強引!(笑) 質屋の庫にお化けが出るというので、番頭と大工の熊さんが確かめに行く。どうやら質に入れた持ち主の執着が[質物の気]になって出ているらしい。ドスーン、バターンと大きな音がするので主人が行ってみると相撲が始まっている。「かたや旭国〜、こなた曙〜」 「旭国というと大島親方。これは大島紬だな。曙は・・・カニカン?」 昔々亭桃太郎のニュース解説じゃないけど、曙の缶詰は庫でカンヅメになっていたのね。

        三遊亭萬窓の『紙入れ』は、出だしの、新吉が間男をしているところをキッチリと演っていた。この得意先の旦那の女房、ぞくぞくするほど色っぽい。ちょっと引きがちな新吉を強引に家に引っ張り込み、「隣の部屋に(夜具を)用意してあるから、そこで待っていておくれ」と、鏡台の前で寝化粧をするあたりは実にリアル。長襦袢一枚で部屋に入ってきたところで亭主のお帰りだ。慌てる新吉を落ちつかせて逃がすあたりもナミな女じゃない。手練手管を使って新吉を落としたんだろうと思われる、したたかな女というのが、この部分をキッチリ演ることによってオチに納得感を与えるのだろう。客席に子供衆がいないときは、ぜひともこの最初の部分を残して欲しいのだ。別にエロチックなところを聴きたいというのではなくて、この噺の肝心な部分だと思うからだ。

        和楽社中の太神楽は、いつもどうり。安定した曲芸がつづく。傘の曲芸、五階茶碗、ナイフの交換どり。もう見なれちゃったお客さんでタバコを手放せない人は、ロビーに出て一服やっているようだ。初めての人は目を皿にして、息を飲んで見ている。

        春風亭一朝は『転宅』。お妾さんの家に忍び込んだ泥棒が残り物の御馳走をムシャムシャ食べる出だしが可笑しい。「ムシャムシャ。うっ、うめえ。ムシャムシャ、うめえものばかりじゃねえか。ムシャムシャ」って、ねえねえ泥棒さん、どんな御馳走食べてるの? 「口おごってんな。ムシャムシャ。どれから手つけていいかわかんない」 だから、どんなもの食べてるのー? すごく気になるところだが、本当に夢中になって食べているときは、そんなものだろうね。お妾さんに見つかって、「お前さん、どこから来たの?」と言われても、口の中は御馳走で一杯。夢中で飲みこんで、「静かにしろ!!」と言っても迫力ないやね。

        仲入り後のくいつきは、私がこのところすっかり気に入ってしまっている橘家文左衛門。この人のなんとも乱暴者のキャラクターが、落語をこうも活性化できるものなのかと感心してしまっているのである。この夜の『のめる』の「つまらねえ」が口癖の男のキャラクターが、恐ろしく乱暴者になっていて、噺が弾んでいく感じだ。[醤油樽にタクアン大根百本つまるか?]のひっかけに失敗して、逆に一円取られてしまう。今度は詰め将棋。絶対につまない詰め将棋をやらせて、「詰まろうかねえ?」で「つまらねえ」を引き出させようという寸法。詰め将棋をやっているフリをしているところに、くだんの男がやってくる。無視して将棋板を見つめていると、「何スネてんの? 一円くらい、いいじゃないよ。何シカトしてんの!」 将棋には目のない男だ、当然割り込んでくる。「アタマに金はれ! ・・・自分の頭に貼ってどうするんだよ! お前、そんな奴だった?」 「あああ! 違うな。戻せ戻せ・・・お前の口の中に手を突っ込んでどうするの?」 最後はジレて、「ちょっとオレに貸せ! バカなんだから。バカは将棋やっちゃダメ!」 オリを見て「つまろうかねえ?」に思わず「つまらねえ」 びっくりした男「誰から教わったの、この将棋。谷川さん? えー!? 谷川さんから教わったの! あのひと近頃負けてばっかりいるけどね」 文左衛門のこの勢いは当分止まりそうにない。今、要注目のひとりだ。

        柳家権太楼は『ちりとてちん』。世辞、愛嬌いっぱいの金さんを演らせると、この人の芸風で、金さんは右に思いっきり傾きながら満面の笑み。鯛のお刺身をどうぞと薦められると、「きれいな魚ですね。これ、なんで出来ているんですかねえ」 「だから鯛の刺身ですよ」 一方、何にでもケチをつけないといられない六さんが、腐った豆腐に唐辛子をかけたものを食わされる場面でも、体を大きく使って表現する。なんとか飲み込んで「うわっ、うわっ、うわっ、うわ―――っ!」と頭を叩き、体を硬直させるところでは大爆笑が沸く。歳をとっても爆笑体力派のサービスには頭が下がる。省エネ演技ということをしないのだ、この人は。

        紙切りの林家正楽が出てきて一礼した瞬間に、注文のつもりだろう、「相合傘!」と声がかかる。これはいつも正楽が注文の前に切る定番。「『相合傘』という御注文をいただきましたので、きょう一枚目は『相合傘』」 知っているお客さんから笑いがもれる。この切り慣れたものを、どのくらいの時間で切るものだろうと時計を見ていたら、なんと三十秒かからない。それでいてあの精密な作品が仕上がるのだから! 「鈴虫!」の注文。お囃子さんも ♪あれ松虫が鳴いている〜 「鈴虫。小さな虫でございます。始めに言っておきますが、絶対に見えません」と見せてくれたのは、秋の庭で鈴虫が鳴いているのを母娘で見ている風景。「このあいだ、鈴虫を切ったあと、キリギリスという注文がありましたが・・・おんなじです」 「十五夜!」 ♪うーさぎうさぎ なにみて跳ねる〜。お囃子さんも頑張っておりまーす。

