December.28,2008 栴檀と南縁草

12月23日 円丈の『百年目』をきく会

        円丈が師匠の円生の古典に挑む、毎年恒例の会。円生64歳のときに19歳で入門した円丈。その64歳になった円丈が今年選んだのは『百年目』。

        オープニングは出演者全員が揃っての、[私と円生]。円生と接点があったのは小ゑんだけ。「円生師匠の高座のときには、高座に白湯を出すのが習慣でした。円生師匠の右手の前に置くんですが、師匠が高座に座ると、その位置を直すんですね。よく見ておいて次に出すときは、直された位置に出すようにしていた。それでもまた直す。何回やっても直される。正確にどの位置に置けばいいのだろうと思っていたら、あれはクセでもって毎回直すんですって」

        林家彦いちはマクラがいつも面白い。この日は右朝師とタクシーのエピソードと、飛行場での「機長がいない」事件のこと。そこから『何があったんだ』。二日酔いの朝に目覚めた男が枕元に高級ブランドの服があるのに気がつく。どうも酔った勢いでその服を買ったらしい。服のポケットからは領収書がたくさん出てくる。美容室のセット代、高級外車、古美術の刀、錦鯉・・・。洗面をしようと、ふと鏡を見ると自分の頭はアフロヘアーになっている。浴槽には錦鯉が泳いでいる。そして車庫に外車があり、中に血まみれの日本刀が。何があったんだ! 私も酒好きのひとりではある。これまでの人生で、昨晩何があったのか記憶がないということも多々ある。自戒をこめて、これからは意識が無くなるまで飲まないようにしなければ。反省。

        柳家小ゑん『アクアの男』。品川水族館で餌付け係をやっている若い女性に、オタク男が恋をする。男は猛アタックをしてくるが、女性は気持ち悪がっている。あまりのしつこさにキッパリと断ろうと思った彼女は一計を思いつく・・・。

        春風亭昇太のマクラは、円丈が円生の思い出をオープニングで語ったことから、昇太の師匠柳昇の思い出。「弟子になったばかりのころ、師匠が浅草演芸ホールの出番を終えたあと、『そば、食べに行こう』と演芸場近くのそば屋に連れて行ってくれたことがありました。『私はざるそばにするけど、君は何にする?』とおっしゃるので、一番安いもりそばにしますと言うと、『遠慮するもんじゃない』と言うので、『それじゃあ、私もざるそばで』。ざるそばが二枚出てきました。太い麺でねえ、海苔がかかっているんですが、そんなに時間がかかっているわけでもないのにシンナリしている。そばは全体がくっついてしまっていて、ほぐさないと持ち上がらない。団結力の強いそばでした」 それって、随分と時間がたってしまっている、のびちゃったそばでしょ。「今でも、その店に懐かしくて行くんですが、相変わらず団結力が強いそば。頑なに味を守っている。守る必要ないでしょ。そういうところ!」 そこから爆笑の『宴会の花道』へ。

        三遊亭白鳥は師匠の『悲しみは埼玉に向けて』を換骨奪胎した『悲しみは日本海に向けて』。自分の半生を落語にしたものだが、今回はこの日のためにラストを変えたようだ。古典を演ろうとした白鳥に円丈が「古典は敵だ!」と言ったというエピソード(?)を盛り込んで、『悲しみは国立演芸場に向けて』。これは受けた!

        そしていよいよ三遊亭円丈『百年目』。この難しい噺を円丈がどうするか興味が湧くところ。結果、1時間もかかるネタだが、長さをあまり感じなかった。円丈らしい細かなギャグがあちこちに仕込まれていて、本来はあまり笑いの少ない噺なのだが飽きさせない工夫がしてある。番頭さんが店の小僧に小言を言いまくる場面は円丈自身が弟子に小言を言っている姿を思わせて面白い。それを一段上から自分に照らし合わせている円丈がいるような気がする。

       栴檀(せんだん)と南縁草。厳しいのはいいが、もう少しゆとりを持てというこの教え。最近私も使われる立場から、人を使うという立場になっているので、なんだかしみじみとわかるような気がしてきているのである。


