8月も最終日になってしまった。台風10号騒ぎが続いていて、TVに連日台風情報と県下に出た土砂災害警戒情報が終日流れている。静岡市南部に避難指示が出ているが、我が家は2Fを寝床にする程度の対応しか取っていない。それより、裏山にあるU字溝の沢に溜まった土砂のかい出しに懸命。石や枝葉が引っ掛かり、U字溝を塞ぎ水が溢れ出すことがあるためで、気が抜けない。溢れると家の玄関先が沢になる。今回は雷がゴロピカやっているときに、短パンにカッパと長靴姿で対応。避難より自力による水防がここで生活する知恵になっている。 ところで写真、紹介しようと思っていて忘れていた映画「杜人」のポスター。8月10日に庵原町の一条寺で上映会がありカミサンと観賞してきた。その日は子供と孫たちが帰省し70の祝をしてくれた日だ。夕食後1時間半程度抜け出した。造園家で環境再生医でもある達人矢野智徳氏のドキュメンタリー。人と動植物の共生の可能性を説かれ、風通しのために草を刈る手法が、ミカン栽培での草刈りと似ていると感じた。根こそぎ刈ったら、夏場は地面が高温になりミカン木や果を傷める。生かして風が通る程に刈れば、園地内の温度上昇が抑えられ、様々な生き物と植物と共生が実現する。違うか…?。今年の猛暑は共生の可能性を訴えている様にも思えた。ポスターはクリックすると拡大する。 |
旧隣組6軒では毎月報徳の寄合(甲子さんと呼称している)を戦前から続けている。今月は我家がホストで、朝7時過ぎに開催の連絡を行った。家の中の掃除と報徳訓(掛け軸)の掲示をはじめとする飾り付けを行い、酒類とつまみなどを用意する。寄合と言っても、お勤めとして集合する19時半過ぎ、報徳訓の読み合わせと線香を上げ柏手を打つだけ。後は懇親会に雪崩れ込み22時頃まで情報交換の場となる。ところが本日17時。台風10号の影響による大雨で、当地に避難指示が出た。携帯がエリアメール受信のアラームを連発し、同報無線は避難指示を声高に伝えている。これが幾度もあって煩い。半分は80を超えるお年寄りのため、暗い夜道は暗く足元も危ない。それで17時半頃までに、意を決して延期(台風通過まで)の連絡をする。緊張感が一気にほぐれ、1人缶ビールを飲み干す。外は雨音が大きくなり中止は正解だった。 写真は寄合場となる自宅のTVの間。襖の前に報徳訓がかかり、テーブルに香炉や焼香の道具が用意されている。花はカミサンが家の周りで切って来たもの。TVは17時過ぎのGTVで、台風10号による大雨の予想を告げている。 ところでこの日は、カミサンが裏山が心配だとして、反対側に位置する2Fで休むことにした。 |
この時期の農作業が遅れている。農薬散布も色々な所用と天候とにマッチングが悪く滞っている。自分ちのことは後回しにある傾向があるのも毎年のことで苦笑している。この季節になると朝の10MHzが賑やかになって来る。FT8モードで夏枯れが激減したのだが、それでもデコード出来なかったイングランドやスコットランドが見える。暑いけど空は秋を感じさせてくれる。と夜明け前だけは自分のことを優先させHamを楽しんでいる。 ポンカンの木の周りだけ草刈りしあった伊野へ赴くと、畑の周辺の法面がスゴイ。腰丈位い草が伸びているため引き返し、草刈り機と配合肥料を軽トラに積んで戻る。周辺と車の通路の草を刈った(写真)後、配合肥料を根本に撒く。何時も9月に撒くことにしているのだが、ことのついでに20kg袋4袋を撒き切った。ポンカンやはるみは根が浅く、かなりの肥料喰いなので、樹勢が落ちない様にこの時期に施肥する様にしている。伊野を手始めに、田んぼと屋敷南のはるみ、汁見谷のはるみと不知火へも施肥を行う。そして遅れている農薬散布を8月中に行いたいが、台風や前線の動きも気になっている。 8月の夏祭りから10月の秋祭りと自治会関連イベントが今年も予定され、そのお手伝いにも時間が割かれるためチト悲鳴を上げている。 |
