JH2CLV's Topics & Memorandam
April 2015

Apr 29-30 所用で伊勢崎市を訪ね、足利市まで足を延ばす
29-30日、伊勢崎市で所用がありカミサンと赴く。まぁ高崎まで行きゃ何とかなるだろうと実に楽天的な道中。静岡から「こだま」で東京入り。怪しいチケット屋で買った切符を自動販売機に入れ、高崎までの切符を買おうとする。ところが機械が受け付けない。複数台試すが皆同じ。止む無く長蛇の列の窓口に並び順番待ち。最初からそうすりゃ良かったのに、とカミサンの声が聞こえてきそう。その後 2階建てのMaxで高崎を目指す。すれ違う電車が東海道色に比べ実にカラフルなため、カミサンはいちいち声を出して反応。しかしこれ孫にはイイゾ。高崎から両毛線に乗り替え15時過ぎ伊勢崎着。家を出てから約5時間、確かに遠い。 晩までに所期の目的を達しやれやれ。足利フラワーパークの藤を見たいと言っていたカミサン。翌30日、朝7時発のレンタカーで栃木の足利を往復。7時開園と聞いていたが、8時過ぎに着くと既に駐車場は一杯。臨時駐車場へ誘導される。普通の時間だと大渋滞になるらしい。さてその藤だが満開で最高の日に当たった。さつきやツツジ等も咲き乱れ、レイアウトもグッド。これほど目を楽しませてくれ、まとまりのあるフラワーパークが他に有っただろうか。カミサンも大満足(写真)。ところで事のついでと言ったら失礼だが、足利学校(オンマウス)へも立寄り歴史を学び帰路に。

Apr 26 雑木廃棄と駿河エレガント収穫…無線LAN制御リベンジ
6時半起床。早々に屋敷のポンカン畑の老木を伐採。カミサンが剪定のついでに幾本か倒してあったが、勢力の落ちた2本を「お役目ご苦労!」と一気に伐採。オヤジが四半世紀前に植えたものだ。日陰や沢に近いなど、環境の違いでどうしても時間が経つと他の木と違いが出てきてしまう。勢力が落ちると害虫も付き易い。その姿を見て、これって人間の成長と同じだなぁと呟く。それでも四半世紀の間には、多くの太田ポンカンを実らせてくれた。ご苦労様、そして有難う。
昨日残った軽トラ1台分の雑木類と一緒にポンカンの雑木を大峰へ廃棄。天気も良く見通しもグッド。カミサンが外出する時間を利用して無線LANによる工房シャック無線機の遠隔制御テスト。ところが昨年良好だった大峰山頂からの伝播を再現できない。これは樹木の生長や工房側のアンテナ向きの問題と思われる。但し、山頂より東側へ下りた農道からの見通し外伝播は良好で、無線LAN経由で工房のIC-7600を制御。記念すべき遠隔制御初交信がJA2JZ/JA2AYHとのラウンドで実現。
この日は今年初めて西の谷津で駿河エレガントの収穫。やはり舞台の若木より安定した味をだしていて美味しい。

Apr 25 早朝からのタケノコ掘りと釜茹で…そして雑木伐採
5時半起床。大峰のタケノコが気になり朝飯前に登頂。皮付きで約100Kg近いタケノコを掘り出す。そのまま持ち帰ると「皮を剥いてくれば良かったのに!」とカミサンの一言。確かに、一杯にした背負籠姿で藪の斜面を登るのは大変な作業だ。標高が350mあり、竹と檜がうっそうと茂る当該地は、下界より気温が低いため成長が1ヶ月程度遅い。余り伸びておらず長い物も十分食用ンある。持帰ると早々に皮を剥き釜2基をフル稼働。昼時までに3釜分茹で上げる。
昼食後、畑の防風用雑木の伐採と枝払い。ここ暫く無精をしたため、雑木が勝手気ままに伸びていた。これも先週あたりからカミサンが刈りだしていたが、本日本格的な作業を行う。屋敷のついでに舞台へも上り同様の作業。軽トラ4台分の雑木を運び出し大峰の檜林へ3回廃棄したところで日没。気が付くと時刻は18時手前。日が長くなったので時間を忘れるほどだが、それにしてもウィークエンドファーマーの1日は長い。写真は軽トラに積み込んだ掘って間もないタケノコ群。オンマウスは何時もの釜を昔のカマドへ移し、平底の大鍋を何時ものカマドに乗せた様子。昔のカマドは熱効率が高く想像以上に薪が節約できる。

