Aug 29. 2004 愛車CarinaWagonから無線機撤去

平成5年11月より11年近く乗った愛車"Carina Wagon"をついに乗り換える事になった。走行距離は既に12万Kmを超えているが、エンジンの調子も良く問題は無かったのだが、家族から強い勧めがあり遂に乗り換えに踏み切った。
写真は積んでいた無線機を外した様子。HFのFT-840、144MHzFMのC-111ポケクロ(懐かしぃ!)、米LDGのATU(AT-11)、ハイモンドの膝打ち電鍵MK-707等が見える。写真には写っていないがアンテナはHFがサガ電子のWhip、144MHzは自作のWhipを使っていた。また半固定運用に10MHzのZeppも積んでいた。初代HFリグはIC-720AとSGC社のATU/SG-230、アンテナはWhip/2.5m。南知多で未だ小学生だった子供達の海釣りに付き合い、その合間にWWDX-CWコンテストに参加した事を懐かしく思い出している。2.5mのWhipアンテナでよくも北米まで飛ぶものだと感激した。また子供達が中学の頃行った琵琶湖海津大崎キャンプ場では、10MHzZeppでEuやSa方面と交信したこともあった。
さて次の車ではどのような思い出が作られるのだろうか・・・。

Aug 28. 2004 シロスジカミキリの交尾?

本日所用で三国山に登った。三国山は愛知県瀬戸市と愛知県藤岡町それに岐阜県土岐市にまたがっている。車でR363を瀬戸市から土岐市に入ってしばらくした所に、「三国山入口」を告げる看板がある。そこを右に曲がり林道を登って行く。他にも幾つか登頂ルートがあるが、自宅からはこれが一番早い。8時に家を出て途中コンビニで食料を買い現地に着いたのは8時40分頃だった。
雑木林の覗いていたら懐かしい子供の頃の樹液や昆虫の匂いが漂い、もしかしたらクワガタ?と思い近寄ったらシロスジカミキリが2匹いた。何と交尾中の模様で、携帯電話カメラを15cm近くまで寄せても動こうとしなかった。写真はその様子を撮影したものであるが、後ろの小さい方が雄になるのだろうか。大きさは小さい方でも6cm程度あり、並みのクワガタなら逃げて行きそうな大きさである。樹皮に着けた茶色のキズは、彼らが産卵のために着けたものかも知れない。シロスジカミキリと目が合うと、不思議なSFの世界にはまり込んだ様になる。写真では伝えられないが周辺に漂うあの匂いは、まぎれもなく小学時代の夏休みに通った雑木林のそれと同じである。

Aug 20. 2004 「ふうせんかづら」を知っていますか

アサガオの成長で随分と弛んだ感じがしてきたネットの端に、カミサンが植えた「ふうせんかづら」が花と風船を付け出した。写真は花が落ちた後にできる風船で、未だ不恰好で伸び切っていないが、カミサンによればもう少し時間が経てば風船の先端まで綺麗に伸びて風船のようになるらしい。
オンマウスカーソルで見える写真は「ふうせんかづら」の花で、大きさはネット素材と比べても分かるようにせいぜい7mm程度である。マクロを使い可能な限り寄ってみたが、C-700UltraZoom(Canon)にはこれが限界の模様。撮影後エディターで、花のツーショットに程よく収まるサイズでトリミングしたもの。
しかし同じネットにツルを巻きつけているのだが、アサガオとケンカしないのはどうしてなのだろうか?。そのかわり上方向はネットが無くなっているところまでもツルを伸ばそうとしている。自然の振る舞いは観察すればするほど面白く、この歳になっても新しい発見がある。

Aug 17. 2004 立山からの便り

会社の同僚である"八尾の住人"ことS氏から、北アルプ立山登頂を告げるメールと写真が深夜届いた。メールによれば、本日朝4時に自宅を出発して昼前の11時には登頂していたそうです。奥様(年齢不詳)と、そして何と69歳になる氏の母上様も同行され、皆さん無事登頂を果たしたそうです。帰宅してからS氏御夫婦は筋肉痛だったらしいのですが、母上様は日頃の畑仕事の成果か、いたって元気だったそうです。
写真は立山山頂から富士山方面を臨んだものです。この時期に立山から富士山を確認できるってのは「ラッキィ!」の一言ではないのだろうか。
オンマウスカーソルで見える写真は、同じ日の立山社務所とそれ越しに見る五色原。それにしても天気がいい・・・!。
実は前日の午前中、実家の裏山にカミサンと一緒に登り(こちらは車で)静岡市清水から富士山を臨んでいた。

Aug 14-17. 2004 5ヵ月振りの帰省

夏休みで5ヵ月振りに帰省した。東名高速道路は豊橋〜岡崎間に発生した事故で渋滞となり、静岡県に入るまで何と2時間を要してしまった。10時半頃東名高速に乗り、家に着いたのは15時頃だった。途中新装になった日本坂サービスエリアで遅い昼食をとったが・・・。
写真は実家の裏山から臨む故郷のスナップ。集落に自宅のタワーとアンテナが見える。工事中の橋は、第2東名高速道路と東名高速道路を結ぶ連絡路だが完成時期が読めない。
オンマウスカーソルで見える写真は、実家の茶畑がある「大峰」山頂(標高400m程度)から西南方向を見たもの。右に工事中の第2東名高速道路が見え、左遠方の稜線には山原(やんばら)無線中継所の鉄塔群が確認できる。大峰はNTTマイクロウェーブ回線の要所「山原⇔箱根駒ケ岳」の真下に位置する。かつて山原無線中継所の局舎と鉄塔には大型のパラボラやホーンアンテナが所狭しと設置され、平地から見上げるその雄姿はマイクロウェーブ通信の華やさを象徴していた。しかし、通信回線の光ファイバーへの移行で、現在は大幅に縮小され鉄塔だけが目立つようになった。クリックすると同地点から見た山原無線中継所の鉄塔群が見えるがアンテナ数は激減している。