        トリの柳家三太楼は、師匠の権太楼に小言を言われたエピソードをマクラに持ってきた。「前座のころ、末広亭の高座返しをやっていたときにウチの師匠から電話がかかってきた。どうも小言を言われているらしいのだが、何を言っているのかわからない。そうこうしているうちに、高座返しをしなくちゃいけなくなった。一旦、電話を置いて行けばいいのに、思わず切っちゃった。三十秒後にまた電話。『あのな、小言言われている方で電話切るな! ガチャン!』」 「夜中に小言聞かされるときがある。こちらはひたすら『申し訳ありません』。小言って三十分言ってると疲れるんですね。『なんとか言ってみろ!』。そこで休むんですね。それで、一度『それでは、お言葉を返すようですが・・・』とやったら、この一言でまた二時間」 ネタはやはり『小言幸兵衛』へ。髪を染めるのを止めてごま塩の短髪頭になった三太楼が、大家さんらしい風格になってきた。出だしの、長屋を回って小言を言ってまわるところところなどは、実に堂に入ってきたよう。この人の静かな性格を見ていると、この人が怒ったりしているところが想像がつかないのだが、いずれ弟子が出来たとしたら、この人でも小言を言いまくるのだろうか?


September.15,2002 ネタおろしの緊張

9月14日 アイとラクゴ (日暮里サニーホール)

        ホテルの中にある、おそらくは室内楽を演奏するために造られたホール。古今亭駿菊、五街道喜助、五街道佐助の三人が定期的にネタおろしをする会の三回目。

        ひとり一席ずつかと思ったら、三人のうちのひとりが前座がわりに出て、まずは手馴れた噺を一席演るということらしい。まず現れたのは、五街道佐助。この夜は佐助さんが二席演る番らしい。まだ暖まっていない会場な手探りなよう。「能の秘伝書というのがありまして、それによると、その日のお客様の様子によって、演り方を変えろとある。お客さまが重いときには押して演り、軽いときには引いて演れというようなことが書いてある。落語を演るときも、この門外不出だという能の秘伝書と同じことがいえますね。もっとも、門外不出が古本屋で百六十円で売っていた・・・」

        よくかけているのだろう『時そば』を快調に演っていく。『時そば』は、前半の金をごまかす客の部分がフリで、やっぱり面白いのは後半のマネをしようという男の部分。この男を与太郎にしてしまう型と、普通の男する型があるようだが、佐助のは普通の男の型。こちらの方が落ちつきがあり、一文ごまかしたというのが、すっとわかるのでテンポが出る。与太郎だと笑いが取り易いだろうが、ちょっとくどくなる。最初の男が入った屋台の蕎麦屋の屋号が[当り屋]。二番目の男の入った蕎麦屋の屋号を[外れ屋]とする型があるが、あれは好きになれない。そんな屋号を付ける蕎麦屋があるわけないもの。佐助のは、「猫がトグロ巻いてるのか? ああ、虎!? 虎屋かあ。これからガラッポンとやって、みんなトラれちゃう」 こっちの方が自然だね。江戸っ子は気が短い。なかなか出てこない蕎麦に、「何か手伝おうかあ」 ううう、耳が痛い。

        三人の中では唯一の真打だというのに、まずは古今亭駿菊から。「この会は三人それぞれのの思惑(おもわく)というものがある会でございます。私は二ツ目のときにできなかった毛色の違う噺を増やそうということ。喜助は二ツ目の上の方でボヤボヤしていると真打にされてしまうという位置。今のうちに、いろいろと恥をかいておこうといういうこと。佐助は、いかに自分が男前に見えるか気にしているといった具合」

        ネタおろしは『抜け雀』。きっちり演ってはいるのだが、やはりまだネタおろし段階。もう少し練る必要がありそうだった。オチに繋がる最初の駕籠かきのフリを、もう少し丁寧にふっておかないと、初めて聴く人には唐突なオチになりかねない。まだ筋を追っていくのに夢中で、登場人物の描き方が不充分のような気がした。特に核になる旅の絵描きは、もう少し落ちついていた方がいいのではないか。全体に噺を急ぎすぎた傾向があり、最後の盛り上がりに欠けてしまった。小田原宿の亭主がときどき江戸弁まじりというのも、ちょっとひっかかるのだが・・・。

        佐助のネタおろしは『景清』。「♪明いた目でみて 気を揉むよりも いっそ盲がましであろう」と歌いながら出てくる定さん。これだけで、にわかに目が見えなくなってしまって、性格が皮肉れてしまった主人公の様子が出ている。落語好きには、先代の桂文楽の名演がどうしても浮かんでしまう噺だ。この噺の見所は、やはり心から信心に徹しられない人間の業だろう。赤坂の日朝様に三七、二十一日の願をかけても目は開かず、やけになっている指物師の定さんに、そっと諭す旦那。「上野清水の観音様に二十一日とはいわず、百日。百日でだめなら二百日。二百日でだめなら三百日拝んでごらん」 百日目のお賽銭を入れて熱心に拝む定さん。それでも目が開かないとわかるとキレてしまって観音様に毒づく定さん。その様子が、まだネタおろし段階だというのによく描けている。これは期待できそうだぞ。