Apr 24 3年半振りに尋ねる思い出の富士宮TV中継所
写真は富士市大渕にある富士宮TV中継所。1974年(昭和49年)5月8日、先輩S氏に連れられて初めて保守に訪れた記念すべき場所なのだ。当時は真空管TV-Txが稼働中で、映像・音声を含めた周波数帯域を、スイープジェネをつないで観測・調整・記録した思い出がある。詳細な日にちを覚えているのには訳がある。その日は芝川中継所保守も含めた、今では考えられない宿泊出張だった。富士宮に宿を取り、そして翌9日朝、TVニュースを見ながら朝食を取っているとグラッ!。8時半過ぎに伊豆沖地震が発生し伊豆方面は大変な状況になった。富士宮でも大きく揺れ、放送中の東京スタジオも同様で名取アナの表情にも緊張が走った。数えたら41年も前の話になる。24日、所用で尋ねることになったが当時の事が克明に蘇ってくる。中央の赤白タワーはSATV・SDTのものだが、当時は未だ存在しなかった。オンマウスは同じポイントから富士山を望んだ様子。

Apr 23 固定局再免許電子申請と返信用封筒投函
固定局免許が来年(2016年)4月19日に切れる。再免許申請が可能となる1年前の4月19日を過ぎた21日。早々に総務省の電子申請サイトを開き、いつもの調子で再免許申請手続き始めた。移動局の再免許は昨年12月20日より申請が可能であったが、諸事情のため今年1月に申請を行い既に免許状が届いている。3ヵ月前のことなので問題は無いだろうと思っていたが、この年になると意外と記憶力が乏しく自信の無い申請手順を追った。そして最後に申請のための送信に至るとWindowsXpでは申請サイトから怒られるばかりで送れない。結局Windows7機を取り出して最初からやると無事完了に至った。その直後総通より受理した旨のメール、翌朝には申請料(\1950)の納付案内が届きネットバンキング、そして最後に免許状送付用の封筒を投函。果たして幾日で免許状が届くだろうか…毎度のことだが楽しみだ。それにしても便利になったものだ。電子申請の場合は申請料も破格となっている。
写真は23日朝、会社の近くのポストへ返信用封筒を投函するところ。もう何十回も行っていることだが、この投函の瞬間っていつも初心に帰るような気がするがどうだろう…。

Apr 21 Raspberry Piとスイッチング用パワーMOS-FET届く
写真は大垣市在住の先輩が送ってきたRaspbery_Pi基板。基板周辺にはPCのマザーボードの如く、LAN・USB・HDMI・メモリスロット・アナログA/V等のコネクタ環境が揃っている。雑誌等で話には聞いていたが、これって完ぺきにコンピューターじゃん!。同梱されていた説明書を読むと、LinuxをSDカードに書き込めば普通のPCが出来てしまうらしい。ちなみに電源はスマホと同じコネクタで、USB_Aタイプからの変換で供給できる。Windows10に対応した基板もこの後に出現するらしいい。となるとリモートシャックにわざわざノートPC等を使わなくてもこれで十分ってことになる。
オンマウスは届いたスイッチング用Power MOS-FET 2SK3523。昨年のハムフェアで知り合ったJG1FFX阪部OMからの情報で100個ばかり購入した。OMいわく、7MHzで使えるスイッチングデバイスとしては最高のモノらしい。リニアアンプに使える筈もないが、高速のスイッチングが目的のパルスHPAには最適のようだ。何しろON抵抗が0.5Ω以下だから、ON/OFFの2値しかとらないパルスパワーアンプに使えば、発熱が殆どない高効率のアンプが製作できる…ハズ。パラプッシュの合成かパラSEPPの合成か、色々と思いが馳せる。目的は完全な2値ハイパワーアンプ(Max:4KW)。

