人類史に疑惑?(5)

 

 歴史雑文も久々の更新となる。何故更新を停止していたのかというと、色々とネタはあっても、なかなか書く気力がなかったという理由もあるが、人類史に関係する重大発表が2002年1月11日にあるとの噂をネタに雑文を書いていたので、取り敢えず2002年1月11日まで様子を見て、その後の展開を決めようと考えていた理由もある。
 そうこうしている間に遂に2002年1月11日を迎え、
日記にも書いたように、人類史に関係する重大発表が報道された。南アフリカの洞窟の地中から、幾何学的な模様が描かれた約7万7000年前の石が発見されたというのである。これが捏造ではないかなどと疑ってしまうのは、2000年11月に発覚した日本の旧石器捏造事件のトラウマなのかもしれないが、恐らくこの発表は概ね間違いないものと思うし、取り敢えずは間違いないものとして雑文を述べていくことにする。
 尚、歴史雑文も、今回からは背景を変えることにする。理由は、2002年1月1日の
日記にも書いたように、背景が白色だと目を痛めやすいとの指摘があるためである。

 従来、現代人はホモ=サピエンスという1種のみから成るとされていて、この点について特に異論はなかった。問題は、サピエンスと他の人類、例えばネアンデルターレンシス(所謂ネアンデルタール人)との関係で、近年は、サピエンスが一つの種として成立(分岐)したのは約20〜10万年前で、同時代のネアンデルターレンシスや東・東南アジアの人類は現代人の祖先ではない、という推測が分子遺伝学の見地からは有力である。
 では外見的にはどうなのかというと、約10万年前には、既に解剖学的現代人が出現しており、分子遺伝学的見地と解剖学的見地は、相互にサピエンスの成立時期の推測を補強していると言える。しかし、人類に抽象的思考能力が備わっていたという証拠は、3万5千年前を遡ることはなく、後期旧石器文化への移行も、45000年前に遡る可能性もある、と言及されているに止まっている。要するに、10万年前には現代人と外見的に変わらない人類が出現していたにも関わらず、その後5万年以上も、文化水準は他の人類と根本的な差がなく、4万年前以降に爆発的な発展があったというのである。
 この点を巡っては様々な解釈がなされており、現在のような複雑な言語を獲得したのが5万年前以降なのではないか、との見解もあるのだが、どうにもよく分からないのである。だから、5万年前頃のある時期に、一部のサピエンスはウィルスに感染して脳が突然変異を起こして進化し、進化した脳を持ったサピエンスのみがその後の大発展を担ったのだ、という見解を主張する人も出てきたくらいである。何だか、異星人により遺伝子操作をされてサピエンスが誕生した、というトンデモ説を想起させる。
 ただ、このウィルス説だと上手く説明できるところがあるのも確かで、発掘成果からは、サピエンスは一旦アフリカを出て中東に進出したもののその後撤退し、ネアンデルターレンシスが中東に再び帰還したことが窺われるのである。つまり、5万年前までは、サピエンスも他の同時代の人類も、根本的な能力の差がなかった可能性があることになる。一部のサピエンスは、ウィルスの感染という全くの偶然により、他の同時代の人類とは異なり、大繁栄して現在に遺伝子を伝えたということになる。

 ところが、他の発掘と併せて考えると、前提とされてきたこれらの解釈も、必ずしも自明のものとは言えないのである。南部アフリカの一部では、9〜7万年前にハウイソンズ=プールト文化が栄えたのだが、この文化圏では、欧州においては1万数千年前にしか現れない先端的技術が認められるのである。つまり、人類の文化は突然爆発的に発展したのではなく、やはり徐々に蓄積されつつ発展していった可能性も高いのである。
 そして今回、ハウイソンズ=プールト文化圏かどうかはまだ確認していないが、ともかく南部アフリカに属する南アフリカの洞窟の地中から、幾何学的な模様が描かれた約7万7000年前の石が発見されたということは、サピエンスが早期から抽象的思考能力を有していたことを窺わせ、同時に、5万年前以降のサピエンスと、潜在的な知的資質の点で遜色がなかったことをも窺わせる。
 ハウイソンズ=プールト文化は、その後衰退して再び中期旧石器文化に取って代わられるのだが、発掘が進めば、ハウイソンズ=プールト文化が他の場所で継承されていることが証明されるかもしれない。それはともかく、サピエンスは出現して早期の頃より、他の同時代の人類とは質的に異なる知的能力を有していた可能性が高いとの見解が、今回の大発見により補強されたことは間違いなく、何らかの突然変異を想定しなくても、サピエンスの大繁栄を説明できるようになる可能性が高まったと言えるのではなかろうか。
 考えてみれば、初期のサピエンスと現代人との基本的な相違は、極端な話、文化の蓄積の差にすぎないのかもしれない。農耕開始以降の歴史を考えてみても、文化は加速度的に発展しているわけで、文化の蓄積が貧弱な時代ほど、発展速度は遅いわけである。現代の視点からは、他の同時代の人類と比較してあまり差がないように見える初期サピエンスの貧弱な文化も、中には後の大繁栄を窺わせるものがあり、今回の大発見もハウイソンズ=プールト文化もその例なのだろう。今後発掘が進めば、同様の証拠が次々と発見されるのではなかろうか。

 

 

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