January.27,2007 泥棒にも品格

1月21日 志の輔らくご in PARCO 2007 其の参 (PARCO劇場)

        毎週通い続けて、この三つ目のプログラムで今年は最後。

        一席目は今回も『七福神』。紐の手品が無くなり、新たなレパトリーが一つ加わった。もう毎週同じ噺を3週連続で聴かされて笑う人なんているのだろうかと思ったのだが、結構笑いが来ている。このプログラムだけしか聴きに来ていない人も多いんだろうなあ。

        二席目はお楽しみ。ここに『新版しじみ売り』を持って来た。確かに新版と付けるようになったわけで、志の輔の『しじみ売り』は、他の人の演る『しじみ売り』とは大きく違う。この噺を聴くのはこれで3回目だろうか? 雪の降る中を奉行所に向う男の姿はかっこいい。「人のために行くんじゃない。自分のために行くんだ。てめえが枕高くして眠れる為にいくんだよ」芝居なら花道を去っていく図だ。

        三席目が『狂言長屋』。去年この会で発表された志の輔の新作落語。盗まれた狂言作家の新作に、長屋の面々「どこが面白いの?」と思わず声に出してしまうが、狂言というのは、筋を聞いただけではどこが面白いのかわからないだろう。落語にサンドイッチされた志の輔と茂山千三郎による狂言を観て初めて狂言の面白さが理解できる。

        それにしても、毎日2時間以上口演の1ヵ月公演というのは凄い。志の輔は数ある噺家の中でも、今月一番長い間落語をお客さんに聴かせた男だろう。        


January.21,2007 美しい日本、それは品格の問題

1月14日 志の輔らくご in PARCO 2007 その弐 (PARCO劇場)

        一席目は、その壱の一席目と同じ。演題が『七福神の新年会』から『七福神』に変更になっていた。かなりの数の人が三つとも観るはずだからネタは変えて欲しかったのだけど、三席作るのは難しかったのか。隠し芸がひとつ増えていて、オチも変えていたから、まっ、いいか。

        二席目は、富山の空港で目撃した光景から、「そんな言い方はないだろう」との思いを語り、『歓喜の歌』へ。この噺、よく出来ているのだが、それを承知であら捜し。公民館が2組のママさんコーラスをダブルブッキングしてしまう噺なのだが、電話で申し込んで受けてしまうというのは、有りえない気がする。公民館に来てもらって申込書を書いてもらうでしょうが、普通。そのところを解決してくれると、もっとすっきりするんだけどなあ。

        三席目は、先日山陽で聴いたばかりの『徂徠豆腐』。なんてこと書こうとしたら、私、以前年前にも同じことを書いている。2001年12月のこのコーナーだ。あのときも、北陽時代の山陽の『徂徠豆腐』を聴いた直後に志の輔の『徂徠豆腐』に出会っている。感想も同じだ。志の輔らしい論理の捻りが効いた独自のオチは、あのときのまま。マクラで人間の品格、品性を論じたものが、この最後にまで効いている構成は唸るばかり。5年前になるのか、あれは。


January.14,2007 時そば、土器そば、トキそば

1月13日 『それぞれの時そば』 (国立演芸場)