今日8月24日はハムフェア2024の日だが、学区の夏祭りと重なった。地元優先の考えから上京は諦め、朝からPA機材や音源のチェックを始める。大した規模じゃなく、音楽ファイルを再生するだけだと思われがちだが、現場へ赴くと色々なことが起こる。機器トラブルはバックアップ系を用意しているので、音が切れるなどの心配はないのだが、演出系の思い付きや想定外の依頼には苦慮する。人が居ない場所で問題無しと言っても、ごった返したらWLの伝搬が不安定になるのは当たり前。スピーカー前に立つのは絶対に控える様に伝えても、堂々とその前に立ちすくむ。ダメなら地声でやるからとチョッとした開き直り。まぁ皆が楽しい時間を過ごせるようにと最大限の知恵を絞って対応する。関係者の殆どはそんなやり取りがあったことなど知る由もない。訪れたお客さんに喜んで貰えるならと一生賢明だ。毎年訪れる年配のご婦人のリクエスト曲が手持ちに無い。ネット経由で自宅サーバーへ繋ぎファイル転送する離れ業。雨が心配でウェザーニュースへ常時接続しリアルタイムで雨雲の監視。田舎の夏祭りでもこんな芸当をするんだ!とほくそ笑む。20時45分には終焉し撤収開始。踊っていたカミサンも支援。21時半には帰宅し機材の片付けを完了。長い一日が終わった。写真は会場の庵原生涯隔週交流館駐車場。オンマウスは昨年に引き続き踊りMCを担当した地元高校生のお2人…随分成長したなぁ。 |
昨日22日午後、田んぼで草刈りをしていたが、降りそうで降らない天気が続いた。そして15時過ぎから急にパラパラと来て大雨になった。様子を見ていたが切り上げて16時前には自宅に戻った。瓦を叩く様な雨になりあっと言う間に50o程度降った。その後も断片的に降り、本日朝までに94oに達していた。これだけ降ると大地も湿りミカンの木が元気を吹き返しているのが良く分かる。摘果をすると、パキッと言う感じで実が取れるので気持ちが良い。昨日までは撓りがあって手応えが良くなかった。自宅では玄関前にアクリルの容器を置いてあって、降水量を物差しで測る様にしている。計ったらこぼしリセットを掛け次に備えている。定期的な計測はしていないが、大まかな雨量を確認しておくと灌水作業の酒匂になる。ところで今朝は4時50分頃大雨に関するエリアメールが配信された。避難指示だった。同じ市内でも海に近い方は300mm超の雨が降ったらしくビックリ。心配になって山切川を薄暗い中覗きに行ったら、本流の水位は余り上がっておらず、むしろそこへ注ぐ伊野沢の方が激流だった。伊野沢の出口に設置した灌水用ポンプも全く問題は無かった。 | |
懸案のBLCU188XRS(LD-MOS-FET)のSSPA、本日ようやくDC48V供給とBias設定、更にRFドライブまで漕ぎつけ、中華基板の動作を確認。結果は「良く出来ている!」だった。 受領したままでドレインへDC48Vを供給後、Biasの基本設定は済んでいるだろうと端子へDC12Vを供給すると、いきなりドレイン電流が30A超(1.5kW)流れ慌てる。こりゃまずいと電源を切りDC5Vを供給。するとドレイン電流は1A台に収まり、微調整で250mA程度に設定。暫く発熱やBias電流の変動を診てからRFドライブする。エキサイタはIC-7300(100W機)で出力は1%(10MHz/CW)から始めると2%でほぼ400W超をCN-720Bが表示。ドレイン電流は約20A超、入力は960W程度で効率は52%。このままエキサイタ出力を2%に上げると、出力は500W超でドレイン電流は22A超。効率は上昇方向。同じテストを50MHzで行うと、利得低下はあるものの、ドレイン電流を20A確保出来れば出力500W超が得られる。その時エキサイタ出力は5%。内心は「スゲェ!」と動揺…真空管じゃこんな芸当は出来ないと頷く。 写真はテスト風景。ドレイン電源はMRF429x4のSSPAから引き込み電流はクランプメータで測定。今後、電源を3kW級に強化し出力1kW超でのデータを取得する予定。 |