December.23,2008 笑いのジェットコースター『青春残酷物語』

12月21日 鈴本演芸場12月下席夜の部

        夜の部の列に並ぼうと鈴本の前まで来てみれば列が出来ていない。しかもどうやらすでに開場しているらしい。木戸銭を払って客席に入れば、うわ〜、お客さん少ない。この暮の日曜の夜に寄席に行こうなんて人、少ないのだろう。

        開口一番の前座さんは林家まめ平『子ほめ』。頑張ってね。

        ダーク広和のマジック。天一のサムタイという、松旭斎天一がアメリカで披露して有名になったマジック。両手の親指を観客に2本のコヨリで縛ってもらった状態から、マイクスタンドを貫通させる。観客から投げてもらった輪を貫通させる。最近はあまり演り手がないそうだが面白い。おそらく縛られるときの親指のトリックなんだろうが近くで見てないからわからない。もっとも自分が縛る役になってもこのトリックはわからないだろうなあ。

        柳家さん弥『権助提灯』。本宅とお妾さん宅を行ったり来たりのこの噺、寒い夜には辛かろう。もっともこの夜は、この時期にしては暖かい日だったけどね。

        橘家文左衛門『桃太郎』。文左衛門の子供だもの、それこそ一筋縄であるわけがない。早く寝ろという父親に「オレ、目が覚めちゃって眠れねえんだ」と目がギンギラギン。「おまえ、シャブ打ってるのか?」

        三増紋之助の曲独楽。この人の曲独楽はやはり、輪抜けとか羽子板の舞のようなリズミカルなものがいい。それでいて羽子板ひねりで笑わせたりして。それも楽しい。

        桃月庵白酒『禁酒番屋』には、面白い門番がいるぞ。いよいよ小便が入った徳利を持ってやってくる酒屋。番人はもうベロンベロンに酔っ払っている。「これ、門番。茶碗を三つ差し出すではない。ふはははは、(茶碗を配る仕種)御同役、私、門番と・・・。こら、門番、ツマミを持ってくるではない!」

        ロケット団の漫才。山形出身の三浦に倉本が突っ込んでみせる。「セキュリティという言葉知ってるか?」 「そんなの山形では何十年も前から使っているよ。『今、ストーブ持ってくるから、石油入れて』」 「訛ってるだけじゃないか!」 これが次々に続いていく。「マイノリティって知ってるか?オバマ次期大統領の演説で有名になった少数民族って意味だぞ」 「そんなの山形では何十年も前から使っているよ。『タクシー呼ぶんだけどよかったら前乗りてぃ』」 「じゃあ、ノスタルジー」 「それも使ってた。『タクシー呼ぶから、後ろ乗すたるじー』」

        「人には言えない夢というものがあるもので、私も先日、堀北真希に口説かれた夢を見まして、これは人には話せない」と、古今亭菊之丞『天狗裁き』。

        柳家小菊の粋曲。なんだかこのところ鈴本へ来るといつもヒザは小菊だ。「♪あたしゃお前に 火事場の纏 振られながらも 熱くなる」

        トリは三遊亭白鳥『青春残酷物語』。この噺、おそらく白鳥の最高傑作だと思っているのだが、それがさらに進歩している気がした。以前にはおそらく無かったギャグがてんこ盛りになっている。一升280円の日本酒の銘柄が、吉野川ならぬガンジス川だったり、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」が「コージーコーナーのケーキ食べたい」になったり、なにしろジェットコースターみたいなギャグの連続だから、ひとつひとつを記憶できないくらい。しかもこんなに前半に仕込んでおいた何気なく思えたキーワードがクライマックスでドカンドカンと爆発していく。この快感は他のどの落語にもないものだ。それにしても実体験から生まれた噺って、どこまで?