        五街道喜助は『らくだ』。あとで本人に確かめたところによると、前半を少し刈ったとのこと。長屋の月番、大家、八百屋に漬物の桶を借りに行く部分が、要領よく刈り込んであって好感を持った。あそこは面白いのだが、ややくどくなると私も思っていた。カンカンノウは踊らずに、くず屋さんが歌うのみだったが、これは古今亭の型だそうだ。前半を刈りこんだ分、喜助は途中で終えてしまう最近の傾向にそむいて、最後の火葬場の場面まで持っていった。くず屋が酔っ払ってしまってクダを巻き始め、らくだの兄貴と立場が逆転してしまうという部分は、「臭いでしょ」とのこと。ここも少し刈り込んでみたと言う。そうしないと、火葬場へ死体を運んでのドタバタが浮いてしまう。うーん、なるほど。ただひとつ、喜助さんに注文。くず屋さんが酒を呑むところでの、茶碗の酒の残量がはっきりしない。ほとんど飲み干すくらいに茶碗を傾けたあと、次に呑むときにはまた結構呑む仕種が何回かあって気になって仕方なかった。まだそんなに茶碗に残ってたの? という感じ。これでこの噺はしばらく寝かすと言っていたが、もう少し演ってみてからでどうだろうか。

        ハネてから、駿菊さん、喜助さん、佐助さんと近くの居酒屋へ。喜助さんはホッとした表情。「きょうは『らくだ』をおろすというので、昨日は眠れなかったんです。食べ物も食べられなかった。演っている最中に吐きそうで」 ふーん、噺家さんのネタおろしって、そんなに緊張を強いられるものなのかあ。ビールを旨そうに呑むお三方と一緒に、芸談、楽屋裏話、果ては音楽好きの駿菊さんや喜助さんと、ジャズやロックやブルースのことにまで話が及び、気がつくと終電間際。芸談及び楽屋裏話は、酒の席ということもあって、その内容はオフレコの部分も多いようなので、私の胸の中に仕舞っておこう。


会場でもらったミニ色紙。


September.14,2002 木・チャンラン

9月8日 柳家小三治独演会 (かめありリリオホール)

        亀有に早めに到着してしまい、喫茶店でコーヒーと桃のタルトをいただきながら本を読んでいたら、ついつい夢中になってしまった。ハッと気がついたら、もう開演時間ギリギリ。慌てて会場へ飛び込んむ。

        まずは、柳家三之助の『黄金の大黒』。最近、小三治の独演会に行くと開口一番は、いつもこの人。客席が暖まったところで小三治の出番に繋がる。

        さあて、お楽しみ、柳家小三治のマクラが始まる。この夏は暑かったという話題からクーラーというものがいけないという話になる。「外に出ると暑い、中に入るとつべたい。この出たり入ったりしてるのがいけない。往復びんたの上に押し潰されたみたいな実感。こういうホールみたいに、全体が冷えるというのはいいんです。冷たい風に一方的に曝されるというのがよくないんです」と、なぜか話がエチオピアのアジスアベバへ行った話になる。「アジスアベバは海抜2500m。だからといって赤道直下ですから、そんなに寒くない。夜は冷え込みます。昼間は暑い。ライオンなんか木陰で寝そべっている。ネコと同じです。あいつら、何もしやがらねえ。ホテルの庭でコーヒー飲んでいたら直射日光がガンガン当る。短パンはいていたら太股がジリジリと焼けるようだ。ところが腿の反対側は熱くない。空気が薄くて輻射熱が回らないんですな。仕方ないから、ときどき向きを変える。サンマ焼いてるのと同じだよ!」

        「そのアジスアベバのホテルにプールがあって、看板に日本語が書いてある。『日本人は泳がないでください』。人種差別か?と思いましたが、違うんです。海抜2500m。空気が薄いから、すぐ苦しくなる。西洋人は苦しければ、すぐ止める。ところが日本人は頑張っちゃうんですね。何人か死んだ。それで看板出したらしいんですね」

        「アジスアベバもそうですけどね、横浜も気をつけた方がいいよ」と、今度は横浜で体験した接触事故の話へ。小三治師が横浜をクルマで走っていたら、前方の路肩に停まっていたクルマの右のドアが突然開いた。ブレーキをかけたが間に合わず、小三治師のクルマの左ドアミラーと、相手のドアが接触。ミラーは粉々にヒビが入ってしまった。出てきたのは日本語が不自由な外国人。「ドウニカナリマシタカ?」 ミラーが壊れたことを言うと、「『アア、ソウデスカ。ボクノクルマハナンデモナイヨ』 お前のクルマはどうでもいいの!」 免許書を見せてもらったら、ポルトガル国籍の中国人。「中国人の人口は世界の五分の一を占めているというけれど、それどころじゃないね、中国人、はびこってますよ」 お巡りさん呼んで事故証明書を書いてもらうことにする。相手の名前を書いてもらったら、中国人なのにローマ字で書いてある。「『漢字わかる?』 『中国人だよ!!』 そりゃそうだよ。本場だもん。このローマ字にカナがふってある。それが、ひらがなとカタカナがごっちゃ。ホなんて字は木にしか見えない。で、この人の名前が、ホ・チャンラン。ふざけた名前だなあ。新潟から出てきて噺家がいるでしょ。『チャラーン』なんて言ってる」 「私はどうしてこういう事にぶつかるんでしょうか、行く先々で!」 そのおかげで、こちらはいつも楽しいマクラが聴けるというわけだが、ほーんと、いろいろな事件にぶつかる人ですね。まあ、話術で面白くしているんだろうけどね。

        二十分ほどのマクラのあとは『金明竹』。小言ばかり言ってる店の主人の気持ちもわかるが、しょーもない松ちゃん(与太郎で演る場合が多い)の気持ちもわかる。「小言の国から、小言を広めに来た人っていうのかな、ああいうの。朝から晩まで小言ばっかり。ひとつの小言を何だろうなあと思っていると、次の小言が攻めてくる」 このとぼけ具合が妙に可笑しい。大阪弁の使いの者が来て、さっぱり言葉がわからない。奥から女将さんが出てくるが、この女将さんにも大阪弁は「???」。旦那が帰ってきて問い質すと、「どちらから来た人だい?」 「あちらから」 「どんな人?」 「着物着て、帯締めて・・・」 これは松ちゃんが出だしで言ったセリフと同じ。「バカが移ったんじゃないか?」 この女将さんの、なんともとぼけた様子も可笑しい。このオタオタ具合が小三治ならではなのだ。