        同じネタを三人三様でやってみようという企画の第一弾。

        まずは市馬、喬太郎、白鳥による座談。だいたいこんな感じだったかな。
白鳥 「ぼくと市馬兄さんは芸風からすると正反対。喬太郎は、その中間って感じかな」
市馬 「そう、さん喬師匠にこべり、円丈師匠にこべり」
喬太郎 「私の『時そば』はさん喬師匠に習ったんですが、実はまだあげてもらっていない。演ってますけど。(白鳥に)あんたなんて習ってないんじゃない?」
白鳥 「ぼくは五街道雲助師匠に習ったんですから。師匠に『時そば教えてください』って言ったら、普通『いいよ』って言うじゃないですか。それが『やだ』って言うんですよ。『なぜですか』と言ったら、『変えるから』。『絶対に変えません。師匠のとおりに演ります』と言ったら、『それも嫌だ』。それでテープをくれて、それで憶えた」
喬太郎 「やっぱりテープじゃないか!」
白鳥 「テープで憶えて、雲助師匠に『あげてください』と言ったら、『やだ』って。『そうなるとオレに責任が来るから、やだ』って」
喬太郎 「『時そば』は上方の『時うどん』を東京に移したもので・・・」
白鳥 「そうなの? 初めて聞いた」
喬太郎 「これは有名な話だよ」
白鳥 「嘘だよ〜。知ってる人少ないでしょ」
喬太郎 「それじゃあ、お客様の中で、『時そば』は上方から来た話だったと知っている方は拍手してください」
大きな拍手が来る。
白鳥 「ええーっ!」
喬太郎 「おそらく三代目の柳家小さんが上方から持ち帰ったもので、柳家のお家芸でしょう」
市馬 「柳家だけじゃなく、志ん朝師匠もよく演っていた。蕎麦を食べる仕種を拍手が来るまで演っていましたからね」
喬太郎 「三遊派は形から入れ、柳派は気持ちから入れって教わります。だいたい三遊派(古今亭も含む)は仕種がヘタ」
白鳥 「そう、円生始めね」
喬太郎 「お前が円生師匠のこと言うな」

        まずは柳亭市馬から。「師匠の小さんが70歳くらいのときでしょうか。『時そば』のサゲを間違えたことがある。サゲで『今、何時だい』 『へい、九つで』と演っちゃった。真っ赤な顔して楽屋に帰ってきて『う〜ん、間違えたなあ。あれならいいんだよな』。師匠はよく『時そば』を演っていました。それで見ていて、何回演っても、そばを手繰る回数、噛む回数が同じなんですよ。私が入門したとき、小さん師匠は60歳くらい。私が60になったとき、どうなりますことやら。あとのふたりなんて、どうなっちゃってるんでしょうね。へんな着物を相変わらず着ているんでしょうか」と、小さん譲りの正調『時そば』。市馬の口調はリズミカルで気持ちがいい。冒頭の「そばーーーふう」という、そば屋の呼び声からして、いい声だなあと思う。聞きなれた噺なのに、グイグイと引き込んでいくようなところがある。

        柳家喬太郎は、お馴染みの立ち食いそばのマクラ。コロッケそばの話など15分ほど。「今日の持ち時間、ひとり30分ですよ。『時そば』なんて噺、30分もかからない。30分演ろうとしたら、そば屋のオヤジの生い立ちから喋らなくちゃならない」 こうして始まった喬太郎版の『時そば』。そば屋の屋号は、最初のそば屋が的の中に矢がたくさん刺さっている。これで屋号は[蜘蛛巣城]。あとのそば屋の屋号は、○の中に稲穂が揺れているから、[キッチン イナバ]。「(汁を飲み)渋い! おい、お湯ぅうめてくれ。甘口辛口ってあるけど、渋いっての初めてだねえ。茶そば? だから(丼を)回すの?」 「それは土器です」 「土器? 土器そば?」

        実は、そば屋のオヤジの生い立ちが出てくるのが三遊亭白鳥の『トキそば』なのだ。これがサゲに繋がる。しかも、白鳥の『トキそば』は聞くたびに進化しているから凄い。最初に聴いたのは、まだ新潟といっていた二つ目時代。渋谷ジャンジャンの新作の会で聴いたのだった。そのあまりに破壊的な『時そば』は衝撃的だった。それがしばらくして白鳥は『トキそば』を演らなくなった。あれが聴きたい。4年まえのことだ。自分の店で落語会を開こうと決心したときに、第一回は白鳥さんに出てもらって、あの『トキそば』をとすぐに決めた。白鳥さんに是非『トキそば』をと注文したら、「昔、よく演りましたけどねえ。よく知ってますね。ほんとにボクの『トキそば』でいいんですか?」と答が帰って来た。こうして第一回翁庵寄席『三遊亭白鳥と秘密のそば屋』は『アジアそば』 『トキそば』の二席でスタートしたのだった。テープで憶えたから白鳥のそば屋は荷を担いでいない。想像でリヤカーを引いていると思ったとの事。「なにが出来るんだい?」 「春巻とテールスープ」 「春巻は花巻のシャレだろうけど、テールスープは・・・ひょっとして尻尾食う。しっぽくのシャレか?」 環境に優しいリサイクルそばという発想が効いていて、かそーばから持って来た箸に、工事現場のヘルメット丼、そしてそば屋のオヤジの生い立ちが語られ、それが独自のサゲに。白鳥さんの『トキそば』は、他に誰も真似できないだろうなあ。それにしても相変わらず、そばを茹でないんだよな、この人。