Apr 19 同級生市議の花見
6時過ぎ起床、薄曇りに胸をなで下ろす。今日は同級生M市議恒例の花見。ステージPA支援のため、関係機材を軽ワゴンに積み準備に赴く。8時、会場設営や炊き出しが始まっていた。出演バンド専属の音響担当M氏と1年振りの再開。簡単なやり取りの後設営開始。先日20mのスピコンケーブルを製作したので、ミキシングブースはステージ下手奥の木陰まで下がった。本音は雨を嫌った。M氏とそのバンドの音合わせを拝見したが、どうも皆さん70歳以上のお年寄り、M氏の思惑通りに事が進まない模様。フラダンス組が心配でこちらから声を掛けると、CDとCDラジカセを持ってきて音を聴きたいときた。声を掛けなきゃ、いきなり本番で持ち込む魂胆だったに違いない。だって、ステージはもう最初の出し物がスタンバイしているのだから。オバサマ達のその大らかさがたまらない。準備中に一度雨がパラつき機材にビニールを掛けたがそれっきりだった。11時45分開宴、その後は安定で14時半無事終焉を迎えた。早朝から準備をされた皆さんご苦労様。300名余の参加があり、M市議をはじめ激励に駆けつけたT市長やF県議との交流も進んだ。20日は天気が崩れたが、19日は本当に良くぞ持ってくれたとおテントウさまに感謝。写真はステージ越しの会場、オンマウスはPAグッズ。

Apr 18 終日柑橘の農薬散布に追われる
職場の歓迎会が前夜あり会社のソファで夜を明かす。車を置いて帰ると取りに戻る必要があるため、飲んだ時はこの様にしている。
5時半に会社を発ち6時前には帰宅。R1バイパスはまるで高速道路で20分程度しか要さなかった。早々に朝食を済ませ、この日のメインイベント「ミカンの農薬散布」に備える。軽トラに積んだタンクへ一杯に給水(550リットル入る)し、マシン乳剤と液肥の原液を其々1/500と1/400の比率で流し込み混合する。田んぼ・屋敷・舞台・伊野・寺山と回り、都合1800リットルを散布した。本来なら3月終わりか4月頭にやりたかった作業だが、法事や週末の雨で延び延びになっていた。ことろで、仕事はこれだけでは終わらなかった。陽が落ちてから伊野の雨水タンクへ水をDCポンプで550リットル給水。暗くなってからの発動機音は近所迷惑だから、苦肉の電動方式だ…やり難くなった。そして先週に引き続き、今日も藤枝姉夫婦が置いて行ったタケノコ茹と火の番。終了は19時半を回った。晩はカミサンが同級生の女子会で不在となりこれ幸いだったが、さすがに一日中動き回ると体が休みを求めてくる。コタツで横になってしまい、気付くとカミサンから迎えの電話で23時頃。長い一日だった。写真はミカンの新芽、オンマウスは移植した伊野のポンカン。

Apr 13 Nora逝く
13日の朝、Noraの様子を見に行ったカミサンが「冷たくなっている!」と駆け込んできた。ここ暫くはオムツ状態で、立ち上がる元気もなく、毛布の上に伏したままだった。2013年12月30日にカミサンの機転で我が家にやって来てから1年と4ヶ月半。当初は立ち上がることもできずにいたが、元気になりHanaと一緒に散歩に出るほどにまでに回復していた。ただ用足しは場所を選ばず辺り構わずで、苦笑の連続だった。時としてリードを元気に引っ張ったりHanaの尻を追い掛けるなど、15歳を超える老人の筈なのに「何これ?!」と思わせるシーンもあった。 大きめ目の段ボール箱を探し、そこへ移したが、硬直し思いのほか軽い。しかし穏やかな顔だった。13日は友引で火葬場が休場のため、14日14時の火葬となった。歴代の飼い犬は墓地の一角に埋葬してきたが、Noraは迷い犬で、最後まで飼い主が分からなかったため火葬とさせて頂いた。 写真はやってきた12月30日の翌31日のNora。1日でしっかりと踏ん張れるようになった。オンマウスは2014年の正月3日、Hanaとじゃれ合うNora…何となくHanaは迷惑そう?。何とか飼い主の元へ返してあげたかったが叶わなかった。Noraもそれを願っていたかも知れない。色々な思い出をありがとう。