        この女将さんのとぼけた味わいは、二席目の『厩火事』の髪結いの女房にも通じる。亭主のことを愚痴る女房が仲人さんのところに行くと、孔子の厩火事の話をしてくれる。「昔、唐土(もろこし)に孔子という方がいた」 「上の名は松本ですね。松本コウシロウの弟子で、松本コウシ」 こういう先飲み込みの女将さんだから、話がややこしくなるんだよね。

        この日は夜にも大田区で独演会があるらしく、小三治にしてはマクラも短かったし、選んだ二席も短めの噺。といっても、他の人が演るよりも長くなっちゃうんだけどね、この人。


September.8,2002 KOTEZ&YANCYのファンにはちょっと辛かった

9月7日 『新版・四谷怪談 左目の恋』 (築地ブディストホール)

        この芝居を見たいと思ったのは、ただKOTEZ&YANCYが生演奏で出るからという一点に尽きた。ブルースとジャズの融合みたいなジャンルを演るハーモニカとキーボードの異色デュオ。この人たちの演奏が聴けて、『四谷怪談』が見られるなら儲けものと思うではないか。

        ほぼ開場時間に入り客席で本を読んでいると、やけに客電が暗くなり字が読みづらくなる。気がつくと、それまで流れていたKOTEZ&YANCYのテープに替わって、本人たちが舞台の後方のセットの裏手で生演奏を始めていた。『On The Sunnyside Of The Street』 『明日に架ける橋』 聴きなれた彼らの演奏を聴いているうちに、一週間の疲れが出てきたのだろうか、猛烈な睡魔が襲ってきた。開演前だというのにスーッと眠りの中へ。

        はっと気がつくと芝居は始まっていた。それにしても舞台が暗い。この暗い照明はほとんど最後まで暗いまま。役者の顔もよく見えない。役者の衣装は和服でもなく洋服でもないという不思議な衣服である。カツラも無しのその役者さんの現代的なヘアスタイル。造り付けの舞台は抽象的なデザインで、どんな場面でも表現できるという具合。

        お岩さんは、もともとから顔が醜いという設定。それを若くてきれいな女優さんが演じる。もちろん醜いメイク無し。だから伊右衛門が醜いお岩を貰ってやったんだというのがピンと来ない。宅悦、直助権兵衛、お袖、茂七、四谷左門、お梅、伊藤喜兵衛といった『四谷怪談』のお馴染みのキャラクターが出てくるのだが、台詞回しなどは現代的に聞こえて来る。

        それにしても舞台が暗い。最初の30分くらいは睡魔に襲われっぱなしで、途切れ途切れにしか記憶がない。それでも一応、おおまかな筋は原作どおりだからわからなくなるというほどではない。ただ、ところどころが変えてあり、序盤では『真景累ヶ渕』が絡んできたりする。あちらも目が関係する話だからおかしくはないのだが、あれは円朝の作だろう。

        もともと鶴屋南北の『四谷怪談』は複雑な話で、お岩が生まれる前の話からあるようなのだが、こちらの『新版・四谷怪談』は、さらに複雑。因果関係が最後になると続々と出くる。実は誰が誰の親だとか、子供だとか、兄弟だとかが判明してきて、もうドロドロ。しまいには、どうでも良くなってきてしまった。勝手に演っていてくださいという、うんざりした感じ。良かったのは、原作には無いであろう地獄太夫という女郎のキャラクター。このキャラクターあってか、全体が上手くまとまった。

        私の興味はKOTEZ&YANCYの音楽が、はたして『四谷怪談』に合うのかというところ。彼らの音楽は実に洗練された、現代的な都会の音楽。それが『四谷怪談』と、どう、ぶつかるのか。残念ながら私にはこのコラボレーションはピンと来なかった。殺陣の場面で『アメイジンググレース』を流されてもなあ。女郎屋の場面で『Fever』はわからないこともないんだけど、これ、かなり悲惨な場面なんだよねえ。

        後半、筋が複雑になるにつれて、もう話がどうでもよくなっちゃって、KOTEZ&YANCYの音だけ聴いていた感じだったが、これだったらライヴ・ハウスへ行った方が良かったかなあ。


September.7,2002 待ってました! 三代目!

9月1日 北陽改メ三代目神田山陽真打昇進襲名披露興行 (池袋演芸場)

        山陽の披露目も、新宿、浅草と見逃して、ここ池袋へ。満員が予想されるので昼席の終わりあたりから入る。高座では春風亭鯉昇がマクラを終えて『粗忽の釘』に入るところ。隣の家との壁に長い瓦釘を打ち込んでしまった粗忽者、隣の家に謝りに行く。気を落ちつけないからしくじるんだと、相手の家に上がり込んでから、タバコをぷかーりぷかり。これには、隣の主の方が驚いてしまう。「灰皿持ってきて! 早く持ってきて! こういう人は平気でタタミで消すんだから。あるだけ持ってきて! この人の回りに敷きつめて! ・・・どうぞご自由にお使いください」 やだねえ喫煙者は。それにしても短い『粗忽の釘』だった。この粗忽者、タバコ吸っただけで、例のノロケ話も無し。十分くらいで終了。・・・?