December.21,2008 力みすぎない遊雀の『らくだ』

12月20日 三遊亭遊雀勉強会
        師走スペシャル (お江戸日本橋亭)

        場内満員。今回は予約で満席になったそうで、しかもキャンセルがひとりも出なかったとのことでギッシリ。電話予約だけで受け付けるというのは、このへんの予想が難しいのだ。予約してもお金を貰っているわけではないので、予約しておきながら当日やってこないという人が出る場合がある。一方で、当日近くなって予約したいという人も出てくる。すでに予約状況でいっぱいでも、せっかく来たいとおっしゃってくださるお客様を断るというのは悪いなあと思う。予約していても来ない人がどれだけ出るか、新たな予約を受け入れるか、そのへんの匙加減というのが主催者の悩みだ。

        まずは恒例の三遊亭遊雀の挨拶。11月にこの日のゲスト桂平治師匠たちと行った、九州〜沖縄への学校寄席の旅話のさわり。このあとの高座でもマクラでこのときの話が語られることになる。「平治アニさん、学校寄席ではいつも寄席でやっているときとはひと味違いました。『転失気』のクスグリでオナラの音をブー、スー、ピーって普通はやるのに、ブー、スー、ブリブリって、中身出ちゃってるじゃないですか」 小学生には受けるだろうなあ、こういうネタ。

        前座さんは昇太の弟子春風亭昇吉『雑俳』。この人を聴くのは一年ぶりか? あのときもしっかりした噺をする人だと思ったが、ますます安定してきたようだ。期待の前座さんだ。

        三遊亭遊雀の一席目は、九州高千穂で出会ったタクシー運転手をしている神主さんの話がマクラ。こういう人との出会いがまた落語の登場人物のモデルになっていくのだろうなあ。噺に入っていく直前に「暑くないですか?」 暖房が効き過ぎているのか場内の熱気が勝っているのか、高座は暑そう。「これからやる噺は暮の噺なんですが、汗かいてる」と手拭いで顔の汗をさかんに拭う。「寒いって言葉がたくさん出てくる噺なんで、(楽屋に)すみませーん、クーラー入れてください」 『尻餅』は10年ほど前に一朝師匠に貰ったもので久しぶりとのこと。なるほど、「寒い」 「冷たい」という言葉が多く出てくる。「寒いね、これだけ寒いと汗かいてる」とクーラーが入っていても汗だくの熱演。

        ゲストの桂平治も九州〜沖縄学校寄席の話がマクラ。「お土産に焼酎を貰いまして、帰りの飛行機の中、小柳枝師匠と遊雀さんが飲みだした。遊雀さん、客室乗務員が通るたびに、『(素っ頓狂な声で)おねえさ〜ん、お湯くださ〜い』 どうやら飛行機の中だと地上の三倍酔うらしいんですね。へべれけに酔っ払って、どうやって家に帰ったのかわからなかったそうです。この日はネタ出しがしてあって『御神酒徳利』。「これね、長いんですよ。それでいて、面白くない」と言いながら、なかなか噺に入らない。脳下垂体の手術をした話やらした後に、運のいい人悪い人の違いで笑わせてようやく本題へ。御神酒徳利をめでたく発見してたあとの宴会で善六さん、すっかりはしゃいじゃって、「おねえさ〜ん、もう一杯だけでやめますから〜」 あれ? 善六さんが遊雀になっている!

        三遊亭遊雀『らくだ』は、平治に習ったネタおろしだとか。意外だった。遊雀がまだ『らくだ』を演っていなかったとは。最近の『らくだ』はどうも、やや重く演る人が多い気がするのだが、遊雀の『らくだ』には、ある種の軽さを感じた。それがいいのである。らくだの兄貴が屑屋に何か命令するたびに躊躇している屑屋。腹が立ってきた兄貴が「オレは、ごにょごにょ言うのが嫌えーなんだ。返事は、ハイ! 言ってみろ、ハイって。返事!」 「ハイ!」 これがのちに酔っ払った屑屋が逆に兄貴に「ハイ!」と言わせる逆転ぶり可笑しさに繋がっていく。しかしなんといっても見せ場は屑屋が酔っていくところだろう。三杯目を飲みだすところから、ひとりで笑い出す「笑い上戸なもんでね。少しずつ思い出しちゃった」と大家の慌てぶりなどを繰り返していたと思うと、一転泣き出す。おやおや笑い上戸じゃないかと思いきや、泣き上戸かと思っているうちに、怒り上戸にさらに変身。悪い酒だねえ。四杯目を飲もうとするのを兄貴に止められた屑屋が、「誰に口きいてるんだよ。注げよ! 注げってんだよ!」 さらに止めようとする兄貴に「早く注げってんだ。オレはごにょごにょ言うのが嫌えなんだ。返事はハイ!」 「ハイ!」 焼き場でのサゲまで演って、お開き。遊雀の『らくだ』、なんだかカワイイ。