8月20日の朝刊で、高石ともやさんの訃報(17日逝去)を知った。ご冥福をお祈りします。 この日は早朝の不用品の焼却、ご近所のタヌキ騒ぎ対応、友人の訪問と昼食、佐野川温泉往復などがあり、一日中動き回っていたため、朝刊を手にしたのは夕方になった。昨年12月17日、友人宅で行われたミニコンサートに行けなかったので手紙を友人に託し、返事のコメントを友人から知らされたのが最後だった。あのとき遠慮せずに駆け付ければ良かったのにと悔やんでいる。新聞の訃報には、あの「受験生ブルース」や「マラソン(トライアスロン)」のことが主に書かれていたが、私的には「ナターシャ―・セブン」をはじめとした音楽活動やライフスタイルについて触れて欲しかった。写真は、彼の残した仕事の中でひときわ輝き、レコード大賞「企画賞」を受賞(1979年)した「107ソングブック全集」。同年9月に名古屋へ異動した頃、1年後輩のA君の勧めで購入したもの。A君はフラットマンドリン奏者だった。その年の春、GTV「テレビふぁそらしど」へ出演したとき初めて拝見してから虜になり、夏の相模湖ピクニックコンサートではアイボールを果たした。20日の夜は、ギターを取り出し「高石ともやとナターシャ―・セブン」の曲を弾き語りして高石ともやさんを偲んだ。ところで、全集に付属していた107ソングブック(譜面集)が行方不明。孫のPfの楽譜と一緒に置いてあった筈なのに…。 |
連日の真夏日と熱帯夜。炎天下での作業を控える様にしつこくマスメディアが伝えるため、カミサンもそれに便乗し煩い。ちょっと前ならサボっていると思われる様なことも平然と行われるようになった。要するに炎天下で仕事をするのは罪悪って感じだ。しかし自然に生きる植物は、そんなことしていたら衰弱し枯れてしまう。子供や孫が帰って来る辺りからチト控えていた日中の作業だが、ここに来て我慢が出来なくなった。はるみの摘果の仕上げや、成長し腰高に成長し果実を突く雑草、そして灌水と8月の農薬散布。この時期を逃したら出来に影響するばかりか木がやられてしまうとばかり、早朝の作業に加え、堂々と日中作業も行う様になった。ファンベスト(空調服)のバッテリ容量を増やし1日持つように強化。昼食を挟んで1日6時間近くの作業だ。写真は汁見谷のはるみの根元。ほぼ最終摘果で、木1本あたり千個以上は落としていると思う。足元にはまともに歩けない程に果が散乱している。オンマウスは屋敷ゆら早生の草刈り状況の俯瞰。刈り切ると地表の温度が60℃以上になるため、木の周りだけ刈り込んで風が流れる様にしている。ちなみに草の温度は気温とほぼ同じ。自然のエアコンの様なものだ。 |
今日は藤枝市瀬戸谷地区交流センターで電波教室があり出掛けた。会場はJARL支部大会が行われる場所でもある。R1バイパスの谷稲葉ICを出て左折し、瀬戸川沿いに6km程山間を上ったところにある。この道を更に進むと静岡から川根を結ぶR362の途中に繋がる。何時もR362を通るとその分岐を何処に繋がるのか眺めるのだが、今回初めてその謎が解けた。自宅を9時半頃出たが、休日のバイパスは渋滞もなく早い。10時過ぎには現着してしまう速さで一番乗りだった。午前中に会場設営や機材準備が行われ、13時半から開校となった。今回は11名の小中学生が集まった。DVD視聴とクイズによる座講の後、FMラジオキットの製作が始まった。今回は小2の少女の参加があったが、無事一発でFMラジオを鳴らした。製作中の悪戦苦闘する顔が、鳴った瞬間に笑顔に変わり「鳴ってるぅ!」と自慢げに叫んでいたのが印象的だった。親御さんからは、教室としてはちょっと長いのではと思ったが、終わってみればあっと言う間で、最後に鳴ったラジオから元気を貰ったとする感想が続いた。やっぱり、どんな物でもモノ作りは良いなぁと心のなかで呟いた。年甲斐もなく、チョッと清々しい気分で帰路に就いた。写真は電波についての座講。 |
