左はFT-840とC-111で下方に電鍵が見える。中左はKitで購入したAT-11で車内に吸盤でガラス内側に取り付けてある。中右はサイドブレーキ横の自作リモートボックス(Auto/Manuの選択とL/Cの微調等)。右はAT-11とアンテナ基台との位置関係。車はトヨタ製カリーナワゴン。ルーフキャリアはスウェーデンのTHULE社製。
My Car History 1975〜1978/HONDA 1300 Coupe 7S
1976年5月、21歳の写真。この頃はあまり写真を撮る習慣など無かった中で貴重な一枚。
場所は熱海市の海岸通りにある駐車場。熱函道路(熱海市〜函南町を結ぶ道路)を下って海岸に着くと、決まってGassを吸い過ぎプラグが湿ったものだった。
余談だが熱海市の友人に紹介された「喫茶店・常春」には何度か通った・・・今はどうなっているのだろうか。
このHONDA 1300 Coupe 7Sは1975年に先輩の川島氏(現カワシマ自動車)より\13万で譲り受けたもの。鳥取市から清水市までを8時間で、青木湖スキー場まで4時間で走った事が思い出される。車の仕掛けの多くを、この1300 Coupeから学んだ。機構部分の仕様は後述する1300 GTとほぼ同等である。
右は後述の1300 GTのKeyであるが、1300 Coupe 7も同様だったと記憶している。
My Car History 1978〜1993/HONDA New 1300 Coupe GT
1978〜1993まで乗っていたHONDA 1300 Coupe GT(ダイナミックシリーズ)。FFで排気量1300CCの空冷エンジンで100HP近い出力を誇っていた。2重構造のDDACによる空冷で、当時の空冷エンジンの常識だった騒音問題を解決している。GTはKeihinのCVキャブレターをシングルで搭載しているが、上位車であるGTLは4連キャブレターエンジンで100HPを越えていた。駆動関係は全て金属製のチェーンで行い、独特のエンジン音とエキゾースト音を放っていた。その加速感は素晴らしく、1300CCと言っても信じてもらえなかった。この車の前にHONDA 1300 Coupe 7に乗っていたが、これはスピードメーターが220km/hまで刻んであった。1970年当時、やっと東名高速道路が全線開通した頃に、これだけの車を作っていたHONDAの意気込みを感じざるを得ない。当時、米俳優ピーターグレーブスが出演したCMは、今でも鮮烈に記憶の中にある・・・ハリウッド映画スタジオから出てくる黄色い1300 Coupe等など。最後にGTを手放すとき既に15万kmを走っていたが、160km/hで走行しても未だアクセルに余裕があった。当時のHONDAは驚くほど若かった。
その緒元は、本田技研工業のサイトで、HONDAの名車カタログとして見る事が出来る。また熱狂的HONDAファンであるY.nozaki氏がHONDA1300のホームページを開設しているので是非ご覧頂きたい。その後空冷のHONDA1300は生産を打ち切られたが、機械式燃料噴射装置による水冷1450CCエンジン搭載のHONDA145が類似したボディを引き継ぎ、CIVICと並行して生産されていた。
写真左はルーフサイドにWhipアンテナを取り付け、ハンディトランシーバーC-111とFT-690で144M/50MHzを運用していた1990年頃。