December.20,2008 生々しい

12月14日 KERA・MAP
        『あれから』 (世田谷パブリックシアター)

        すっかり書き忘れてしまったのだが、先月、三谷幸喜作・演出、戸田恵子・中井貴一の『グッドナイト スリイプタイト』を観たのだった。一組の夫婦の結婚から離婚までを時系列をバラバラにして描く作品だったが、妙に生々しい夫婦の会話が全編に出てきて、これは確かに三谷幸喜が実生活の上で経験したものから生まれたのだろうなあという感じがしたものだった。面白かったのだが、その生々しい部分が結構キツイ感じで、いろいろと考えているうちに、なぜか書けないで、今日まで来てしまった。

        そして、ケラだ。偶然とはいえ、こちらも夫婦の生活を描いたもの。こちらは、余貴美子・渡辺いっけいの夫婦と高橋ひとみ・高橋克実の夫婦という二組の夫婦を中心にして物語が進んでいく。三谷作品に較べるとヒリヒリするような夫婦間の台詞のやり取りは少なくて、やや落ち着いて観られる。両作に共通するのは熟年夫婦の離婚の危機。

        高橋克実は、親子ほども歳の差がある岩佐真悠子と不倫関係にある役。かなりエロチックなシーンもあって、おじさんとしては「ああ、うらやましい」なんて思ってしまったりするが、突然この若い愛人から別れを告げられる。その理由のひとつが、食事中に鼻をかむのが嫌だというもの。そういえば、そばを食べる音が嫌だという理由で婚約を解消された男性がいたが、相手が嫌いになると、何から何まで嫌いになるというのが人間というものらしい。妻の元へ戻った高橋克実が食事中に鼻をかんでも、妻の高橋ひとみは嫌がらない。これが夫婦というものなのか。ケラは愛とは理解することだと結論づける。う〜ん。

        3時間ほどある作品だが、長さは感じなかった。席も前から3列目という役者さんの顔がしっかり見える位置。それにしても他の人はこういう夫婦の話を観てどう感じるのだろうか? 実際に不倫経験のある人には結構辛いだろうになあ。


December.16,2008 ラストショウ

12月13日 『愛と青春の宝塚』 (新宿コマ劇場)

        なっ、なんでお前がそんなもの観に行ったの? という声が聞こえて来そうだ。行かれなくなった知人から「買ってくれないか?」と頼まれたというのがキッカケ。「宝塚かあ〜」と、正直断ろうと思ったのだが、これを最後に新宿コマが閉館してしまうとあって、「行ってみるかなあ」という気持が湧いてきた。

        かといって、私はどちらかというと宝塚は苦手と思って今までの人生を過ごしてきた。女性が男の格好をして出ていたり、オーバーな台詞まわしだったり、実際に観てはいないのだが恐ろしく陳腐なストーリーを想像してしまったり。それになにより、宝塚歌劇のファンの多くが女性だというのがよくわからないのであった。日比谷の宝塚劇場の前で出待ちしている女性たちの姿を目撃したり、ぴあチケットの発売日に、前の方に宝塚のチケットを取ろうとしている女性たちがが絡むと、後の人のことを考えないでカウンターで長いこと購入日を考えている姿を見かけたりで、あまり印象もよくなかったのだ。

        コマ劇場はさぞかし女性しかいないだろうと思っていたが、男性の姿もけっこう多い。それでも休憩時間の女性トイレの列の長さは相当なもの。それに比べ、男性トイレはガラガラだ。

        席は結構前の方だったが、それでも役者さんの顔をしっかり見るにはオペラグラスが必要だった。もともとはテレビドラマで、それをミュージカルに仕立て直した作品。だから、宝塚といってもモロに宝塚歌劇を見せられるというわけではない。宝塚のOGとミュージカル畑の男性俳優によって演じられるから、普通の宝塚とはまた別物だろう。