January.13,2007 踊り子は眠らず

1月8日 三田村組
      『踊り子、眠る』 (タイニイアリス)

        パルコ劇場を出て、新宿へ。夜は芝居だ。

        二十年前と二十年後の話が交互に出てくる。二十年前の別府のキャバレー。兄と妹が経営しているキャバレー。それにホステスさんが3人ほど。そこに行方不明だった兄妹の間のもうひとりの兄弟が現れる。大阪で漫才をやっていたのだが、嫌になって故郷に帰って来たのだった。一方、二十年後。キャバレーは不況になって、今はこの場所は音楽用の貸しスタジオになっている。二十年前にホステスだったひとりが、今はこのスタジオのオーナーになっている。彼女には20歳になる娘がひとりいる。娘はプロのミュージシャンを目指していて、このスタジオで音楽仲間と練習をする毎日だ。それに、近くのそば屋で働いている男(三田村周三)が毎日のように出前を持ってやってくる・・・・・。

        最初は伏せられているのだが、話が進むにしたがって、ある人物が二十年前の、ある人物と同一らしいとわかった辺りから、全体の構造が見えてくる。人間って悲しい、そして愛しい。そんな気分にさせられる、いい芝居だった。


January.12,2007 いい、いい・・・。志の輔の仲蔵

1月8日 志の輔らくご in PARCO 2007 其の壱

        一席目は[八百万(やおよろず)の神]をインターネットで検索したら、八百万には達しないが日本には80くらいの神様がいるのがわかったというマクラから、新作ネタおろし『七福神の新年会』。新年会に隠し芸をやらなくてはならなくなった新入社員が神様に助けを求めると七福神が現れ、いろいろな隠し芸を教えてくれる噺。小噺、数字当て、マジック、曲芸。この一席で落語小噺から色物まで楽しめてしまうお値打ち編。

        二席目は、去年のベストセラー『世界の日本人ジョーク集』(私も読んだ)のことをマクラにして2003年12月にここPARCOで初演した『メルシーひな祭り』。成田近くの人情深い町民の噺。昔の日本の喜劇映画にありそうな噺だなあ。こういうのを聴いていると、日本人って悪くないって思う。

        三席目。「落語が他のジャンルと違うのは、一人前にならないうちから、いきなり前座として人前で芸をするところ」と始めた。ああっ、このマクラは聞き覚えが・・・と思ったらやっぱり『中村仲蔵』だ。ううっ、だ、駄目だ。志の輔の『中村仲蔵』と思っただけで涙が出てきてしまった。特に仲蔵がしくじったと勘違いして旅に出ようとしたところ、芝居を観た町の人が仲蔵の芸の素晴らしさを噂しているところ。この部分はこの噺のハイライトといっていい。以前に聴いたときよりもさらに良くなっている。もうすっかりこの人の十八番になったと言っていいだろう。


January.8,2007 この四人に共通したものとは

1月7日 『にぎわい座新春競演!』 (横浜にぎわい座)

        国本武春、神田山陽、林家二楽、三増紋之助の四人の会。この四人の共通点は何かと思ったら、オープニングの座談会で明らかになった。10年ほど前、ワハハ本舗の芝居に出ていたという共通項。それ以来仲良しだという。それにしてもテンションの高い四人。座談は文化庁の文化交流で、アメリカに行った国本武春と、イタリアへ行った神田山陽の話を中心に盛り上がる。