        「♪この袖で ぶってやりたい もし届くなら 今宵のふたりにゃ 邪魔な月」 ようよう! 「終わったよ−! ぼさっとしてないで拍手すんの!」 う〜ん、いつもの玉川スミねえさんの客へのツッコミだ。これさえなければいいんだけどねえ。「都々逸はね、人様が作ったものを歌うだけじゃないのよ! お座敷なんかで即席に作ったものを歌ったものなの! 俳句が作れるんだから、都々逸作るのは簡単! ♪今年の今夜は あなたに抱かれ ・・・来年はどうなっているか訊いてごらんなさい・・・ たぶんあなたの骨を抱く」 「今年の夏は、多摩川のアザラシ騒動。『たまちゃーん』だって。あたしが呼ばれているみたいだよ!」 タマちゃーん! いつまでもお達者でぇー!

        橘ノ円は、そんなスミさんの後に出てきた。昼の部のトリになる。「スミさん、酒が強いんですよ。よく誘われるんです。大ジョッキ三十分くらいで六杯! それで『お前払ってくれ!』」 「生まれ出た子は涙を持って迎えてやれ、死んだ人は賑やかに笑顔で送ってやれ。そう言われました。噺家って死ぬのが怖くないんですね。私は腹上死狙ってるんですがね」 噺家の生死感ってそうなのかも知れない。私も笑い飛ばして生きていきたい。お迎えが来たら、はいお時間ですかと従うだけ。ハネ太鼓に乗って消えて行こう。どうせこの世なんてそんなものさ。こんなマクラから何に入るのかと思ったら『もう半分』だった。永代橋のたもとの小さな一杯飲み屋の描写がいい。やっちゃ場の残り物だけで作ったツマミが素朴でいい。塩らっきょう、紅しょうが、ひねり大根くらいしかないのだが、そんな質素なものだけで酒を呑むっていうのもオツだねえ。歯が無くなってしまったじいさん、イモの煮たのを頼む。「(歯茎でニチャニチャと食べ)おいしいイモですねえ。何か秘訣があるんですか?」 「いえね、カカアが田舎っぺえで」 思わずイモの煮っ転がしが食べたくなってきた。

        昼の部が終わっても、ほとんど人が出て行かない。やっぱりみんなのお目当ては、夜の部なんだあ。うしろ幕は、NHKふるさと皆様劇場一同よりとしてある。前座から講談だ。神田きらり『山内一豊の妻・出世の馬揃え』前段まで。うーん、これからが面白そうだったのにぃ。頑張ってね。

        さて、きょうはどんな奇妙な新作を聴かせてくれるのかと楽しみだった春風亭柳太郎は夢を題材に持ってきた。ある朝出社してみると、いつもの会社のあった場所には丸太で作った小屋が建っている。看板を見ると確かに自分が通っている会社。中に入ると「コアラ十匹、アザラシ十匹の在庫はあるか?」などとトンチンカンな会話がなされている。一日の仕事を終えて家に帰ると、独身者なのに女房と子供がいる。ははあ、これは夢の中なんだなと気がつくが・・・。よくあるオチで終わるとみせかけて二段、三段のオチが用意されているのはさすが。夢オチも、ここまで演ってくれると感心する。

        音曲の松乃家扇鶴はいつものメニュー。犬に都々逸を教えた話から、きのう出来た都々逸『使いましょう』(食うもの食わず 遊びもせずに コロリと死んではつまらない はあ 使いましょう 使いましょう)、みんな一緒に「捨てちゃ、いっやーん」。

        「真面目な勉強家の男がいましてね。この男が恋をした。一年間手紙を出し続けたらどうだってアドバイスしたら、雨の日も風の日も出し続けた。ところが一緒になれなかった。彼女、郵便屋と一緒になっちゃった」 桂平治は『酢豆腐』だ。この知ったかぶりのキザ若旦那。先代文楽や志ん朝の名演が目に浮かんでくるが、平治のもなかなか。「セツのウワサいずかたで?」 「新潟も山形もねえよ」 『ちりとてちん』よりも、この若旦那の造型が難しいんだろうなあ。江戸前としては、やっぱり『酢豆腐』の方を多く聴きたいぞ。

        神田陽子。「一昨日は二代目(山陽)の誕生日。いい報告が出来たんじゃないかと思います」に盛大な拍手が鳴る。「只今、講談界は女性の講釈師十人。以前は男尊女卑でしたが、今や女尊男卑。明治時代は女にとって厳しい時代でした」と、明治を生きた与謝野晶子のことを語った『与謝野晶子の半世紀』。へえー、明治の文豪の話とはねえ。ミステリー小説ばかり読んでる私も、少しは日本文学も勉強しないとなあ。立ち上がって踊り『なすかぼ』。

        ローカル岡の漫談が始まるというのに、マイクが引っかかって出てこない。「暑さでマイク壊れちゃった。マイクないとマヌケだね」 茨城弁漫談、きょうも快調だ。「第一勧業銀行、無くなっちゃったんだね。ダイイッカンの終わりだね」 「茨城に帰ったら、子供に自分のことを、パパって呼ばせてる。トウサンと言うと、ドキッとするんだって」 「町内会の防災訓練。トン汁作ってるんだよ。『アク取れ、アク取れ。まずくなるから』だって。災害時に、旨いも不味いもないやね」 「区会議員選挙。『若さで頑張っています』だって。78だよ! 『もう一歩です』 リハビリかあ? 『不眠不休で頑張っています』 それで議会で寝てんのね。『男にしてください』 医者に相談しろー。候補の奥さんが『ウチのを立たせてください』 オレに頼むなあ!」 アメリカン・スタンダップ・コメディって、ひとつも面白いと思ったことは無いのに、おんなじ形式なんたろうに、なぜかローカル岡のは可笑しい。オーバーなアクションを使わず、ボソボソと演るところもいいんだろうなあ。