        冒頭、宝塚のレビューが行われているところへ、客席後方から近づいた人物がステージ前から履いていた靴を、トップスターに投げつけるというハプニング演出。数日後にイラクでブッシュ大統領が記者に靴を投げつけられたが、その前だったのでよりショッキングな演出効果だった。投げつけられたのは男役リュータン(湖月わたる)で、投げつけたのは後に宝塚でリュータンと張り合う仲になるタッチー(彩輝なお)。リュータン(あとからリュータンというニックネームだとわかったが、どちらかというと客席ではギュータンと聞こえる)は慌てず騒がず、お客さんの前で「靴は私のサイズに合ったものを二足揃えてプレゼントしてください」とかわす。う〜んブッシュ大統領にもこのくらいの洒落のセンスがあればねえ。

        あまり気乗りのしないままに見始めたのだが、いつしかこのミュージカルにけっこう引き込まれている私がいた。時代背景が戦前から戦中で、暗い話になっていってしまうのがつらいが、それでも楽しいシーンが数多くある。ギュータンが歌い、周りが踊りまくる『スキヤキソング』(『上を向いて歩こう』ではない。このミュージカルのオリジナルソング)の楽しさはどうだ。第一幕の楽しさのハイライトがこのシーンだとすれば、第二幕で、この曲が宝塚歌劇団が中国に慰問行った先の狼うろつく基地で再び『スキヤキソング』が歌われる楽しさへと繋がる。

        あくまで宝塚歌劇ではなく、宝塚を扱ったミュージカルだから、どちらかというと宝塚アレルギーの私には楽しく観られた芝居だった。

        戦後、焼け跡の中で復興を感じさせるラストから、5分の休憩を挟んでレビュー・ショウ。これき敬遠して帰ろうかと思ったが、残って観てよかった。私の想像していた古臭いダンスショウではなく、かなり現代的なダンスになっていた。しかも、新宿コマのラストショウにしては劇中でその回転舞台の特性をまったく利用していないのが気になっていたのだが、この最後のレビューの本当の最後で、最高の演出でフル回転させてくれた。

        これがコマ劇場での観劇の最後になる。歌舞伎町名物の建物が消えていくのは寂しいが、それも時代の流れか。さらば、コマ劇場。


December.14,2008 芝居は続くよどこまでも

12月6日 『線路は続くよどこまでも』 (下北沢OFFOFF劇場)

        小宮孝泰ひとり芝居第二弾。自分のお父さんが戦争中に朝鮮鉄道に勤めていたことを元に、鄭信義に作・演出を依頼して作り上げた作品だ。

        前説のような形で小宮孝泰自身が登場して、亡くなった父の事を語り出す。パネルにお父さんの鉄道員時代の写真をかかげる。東海道新幹線開通当時のものだ。お父さん40代。「自分は同じ年のころ何をやっていたかというと」とパネルの写真をめくると、そこには『クレージーホスト』の一場面で裸をさらしている小宮孝泰の写真。笑いを取りながらのこの前説が、このあとのひとり舞台に、落語のマクラのような役割を与えている。

        びっくりしたのは普通のひとり芝居のように、ひとりの人物を演じ続けるのではなくて、出てくる登場人物を全てひとりで演じるという手法。これは大変な作業だ。人物が変わるたびに立ち位置も変える。近くの人物ならいいのだが、遠い人物ともなると、その間をどうするかという工夫も必要で、その苦労が伝わってくる。それにしてもこういった芝居は、落語の素養がある小宮孝泰ならでは可能なもので、特に女性を演じる場合にそれが際立つ。基本は鉄道員の服装なのだから、鉄道員の妻を演じる場合に無理が生じるのだが、その不自然さを感じさせないのが凄い。

        いや、その鉄道員の妻が、この芝居の要な部分で、蒸かし芋を食べてばかりいる太った女性のコミカルな面を見せておいて、大陸からの引き上げでの芯の強さ、そしてだんだんとやせ細っていく姿、そして・・・ああ、書いていても涙が出てくる。

        終演後、小宮さん、鄭さんから話を聞く。鄭さん、落語好きだそうで、特に桂枝雀が大好きだったそうだ。なるほどなるほど。小宮さんから話を貰ったときから、こういう手法でやろうと思っていたようで、これは小宮さんだからできたようなものだろう。おそらく、芝居と落語両方が出来る人でないと、この芝居は出来まい。落語でよくある大人数の演じ分けを立ちの形で演ることによって、落語では表現できないことまで可能にしてしまったことも驚き。