例年だと踊りの楽曲を再生順にCDに焼くなどの支援を行ってきたが、今年は会場のPAまで依頼された。実は盆踊りが復活して25年になるらしいが、実行委員会のメンバーの殆どが後期高齢者になり、現在の体制での継続が難しくなった。それで一定の区切りをつけるために、チラシのタイトルには「最後の」と冠してあった。最後のとしてはいるものの、若手後継者の可能性も十分にあるらしい。今日も酷暑で、庵原川沿いのバス通りに面した会場(伊佐布自治会館前広場)は、風が殆ど無く、午後から始まった炎天下での作業はたちまち汗だくになった。写真は陽が沈んだ後、提灯の光が目立ち始めた会場。奥には新東名の新庵原JCTが見える。机上には再生用PCとアンプ、そして主催者が差し入れてくれた焼き鳥が見える。最後と言うことで、予定外のリクエストも想定し、ネット経由で自宅のサーバーをアクセスできる様にしておいた。これが功を奏し、想定外の2曲を自宅サーバーから転送する離れ業をやった。回線はOCNのモバイルワンだが、これが安定ならやり方を変えていく可能性があるかも知れない。5GスマホでYouTube動画が安定に落とせるんだから…でも踊り好きは今でもカセットテープを持ち込んだりするから困惑する。途中からカミサンもやてきて、同総会みたくなって盛り上がった。 |
8月5日の朝、リモートシャックの燃料アラームが点灯。暫くは持つだろうと運用を続けていたら、11日朝燃料が尽き発電機が止まった。こうなると寂しいもの、普通なら緊急出向するのだが、子供や孫の受け入れ準備等に時間が割かれた。それでようやく今日12日早朝、給湯器用の予備燃料である灯油ポリタンク2缶を持参して出向。併せて、燃料タンクの統一を図るために購入してあったタンクも持込む。ところがタンクを下支えるブロックが足らず、引き返し15cm厚のを2個搬送。これを敷きタンクの高さを合わせてから給油を実施。インジェクションポンプ手前に気泡が出来るので、ホース動かしてタンクへ追い込む。写真は設置が終り、灯油をポンプで給油している様子。タンクは両者共フロートSWが付いていて、燃料が空になったら接点出力を取り出すことが出来るが、高さが同じなので右側(従来通り)の接点のみを使っている。後方には取り外したタンクが見える。翌13日、満タンにしようとポリタン3缶分を運んだが、タンクのゲージは半分しか示さない。よく考えたら10缶で満タンなのにまだ5缶分しか入っていなかった。どうも暑さで頭の中が可笑しい。半分は再び後日対応とした。 ところでオンマウス。家の庭先の様子だが、12日午前中に子供と孫たちが三々五々帰路に就き静かになった様子。祭りの後の雰囲気が伝わって来る。今回も色々な思い出を残してくれた…有難う。 |
長男の息子はスイミングの合宿を抜けてきた。コーチから練習メニューを渡され地元のプールへ通った。ところがそのプールは競技目的ではなく健康維持的な感覚が強く馴染まない。それで11日、競技用プールがある西ヶ谷の県営プールを訪ねた。暫く孫の泳ぎを見ていなかったので大人っぽくなった体格と泳ぎにビックリ。童顔の残る顔を見なければ、練習する姿は立派なスイマーだ。他の孫たちは向かいの市営プールで水遊びを楽しんでいた。 ところでこの県営プールには思い出がある。1993年6月、こけら落としで全日本選手権が行われた。その時に中継システムを担当したのだが、日本初、いや世界初の水中移動カメラを使うことになった。それは視聴者ばかりでなく選手の度肝を抜いたのだ。水連は泳法の解析や改善に熱心で、密かに水中移動カメラを開発し実用に供す段階だった。誰の指示だったか忘れてしまったが、テスト会場だった川崎にあった某社の練習用プールへ通った。しかし競技用プールは水深が1.6〜1.8mあり、プールに立てる練習用プールとは作業効率が全く違った。持ち込んだ資材を、水連担当者は素潜りで設営し、50m近いレールと移動カメラやケーブルを組み上げた。凄い努力だった。これを十分な絶縁の上、フレームシンクロナイザで受け、スイッチャに入れ放送利用となった。プール周辺を歩くと、当時のことが鮮明に蘇ってきた。写真は中継車を留めた飛込みプール側の側面。当時を思い出し、初代所長だったA氏のことを事務所に尋ねたら、今でもコーチとして通われていると聞き嬉しくなった。 オンマウスはカミサンと次男で昼食に尋ねた丸子宿の丁子屋。名物とろろ汁は体に優しく、麦飯を何杯でも誘う。県外ナンバーの車でごった返していた。 |