Apr 11-12 PAスピーカー・ランニングテスト…3年生ポンカン移植完了etc
写真は、19日開催予定の友人市議の花見大会用にPAスピーカー(CLASSIC PRO/CSP12)と自作スピコンケーブルを、工房入口でテストしている様子。11-12日の日中、CDラジカセのFM放送をソースにBEHRINGERのアンプ駆動でランニングテストを行い安定動作を確認。ラジカセとアンプが奥に見える。この種のスピーカーはいわゆるHi-Fi用ではないが、ハギレが良く室内のイージーリスニング(懐かしい言葉!)に使っても全く問題は無いと思っている。
ところで手前に見える奇妙な枝…これは工房設置前から植わっているブルーベリー。しょっちゅう人とすれ違うのだが、ますます元気になっている可笑しなヤツだ。
オンマウスは11-12日で行った3年生太田ポンカンの移植の様子。人も羨むほどに良く成長した。2年前に1年生苗を植えつけたものだが、既に根が周辺に張り簡単にはこげない。しかも土の状況で根の張り方は個体毎にバラバラだ。周辺を鍬や岩切りで掘り込み、スコップで攻め込んで根に土の付いた状態で掘り起こす。これが結構な重さ(30〜40Kg)になるので骨が折れる。移植して土壌が一気に変わらないようにとする親心だ。
写真は12日の17時頃から始まったタケノコ茹で。噴出してから1時間半茹で込み、そのまま朝まで冷ます。そして流水に浸し、使うときに必要なだけ取り出す。タケノコは午後藤枝姉が向山から掘ってきたもの。採取して直ぐ茹でると、あの固い根っこの部分も柔らかくなりコリコリとした独特の食感になる。この作業は19時半過ぎまで続き遅い夕食となった。恒例の「火の番」を最後まで務めたが、日没後は缶ビール片手に釜の薪を突っついていた。簡単そうだが、湯が噴き出さないように薪で火力を調整するには、それなりのノウハウがないと務まらない。火力の調整が間に合わない時は、蓋を取ったり水を注いだり裏技が飛び出す。
オンマウスは太田ポンカンの移植作業。ちょっと分かり難いが、中央の通りが移植する3年生の苗床でその前後の通りが同時期に1年生で定植したモノ。苗床には約40本あったが、今回は32本を隣の借地(軽トラ後方のマキの木の向う側)へ移植、残りは屋敷のポンカン畑へ移植予定。何れにせよ、相手が植物であっても「親心」が無いと務まらない作業だと思う。スコップを手に作業しているのはカミサン(JK2WBD)…良く働くので頭が上がらない。

Apr 8 スピコンケーブルを作る
1987年頃世に出たNEUTRIK(ノイトリック)社スピコン(SPEAKON)コネクタは、その機能や手軽さからあっという間に世界標準になった。1970年代にコンサートやイベントPA(拡声)の支援をしていた頃のスピーカーケーブルのコネクタはXLR3/4やPHONE、そしてラグ端子やバナナプラグが混在していた。30年程この世界から遠ざかっていたが、2年程前からイベントPAをお手伝いするようになってビックリ。殆ど全てのパワーアンプとスピーカーがこのスピコンコネクタ対応だ。外観は同じでも、複数系統の回路を作ることが出来、その利便性はXLRとは大違い。マルチWayスピーカーを構成するときにはケーブル点数も減り、また接続間違いも無くなり大変便利だ。パワーアンプとスピーカーの位置はいつも同じとは限らず、会場の都合に柔軟に答えるために長めのケーブルと延長用のケーブルを作ってみた。写真は両端NL4FXによる通常のケーブル(20mx2本)とNL4FX〜SP-4MX(TOMOCA)による延長ケーブル(10mx2)。ステージの袖にパワーアンプを置く時は、上手と下手のスピーカーで長さが極端に変わってくる。その場合にこのケーブルが有効になる。23時を回ってから良くやるよ…。ところでこのコネクタは40A(RMS)だって。信じられる?。

