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2010年8月21日志の輔らくごin下北沢 恒例『牡丹灯籠』2010(本多劇場)

 これで5年目だという志の輔の『牡丹灯籠』、毎年チケットが手に入らずじまいだった。ご本人がこれで最後だと公言したとかで、今年こそと思いながらもチケットを取るのをうっかり忘れていた。それが発売日当日に本多劇場に朝早くから並んだという人が譲ってくださると言う。ご好意に感謝。

 昨年は三遊亭遊雀の会で『牡丹灯籠』の全貌を聴いている。遊雀はホワイトボードを持ち出し、中心に『お札はがし』にも『お峰殺し』にも登場しない考助なる人物を中心に置き、主な登場人物をその周りに書き込んで、『牡丹灯籠』の前半部分のストーリーを説明し始めた。そのときに私は初めて『牡丹灯籠』が壮大なストーリーなのだと知った。

 立川志の輔の手にかかると劇場の大きさもあるが、もっと大掛かりになる。客電が落ちる。しばらくして客電が点灯すると幕が開いており、下手に縁台。そこに団扇を片手に浴衣姿の志の輔が座っている。下北沢の思い出話などを語りだす。20年前に下北沢の小さな劇場で勉強会をやっていたころ、お客さんがゼロだったことがあるなど。

 やがて『牡丹灯籠』の全編を語るに至った経緯などを説明すると、大きなパネルが降りてくる。パネルの周りには主な登場人物の名前が書かれたマグネット式の札が配置されている。志の輔はまず、お露の札を真ん中に置く。『お札はがし』の幽霊だ。その横にお米。お露に従う下女。では、お露は誰の子なのかという話から、この壮大な噺の前半部分のストーリーを解説していく。この解説の仕方も、わかりやすく、ときにユーモアも交えていくのでこれもまたひとつのエンターテイメントになっているのはさすがだ。話術を知り尽くしてないとこうはいかない。

 前半部分の解説に1時間。これをまったく退屈させない。仲入りのあと黒紋付姿に着替えた志の輔が高座に上がり、『お露新三郎』以降を一気に落語で。原作を読んでいないから確かなことはわからないが、ラスト近くはやや駆け足かなあという印象を持った。それでも医者山本志丈のユーモラスな造形が見事で噺に深みを与えている。そして大団円のあと、志の輔の創作によるエピローグが付く。

 憂歌団の『胸が痛い』が頭に残る中、本多劇場を後にした。もう観られないのかなあ。WOWOWが収録したというから、それを楽しみにしますか。

8月28日記

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