Aug 14. 2004 アサガオの生長

自然にこぼれた種から芽が出てツルになっていたアサガオが最近花を咲かせた。先月25日にネットを張った事も手伝ってか、その成長振りは中々のもの。写真を比較すると良く分かる。しかしこのアサガオは在来品種のため、花自身は小振りで非常におとなしい。写真は本日9時頃のアサガオの様子だが、派手さは無いが薄紫色が葉の緑色にしっとりと映えている。
オンマウスカーソルで見えるアサガオ群は、ネットの効果かツルの成長が大変旺盛である。右に見える短波のアンテナポールの半分近くまで巻き付いていて、なかなか図々しい。これじゃ電波を出してもアサガオのツルに吸収されてしまいそう。また根元にはオートマチックアンテナチューナーがあるのだが写真からは確認する事ができない。あぁこれでは当分好きなDXingは出来そうにない。それとも電波を出し続けたら突然変異で花の色が変わったりして・・・ひょっとしたら研究に値するかも知れない。
この写真を撮影した後およそ半年振りに帰省し、実家(静岡市清水)にて当コーナーの更新作業を行った。

Aug 12. 2004 DOS/V_PC用キーボードを修理する

久々に早く帰宅すると、3男がPCのキーボードが可笑しいと寄ってきた。それではと夕食後一緒に修理することにした。3男によれば、分解してみたが良く分からなかったが、キーボードから出ているケーブルを揺すると回復するとの事。恐らくケーブルが痛んで芯線のどれかが半断状態に違いない。と言う事で、怪しい部分までを切断し新しく芯線を取り出した。芯線は4本で周辺はアルミフィルムで覆われていたがそれを接地する回路は見当たらない。先端の被覆を剥き捻った部分をハンダ上げし、基板に差込みハンダを流す簡単な作業だ。分解した状態で動作を確認すると見事に回復。この間僅か10分程度で決して面倒な作業ではない。子供と一緒に壊れた玩具を突っつく感じで作業が進み、直った時は多少の喜びがあり親子のコミュニケーションも深まる。
キーボードを元に戻そうとしたら、ゴムスイッチや接点部のフィルムシートなどがボロボロと落ち一瞬焦ったが無事全面回復した。一度分解している3男の方がこの部分では上手だった。写真は修理完了のキーボード、それに工具と切断したケーブルで短く切ったのは何処が悪いか探した跡。オンマウスすると作業のアップが見える。

Aug 7. 2004 家庭のPCとVTRのメンテナンス

共用PCはコンボドライブが読めない。3男のはCDを焼きたいのとHDDの空きが無い。VTRはEjectがNGとカミサンが叫ぶ。その対策のため3男と大須に行ってきた。この暑いのにVTRは中をいじる元気は無くAIWAの新品を買ったが、BSチューナー内蔵でも\13K程度だった。コンボドライブとCD-RWは1台ずつ海外ブランドのを、HDDは日立製80GBのを1台ツクモで買った。
オンマウスカーソルするとPC周辺のタイトショットになる。写真は3男のPCであるが、共用PCに入れる筈のコンボドライブが何故かこちらに実装されている。HDDを接続して動作するかを確認している様子だがとにかく部屋が散らかっているのが気になる。DOSレベルでHDDは認識されたが、OSレベルで認識されずアイコンが表示されず焦ったが設定変更でOK。
VTRの写真がないが、何処からでも収録・再生出来るようにした。BS内臓TVにVTR・DVD・地デジ&BSデジチューナーをつなげていると、何がなんだか良く分からない状態になる。これでキカイに弱いカミサンが操れるだろうか?・・・ヒメイが聞こえそうだ。これだけの事を半日でこなす電気屋はそんなにいないはず!。

Aug 4. 2004 今年も8月、残暑お見舞い申し上げます

今年の夏は局地的に大雨が降り大変な事になっている。豪雨や洪水に見舞われた地域の方々は大変な状態だろうと想像している。
オーナーの実家でもとてつもない大雨が過去に2回あった。最初は昭和49年の七夕豪雨で今でいう統一地方選挙の行われた日の夜だった。静岡市内の放送局とNTT山原中継所を結ぶNTTのマイクロウェーブ回線が雨で断になり、東京からの放送を見ることが出来なくなってしまった。昼に降り出した雨は夜には川から溢れ田舎の大道も完全に見えなくなった。雨は翌朝まで続き清水から静岡にかけた平地は冠水し交通網や通信網は完全に麻痺してしまった。巴川の橋に上流から流されてきた車がつかえ、自衛隊がボートで人を渡しているのが印象的だった。2回目は10年ほど前の8月、このときは雨もさることながら風が強く、50年物の檜や杉がなぎ倒され山の風景が変わってしまった。また水も多く出て大道が見えなくなった。川底は石が音を立てて流れ、その音を聞いた老人は怖くて家には居れなかったそうだ。写真は先月梅雨明け時のクマゼミの再掲だが、これからあのような豪雨は想像が出来るだろうか・・・自然というのはそういうものなので騒がないで何時も謙虚でいたい。