        芝居の余韻にひたりながら、ついつい長話をしてしまい、気がつけば終電間際。あわてて電車に飛び乗る。この芝居は、また何回も上演されていくことだろう。そのたびに工夫が凝らされていくに違いない。かなりハードな芝居なので、「60歳くらいまでが限界」という小宮さんだが、ライフワークとしていつまでも続けていってもらいたいものだ。それくらい、いい作品だから。


December.9,2008 『粗忽の釘』稽古風景

11月16日 経済とH
       『ベゴニアと雪の日』 (下北沢OFFOFFシアター)

        渋谷で買物をして時間を潰してから下北沢に移動。食事をしてからOFFOFFシアターへ。経済評論家の佐藤治彦さんが作・演出する演劇ユニット、経済とH。この日は終演後に小宮孝泰さんの落語『粗忽の釘』があるというので、この日を選んだ。

        これは、どうやらシリーズになっているものらしい。前作は『ベゴニアと鈴らん』。ルームシェアしている30代のOLふたりの物語。今回は大家さんが落語好きが高じて、二ツ目の落語家さんから落語を習っているといエピソードが絡んでくる。それが『粗忽の釘』なのだが、これは小宮さんが柳家喬太郎に『粗忽の釘』の稽古をつけている現場に立ち会ったときの経験から生まれたものだそうだ。一度小宮さんに『粗忽の釘』を演ってみせてもらい、細かいダメ出しをしていったものだそうで、それがほぼ忠実に再現されているから落語好きにはたまらない面白さだ。風呂敷の大きさを目の動きで見せる。箪笥を担ぐ仕種で箪笥の重さを表現するテクニック。部屋の大きさ、物の置いてある位置を目で表現するやり方など、まさに目からウロコだ。

        出演者の数も多いが、狂言回しのように出てくる内藤陳が可笑しい。自由に演ってくれと言われているようだが、一発芸のようなものがやけに可笑しい。「♪さらば地球よ 旅たつ船は 宇宙戦艦ヤマト 宇宙のかなた イスカンダルへ〜」と言うと椅子に噛み付いた!

        終わって小宮孝泰の落語『粗忽の釘』。もう何回もかけてきただけにプロ顔負けの出来。小宮さん流のクスグリも随所にあって、こういうよく耳にする噺でもしっかり笑いが取れていた。やっぱり気になるのが芝居の中でも指摘されていた仕種の部分。こうやってこの噺を聴くのも面白い。


December.7,2008 途中退席はつまらなかったわけじゃない

11月16日 『表裏源内蛙合戦』 (シアターコクーン)

        人に譲ってもらったチケットで観劇。「長いよ」とは聞いていた。そもそも初演は1970年。井上ひさしの書く戯曲は大好きだったが、当時は金がない学生身分。本は買えても芝居を観に行く金は無かった。『表裏源内蛙合戦』も戯曲としては読んだが(確か、図書館で借りて読んだ)、芝居は観ていない。読んだときも戯曲としては分厚い本だなあと思った記憶がある。それでも3時間くらいだろうと思っていたら、休憩が入って4時間10分と知って困ってしまった。マチネのチケットだったのだが、夜にはもうひとつ芝居を観るつもりでチケットを買ってしまっていたのだ。夜のは6時30分開演で下北沢。2時開演の『表裏源内蛙合戦』が終わるのが6時10分。渋谷から下北沢への移動が20分というのは物理的にまったく不可能ということはないだろうが、かなり厳しい。

        というわけで、第一幕だけ観て劇場を後にしてしまった。中途半端な感想になってしまうが、開演前の舞台は、裏舞台が剥き出しといった風情。衣装用の棚やら小道具やらがゴチャゴチャと置かれている。それが開演となって暗転すると、出演者一同がズラリと正座して並んでいて口上を述べだす。それよりも驚いたのは背景が一面の鏡張り。客席が映りだされているいるのだ。これは芝居が行われている間中このまま。観客としてはどこか落ち着かない気分にさせられる。