        「九月一日。夏休み最後の日です。きょうおいでのお客様は、本当に寄席が好きなお客様か、それとも家にいると宿題をやらされるのがイヤだという人か・・・。出来ないから出てきちっゃたとか」 三遊亭円雀は『転宅』。お妾さんの家に泥棒が入った。ところが、お妾さんの方が一枚上。「実はあたしも、お仲間だよう。マムシのおマサの子孫で、メメズのお梅って言うんだ」 「オレは熊坂長範の子孫で、赤坂チャーハン」 最初から食われちゃいそうな名前だね。

        二代目山陽死後、三代目が預かり弟子として師匠になっていた神田松鯉は『出世の高松』の一席。讃岐守頼重の出生の秘密を読んだものだが、これって、本当のことかあ? ところどころで笑いを誘いながらテンポよく読む口調はさすがのもの。いまに、三代目山陽でも、このネタを聴いてみたいぞ。

        「お披露目ということで、おめでたい芸を無理矢理見てもらおうと思います」 鏡味正二郎は相変わらず安定した太神楽を見せてくれる。お手玉の曲芸、五階茶碗は器の積み上げ。そして傘の上での回しもの。毬を傘の上の端ギリギリで回して、「落ちそうで落ちない。・・・拍手がないと落ちます」 この人のクールさがいい。それに声に色気がある。軽く「よいしょー」のリズミカルなひとこえに、「はあっ」という掛け声。これが実に力み無く、気持ちよく聞こえて来る。まだまだ若い人だけど、芸は安定しているし、これからも楽しみ。

        仲入り前が桂文治。なにせ落語芸術協会の会長さんだ、盛大な拍手が鳴る。そこを手で制して「どうぞおかまいなく」。そう、今夜の主役は三代目だ。自分の場というものを知っているんだな。「笑ったあとって、腹も減るし、酒も旨いよ」とサラッとマクラを振って『かわり目』だ。この人の『かわり目』は絶品なんだよなあ。車屋が、「大将、大将、車乗ってくださいな」と言うのが始まりだ。「大将? オレ、いつ戦さに行ったかあ?」 「帰り車なんですけど、乗ってくれませんか?」 「カエリ車? そんなひっくりカエル車、危ねえや」 もうこれだけで噺の世界にスーッと入っていける。「なにかつまむものはないかな」 「鼻でもつまんだら?」 「オレはイタチやスカンクと一杯やろうてんじゃないんだ」 この夜のお客さんは、どう考えたって通の人が多い。こんな何回も聴かされている噺なのに、やっぱり大きな笑いが起こる。やっぱり上手いんだよ、この人。

        仲入り後は、いよいよ真打昇進襲名披露口上だ。幕が開くと、下手から司会役の春風亭昇太、三遊亭小遊三、三代目神田山陽、神田松鯉、桂文治の順で並んでいる。うしろ幕は落語芸術協会のものに替わっている。「これより三代目神田山陽真打昇進襲名披露口上を行います。私、いい歳をしてひとりもの。春風亭昇太です」とハキハキと挨拶する昇太。案外、司会役として合っているようだ。「私、いい歳をして妾のひとりも囲えない、三遊亭小遊三です。芸人は顔を憶えてもらわなければなりません。面を上げい」 それまで下を向かされていた三代目が顔を上げる。「こんな顔をしています。個性的な顔をしておりまして、ちょっと見ると滝連太郎。これが、おーいふなかたさんよう、です。末は立派な板前になれるでしょう」ってなんなんだあ? 今の師匠松鯉は簡単に「三代目とは、もともと兄弟弟子。(二代目が無くなったので)しきたりで私のところに来ただけのこと」と関係を説明するだけにとどめた。文治は初代の山陽を見たという話から、「初代はとうにゅう病で亡くなりました。このときはインシュリンがまだ無かった。二代目もとうにゅう病でした。三代目は・・・とうにゅう病という体格じゃない。真面目で酒もタバコも女もやりません・・・ただ、くださいますればいただきますという・・・」 文治の音頭で三本締め。

        一旦幕が閉まって再び開くと、今度のうしろ幕はワハハ本舗から贈られたもの。春風亭昇太の出番だ。「文治師匠が言う、とうにゅう病って何でしょうかねえ。また企業が悪いことしたんですかね」 糖尿病ね。みんな気がついているんだけど、これって江戸弁では、こう言うんだろうか? 「(多摩川のアゴヒゲアザラシ)タマちゃん。こざかしい名前、誰がつけたんでしょ。いいかげんに海に帰れっていうんですよ。川から上がってくると、『タマちゃーん!』 安らぎの場所ないですよ。見物人が集まっちゃってね。レポーターが『どこから来ました?』って訊いたら、『北海道』だって。北海道の方が(アザラシ)いるだろう!」 ネタは『力士の春』。小さいときから相撲取りにしようと親から育てられた小学生。身長123Cm、体重82Kg。貴乃花の爪でも煎じてもらおうと付けられた名前が貴乃爪くん。咽喉が乾くと飲まされるのが水ではなくて、清酒大関。小学生にしてもう肝臓が悪い。昇太の話の中でも爆笑指数が高い噺だ。マクラも含めて飛ばすなあ。主役が待っているというのに。

        飛ばすといえば、次の三遊亭小遊三も飛ばしまくりだった。マクラもそこそこに入ったのが『堀の内』。この粗忽者の噺、本当に飛ばしていかないと粗忽者らしさが出ないのだが、小遊三は、見事に飛ばしてくれた。「水が出ねえな」 「蛇口ひねらなきゃ出ないよ」 「あっ、そうか。おい、水は出たけど貯まらねえよ」 「下に何か置かなきゃだめだよ」 「置いたけど貯まらねえよ」 「それはザルだよ。鍋をお置き」 「顔を拭くもんないかな」 「それはフキン! ・・・それは雑巾! ・・・それは猫!」 「どうりで、逃げるんでヘンだと思った」 一気呵成のスピードだ。時間の都合だろう、堀の内のお祖師さまから帰ってきたとこまでで、風呂屋は省略。

        水色のお着物に日本髪。小顔の桧山うめ吉ちゃん。「師匠さくらから、うめ吉の名前をいただきました。梅の花もまだつぼみでございます。五十年後は梅干・・・。♪梅干じゃとて 昔は花よ うぐいす鳴かせたときもある」 ようよう! 『四季の歌』も、この日9月が始まったところで、昨日までの『春夏ヴァージョン』から『秋冬ヴァージョン』に衣替え。そんなに長いものじゃないんだからフルヴァージョン演ってよーん。踊りは『奴さん』と『姉さん』だよ!