9日の晩、神奈川県で地震があった。その影響で東名等の高速道路が部分的に通行止めになった。群馬の3男一家はこの日の深夜に帰省予定だったが、急遽取り止め10日の午後に変更になった。名古屋の長男一家は予定通り10日の午後、そして東京の次男は10日夕方の帰省となった。10日は夕食後ちょっとしたサプライズがあった。小生が7月に70になったことを子供や孫たちが祝ってくれたのだ。長男の嫁さんが名古屋から特性のケーキを持参して誕生日の再現となった。写真はケーキを切る前、家族全員が揃ったスナップ。孫たちも大きくなったもんだと感心する。この後ローソクを立てHappyBirhdayを唄い火を吹き消す。ケーキは包丁で八つ裂きになり、家族の口に入った。単純なことだが嬉しくなる。 ところでこの日の午前、玄関前の庭に張ったキャンプ用のテント。40年近く前に購入したSpaldingのCanadianLodge50。今でも購入時と同じ様に張れるから大したもの。これに帰省した孫たちを誘おうとするが、どうもあまり興味がなさそう。仕方なく翌11日の朝食をテント前でカミサンと取って居たら、子供や孫たちが寄ってきた。テーブルに自作のラジオがラジオ体操を鳴らし、キャンプモドキを体験した。オンマウスはテント前で朝食をとるカミサン。手前はゆら早生畑があり、間にフジバカマの群生があって秋には収穫とアサギマダラが飛来する。暑くなる前、日出前ののどかな谷間の風景だ。 |
|
実は10日の午後は、恒例の護国神社の永大祭祀講社大祭が行われ参列した。事前に出欠を打診する往復ハガキが届き、出席の返信をしていた。午前中前述のテント張りを猛暑の中で行い汗まみれになった後、それなりの格好に着替えて赴く。実は写真の提灯代や玉串料を別途納める等の対応がある。14時に始まった大祭は50分程で終了。最後に記念品を頂き帰路に就いた。このところの世界不安や一向に解決方向に向かわないロシアのウクライナ進行や理解に苦しむイスラエルの動き、機能不全の国連など、世界の指導者は事態を解決する力を失ってしまったのかと思ったりする。宮司殿の話は例年になく深刻な声に聞こえた。 ところで8月になると盆踊りやお月見踊り、そして豊年踊りと言った祭りの音源整理に忙しい。ほとんどが昭和の時代のEPレコードをルーツにするものだが、何年かの間にデジタイズして音楽ファイルにしてある。無い曲はネット上を探してEPレコードをオークションで落としたりする。今月になって、今年の予定曲が決まり出し、練習用のCD作成依頼が届く。再生順に曲を並べて焼き込み、CDへラベル印刷する。アナログ時代のテープだと大変な作業になるが、ファイルの焼き込みやコピーは容易で音質劣化も無い。70になったがこの便利屋作業は未だ暫くは続きそうだ。オンマウスはこのところ作成したCD群。気が向くとラベルの背景に写真を入れたりする。本番での再生はPCで直接ファイルを再生する。直近では8月14日に伊佐布盆踊りが予定されている。 |
8月7日に田んぼではるみの摘果をしていると16時頃から雨。ひんやりして気持ちが良いのでびしょ濡れになりながら摘果を続けた。実は6日の夕刻にも夕立があり5o程度の雨になったが地表を湿らす程度だった。今日も同じかと思っていたら、これが中々しぶとく降ったり止んだりを深夜まで繰り返した。それで朝雨量を測定すると40oに達していた。こりゃまぁまぁの雨だ。畑のミカンや周辺の草木も元気を取り戻している。やっぱり基本は水だなぁと呟いてしまった。写真は7日、雨が降り出した時間の田んぼのはるみの様子。 ところでオンマウス、雨の日の翌朝は天候が回復し真夏日。一気に気温が上がり、昨日の雨は何だったんだろうと思わせる程の天気だ。この日はJAによるドローンによる農薬散布のデモが新丹谷畑総で行われた。時間までに現場へ到着すると既に100人近い人だかりが出来ていた。最初は水によるデモが行われ、その後農薬によるデモが行われた。問題は葉の裏まで農薬が行き届くか…確かに作業効率は圧倒的に上がるが、葉の裏や葉と果が重なった部分は手掛けには及ばないと見た。しかし高齢者が多く、質を落としても量を維持する考えも一方で有っても良いのかも知れない。 |