Apr 5-6 工房シャックを山頂より無線制御出来ず
IC-7600とRS-BA1の組み合わせで、居間のコタツから、工房の無線機(IC-7600)をLAN経由でリモート制御する運用をここ暫く楽しんでいた。クライアントPCをWindowsXPから7にし、LANも当初は有線だったが無線になりより快適な環境になっていた。しかし、自宅のLANへ遠方から割り込みたいのは人情。既に昨年、1.7Km離れた標高350mの大峰山頂からの伝送(インターネットやNASアクセス)実験を済ませているが、5日は山側から自宅の無線機を制御するテストを試みた。生憎の濃霧で山頂の視界はせいぜい数10m。自宅の方向が分からず、闇雲にアンテナを回したがつながらない。自宅前まで戻ると問題ない…霧のせい?或いは樹木?。そんなこたぁ無いよなぁと、快晴の翌6日6時山に上り再挑戦するが、今度は時間が気になりセッティングミス。PCへ繋ぐ無線端末ケーブルをつながないでテストに臨み、可笑しいと呟きながら、自宅に戻ってからそれを発見する始末。全く年取ると忘れ物が多くて恥ずかしい限りだ。写真は6日朝6時の大峰山頂と軽トラに仕込んだアンテナ。オンマウスは助手席のPC。バッテリから無線端末へPoEしている。 さて、このリベンジ戦を何時やろうか…。山頂からの逆アクセス運用が実現すると新たな展開に入る。

Apr 4 亡父の百ヶ日法要の週末
4月4日父の百ヶ日法要を行った。本当は3月25日がその日だったが、年度末で慌ただしかった事やその他諸事情がありこの日となった。今年は祖母の25周忌にあたり、父の百ヶ日と一緒に行おうと目論んでいたが、父の一周忌(今年12月予定)と組み合わせることで落着。ここ数年は年忌対応に振り回されそうな雰囲気だ。
この日は三々五々兄弟と子供たちが帰省し朝から一気に賑やかになった。長男一家は名古屋から車で、次男は東京からJR、三男は群馬から彼女同伴の車で帰省。ガキだと思っていたが夫々に生活を持ち成長していく子供たちを見ると時の流れを感じてしてしまう。
写真は臨川山保福寺の祭壇の様子。10時から法要のお経が始まり焼香。終わるとお寺の奥様が運ぶお茶と茶菓子を頂き、暫く何時もの世間話。しかしこれ、誰かが声を掛けないと永遠に続きそうな勢いだ…女性が4人も居ると話が終わらない。その後地元の料理屋「だいご味」で会食をして家に戻ると大変。大人たちは昼寝モードに入りたいのだが、プラレールの電車で遊んでいた孫の大芽が、再び「Nゲージ」をリクエスト。眠い筈なのにNゲージで鉄道員を楽しんでいた。オンマウスはその様子だが、このあと大芽は一人に…。

Mar 28-29 休日出勤の週末…16年間御苦労さまのHキャスター
前日の27日の晩は、旧隣組で毎月営まれる報徳の寄り合い(甲子さん)が上の家であり、22時過ぎ酔い酔いの帰宅。そのアルコールが抜け切らぬ翌28日の朝、休日出勤で7時過ぎには家を出た。某局事務所のイントラネットで、HUBとLANケーブルの全数交換の要請があり終日格闘した。レイアウト変更にLAN環境の変更が追随しておらず、フロア通路のマットからケーブルがいきなり生えていて、それを通行人が踏み付けるなど最悪。こうした場所が複数あり思わず「よくもまぁ!」と呟く。また余長のLANケーブルが机下にトグロを巻き、その上に誇りまみれ状態でHUBが放ってあり絶句。16時半頃までにこの日の作業は完了、依頼側も施工側も見違える様になった環境に満足。折しもこの日はアナログ時代から16年間務められたHキャスターの最後のお勤めの日。労いの言葉を掛けると、数々の思い出が脳裏を走った。お元気で!。
帰宅すると早々にHDレコーダを立ち上げ、H氏最後のTVの仕事「645」を同録。そして本当に最後のお仕事、19時台のラジオニュースの同録 のためR-390AとPC(SoundEngine)を用意して待つが、土曜で平日とオンエア時間が違うことを忘れ収録失念。何てこったぁ…!。写真は2008年5月2日のオンエア「たっぷり静岡」。
29日はウィークエンドファーマーと化すが、15時頃から21時頃まで出勤し年度末の事務処理に励む。どうにもならない忙しさだ。オンマウスは29日朝、忘れ物を取りに行った葵区瀬名の「花みずき」。手前の弁天池湖岸の桜は満開に近い…もう春だ!。