        盛大なる拍手に迎えられて三代目神田山陽が姿を現す。『高田馬場』の連続もののサワリを演ってみせると拍手が沸く。「やっぱり浅草と全然違う。私が口上で顔を上げると、みんな笑うんですよ」 高座の上は、贈り物の胡蝶蘭やら、真打になるというので作ってくれたという釈台、山陽人形などでいっぱいだ。そんな中に、どうやらクリスマスツリーのようなものが・・・。「文化五年、江戸に初雪が降った夜の出来事!」 やったあ、池袋初日から『鼠小僧外伝〜サンタクロースとの出会い』だ。鼠小僧とサンタクロースが橇に乗って空中を滑空するところは、いつ聴いても浮遊感、スピード感、臨場感がいっぱいだ。早口で言いたてるので、メモにならないのが口惜しい。大川を永代橋、両国橋、吾妻橋と滑空し、吉原田んぼをひとっ飛び。浅草寺から雷門への参道をかすめて飛ぶ形容の高揚感は何だろう。「さしづめ『バック・ツゥー・ザ・フューチャー』のデロリアンのごとし!」という言い立てがウソでない。最後のクライマックスでのサンタの登場のさせかたも、まるで映画を見ているようなワクワクした気持ちにさせてくれる。今までに無かった新しい講談の誕生だ!



September.1,2002 喬太郎二年ぶりの三題噺

8月31日 ぶくろ魂・池袋演芸場八月余一会昼の部

        柳家喬太郎がプロデュースする会の一回目。若手真打ガチンコ勝負だ。喬太郎自身は約2年ぶりに三題噺に挑戦する。

        「まずは開口一番、前座でございます」と出てきたのは柳家喬太郎。ふははは、それにしても偉そうな前座だなあ。「小さん師匠が亡くなって、ひょっとして近い将来、小さんを継ぐ人間が現れるかもしれません。可能性のあるのは、小さん師匠の実の息子である三語楼、それと小三治、さらに孫である花緑。三分の一の可能性ではあるものの、花緑が小さんを継ぐことも有りうるわけで、そうすると「おい、小さん」と呼びつけにすることができる」と不敵な笑い。前座の位置だと開き直ってか、本当に前座噺の『寿限無』を始めた。もっとも喬太郎のは後日談付き。寿限無くん、試験で自分の名前を答案用紙に書いているだけで時間がきてしまったり、会社に入れば彼だけ名刺がB5版。

        トリでも登場する喬太郎。三題噺の題を客席から募集する。十個の題を募集して、その中から三つにしぼると言う。集まった題を喬太郎がカードに書いていく。集まったのは[月明かり] [北朝鮮] [チェリオ] [ウルトラマン] [約束] [マリナーズ] [土俵際] [遅刻] [熱帯夜] [ボート遊び]。ここから喬太郎が好きなのを三つ選ぶのかと思ったら、ここから抽選で三つ選ぶのだと言う。結局引き当てたのは、[土俵際] [北朝鮮] [マリナーズ] はたしてどんな噺になることやら、こっちは期待して出来あがるまでの二時間半、他の人たちの噺で楽しませてもらいましょう。

        唯一、まだ二ツ目の林家久蔵から。木久蔵門下に入門したときの裏話から『反対車』へ。威勢のいい人力車の車夫のクルマは、勢い余って崖から飛び出すと空を飛んでしまう。「ほうら旦那、きれいな月じゃないですか」 『E.T』じゃないんだから。浮遊効果のある演出が面白い。

        「もうこの時点で時間が大幅に押しておりまして」とマクラ無しで金原亭馬遊は『干物箱』に入る。物真似が上手な善公が遊び人の若旦那の代わりに、若旦那のふりをして二階に上がる。「いい部屋に住んでるなあ。畳がちゃんと敷いてあるし」って、善ちゃん、どんな部屋に住んでいるんだろう。物真似上手で、あたかも若旦那が二階にいるようにみせている善公だけど、どうも妄想癖があるのがタマにキズ。若旦那がクルマで出かけていくところを勝手に妄想しちゃう。「あらよっ、あらよっ、あらあらあらあらっ。旦那、大丈夫ですよ、私は、空飛びませんから」 汗が滴り落ちるほどの熱演だった。高座に散った汗を、そっと手拭いで拭いてから下りる馬遊。そういえば、客席もお客さん満員で、ちと暑い。

        「吉原というものは私が噺家になったときは当然ありませんでしたが、実体験はしておけといわれて、いやいやながら似たようなところに行きましたよ」 三遊亭萬窓が馬遊の噺を受けて、遊びの話を始めた。「写真を見せられて相方を選ぶんですがね、世の中、写真ほど信用できないものはない。何もする気になれなくなっちゃいまして、テレビで野球見てました。そしたら、『私に当るお客さん、みんな野球好き』って、別に野球が好きなわけじゃない」 そこから『五人廻し』へ。どことなく志ん朝師匠のものを思い出す。五人の個性が描き分けられていて面白い。