        それにしてもこの日の客層、NHK『日本語で遊ぼう』の影響か、子供が多い。「子供相手だと、曲独楽や紙切りの方が受けるんだよねえ」と山陽はうらやましそう。「海外交流でも、そういう見せる芸の方が強いんだ」

        まずは三増紋之助の曲独楽から。末広、輪抜け、真剣刃渡り、綱渡り、風車といつものコース。それに、板に乗せた五つの独楽のひとつだけを回す芸。これ、いつも苦労してやっているけれど、中の息抜きにいい芸だ。

        国本武春は、いつもの浪曲掛け声講座から、三味線でロック、ブルース、ブルーグラス、フラメンコなどを弾いてみせる芸から、『堪忍ブギ』、そして『巌流島うた絵巻』。

        林家二楽の紙切り。鋏試しは、いつもの桃太郎ではなく、お正月なので『羽根突き』。お客様からのお題は『初場所』(「初場所でも何場所でも切るのは同じ」と雲竜型の土俵入り)、『猪』(今年の干支なので希望者が多いらしく3人から。三枚の紙を重ねて三匹一遍に切る。「今気がつきましたが、重ねて切れるのは二枚まで」)、『ポケモン』(「たくさんいるけど、ピカチューでいい? それしか切れないけど」)、『松坂大輔』(「松坂は簡単」と小さなのを切り出した。プロジェクターにかけると靴下一足。「レッドソックス」)。影絵劇場は『涙そうそう』に乗せて『お兄ちゃん、私、お嫁に行きます』。

        「新作を初めてネタ下ろししようとしたとき、国本武春先生がこう言ってくれたんです。『この噺の事を一番知っているのは、あなた自身なんだから大丈夫ですよ』。すると、隣で紋之助さんが、『そう、間違っても誰もわからない』」 これで神田山陽は新作講談に入るのかと思ったら、『徂徠豆腐』の一席。赤穂浪士に切腹をはからったとされる荻生徂徠と豆腐屋の噺。ビシッと決まった入魂の一席だった。


January.7,2007 はまった染五郎の悪役

1月6日 劇団☆新感線
      『朧の森に棲む鬼』 (新橋演舞場)

        後ろの方だったが、なんとか一階席を確保。花道のすぐ横。いきなり主役の市川染五郎のライと、その弟分阿部サダヲのキンタが登場するオープニング。今回は『リチャード三世』を下敷きにした、いのうえ歌舞伎だ。『メタルマクベス』に続き、シェークスピアづいているなあ。30分の休憩をはさんで3時間30分飽きさせないのは流石。一幕目は、ちょっとしたきっかけから、のし上がっていこうとするライの姿が、観ていてワクワクするものがある。巧みな騙しで回りの者を欺きながら国を牛耳るようになっていくライは、結構カッコよさすら覚えるくらい。

        それが二幕目に入った途端、ライはとてつもない悪者だということに気がつくことになる。人を殺し、殺し続けて頂点にまで上り詰める。歌や音楽も豊富な上、ギャグの炸裂もあってこの第二部は、凄い盛り上がりをみせる。マダレ役の古田新太、シキブ役の高田聖子といった新感線役者たちはあいかわらず達者。秋山菜津子、真木よう子のゲスト女優さんはきれい。しかし、次々と主要人物が死んでいってしまうのは、「えっ」 「えっ」という展開。そんな中の、ある人が実は生きていたというのは都合よすぎでは(笑)。まっ、その人がそのあと俄然と活躍しだすのだからいいんだけど。ラストは本水を使った殺陣。1ヵ月興行、役者さんたちが風邪をひかなければいいのだけど。


January.6,2007 見事に決まった彦いちの伏線

1月3日 新・落語21 らくごちゃん お正月興行 (プーク人形劇場)