        平賀源内の一生を描く構成だが、初期井上ひさし作品らしく地口歌詞の音楽がたくさん出てきて、それはもう聞くだけでは伝わらないらしく両脇のポールに歌詞が表示される。なんだか圧倒的なエネルギーで物語が進んでいき観ている者は唖然とさせられるだろう。女性には観るに耐えないシーンもあるらしく、正視できなかったという話も聞こえてくるが、あのころの井上ひさしって、こういう作風だったんだよねえ。『江戸紫絵巻源氏』なんてのもあるくらいだから。

        最後まで観たかったのだけど、そういうわけで前半しか観ていないので、これ以上のことは書けない。再演があれば是非観たいけど、まあ、無いだろうなあ。    


December.6,2008 与三郎、走る

11月15日 人形町で『お富与三郎』を聴く会・第2回 (人形町翁庵)

        予約状況はそこそこという感じだった。まあちょうどいいかなと思っていると、当日近くなってから、駆け込みの予約がいくつか入ってくる。ちょっと予約を受けすぎちゃったかなと思っていると、今度はキャンセルの電話が入って来る。当日になっても「まだ入れますか?」の電話があったり、ドタキャンがあったり。もうなんだかわかんなくなっているうちに開場時間。結局、予約していても来なかった人がいたりで、ほぼ満席。

        いつも開口一番をお願いしている立命亭八戒さんが、別の出番が入っているとかで欠席。代わりに後輩の立の家扇治さんを紹介してくださる。八戒さんよりも年下。八戒さん曰く、「オレより上手いんだよなあ」 期待が高まる。馬石師匠は他の出演者が何を演るのかとても気になさる人で、前回も好二郎さんと八戒さんに「何を演りますか?」と開演前に訊いていた。八戒さん、「(出演者に)ネタを訊かれたの初めて」。今回も馬石師匠、扇治さんに「何を演ります?」と問えば、扇治さんから「『茶の湯』です」と答えが返ってきた。『茶の湯』は、普通30分くらいかかる大きなネタだ。扇治さん、「15分くらいで終わりますから」 すると馬石師匠「いや、長く演ってもらってかまいませんよ」 「だいぶ切っていますから。だいたい17〜8分。15分にしようとしているんですが」 本当に『茶の湯』が15分で出来るのかと興味津々で聴いていると、本当に15分程度で下りてきた。最後まで行かず、意外なところでうまくまとめていた。出番を待っていた馬石師匠も「ははあ、そうやって切るわけかあ」と感心しておりました。

        そんな隅田川馬石師匠は、雑誌『ランニング・スタイル』の取材が入っいてカメラマンのためにマクラが長め。普段、あまりマクラを長く演らない人なので、これは珍しい。どうもいい体型を維持していると思ったら、毎朝走っているらしい。毎朝荒川土手のランニングから一日が始まるという健康的な噺家さんだということを初めて知った。5分くらいのマクラのあと『元犬』。馬石師匠はこういう軽い噺がまたいいんだなあ。

        ゲストは春風亭一之輔さん。地方での落語会のマクラが可笑しい。民家の庭で行われた落語会。お客さんが酒肴で盛り上がっているわ、子供がトランポリンで遊んでいるわの中での口演だったとのこと、さぞかし演りにくかったろうなと思われる爆笑のマクラのあと『蒟蒻問答』へ。

        仲入りの時間を利用して、私のトーク。先日行った木更津の話。軽く短めに話したつもりだったが、あとから聞いたら「20分話していましたね」 そ、そんなに話してたあ?

        いよいよ隅田川馬石師匠の『お富与三郎/木更津』。私がトークで話したのを受けて、与三郎は木更津船で一日かけて木更津へ行ったことにしてくださった。ここでもまだ与三郎はただの色男。他人の女房を寝取って身体に34個所の切り傷を負ってしまう。このくだり、歌舞伎調の台詞回しになったりして、ぐぐーっと思わず引きつけられてしまった。噺はいよいよ加速体勢に入ってきた。そしてこれまたいいところで次回に続く切れ場で終演。ううう、次が早く聴きたいぞ!

        おそばをお出しして、片付けが済んでからウチアゲ会場へ。馬石師匠、一之輔さんから、芸談をいろいろと聞けたのがうれしい。

        これで秋の翁庵寄席三連発が終了。疲れたけれど、やってよかったなあという達成感を感じた。来年も春にまた三連発が待っている。


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