        柳家三太楼は五月に国立の花形演芸会で聴いた『鰻の幇間』。夏の終わりにまたあの暑い『うなたい』を持ってきた。「我々も幇間と似たような状況になることがあります。本当の幇間というのは本筋は黙っているものだそうで、旦那が言うことを『そうですか、そうですか』と聴いている。話が途切れそうになると『ところで、そういう場合は・・・』と繋いでいく。我々はわからないから、ただやたらとうるさい。『凄い!』なんて言ったりしてね」 『鰻の幇間』の一八も野幇間だけあって、あんまり上等な幇間じゃなかったわけだ。口の中に入れるとトローっとこないで、やけに腰の強い鰻を食べる様が妙に可笑しい。騙されているとも知らないで、「いい人だよ。何でいままで気がつかなかったんだろう。今まで何やってもダメだったのに、やっと運が回ってきた。でも、どこの人なんだろう?」と涙を流すのがいい。それがそのあとで騙されたとわかってから、「さっき泣いて損しちゃった。何で涙流したかなあ。これ、手銭でやってるんじゃあないか」という怒りに繋がっていく可笑しさ。三太楼は「この噺は難しいです」と言っていたけれど、こんなにドカンドカン笑いの取れる噺もそう無い。もっとどしどしかけてもらいたいものだ。

        橘家文左衛門のぶっきらぼうな話し方も可笑しい。「きのうね、新聞屋の集金が来たの。サービスするからとってくれというので、とってやったのに何もよこさない。ジャイアンツ戦のチケットでも何でもいいからと言ったら、『こんなものがありました』って浅草演芸ホールの入場券よこしやがった。いらねえや、こっちはタダで入れる」 「円朝祭。私、蕎麦打ってました。テントの中で火焚いて、2回気を失いそうになった。もうやだね。来年は別のものを売る。控え室にあったカリカリ梅、花緑に食わせて、『ほら、柳家花緑も食べているカリカリ梅』って言ったら、『わたしも、わたしも』って全部売れちゃった」 「もう夏も終わりだから演っておこと思って」と『青菜』に入る。お屋敷の旦那から隠し言葉を教わった植木屋さん、女房に「鞍馬から牛若丸が・・・」のくだりを聞かせると、「なんだいそれ、ロシア語かい?」 「これを隠し言葉っていうんだい。お前なんかにゃ言えないだろ!」 「言えるよ! それじゃあお前、屋敷建てろよ!!」 女房も女房だが、この植木屋さんがまた可笑しい。左官屋を捕まえて同じことを演ろうとするのだが、酒を呑んでいわしの塩焼きを食って、さて肝心の「青菜のおひたしはお好きかな?」に「青菜? でえっ嫌いだ!」の言葉に、今まで相手の反応に困った顔をしていたのが本性を現し、「人んちのものを散々呑んだり食ったりしやがって、この野郎、好きって言え!」 凄みのある植木屋さんだ。

        入船亭扇辰は、「何を演りましょうかねえ。まだ考えてない。(楽屋へ)『大工調べ』なんか演ったら怒るだろうなあ」 で、始めたのがトリに華を持たせるためか軽い『つる』。

        さあて、いよいよお待ちかね。柳家喬太郎の三題噺『土俵際・北朝鮮・マリナーズ』だ。「この三つで噺を作れっていうのは、はっきり言って無理です。引きたくないのをふたつ引いちゃった」 「楽屋で、『マリナーズって、サッカー?』って訊いたら、野球チームなんですね。それも大リーグの。それくらいスポーツを知らない。北朝鮮。これもヘタな作りをすると命にかかわる」 スポーツが苦手だったという経験談から、噺に入っていく。喬太郎は引きたくなかったふたつを脇に持ってきて、比較的噺を作りやすい[土俵際]から相撲の噺を作ってきた。

        年寄株を得て部屋を持っている親方。ただ、この部屋には弟子はたったひとり。しかも親方は体が弱っている上に、借金まで抱えている。弟子の長谷川もアルバイトをしながらの相撲取り生活。なんとか十両に手が届きそうな位置には来ているが、相撲取りを諦めて、フィアンセのゆかりちゃんと一緒になって、ゆかりちゃんの実家のちゃんこ鍋屋を継ごうかと考え始めている・・・。ただ、十両昇進がかかった玉袋との一戦が控えていた。ゆかりちゃんの父親に、「燃え尽きるまで相撲をやってみろ。そうでないと後悔するぞ。自分で納得するまで相撲をやってみろ」と言われて考えが変わる。さて、玉袋戦の土俵の日が来る・・・。

        オチまで聴いて、ハッと思った。実に鮮やかなオチを考えついたものだと思うと同時に、喬太郎がこの噺を作っていく過程のようなものが浮かんできた。これ、ひょっとして喬太郎は、[土俵際]という言葉から、あるキーワードになるオチが最初に浮かんだのではないだろうか? 先にオチが出来て、そこに向って噺を組み立てていく。[北朝鮮]と[マリナーズ]に目をやりながら、噺を逆から膨らませていく。そして、ひょっとしたら、喬太郎は[土俵際]から、つかこうへいの『熱海殺人事件』を思い出したのではないだろうか? もちろんまるで違う噺なのだが、犯人役の大木金太郎の過去の話で、このオチに繋がるキーワードが出てくる。 喬太郎はつかこうへいの芝居のファンだったというから、そういうことなのではないかと想像したのだが、いかがだろうか? ちょっと本人に訊いてみたい気がする。喬太郎が作り出したキャラクター針師堀田三郎も特別出演してのサービスぶり。喬太郎の才能にすっかり酔わされてしまった。


このコーナーの表紙に戻る


ふりだしに戻る