        この会、人気者が出ている割には、それほど一杯にはならないので油断してしまった。開場15分前に着けばいいだろうと思ったのが間違い。予約を入れても、それは割引がきくだけで座席確保の保証ではないとネットで書かれていたので、まっ、予約しなくてもいいやと思っていたのが、さらなる間違い。劇場に着いてみると、すでに長〜い列が出来ている。あらららら、どうしちゃたの今日は。最後尾について開場を待つ。列が動き出して受付にまで来て、「当日券ですが」と言うと、「あっ、当日券の方は整理券を発行していますので、後にしてください」と整理券を手渡された。もうすでに整理券は開場前から配られていたのを、このときになって初めて知ることになる。まいったなあ。そういうことは、スタッフがちゃんと仕切るべきでしょ。並んでいる人に、「当日券の方は、整理券が必要です」と言って歩くくらいの配慮は出来なかったのかなあ。なんてブツブツつぶやいているうちに、当日券の受付。こんなに入れるのかと思ったが、結構入っちゃうものなのね。私は座れたが、立見の人も出る超満員。

        古今亭駒次『お世継ぎ狂想曲』。皇室ネタかなと思ったら、皇室かぶれの戸越銀座の駄菓子屋一家の噺。店の名前が天野屋で、[てんのうけ]とも読むというのが可笑しい。

        古今亭錦之輔『オオカミ少年』は、宿題をやってくるのを忘れた生徒が先生の前で言い訳をする噺。いろいろと言い訳を考える。「鷹が飛んできて、宿題をわしづかみにしていった。鷹なのに鷲づかみ」。

        柳家喬太郎。さん喬一門の新年会の様子をマクラに、翌日、国立の落語研究会で演るという『橋の婚礼』を。一晩にして吾妻橋と両国橋が消えてしまうという神がかりな事件が起きる。それもそのはず、これは神様の仕業。やがて橋は復活するのだが、その開橋式には橋にまつわる人しか参加できない。つまり名字に橋がついてなければいけないとか。どうしても式を見たい幇間。「屁をブリッとやって痔になっちゃった。ブリッジ」 なんだか変な噺だ。長いこと演り手がいなかったわけだ。

        三遊亭円丈は、マッターホルンの山頂にたぬきうどんの出前を届けるために、北壁を登るうどん屋の噺『遙かなるたぬきうどん』。

        モロ師岡のサラリーマン落語を初めて聴く事ができた。着物ではなくスーツ姿で高座に上る。「サラリーマン落語では、前座は上着が着れません。二ツ目になると、ようやく上着の着用が認められる。真打になるとネクタイを締められるようになる」 「普通の落語は手拭いと扇子でいろいろなことを表現しますが、サラリーマン落語では、手帳とペン」 「上着を脱ぐとネタに入ります」と上着を脱いだところで『サラリーマン落語・寝床』に入る。ベンチャーズが大好きな社長さん。ときどきお得意のベンチャーズの曲を聴かせる会を開く。出入りの業者や社員に『パイプライン』を聴かせようと社員にお客さんを集めさせようとするが・・・・・。『寝床』をうまく現代にアレンジした。ペンと手帳をくっつけてエレキギターの形にして、テケテケテケテケ。「ボディが真四角、ボ・ディドリー・モデル」って、普通の人はわからないマニアックなギャグ入り。

        林家彦いちは、西新宿で職務質問されて警察者で事情聴取された体験がマクラ。人のために何かしたいと思っているタイ人の噺『掛け声指南』に入る。無償でボクシング・ジムのセコンドになったタイ人。ボクサーに応援の掛け声をかけるのだが、うまくいかない。新宿の街に出て果物屋のフルーツに応援の声をかけ、路地で倒れている人に声をかけ、ティッシュ配りの人の手伝いをし、占い師の呼び込みをする。何の噺なのかと漫然し聴いていたら、これが全て伏線になっていてラストに繋がる。今ままでのことが一気に見事に噴出して笑いに繋がる快感といったらない。うまく作り込んだなあと爽快な気分で、劇場を後にした。


このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る