8月5日に発送する旨icomリペアセンターより連絡が届いていた。5日発送なら6日には到着するなと期待に胸を膨らませこの日を迎えた。11時半頃佐川急便から電話があった。そして12時頃荷物が届いた。電源ユニットの故障で、ユニットのズボ替えで対応された。ユニットは、同社のSDRトランシーバが買えてしまう程に高価だった。自前の48Vと12V電源を駆使して生かすことは容易だが、筐体にピッタリ収まらないと面白くない。まぁ購入から20年も無故障だったんだから、一生に一度の入院なら高くは無いだろうと言う結論だった。今回の修理に併せ不良部品や消耗品の交換も行われている。また、電源接続で電源投入する改修や、照度抑制のためにメーターランプを外したりの改修はそのまま継続して貰った。しかし、コントロールボックスで設定した複雑な組み合わせはクリアされているので、再設定が必要となる。写真は梱包箱から取り出したIC-PW1本体とコントロールボックス。ビニールとエアキャップを被ったままだ。未だ通電に至っていないが、近日中に電源投入と動作確認をする予定。不良電源ユニットは後送で届くことになっている。時間があれば自力で復活させようと思う。また、旧電源ケーブルはフェライトコアが付属したままIC-PW1に同梱されていた。オンマウスは2日後に届いた不良電源ユニットPX-1981。8.5kgもあって大きく、IC-PW1の容積の1/4近くを占める姿に時代を感じる。 |
電波教室が藤枝地区交流センターであり9時頃自宅を出発。R1バイパスを走ったが、日曜日の朝で平日だと渋滞しているだろう箇所も難なく通り抜け、予定時間より1時間近く早く到着してしまった。 藤枝には以前から気になっている方が居られ、その時間を利用して場所だけでも確かめようとカーナビに住所を入れた。しかしその住所付近にそれらしい住まいを見つけられなかった。時間も無くなり結局元来た道を戻り集合時間の15分程前に交流センターへ戻った。その方は四国出身の友人に嫁いだ奥様だが、15年程前に友人が亡くなられ、出身地の藤枝に戻られている。一度お会いしたいと思っているが叶うだろうか…。 電波教室は、集合時間の11時までにメンバーが集まり、午前中に会場準備、13時半から開場となった。子供たち13名と親御さんは16時頃まで、DVD視聴やクイズそしてFMラジオキット製作に励んだ。今回のFMラジオキットはSDRチップを使用した優れものだが、プリントパターンが細く、熱で剥がれ易く悪戦苦闘する姿が複数あった。しかしそのプロセスが良いと口にされる親御さんも居られ勇気付けられた。終了後は撤収に入り、16時半過ぎ交流センターを後にした。写真は会場の様子。アンケートには体験を喜ぶ子供たちや親御さんの声が綴られていた。 |
朝、カミサンから再び温泉リクエスト。うっかり台ケ原と尾白温泉かぁ…と答えてしまった。中部横断道へ10時過ぎに入りひたすら北上。双葉JCTで中央高速に入り須玉ICを下りた。R141は清里方面が大渋滞していたが、何とか脱し県道で山越えしてR20へ出る。渋滞の理由は清里へ向かう観光客と思われる。凡そ1時間半で台ケ原宿着。昼食を取る場所を探すが、何処も順番待ちの列が出来ていて早々に断念。金精軒のカステラを買って尾白温泉へ向かう。途中カミサンは珍しい蝶が居ると、車を下りて草むらでスマホ撮影を始める(写真)。何とものどかだが、そんなことをする物好きは誰も居ない。温泉は尾白の湯(オンマウス)と称し、キャンプ場やアウトドア設備が一緒になった森の体験基地「ベるガ」の中にある。夏休みの週末と言うこともあり、多くの家族連れで賑わっていた。前回(昨年10月)の入口は閉ざされていて入れず、正面玄関から入った。早速食堂で昼食を取る。自分はラーメン、カミサンは日向山丼。その後温泉に浸かり、露天風呂横の椅子で1時間半程くつろぐ。あの茶色の温泉はチョッと不気味だが、濃度が高く色々と効能があるらしい。14時半頃温泉を出て、駐車場周辺の散策し植物や昆虫観察…こんなことする客は居ない。15時過ぎ帰路に就く。カミサンは途中からうたた寝モード。無事帰宅すると16時半頃だった。 |
相変わらずの暑さが続いている。朝から灌水用ポンプを回して、川から田んぼのミカン畑へ水を揚げる。はるみの根元に水を垂れ流し、はるみの摘果を行う。1本の木で千個以上も落とすから時間にしたら1時間位かかる場合がある。その間に垂れ流した水が根元を田んぼの様に湿らす。摘果しても貧乏性の小生には摘果不足の場合が多く、分かっていても性格や癖が出て苦笑する。分かっていてもとは、落としても必ず落とし足らないこと。 余りにも暑いので、地表や果樹の温度を測ってみた。気温は35〜36℃程度。オンマウスは土の地面を測定しているが64℃もある。地に伏す枯草も同様。草やミカンの葉はほぼ気温相当。果実は41.5℃を示した。したがって除草剤で園地を草が生えない状態にした畑は相当な温度の照り返しが果樹を取り囲むと推測出来る。このため、草刈りを巧みに行い畑の気温が異常に上がらない様工夫をしている。 ところで2日から第75回清水港祭りが始まった。写真はJR清水駅前のさつき通り。地踊りに参加した庵原自治会の「連」。先月から踊りの練習や浴衣の合わせなどをしていたが、この日晴れ舞台となった。見に来て!と案内が有ったので、19時半頃カメラを持って駆け付けた。カミサンは最前列で楽しそうに踊っていた。終了後は地元の台湾料理店に有志が集まり深夜まで盛り上がった。 |
連日の暑さで柑橘類への影響が出ている。枝葉が萎れる程度なら未だ良いが、果が日焼したり挙句は割れだしたりすると黙って見て居れない。日焼けは気温が高く太陽の直射が強いと発生する。焼けたら商品にならないのでそのまま摘果する。葉っぱが掛ってくれれば温度上昇が抑えられ、そうはならないのだが、どうしても一部に日焼が出る。割れも果も同様で、大地の水気が減って来ると枝の先まで水分が届き難くなるからだ。日焼けも水分が行き届いていれば救える可能性があるのかも知れない。色々と思いが馳せるが、やはり水をやりたくなる。軽トラタンクで水場を往復するのも面倒なため、今年も山切川から水を汲み上げることにした。写真は伊野沢の出口に灌水用ポンプを設置し、山切川から水を揚げている様子。ポンプの出は伊野沢の暗きょ(バス通り)を潜って、直近のグレーチング経由でホースを引き畑へ引き込んでいる。今のところ影響が出ているはるみへ灌水している。木の間にホースを導き出しっぱなしで数十分流す。その間にオンマウスの様にはるみの摘果を行う。はるみは着果数がやたらと多く3/4程度は落としてしまう。1000個辺りまで数えたがそれから先は面倒で数えきれない程だ。程々のサイズの果を作ることが目的だが、それをやらないと樹勢が落ち木が自滅してしまう。 | |
写真は自宅前のゆら早生畑に自生しているオグルマ(キク科)。カミサンが一昨年頃から大切にしていたモノだが、最近は幅を利かせてきて、周辺のゆら早生が遠慮している状況だ。種が飛んで増えるのではなく地下茎が伸びて増えるらしい。HexBeamAntのマストから撮影したが、来年はどうなってしまうのだろうかと心配だ。要はここはミカン畑だから。ゆら早生も多分うっとうしいと思う。周辺は切り取り離隔を保っていても、知らぬ間に地面から新しい芽が出て来ると言う悪循環(?)に悩まされている。 オンマウスはゆら早生畑の南側にある広場。勝手に名前を付け、手前がモチノキ広場、奥を柿木広場と呼んでいる。ここ2日程かけて草刈りを行った。モチノキ広場は葛のツルが網の様に張巡り、その中に通常の草木があり草刈り機の使い方にコツが要る。水平に刈ったり斜めに刈ったりと、ツルと草木の状況により刃の入れ方を工夫する。ここは元々背丈ほどの雑草や雑木が生えていた耕作放棄地。昨年、景観維持を目的に地主殿へ草刈りを申し出て了解を得た。カミサンが前述のオグルマを柿木広場の一部に植えだしている。他の雑草を駆逐してオグルマ一面になったら、ちょっとした名所になるかも知れない。奥に自宅のタワーが見える。 |